6―1
『ドラ学』において、悪役令嬢メアリはどのルートでも登場し悉く主人公の恋愛を妨害してくる。
時に権力を盾に・時に取り巻きを利用し・時には主人公を嵌めて。その多様な手段にプレイヤーは苛立ちを覚えるが、だからこそ恋は燃え上がり、最後にメアリを蹴落とした瞬間の爽快感へと繋がる。
その最たるルートが、他でもない彼のルートである。
『ドラ学』のパトリック・ダイスはやたらと気位が高く、クールどころか冷酷とさえいえる男だ。
初期好感度が誰よりも低く、しばらくはどんな選択肢を選んでもつっけんどんな態度を取られる。その難易度の高さといったら、プレイヤーの心が折れかねないと話題になったほどである。
そんな関係が変わるのが、とある日の放課後。
たまたま帰りが遅くなった主人公が、教室の机で眠るパトリックを見つけるのだ。日頃の重荷や疲労が祟ったのか、らしくなく熟睡するパトリックに主人公はどうしようかと悩んだのち、自分の上着をかけてやる。
そうしてしばらく主人公が待っていると、ゆっくりと目を覚ましたパトリックが自分に掛けられた上着と主人公の交互に視線をやり、情けない姿を見られたと頬を赤くする。
彼らしくないその態度に主人公は親近感を覚え、それから二人は徐々に親しくなり、惹かれあい、パトリックの凍った心もアリシアの優しさを受けて溶け始め……
そして、悪役令嬢メアリが彼と婚約を結ぶ。
勿論、親の権力を使ったのだ。ダイス家とアルバート家は表向きは対等な関係を結んでいるが、実質のところ権力の比重はアルバート家に偏っており、ダイス家は言いなり状態である。
メアリが結婚したいと訴えれば、それにダイス家は応じるしかないのだ。勿論パトリックも逆らえるわけがなく、よりにもよってアリシアの目の前で婚約宣言をさせられてしまう。
自分では到底敵わない世界の取り決め。それを前にアリシアは悲観にくれ、メアリに腕を取られて去っていくパトリックの背中を見送るしかない……。
「うわぁ、お嬢ってばえげつない、嫉妬にかられて女捨ててますねぇ」
「暴言にも程がある! ……まぁ、良いわ。所詮はゲームの中のメアリのことですものね」
ゲームのストーリーを説明しただけなのに自分を非難され、メアリが不快だと眉間に皺を寄せながら紅茶を一口飲み込んだ。というか、主人に対して「えげつない」発言は従者としてどうなのだろうか。
だがメアリ自身、ゲームのメアリには呆れ果てていた。同じ立場に立っているからこそ、彼女の愚鈍な行動には嫌悪を通り越して哀れにすら思えてくる。
「つまり、そのストーリーに沿っていくと、お嬢とパトリック様が婚約するってことですか」
「そうよ。時期的に見ても、もう話が出ていてもおかしくないわ」
勝ち誇った表情のメアリがパトリックとの婚約を発表するのは、夜会のイベントが終わってすぐだ。ゲーム上の詳しい日付までは覚えていないが、間にイベントを挟んだ覚えは無かったし、卒業までの日数を考えるとそろそろ起こるはずである。
そう説明すると、メアリの対面に座って紅茶を飲んでいたアディが「でもですよ」と口を開いた。
「でも、お嬢はパトリック様と結婚したいって気はないんでしょ?」
「えぇ、まったく微塵もこれぽっちも無いわ」
「その台詞、刺されたくなきゃ他所では控えてくださいね」
誰もが焦がれる王子との婚約話に、よりによってこの完全否定である。
アディが思わず溜息をついてしまうのも仕方あるまい。それほどパトリックは女性から慕われ、彼との結婚を夢見る令嬢は数え切れない程なのだ。
メアリとパトリックが仲睦まじく踊る姿を何度となく眺めていたアディは、それと同時に注がれる嫉妬の視線を常に感じていた。それこそ、身震いしてしまう程に。
――「そんなパトリック様に対して、どうしてお嬢は……」と呆れたように溜息をつきつつ、内心で安堵したのは言うまでもない。いや、言えるわけがない――
「ゲームの悪役令嬢メアリ様は無理矢理パトリック様と婚約したんでしょ? それなら、お嬢が動かなきゃ問題ないんじゃないですか?」
「私もそう思いたいけど、どうにもゲーム通りに進まされる気がするのよね……」
そう呟きながら、メアリが自分の巻き髪に触れた。
今日も豪快な縦ロールがメアリの細い指を受けて揺れる。が、ロール単位で揺れるその様はお世辞にも繊細とは言えず、まさにドリルと言わんばかりの強度である。
これでも、せめて緩い巻き髪になるようにと朝から必死でブローしたのだ。それこそベテランの世話係三人がその手腕の限りを尽くし、押さえて伸ばして押し付けて費やすこと二時間……。
その結果、ドリルより先に世話係の心が折れ、今に至る。
「これの威力から考えると、相当な力が働いてるみたいだし……」
「そうですね……」
メアリと世話係達の奮闘を知っているからこそ、アディがそっと顔を背けた。
メアリの悪役令嬢としての進行具合はさておき、現状は概ねゲームのストーリーに沿っていると言えるだろう。
もちろん、それはアリシアの努力やパトリックの行動があるからこそだとは分かっているが、それでも次に起こるのは婚約イベントだと思えるのだ。
この世界がゲームと同じだと思いつつ、全てがプログラムで出来ているとは思えない。
物事全てがゲームの通りだとは思わないが、その反面ゲームのような物事が起こっているのもまた事実。
