7
メアリがふと足を止めたのは、またも廊下の先から覚えのある顔ぶれが歩いてきたからだ。
聞けば今日もまたアルバート家の一室で話し合っていたというではないか。これにはメアリも思わず、
「アディ、そろそろ場所代とお茶代を各家に請求しましょう」
と冗談めいて話してしまう。
そんな中、通りかかったメイドがメアリとアディに話しかけた。馬車の車輪を……と連絡し、そのまま頭を下げて去っていく。きわめて平凡な連絡事項だ。だがそれに対してパトリックが不思議そうに立ち去るメイドの背を見つめた。
「車輪? 何かあったのか?」
「えぇ、ちょっと出かけるの。道が整備されていないから、馬車の車輪を頑丈なものに変えておいてもらったのよ」
「ふぅん、整備されてない道ね。そんなところに出向くなんて大変だな」
いったい何の用で? という言葉をニュアンスに含めてパトリックが問えば、それを察したうえでメアリが上品に笑って「ちょっとね」と返した。
もちろん、誤魔化しているのだ。当然だが他の誰でもないパトリックがそれに気づかないわけがない。
「リリアンヌ嬢とも何やら話し合っているみたいだし、メアリもこれから多忙になるみたいだな」
「むしろ多忙になってくれた方が有り難いわ。でもパトリックだって、なんだか最近忙しそうじゃない?」
「君に構う時間くらいはあるさ」
「あら、良かった」
そうお互いに微笑みあう、この薄ら寒さといったらない。
だが腹の探りあいは早々に終いにする気になったのか、パトリックがアディに向き直った。――その瞬間、メアリが空いたと察してアリシアが飛びつきパルフェットが控えめながらに腕をとったのだが、見慣れた光景過ぎて誰も止めることはしなかった。もちろん、メアリが「抱き着かないで! 泣かないで!」と喚いてもさして誰も気にしない――
「アディ、まだ治らないのか?」
「ほぼ治ってはいるんですけど、痕がまだ残ってるんです。アルバート家の従者として、来賓の方々に傷跡を見せるのも忍びないと思いまして」
「でも眼帯着けたままだと不便だろ」
「そうですねぇ。ちょっと左側が見にくいですね」
「……左が死角か」
「おっかないこと言わないでください」
ニヤリと笑って呟くパトリックに、アディが窘めるように返す。
もっともアディが窘めた程度でパトリックが止まるわけがなく、試しにと眼帯の前で軽く手を振ってみたりと好き勝手してくるのだ。それどころか、眼帯が珍しいのか遊ぶように引っ張り出す始末。
あのパトリック・ダイスらしくない行動だが、これがパトリックなりの、それこそ家名も何もないただの友人としての見舞いであるのは言うまでもない。
出来た子息令嬢を演じられる人ほど根は天邪鬼なのかもしれない……と、そんなことをアディが思う。この分かりにくい天邪鬼な見舞い、せっせと人のポケットにお菓子を入れるアリシアとパルフェットとは大違いではないか。
「というか、アリシアちゃんもパルフェット様も、俺のポケットにお菓子を入れないでください。カリーナ様とマーガレット様もですよ」
「こうするのがアルバート家の礼儀だと聞きました」
「そんな礼儀はありません……」
思わずアディが溜息をつきつつ、せっせとお菓子を詰め込んでくるアリシアとパルフェットの手を止めさせる。この二人ならばまだしも、まさかカリーナとマーガレットまでも同じ行動をするのだから驚きではないか。
どれだけ聡明であろうと、良いところのご令嬢というのはどこか抜けているものなのかもしれない。
……誰を筆頭にとは言わないけれど。
今まさに「夫婦は分け合うべきよね」と言いながらお菓子を食べようとしている誰かさんの事とは言わないけれど。
そんなことをアディが考えていると、誰かさんことメアリが何か思い出したとはたと我に返ってアリシアに向き直った。
「ねぇ、アリシアさんにお願いがあるんだけど」
「私に!? メアリ様が私に頼み事ですか!?」
「そうなの。ちょっとある方に手土産を渡すんだけど、市街地でどこか良いお店がないか」
「メアリ様が私に頼み事! なんでも仰ってください!」
「私に抱き着かないで」
「無理です」
間髪入れずに返すアリシアに、メアリがむぅと眉間に皺を寄せた。
メアリの頼み事とは「市街地で手土産を見繕ってほしい」というものだった。
抱き着かないでと言った時こそ即答で断ってきたアリシアだったが、これには二言返事で頷き、そして頷くと同時にメアリに抱き着いた。――「それを止めなさいと言ってるのよ!」「無理なご相談です!」というやりとりがあったのだが、今更な話だ――
そんな話の中、カリーナとマーガレットがそろそろ帰らなくてはと別れ、そしてパルフェットもまた渋々とガイナスに連れられて去っていった。
