成長の話
私はずっと、
年齢というものを「成長の証明」だとは思っていない。
あれはただの線引きだ。
社会が混乱しないために、どこかで引いた境界線。
十八歳になった春、私は法律の上で大人になった。
クレジットカードを作ることも、
部屋を借りる契約をすることも、
親の同意なしでできるようになった。
そこには「責任」という言葉がセットでついてくる。
自分の選択は自分で引き受ける、という立場だ。
それ自体には納得している。
社会は一人ひとりの成熟度を測れない。
精神の成長も、身体の成長も、人によって速さが違う。
けれど制度は、例外に合わせて動けない。
だから統計を取り、平均的な地点に線を引く。
それは乱暴に見えても、
機能させるためには必要なことだと思う。
ただ、もう一つの線引き、
お酒やタバコが二十歳からとされていることについても、
私は同じように考えている。
十八歳で責任を負えるなら、
なぜ飲酒や喫煙はだめなのか、と言う人もいる。
けれど私は、これは別の種類の話だと思っている。
十八歳でできるのは「契約」という社会的な行為だ。
失敗すればお金を失うし、信用を落とす。
でもそれは、主に社会的な結果だ。
一方で、お酒やタバコは身体に直接影響する。
特に成長過程にある身体や脳への影響は、
無視できないと言われている。
精神が理解できることと、
身体が耐えられることは同じではない。
責任を負えることと、
発達が十分であることも同じではない。
そして、私が一番気になっているのは、
十八歳の中にはまだ高校生がいるという現実だ。
高校三年生で十八歳の人が、
もし合法的にお酒を飲めたり、
タバコを吸えたりする立場になったらどうなるだろう。
部活の先輩がそれをしていたら、後輩はどう思うだろう。
上下関係のある環境では、
「許されていること」
は驚くほど速く広がる。
悪意がなくても、
「大丈夫らしい」
という空気だけで十分に伝染する。
私はそれが怖い。
十八歳はたしかに法的な大人かもしれない。
でも、制服を着て教室にいる限り、
その空間はまだ未成年が大半を占める場所だ。
そこでお酒やタバコが当たり前のように存在したら、
線引きは一気に曖昧になる。
人それぞれ成長の速度は違う。
十八歳で成熟している人もいるし、
二十歳でも危うい人もいる。
けれど社会は、
ひとりひとりに合わせて許可や禁止を変えられない。
だから一律で決める。
そこに完璧さはないが、一定の合理性はある。
十八歳で責任を持つこと。
二十歳までお酒やタバコを待つこと。
私はこの二つは矛盾しているとは思わない。
前者は社会の秩序のための線引きで、
後者は身体の成長と周囲への影響を考えた線引きだ。
どちらも、
「あなたを信用していない」
という意味ではなく、
「社会全体をどう守るか」
という視点で引かれた線なのだと、私は理解している。
それでもなお、
「十八歳から飲みたいなら、
講習を受けて免許制にすればいい」
という案を耳にすることがある。
なるほどと思う。
知識を学び、リスクを理解し、
試験に合格した者だけに十八歳からの飲酒を許可する。
一見すると、とても合理的に見える。
自由と管理の折衷案のようにも思える。
けれど、私はそこで立ち止まる。
もし本当に十八歳飲酒免許が発行されるとしたら、
誰がそれを管理するのだろう。
店は毎回確認しなければならない。
偽造は出ないだろうか。
オンライン販売はどうするのか。
紛失したら再発行は。
更新制度は。
違反した場合の罰則は。
制度を作るのは簡単でも、
それを運用し続けるには莫大なコストがかかる。
講習の人員、
試験の監督、
データ管理、
警察の確認業務、
店側の負担。
そしてその費用は、結局、税金か価格に乗る。
私はそこで思う。
そこまでして、
十八歳で飲酒を解禁する必要が本当にあるのだろうか、と。
十八歳で飲めなくても、
二十歳になれば飲める。
二年という猶予は、
自由の剥奪というより、
社会全体のコストを抑えるための単純化なのではないか。
制度は、美しく整合しているかどうかよりも、
回るかどうかのほうが重要だ。
十八歳に責任を持たせること。
二十歳まで飲酒と喫煙を待たせること。
そこに理論上の歪みはあるかもしれない。
けれど、
免許制度のような複雑な仕組みを作り、
監視と管理を増やし、
社会全体の負担を上げるよりは、
単純で分かりやすい線を引いたままのほうが、
結果として穏やかに機能する。
世界は、完璧な制度を求めていない。
多少の不揃いがあっても、
過度な管理を増やさず、
社会が静かに回り続ける形のほうがいい。
十八歳で責任を持つこと。
二十歳まで待つこと。
それは理屈の美しさではなく、
現実の重さで選ばれた線なのだと、私は思っている。