『ドラ学』のようなこの世界で、『ドラ学』のように日々が過ぎていく。
メアリにしては些かあやふやな落としどころではあるが、完璧に無関係だと言い切るには事例が多すぎて、かといってゲームそのものだと認めるのは、この世界で生きているメアリにとって不本意なのだ。
それらを踏まえて、メアリはパトリックとの婚約を予感していた。勿論、かといって自ら彼との婚約話を持ち出す気はないが。
ゲームのストーリー的にもこのイベントが発生する時期だし、なによりメアリとパトリックの関係を考えれば、婚約話が上がってもなんらおかしなことではないのだ。
むしろ内情を知らぬ者からしてみれば、逆に何故今まで婚約していなかったのかと疑問に思うかもしれない。変わり者ではあるがその美貌と家名は一等品のメアリと、誰もが焦がれる完璧なパトリック、文句のつけようのない組み合わせである。
「それはつまり、旦那様かダイス家の当主様が婚約話を持ち出すってことですか?」
「今までアルバート家とダイス家は『手を組む』という関係ではあったけど、実質的な繋がりは無かった。両家とも申し分ない家柄なのに……どうしてか分かる?」
「そりゃ、両家に同年代の子供が生まれなかったからじゃないですか」
「そうね。でも貴族なんて政略結婚が当然の世界よ。同年代と言わず、10も20も離れた相手に嫁がされる、なんてことも少なくないわ」
「それは……確かにそうですね。でもアルバート家もダイス家も、そこまで必死に政略結婚する必要もないでしょ」
「重要なのはそこよ」
頷きながら、メアリがスコーンを一欠片口に放り込んだ。
焼きたてのスコーンは口に入れた瞬間に香ばしさと程よい甘さが伝わり、今すぐに厨房に走っていってパティシエを褒めたたえたくなる美味しさだ。
どうやらアディも気に入ったようで、真剣な表情でメアリの話を聞きつつも手がスコーンに伸びている。ちなみに、これで3つ目である。
「アルバート家とダイス家は両家とも権力があり、他の家など取るに足らない規模よ。だからこそ、両家の間で政略結婚なんて出来なかったの」
「と、言いますと?」
「両家とも、結婚に関しては数多の申し出の中から一番条件の良い家を選んできた。その余裕が、そっくりそのまま両家の権威に繋がるのよ」
「確かに、アルバート家もダイス家も、いつだって“選ぶ側”でしたね」
「そんな両家が、年の離れた子供を結婚させたとなれば、何かあったと思われかねないわ」
政略結婚とは、結局のところ親の野心である。
新たなパイプを作りたい、今の繋がりをより深いものにしたい、果てには結納金が欲しい……目的は様々で、その代わりに娘を、時には息子さえも差し出すのだ。
逆に言えば、政略結婚に必死な家はそれほど野心があるか、もしくは相手方の支援を必要としているということでもある。
だからこそ、アルバート家とダイス家は親交を深めつつ、子供達を差し出すような真似はしなかった。選んでもらうよりも選ぶ方が優位に立てるし、互いに余裕を見せつけたかったのだ。
「というのが今の両家の現状よ。だけどそれが崩れた」
淡々と喋りながら、メアリがもう一欠片スコーンを口に含む。
「パトリックと私は年が近く、仲も悪くない。むしろ傍から見れば仲睦まじいお似合いのカップル。つまり、両家が待ち望んだ政略結婚に見えない男女」
例えば今この瞬間に婚約発表がされたとしても、世間はさほど驚きもしないだろう。勿論そこに政略結婚の匂いを嗅ぎつける者もいないはずだ。
昔から親しかった二人が幾度と手を取り踊り、そうして年頃になって結ばれただけに過ぎない。
「外部の者には悟られず、両家の繋がりはより深いものになる。お父様たちからしてみれば、万事全てが上手く言って万々歳といったところでしょうね」
溜息混じりに紅茶をすするメアリに、アディが彼女をジッと見据えた。
メアリの話し方はまるで他人事といった様子で、年頃の少女が恋愛を語る熱っぽさも無ければ、ましてや自分の知らぬ所で婚約させられたと嘆く様子もないのだ。
あくまで淡々と、まるでこうなることが昔から分かっていたと言わんばかりである。
確かにメアリにはゲームとしての知識がある、この婚約もストーリーの一部として事前に予想していたのだろう。それにしても、ゲームの記憶が蘇ってから考えたにしては妙に落ち着き払っている。
むしろ、ずっと昔から、それこそゲーム等関係なくこうなるはずだったと言いたげだ。
「……お嬢、もしかして昔からパトリック様と結婚する気だったんじゃ」
「結婚させられるんだろうなとは思っていたわ。まぁ、よく知りもしない男の所に嫁がされるくらいなら、パトリックの方が良いわよね。気心知れてるし、それに……」
「それに?」
チラとアディに視線を向けるも、メアリがすぐさま「何でもないわ」と話を濁した。
そうして何食わぬ顔で紅茶に口をつける。ほのかな甘さと果物の香りが口内に広がり、空になったカップを見たアディが新たに注ぎいれた。
「でもあの子がいる以上、この婚約も上手くはいかないでしょうね」
あっさりと言い切り、メアリが2つ目のスコーンに手を伸ばした。
メアリの父親とパトリックの父親が楽しそうに談笑しながら姿を現したのは、ちょうどその時である。