2
交換留学の手紙を最初に受け取ったのは、ガイナス・エルドランドである。
彼は学園からの使いに礼を告げ、さっそくと封を開けて中を確認した。
綴られている文面は事前に知らされていた通り、エレシアナ学園とカレリア学園の交換留学について。
それらを読み進めるガイナスの表情は渋く、それどころかプレッシャーを感じているかのような重々しい溜息を吐いた。とうてい交換留学に選ばれた者の態度ではない。
だがガイナスがこの態度を取るのには理由がある。
元々この交換留学は、両学園の交友を深め生徒の見聞を広げるためのものだ。短期間ではあるが、両国の若者が関係を深めるのは社交界的にも得になる。
だがエレシアナ学園側の考えはそれだけではない。他の目的、むしろそちらに重きを置いている。
それは以前にエレシアナ大学で起こった事件、他でもないリリアンヌの件だ。特例で入学してきた庶民の女子生徒が学院に通う子息達を虜にし、各家の婚約関係を破綻させた。
そのうえアルバート家の令嬢であるメアリを巻き込み、さらにリリアンヌの動機はダイス家嫡男パトリックへの横恋慕……。
エレシアナ大学の、むしろ学園全体の面目丸潰れである。
つまりこの交換留学は、エレシアナ学園側からしてみれば名誉挽回のまたとない機会なのだ。
その話を学園関係者から聞かされた時のことが脳裏に過ぎり、ガイナスが小さく呻いた。他でもない、ガイナスもまた当事者。リリアンヌに恋心を抱き彼女を取り囲んだ一人なのだ。
それを思い出せばふがいなさが胸に湧く。話を聞く最中、何度も頭を下げ、「その節はご迷惑を」と詫び続けた。
だからこそ課された役を全うすべきだ。そう考え、ガイナスは近くに居たメイドにマーキス家に向かう馬車の手配をと告げた。
本来であれば、ガイナスは交換留学に選ばれるような人物ではない。
それでも彼が選出されたのは、エレシアナ大学からの『問題を起こした生徒も、今は更生しています』というアピールのためである。ガイナス自身も、アピールするならば自分が妥当だと理解している。
なにせ、他の男達はいまだ元婚約者を追いかけたり、他家との縁談を求めて奔走していたりと落ち着いていないのが殆どだ。他国に出せるわけがない。
なにより酷いのが……。
「あれは……あいつは駄目だ。国から出すわけにはいかない……!」
馬車の中でガイナスが体躯のよい体を震わせる。
共にリリアンヌを囲んだ学友、その中の一人を思い出したのだ。正確に言うのであれば、学友の悲惨な現状と、その背後に君臨する冷ややかな令嬢を思い出したと言うべきか。
なんて恐ろしいのか。足元から底冷えするような寒気を覚え、震えが止まらない。
だが交換留学を前に風邪をひくわけにはいかない。そう己に言い聞かせ、脳裏に浮かぶ二人にお帰り頂く。……脳裏に浮かぶ令嬢が高らかに学友を引きずり連れて行くのだが、その光景が妙に鮮明なのは先日見たばかりだからだろう。
そうして暖を求めてマーキス家に辿り着けば、
「メアリ様、メアリ様……!」
と庭で切なげにパルフェットが泣いていた。
晴れやかな日差しと美しい花々に囲まれ、涙する少女の姿は見る者の胸を痛めさせる。……のだが、メイドも庭師もさほどパルフェットを気にする様子なく、各々の仕事をこなしている。
それどころか、泣いているパルフェットに対してメイドが「ケーキと紅茶をお持ちしますか?」と問答無用で聞いている。
非道と言うなかれ、マーキス家において、パルフェットがメアリを想って泣くのは日常的な事なのだ。――ちなみにパルフェットの返事は「メアリ様、メアリ様……チョコレートケーキを……メアリ様ぁ……!」というものだった――
「パルフェット」
「……メアリ様……あら、ガイナス様……メアリ様? ガイナス様……?」
「混乱しないでくれ、俺だ。座っても良いか?」
ガイナスが許可を求めれば、パルフェットがスンスンと洟をすすりながらも向かいの席へと促してくる。
そうしてメイドが運んできた紅茶を飲み、チョコレートケーキを一口食べ、パルフェットが切なげに「メアリ様ぁ……」と呟いた。
「パルフェット、交換留学の件は残念だったな」
「メアリ様と一緒に勉強をしたかったんですが……」
パルフェットがしょんぼりと項垂れる。
それを見て、ガイナスは慰めの言葉と共に自分のチョコレートケーキをそっと彼女の元へと寄せた。
パルフェットが泣いている理由は――いつも泣いているので、『今泣いている理由は』といった方が正しいか――交換留学に選ばれなかったからである。
理由はひとえに、彼女のマーキス家がエレシアナ大学において低い地位にあるからだ。学園は社交界の縮図、家柄はそのまま生徒の扱いに反映される。
だがパルフェットはメアリに可愛がられ、アリシアとはケーキ友達。そんな彼女を学園側も選びたいと思っただろう。だがあまりに個人間の私情を優先し過ぎては、他家が黙っていない。
『マーキス家よりうちの方が』と、こういう意見があがりかねないのだ。これもまた学園が社交界の縮図だからこそである。
ゆえにパルフェットに交換留学の話はあがらなかった。……一応、建前上は、だが。
「パルフェット、俺から学園長に話をしようか?」
「ガイナス様が?」