「私もお買い物……」と名残惜しそうに震えていたパルフェットだったが、ガイナスに肩を抱かれ、そして何か囁かれて大人しく馬車に乗り込んだあたり夕飯の誘いでも受けたのだろう。ガイナスが真っ赤になっていたあたり、その糖度の高さが窺える。
そうして、残った四人で市街地を見て歩く。
まずはアリシアお勧めのお菓子屋を覗き――「ところで、一国の王女が市街地の店に詳しくて、顔馴染みで、新作の試食を貰って大喜びってのはどうなんでしょうか」というアディの問いは、左からくるパトリックの一撃によって黙された――
しばらく市街地を見て歩き、メアリお勧めの惣菜屋でコロッケを食べる――「ところで、アルバート家の令嬢が惣菜屋の顔馴染みで買い食いってのはどうなんだろうか」というパトリックの問いはアディの盛大な咳払いで黙された――。
そんな買物も、日が暮れ始める頃には解散となる。
「今日こそ回収してよ!」
とメアリがアリシアをパトリックに押し付ければ、パトリックも今日は忘れないとしっかりと彼女の肩に手を添えた。
その途端に先程まではしゃいでいたアリシアが大人しくなり、それどころかうっとりとパトリックに寄り添うのだ。メアリからしてみれば溜息すら出ない。
「それじゃメアリ様、また明日お会いしましょう」
「なにさらっと明日も会う気でいるのよ!」
「アディさん、お大事に」
「ひとの話を聞きなさい!」
キィキィと喚くメアリをアディが宥め、パトリックがアリシアを連れて帰る。なんとも社交界に身を置く者達とは思えない騒々しさではないか。
そうしてアルバート家の屋敷へと戻り、アディの部屋でメアリがふぅと一息ついた。
相変わらず田舎臭くて品のない子なんだから! と怒りながらも買っておいたクッキーを齧る。だがその怒りも長くは続かず「あら美味しい」と声色を明るくさせた。
「あの子のクッキーを選ぶ能力は認めてやらないこともないわね。今度パルフェットさんにも食べさせてあげましょう。きっと美味しいって泣くわよ。……食べる前から泣いてる可能性もあるわね」
メアリに褒められて喜ぶアリシアに、その隣でクッキーが美味しいと震えだすパルフェット。そんな光景を想像していると、アディがクスクスと笑いながらティーセットを持ってきた。
そうして慣れた手つきで紅茶を注ぎ、メアリにティーカップを差し出す。
「渡り鳥丼屋がオープンしたら、きっとアリシアちゃんとパトリック様が一番のお客さんになってくれますよ」
「搾り取りましょう!」
「おやめなさい」
まったくとため息交じりに咎めてくるアディに、対してメアリが小さく舌を出す。そうしてアディが淹れてくれた紅茶を一口飲み、ほっと一息ついた。
確かに、渡り鳥丼屋がオープンしたらアリシアとパトリックは一番の常連客になるだろう。「三食全て渡り鳥丼で!」と言い出すアリシアと、せめて朝食はもう少し軽いものをと甘やかしきった説得をするパトリックの姿が容易に思い描ける。
その光景は優雅とは言い難いが、二人の立場を考えればこれ以上の箔はない。
次ぐ常連はパルフェットとガイナスだ。
二人で仲睦まじく過ごし、そして時にはパルフェットがガイナスに意地悪をしつつ穏やかに過ごすことだろう。渡り鳥丼が甘くなるわね、そうメアリが冗談めいて告げればアディが苦笑と共に頷いた。
メアリが関わっているとなれば、きっとカリーナとマーガレットも贔屓にしてくれるはずだ。
それどころか、マーガレットに至っては経営にまで興味を示してくるかしれない。あの野心、そしてダイス家三男を射止めた手腕、彼女に隣国の支店を任せるのも悪くないかもしれない。
そんなことをメアリが考えていると、アディが笑みを強めて「あの時は……」と話し出した。
「お嬢から渡り鳥丼屋の話を聞いたときは、俺達二人だけでしたね。北の大地で、二人きり」
「……えぇ、そうね」
アディの話に、つられてメアリも当時の事を思い出す。懐かしい、あの時もアディの部屋だった。彼に愛されていることに気付かず、必死に悪役令嬢になろうとしていた頃だ。
前世の記憶を頼りにアリシアを虐め、そして北の大地に追放される予定だった。そこで渡り鳥丼屋を開く……それが当初メアリが抱いていた計画。
だというのに現状はまったく真逆。友人に囲まれて日々を楽しく騒々しく過ごし、彼等に渡り鳥丼屋のことを話す瞬間を心待ちにしている。
「当初の予定とはちょっとずれたけど、まぁこれも悪くないわね」
「またそうやって意地を張る」
「なによ」
「いえ、なんでも」
ジロリとメアリが睨み付ければ、アディがしれっとそっぽを向く。
だが彼の手はメアリのもとへ伸ばされ、ティーカップを置いた隙をついてきゅっと握ってきた。宥めるように撫でられ、これには睨み付けていたメアリも表情を緩めてしまう。
「成功させましょうね、俺達の渡り鳥丼屋」
「えぇ、成功させましょうね」
そう柔らかく微笑んで、メアリもまた彼の手を握り返した。