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Hidden Virus

作者: あっしゅ

「ちくしょう」

 灯りのついた研究室の中で、前田が言葉を吐き出した。

 その声は、決して大きなものではなかったが、他に人影のない静かな研究室に響きわたるには十分だった。

 窓の外はとうに暗くなっていて、外灯の明かりだけが寂しく照らしている。

 場所は、国立帝都大学付属の大学病院、その免疫学部の第三研究室。

 前田が主任を務める研究室だ。

「よぉぅ、どうだ?」

 いきなり研究室の扉が開いて白衣の男が一人、のそりと入ってきた。ノックは無い。両手にコーヒーの入った紙コップを持っている。

「大原か?」

 前田が振り向きもせず答えた。

 大原は、同じ大学病院にある別の研究室の主任で、専門は感染症だ。

 免疫学が専門の前田とは学部が違うが、医大生の頃からの友人でお互いに研究室を訪問しては何かと交友を深めている仲だ。

「ほら」

 大原が前田の脇に紙コップを置いた。

 前田は無言でそれをすする。

 二人しかいない研究室に、その音がやけに大きく響きわたった。

「調査会はなにもいってこないのか?」

 大原が口を開いた。

「ああ」

 前田が短く答える。

「他の大学病院は?」

「そっちもなにもない」

「そうか」

「そっちはどうなんだ?」

「どこからも連絡はない」

「くそったれ!」

 前田は吐き捨てるように言った。

 最初の患者が運び込まれてからすでに一週間がたつ。その間、原因となるウイルスのかけらすら発見できていないのだ。

「ほんとに原因はウイルスにあると思うか?」

 大原が確かめるように聞いた。

「おそらくはな」

 前田はぶっきらぼうに答えた。

「患者の血液や内臓から発見された酵素は、ある種のウイルスが人の体内で放出するものによく似ている」

 そこで、言葉を切った。

「問題は、そのウイルスが体内のどこにいるかだ・・・・」

 そう言って背もたれに寄り掛かると、腕を組んだ。

「ウイルス本体が見つからなけりゃ、感染予防もままならん」

「そうだな」

 大原は、ぼそりと相づちを打つと、前田の目の前のパソコンを操作した。

 ディスプレイに、今までに分かっていることが項目別に表示されていく。多少の違いはあるが、大原の研究室にあるパソコンに入っているデータと同じものだ。

 病原となるウイルスの構造が分かれば、それを元に抗ウイルス剤を合成することができる。そうすれば、根絶治療が可能なのだ。

 だが、ディスプレイの表示からは、ヒントになるようなものを発見する事はできなかった。




 それは月のない夜だった。

 大学病院に救急車で運ばれてきた一人の急患がすべての始まりだった。

 患者は全身の苦痛を訴え、血液検査の結果、肝機能の低下が発見された。

 急患担当医は劇症肝炎と診断を下し、緊急入院が行われた。

 患者には点滴がつながれ、絶対安静のまま監視が続けられた。その一方で、対処を行うため、原因の発見が急がれた。

 患者の容態は一時回復に向かったものの、結局明け方に息を引き取った。原因が分かったのはそれからさらに四時間が立ってからだった。

「なんてこった・・・」

 それが担当医の第一声だった。

 劇症肝炎の原因は、ジヘキサペプシンと呼ばれる酵素によるものだった。この酵素が体に入ると、肝臓や腎臓の代謝を阻害してひどい場合は劇症肝炎や急性腎不全を引き起こす。

 当然、人体内で作られるものではなく、ウイルスのうちの何種類かのものが動物の体内に入った時に作り出すものだ。

 ただ、通常その種類のウイルスは人体に感染することはない。

 そして、病原不明の患者はそれだけにはとどまらなかった。

 急患で運ばれてきた患者が亡くなった日、午前中から同じ症状の患者が次々と運ばれてきたのだ。

 その数は一日で12名、内4名が死亡した。

 大学病院内では、人体に感染する変異体の発生かと騒がれ、死亡した患者の病理解剖が行われてウイルスの発見が急がれた。

 しかし、肝臓はもちろん、腎臓、膵臓、脾臓、胃、腸、血液、リンパ液中にすらウイルスのかけらも発見できなかったのだ。

 幸い、酵素そのものを分解する機能を持つ抗生物質を投与することで、発症を予防することができたが、ウイルス本体が見つからないことには根絶治療を行うことができない。

 大学病院では、過去の同様の症例を探すと共に、ウイルス発見のための研究チームを構成した。




「だめです」

 助手の木村が、落胆した口調で前田に言った。目の下にくまができている。

「ウエントロープ法でもARG法でも、発見できません」

 検査結果をまとめたレポートを差し出す。

「そうか」

 前田はレポートを受け取るとざっと目を通した。

 おかしな所は何もない。試験は正しいのだ。

「そっちはどうだ」

 前田が他の助手に声をかける。

「だめです。一次発症者86名の抜き取り試験でも何も反応はありません」

「そうか」

 ぼそりと呟くと椅子の背もたれに寄り掛かった。

 最初の患者が運び込まれてから既に一週間が過ぎていた。

 その間に、病院に運ばれてくる患者の数は増え続け、その数は東京、名古屋、大阪、京都など日本中で二千人を越えた。

 抗生物質の投与で病死者の数こそ少なく抑えられているが、根絶治療ができない限り、抗生物質の投与を止めることはできない。

 感染経路は相変わらず不明だったが、患者やその家族の状態から考えて空気感染ではないことは分かっていた。

「とにかく日本でしか発症例がない。日本固有のウイルスだ」

 それが何かのヒントになっているのだろうか?

