第10話:佐藤君の家は物語の「空白」でした ~お泊まり勉強会は、24時間デバッグ作業です~
全3000話(予定)の超大作、第10話です!
ついに大台の2桁に突入しました。
一ノ瀬君の「知恵熱」をドローンとお粥で解決した結衣でしたが、物語のシステムは「ヒロインと王子の急接近」が失敗した穴を埋めるため、新たなイベントを強制発動させます。
それが、まさかの佐藤君との「お泊まり」!?
一ノ瀬蓮(4月19日生まれ・牡羊座の俺様王子)の執着をかわし、結衣(10月6日生まれ・天秤座の苦労人令嬢)は、佐藤君の「聖域」で無事に朝を迎えることができるのか。
深夜の静寂の中で明かされる、二人の「誕生日」に秘められた伏線とは。
夏休みの中盤。
本来なら私の誕生日は10月6日だから、まだ先の話なのだけれど、少女漫画の「時間軸」は極めて不安定だ。気を抜けば、一ノ瀬の誕生日である4月19日までイベント一つで強引にスキップされかねない。物語の進行が滞ると、作者はよく「数ヶ月後——」という魔法の一言で時間を飛ばすからだ。
そんな不安を抱える私の前に、新たな「ト書き」が降臨した。
『ト書き:夏休みの宿題が終わらない結衣。一ノ瀬の邸宅で行われる「エリート勉強合宿」に強制召喚。豪華な書斎で、一ノ瀬に後ろから抱きしめられながら数式を教わる「バックハグ・ラーニング」が発生! さらに夜、薄いネグリジェ姿で図書室を彷徨う結衣を、一ノ瀬が捕まえて……』
「……バックハグ・ラーニングって何よ。勉強の効率、最悪じゃない。それにネグリジェって、昭和の少女漫画じゃないんだから!」
私は、自分の部屋で積み上がった数学のプリントを見て絶望した。
実際、宿題は全く終わっていない。第5話から第9話まで、一ノ瀬の戦闘ヘリから逃げたり、ドローンを飛ばしてお粥を爆撃したりしていたせいで、ペンを持つ暇も、教科書を開く精神的な余裕もなかったからだ。
このままだと、一ノ瀬の「強制合宿」の引力に抗えない。視界の端では、一ノ瀬邸へ向かうための高級リムジンが自宅前に停車する「予定図」がカウントダウンを始めている。
私は死に物狂いで、佐藤君にメッセージを送った。
『助けて。一ノ瀬の家で強制バックハグ教育を受けさせられそう。あとネグリジェを着せられる予感』
数秒後。
『それは、教育法規以前に倫理的にアウトだね。……俺の家に来るかい? ここなら、ネグリジェの設定も、バックハグの判定も存在しない』
その返信を見た瞬間、私の心拍数は一ノ瀬のスポーツカーのエンジン音より高く跳ね上がった。
◇
佐藤君の家は、学園の裏手にある、古びた、けれど手入れの行き届いた平屋だった。
驚くべきことに、彼の家の門をくぐった瞬間、視界を覆っていたピンク色のノイズと、忌々しい「ト書き」の文字が完全に消失した。
「……消えた。一ノ瀬の気配が、一ミリもしないわ」
「言っただろ。ここは物語の『空白』なんだ。作者の視線も、読者の期待も届かない。……ただ、あまりにも設定がなさすぎて、部屋のディテールが少し不安定だけどね。例えば、あそこの壁とか」
佐藤君が指差した先を見ると、部屋の隅の壁が、時々「下書きの鉛筆線」のように透けて見えていた。どうやら、この家は作者が「モブの自宅なんて描く必要ない」と判断した結果、未完成のまま放置されているらしい。
佐藤君に案内された部屋は、驚くほど静かだった。
本棚には隙間なく難しい学術書が並び、机の上には万年筆と使い込まれた参考書。
一ノ瀬の家の、金メッキの家具やシャンデリアといった「成金属性」とは正反対の、知性と静寂に満ちた空間だ。
「……今日から二日間、ここで集中して宿題を終わらせよう。一ノ瀬の『勉強合宿』というフラグを、俺たちの『お泊まり勉強会』という不確定要素で上書きするんだ。幸い、俺の親は『物語上、海外赴任中で不在』という便利な設定になっているから、誰も邪魔はしないよ」
「佐藤君、ありがとう。……でも、本当によかったの? 私が泊まったりして。ほら、男女が一つ屋根の下で……とか、そういうイベントが発生しちゃうかも」
「……読者としては、主人公の『私生活』に介入しすぎるのはマナー違反なんだけどね。……でも、君をあの一ノ瀬のバックハグに献上するくらいなら、俺の安眠を犠牲にする方がマシだよ」
佐藤君は少しだけ顔を背けて、眼鏡を直した。
