05 西の島
シアーズは、船を島の岸につけた。アル=クメニ島だ。懐かしい王国の西にある国の、さらに西に浮かぶ島。白い砂がとても眩しい。あるかどうかも分からない聖水。シルヴィアの方を見ると、今は落ち着いているようだ。
「何ともないか?」
黒い瞳が、シアーズを捕えた。
「ありがとう。今は大丈夫よ」
にこりと微笑む。シアーズはそうか、と言った。本当は、少し、辛い。体の感覚がないようだ。暫く前から、突然体の感覚が無くなることが続いて、今では、感覚がどんなものか忘れてしまった。だから、どうだと言われても生返事しか出来ないのだ。
「キャプテン!」
見張りにと残して行こうとしたクルーが、早速声を上げた。
「どうした」
「あれは……」
指差す方向を見た。船が一隻。大して大きくはない。だが、こちらに向かっている。海賊船には見えないが、分からない。シアーズは、船の準備をさせた。目の前に目当てのものがあるのに、仕様がない。残念がるシルヴィアを船に引き込み、同じ方向に進んで、とっとと逃げようとした。だが、船はもうそこにいた。シアーズは望遠鏡を出して、船を調べた。
「え?」
甲板に、知った奴がいる。黒い長髪を一つに結び、風に任せている。イギリス海軍大将の制服がはためいていた。ウィリアム=ローランド。だが、左目を包帯で隠していた。幼い頃に戻ったようだ。
向こうもシアーズの船に気付いているようだが、攻撃する気はなさそうだった。いつもなら、水平線の向こうからでも殺気が漂うのに。しかも、ローランド卿はどうも体調の悪そうな雰囲気だ。顔色がよくない。シアーズは、船の準備を止めさせた。
思った通り、ローランド卿の船はアル=クメニ島に着いた。ファントム=レディ号の隣に船をつけた。シアーズ達は、草むらに隠れて様子を窺っていた。船から少数の部下と、ローランド卿が降りてきた。辺りを警戒している。シアーズはこのままやり過ごそうと思った。だが、そう上手くはいかない。
「出て来い、シアーズ。そこにいるんだろう」
こっちを見ている。ローランド卿の部下は、辺りをきょろきょろしている。はあ、と溜め息をついた。ここで無視しても仕方ない。嫌々ながらも出て行った。ローランド卿と彼の部下が、じっとこちらを見ている。特に、ローランド卿は凄く不機嫌な様子だ。正直、あまり関わりたくない……。
「やっぱりばれたか」
「当たり前だ。船という証拠があるのにわざわざ隠れおって」
シアーズは話題を変えようとした。
「で、何なんだ、ローランド。こんな所に何の用だ」
ローランド卿は暫し黙った。
「お前には関係ないだろう。そっちこそ、こんな所に何しに来た」
シアーズは、その物言いにかちんときた。ただでさえ、シルヴィアのことに気を遣いすぎて、他人が気に障ることをするなら敏感になっている。ましてや、相手はローランド卿だ。背を向けて、つい嫌味な言い方をした。
「それこそ、関係無いだろう。俺は今日、お前の相手をしてる時間はないんだよ」
そう言って振り向くと、そこにはもうローランド卿の姿は無かった。拍子抜けする。シアーズと言い争う時間も惜しいようだ。先へ進んでいる。シアーズは少し心配になったが、あんな奴、と思うと腹立たしさが心配を掻き消した。
「お前ら、行くぞ」
ローランドなんか関係ない。自分の目的を達成せねば。そう思って歩き出した。
しかしどうやら、ローランド卿の方も方向は同じようだった。シアーズ達の前を歩いている。
「ついて来るな!」
ローランド卿が振り返って言った。
「うるさい、仕方ないだろーが!俺だってこっちに用があるんだよ!」
シアーズとローランド卿は、お互いに、まさか、と思った。奴も聖水を探しているのか?何のために。
その時、またローランド卿は体の感覚を失った。が、体の感覚は無いはずなのに、左目が熱かった。呻き声をあげて、その場にしゃがんだ。シアーズも心配そうに見ている。
「ウィル……?」
思わずその名を呼ぶ。
すぐにローランド卿の感覚と感情は戻ってきて、その言葉を振り払うように叫んだ。
「うるさい!海賊ごときが、俺に構うな!」
シアーズは明らかに気分を害したようだった。いらついた声で返した。
「ああ、そうかよ、てめえなんか、ここでくたばってろ!」
クルーを振り返った。
「おい、ぼけっとするな!先に行くぞ!」
しゃがみこんで左目を押さえているローランド卿の横を通り過ぎ、草原を進んだ。クルー達は戸惑ったような雰囲気だったが、後について来た。シルヴィアはちらちらと気にしながらも、歩き出した。シアーズは、シルヴィアが彼のことを気にかけるのに余計にいらついた。
キャプテン=ゴードンに聞いた話によれば、聖水は泉のようになっているのだという。断崖絶壁の真下を流れる川の近くに、その泉への入り口がある。地下に続いていて、泉というよりはむしろ洞窟の先に湧き出る光だ、と言っていた。キャプテン=ゴードンは行ったことのあるような口ぶりだったが、確信は持てない。しかし、信じるものは他に無いのだ。