人とはなんだろう。
つまらない物を見てしまったと思った人は、わかっている人だからでしょうが、見てやって下さい、私の結論を。
人は何処に向かい生きているのだろう。
人は何故生きているのだろう。
人とはなんだろう。
この空が繋ぐ世界で、人は生きて、人は死ぬ。
今の子供は人の命を軽く見ていると大人は言う、だが反対に、子供は、大人は頭がおかしいからすぐ人を殺すと言う。
この世界は壊れている。
「信じる」という言葉で隠した「疑いの心」、それはいずれ自らの崩壊を招く事、それを知っていてもやめることのない人々。
この世界は壊れている。
「優しい嘘」とは人が作りあげたただのエゴだ、どんなにいっても嘘は嘘でしかない、それを知っていてもやめることのない人々。
この世界は壊れている。
親は子供に「期待」をもち育てる、だがそれと同等に子供も期待している、だが一度この期待が無くなれば、家族という言葉で固めたただの同居人に成り下がるだろう。
何故だが私にはまだ理解することが出来ない、どうしてここまで人は愚かなのだろう、何故絶望を味あわなければ人は自らの過ちに気づかないのだろうか。
神という存在がいるなら聞いてみたい、何故人間を作ったのかと、人間が愚かであるなら、人間を作った神もまた愚かではないのだろうか。
命を軽く見ている。
期待はずれ。
こんな物を望んでいない。
その全てが自らの傲慢さが生んだ崩壊への一歩、それに気づかないのも人間の愚かさが生んだもの。
人間は何処に向かい生きているのだろう。
私はこう思う、そんな愚かな人間に囲まれながらも生きていける人間が生まれることを神は望んでいるのではないかと、だがそれでも疑問は残る、そうする事で神は何をしたかったのかと。
私にはまだわからない事が多い、人はなぜ生まれてくるのだろうか、それは定められた運命によって生まれたんじゃないのだろうかと。
私はこう思うのだ。
私もまた愚かな人間であるが故に愛を知り、哀しみを知り、苦しみを知り、いくつもの感情を何故人間に神は与えたのか、それは自らの考える哀しみや苦しみの上に成り立つ物、愛や希望を持つことで変われる、それを人間に教える為に感情を与えたのだ。
ならば人間が生まれた意味は?、私はこう思うのだ。
神は知りたかったのかもしれないと、可能性という不可侵な物を、私はそう思ったのだ。
こんな物を読んでいただきありがとうございました。