「あぁ、俺が話せば学園長も聞いて下さるし、他の家も口を挟めないだろう」
「よろしいんですか?」
「もちろんだ。……というか、向こうも元々そのつもりだし」
最後にポツリとガイナスが呟く。
だがパルフェットにはその言葉は届かず、彼女はこの提案に瞳を輝かせている。先程まで泣いていたのが嘘のようだ。周囲の花々の効果もあって、ガイナスには眩くさえ見える。
そんなパルフェットの愛らしさに見惚れ……ガイナスがコホンと咳払いをした。佇まいを直し、緊張を気付かれまいと平静を装う。
だがいかに取り繕っても元来不器用な男だ、「でもなぁ」と呟いた声はどこか上擦っている。
「ガイナス様、どうなさいました?」
「も、もちろん学園長に話をするのは構わない。俺もカレリア大学に行くならパルフェットと一緒が良い。だけど、その……学院長に話をするのも時間と労力がいるというか……」
しどろもどろになるガイナスを、パルフェットが先を促すようにじっと見つめる。
次いで彼が何を言おうとしているのかを察し、はっと息を呑んだ。
「そう、そうなのですね……ガイナス様!」
「パルフェット、俺は……」
「分かりました。メアリ様と過ごすため、ガイナス様と結婚いたします!」
「望むのは烏滸がましいと分かっている、それでも今だけはパルフェットから……結婚!?」
「ガイナス様は『口添えしてほしければ俺と結婚しろ』と仰るのでしょう!? メアリ様と過ごすためならば、その条件のみましょう!」
「違う! そんなこと言うわけがない!」
「そんなこと!? ガイナス様は私と結婚するつもりがないのに婚約者でいるのですか!」
「違う、それも違う! 結婚はしたい、おおいにしたい! だが俺が言おうとしたのは……!」
「言おうとしたのは!?」
「パ……パルフェットからキスしてくれって、そう言おうとしたんだ!」
真っ赤になったガイナスが自棄になったように声をあげて言い切る。だが恥ずかしさに負け、言い切るやすぐさま俯いてしまった。
シン、と嫌な沈黙が漂う。
メイドや庭師の足音さえ聞こえてきそうな沈黙に、耐えかねてガイナスが「すまない」と呻くように口にした。
「お、俺からしたことはあるが……パルフェットからはしてくれていないだろ……。だから、その……嫌ならいいんだ。学園長にはきちんと話をする……」
「分かりました」
「……パルフェット!」
ガイナスがぱっと顔を上げる。
その瞳に映ったのは、キスを強請られ顔を赤くする可愛い婚約者……ではなく、覚悟を決めたとキスをしようとしてくる魅力的な婚約者……でもなく、
「メアリ様と過ごすため、ガイナス様お覚悟を!」
と、勢いよく自分に飛び掛かってくる婚約者の躍動感あふれる姿だった。
長閑なマーキス家の庭に、男女一組と椅子が引っ繰り返る盛大な音が響いた。
パルフェットとガイナスがマーキス家で引っ繰り返ったのとほぼ同時刻、ブラウニー家に二通の手紙が届いた。
一通はブラウニー家令嬢のマーガレット宛。もう一通は、彼女に招かれてお茶をしていたカリーナ宛。二人の令嬢は受け取った手紙を確認し、穏やかに微笑んだ。
「学園長によろしくお伝えください」というマーガレットの言葉にも、「わざわざありがとうございます」というカリーナの労いにも余裕が感じられる。
もちろん、二人共事前に聞かされていたからだ。さすがに大学側の生々しい体裁云々までは聞かされてはいないが、おおかたの予想もついている。
「交換留学、楽しみね」
「えぇ、早く行きたいわ。交換留学の話が出てから、バーナードがいつも手紙の最後に『待っています』って書いてくれるのよ」
「……また始まった」
「バーナードの学部ではまだ交換留学をしないそうなの。彼ってば『貴女を迎えられるから、今だけはこの年齢で良かった』って。嬉しいことを言ってくれたの」
「交換留学は高等部からよね。彼が高等部に上がる頃には、私達は卒業してる。彼なら選ばれるのは間違いないし、そうなったら今度は彼を迎えるのね。良い年齢差じゃない」
カリーナの言葉に、マーガレットが満足気に頷く。次いで穏やかに微笑むのは、はたしてこれから会うバーナードを想ってか、それとも高等部に上がった彼を想像してか。
どちらにせよ狩人とは思えないマーガレットの表情に、カリーナがこれ以上惚気られるのはたまらないと荷造りへと話題を変えた。
といってもカリーナもマーガレットも貴族の令嬢である。荷造りは己の手ではやらず、全てメイド任せ。ならば何を話すのかと言えば、洋服は何着新調しようだの、トランクはどこに作らせようだの、まさに貴族の令嬢といったものだ。
そんな話の最中、カリーナが「荷物……」と呟き、ひょいとテーブルクロスをめくって足下を覗き込んだ。
対してマーガレットはただ静かに紅茶を飲みつつ、目の前の友人を見つめる。淹れたばかりの紅茶がぬるく、むしろ冷たく感じるのは気のせいだろうか。
「足置きはトランクに入るかしら?」
首を傾げつつ穏やかな声でカリーナが尋ねる。
それに対してマーガレットはもう一口紅茶を飲み、
「エレシアナ大学の名誉のため、絶対にそれは連れていかないでちょうだい」
とはっきりと友人の奇行を否定してやった。
……テーブルの下にある、もとい居る、足置きのことは見ないようにしつつ。