 前田の頭にそんな考えが浮かんだ。

 発症場所に関連性はない。あえて言えば大都市に集中していることだが、人口数や人口密度を考えれば不思議なことではない。

 他の、発症者に関する事柄についても同じ事だった。それらから何かの関連性を見つけだすことはできない。

「日本だけ・・・・か」

 疲労と睡眠不足でぼやけた頭の中を、その言葉がリフレインする。

 その時、前田の目の前の内線電話がけたたましく鳴った。

 前田は反射的に受話器を取った。

「はい、免疫学部第三研究室」

「前田か!」

「俺だ・・・どうした?」

 電話の主は大原だった。なにやら興奮したような口調だ。

「今日、また一人発症者が出た」

「そうか、で、なんだよ」

 前田は冷たく答える。発症者には悪いが、多いときには一日で五人以上発症しているのだ。発症したというだけではニュースにはならない。

「いいか、よく聞け」

 大原は、そんな前田の口調など気にせず続ける。

「発症者は進行性白血病で、昨日、骨髄移植を受けた患者だ」

「それが・・・えっ、なにっ!」

 不意に大原の言葉の意味に気づき、前田が受話器に向かって大声を出した。研究室のメンバーが全員前田の方を向く。

「それは本当なんだな!」

「今から骨髄のサンプルを持って行く、検査の準備をしといてくれ」

 そして、電話が切れた。

「電子顕微鏡、それからPRP鑑定法の準備を」

 前田は手早く指示を出すと、自分も測定装置の用意を始めた。

 骨髄移植を受ける患者は、移植による拒否反応を避けるため、数週間前から放射線照射などで体内の白血球やリンパ球の数を減らす。当然、細菌やウイルスに対する抵抗力は無くなるため、患者は無菌室に入り食事は輸液による栄養補給、機材や衣服にいたるまで完全に消毒された環境におかれる。その状態で発症するということは、移植された骨髄を通じてウイルスに感染した可能性が高いのだ。

「前田!」

 研究室の扉が開いて大原が飛び込んできた。手には骨髄サンプルを入れたケースを抱えている。

「かせ!」

 前田が、待ちきれないように大原からケースを奪い取ると、サンプルを電子顕微鏡にセットし始めた。

「しかし、なぜ、感染を?骨髄の感染症の試験はしてるはずだろう?」

「こいつに関してはジヘキサペプシンのチェックしかしなかったようだ、無理もないが・・・」

「酵素の反応がなければ感染していないことになる、からな」

 そういいながらも、手早く電子顕微鏡の調整を行っていく。

「よし、これでいい、モニターに映すぞ」

 前田がスイッチを入れた。

 同時に目の前のディスプレイに骨髄の電子顕微鏡映像が映し出される。

「わかりづらいな・・」

 コンピュータ処理で部分ごとに染色をし、よけいな部分をそぎ落としていく。

 映像は徐々に明確な形を映しつつあった。

「・・・これだ」

 前田が吐き出すように言った。

 拡大された造血細胞にへばりつくようにして、染色された正二十面体のかたまりがいくつもくっついているのが分かる。

 通常、人間の骨髄には見ることのできないかたまりだ。

「骨髄とはな・・・盲点だったぜ」

「まったくだ、血液中にもリンパ液中にも発見できなかったのに」

「木村、こいつの表面構造を分析。山口は類似のウイルスを探せ」

 前田はそう言うと、別のディスプレイに今見つけたウイルスの模式図を表示させた。

「こいつは・・・みたことあるな・・・」

 ぼそりと大原が言った。前田の顔が大原に向く。

「ちょっと待て」

 大原は、前田のパソコンを使って大学のデータベースを呼び出した。いくつかのウイルスの模式図を表示させる。

「やっぱり」

「似てるな、なんだこりゃ」

 確かに、大原が呼び出したウイルスの模式図は骨髄から見つかったウイルスの模式図と同種のものだ。

「変異体のようだが」

「去年の暮れに認可の下りたウイルスだ。牛や鶏の寄生虫感染を予防するためにRNA操作で作られたものだが」

「こいつが感染源か」

「実験では問題はないということだが・・・人体内で変異を起こしてるんだな」

「よーし」

 前田は椅子から立ち上がると骨髄のサンプルを手に取った。

「すぐ、調査会に報告、病原らしきウイルスを発見だ。それから関係各所に連絡。抗ウイルス剤の合成と病原確認の追試だ」

「こっちも連絡と追試だな。今日は徹夜だ」

 そういう大原の顔は嬉しそうだ。

「おう」

 前田は手を振ると、すぐに自分の作業に取りかかった。

 研究室はさっきとは別の場所のように活気を増し、人が忙しく動き回り始める

 目の前の希望を、確信へと変えるために。

 そして、闘いは次の舞台へと進んでいった。




 厚生省の報告より。

 集団劇症肝炎の原因は、家畜の寄生虫予防のため人為的に手を加えられたウイルスが変異を起こし、食肉、卵等から経口で患者の体内に入り骨髄に感染。血液、リンパ液中に酵素ジヘキサペプシンを放出したためと考えられる。

 なお、問題のウイルスは農林水産省により認可されたものであるが、安全性の面での問題について再度の検討を要請するものとする。



1998.04.01


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