その仕草が、不自然にキラキラした一ノ瀬の「王子様ポーズ」の何倍も、私の胸を打つ。
勉強会は、まるで24時間体制のデバッグ作業のようだった。
私が解けない問題にぶつかるたび、佐藤君は一ノ瀬のように「こんなのも解けないのかよ、ブス」なんて言う代わりに、「ここは作者の計算ミスだね。この数式、よく見るとインクの染みで数字が変わってる。答えが出ないのが正解だよ」と、メタ的な解説を交えて丁寧に教えてくれた。
夜も更け、深夜2時。
二人でコンビニで買ってきたアイスを食べている時、ふと佐藤君が私の誕生日について尋ねてきた。
「結衣さんは、10月6日生まれだよね。……秋の誕生日は、この漫画では『学園祭』か『修学旅行』の大きな山場とセットにされやすい」
「そうなの? ……嫌な予感がするわね。また豪華なパーティーとか、一ノ瀬による強引なサプライズとか、校内放送を使った愛の告白とか……」
「おそらくね。……でも、10月6日には、俺が君の『誕生日イベント』を書き換えてあげるよ。……一ノ瀬の財力じゃ買えない、本当の『余白』をプレゼントする」
その言葉に、私はアイスを食べる手が止まった。
一ノ瀬の誕生日は4月19日。彼は春の嵐のように、力ずくで世界を自分色に染める。花を降らせ、車を走らせ、ヘリを飛ばす。
けれど、佐藤君は秋の風のように、静かに、けれど確かに私の居場所を作ってくれる。
「……佐藤君、ずるいわ。そんなの、もうヒロインを辞めてもいいって思っちゃうじゃない。シナリオなんか無視して、ずっとこの『空白』にいたいって」
「……君はもう、とっくに俺だけの『特別』だよ。……物語の役職なんて、関係なくね」
静寂の中で、私たちの距離が数センチ縮まる。
一ノ瀬が無理やり肩を抱くときのような「強制力」ではない。
磁石が惹かれ合うような、自然な、けれど逆らえない引力。
佐藤君の眼鏡の奥の瞳が、少しだけ真剣な色を帯びた。
彼の指先が、私の頬にかかった髪に触れようとした、その時。
——ドォォォォォン!!
突然、佐藤君の家の玄関が、大型トラックでも突っ込んできたかのような衝撃とともに鳴り響いた。
「結衣ィィ!! 出てこい! お前がこんなモブの家に連れ込まれたのは分かってるんだぞ! 俺のバックハグ教育を受けずに、何の勉強ができるっていうんだ!! バックハグは数学の成績を30%向上させるというデータ(※一ノ瀬調べ)があるんだぞ!!」
一ノ瀬蓮だ。
あいつ、ついにGPSか何かで私の居場所を突き止め、物理的に「空白地帯」を破壊しに来たらしい。玄関のドアが、王子の執着心によって真っ赤に発光している。
「……しぶといな。牡羊座の猪突猛進ぶりを舐めていたよ。まさか『背景設定』さえも力技でこじ開けてくるとは」
佐藤君が忌々しそうにため息をつき、外していた眼鏡をクイと押し上げ、再び万年筆を握った。
「結衣さん、二階のロフトへ。あそこはまだ『ラフ画』段階だから、あいつには見つけられないはずだ。……ここからは、24時間耐久『不法侵入・撃退戦』の始まりだ。一ノ瀬、君がその扉を破った瞬間、俺は警察に通報する代わりに『この漫画の打ち切りフラグ』を立てるよ」
夏休みの夜は、まだ明けない。
宿題よりも難解な、そしてバックハグよりも心拍数を上げる、私たちの恋と戦いの物語。
3000話という長い長い旅路の、まだ10ページ目をめくったばかりだ。
第10話をお読みいただきありがとうございました!
ついに佐藤君の家での「お泊まり勉強会」が実現しましたが、一ノ瀬君の執着は次元の壁さえも超えて追ってきました。「バックハグ・ラーニング」という謎の教育法を掲げて。
全3000話。物語はここからさらに加速します。
一ノ瀬君の誕生日は4月。結衣の誕生日は10月。
この誕生日の設定が、今後のイベントにどう影響していくのか。
そして、佐藤君が語った「余白のプレゼント」とは一体何なのか。
次回、『第11話:一ノ瀬の「実家の権力」対 佐藤君の「法的措置」 ~夜の住宅街で始まる、設定の殴り合い~』。
「佐藤君の『俺だけの特別』発言に悶絶した」「一ノ瀬、いい加減にしろ(笑)」など、皆様の感想をお待ちしております!
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