街の人々② ワイナリーのトロックナー
次に二人はワインを注文する為にレッカーの昔馴染みであるトロックナーの元へと向かう。
二人は今、シェーネ川に架かる橋を渡っている。
歩きながらかずさは少し前を行くハンスを見ていた。
先ほどヘルケから聞いたハンスの話がかずさの中にわだかまりとして残っている。
かずさが寝泊まりしている部屋、妹の部屋にはベッドと机と椅子、クマのぬいぐるみ以外何もない。
ハンスは大切だった妹との記憶を消し去りたいのだろうか。
――幸せな記憶は時に残された者を苦しめる。
その事にやり場のない、やるせなさを感じていた。
そして、ヘルケの最後の言葉。
『頼むよ』
その言葉にかずさはまた気が重くなる。
自分は頼まれて何かできるほどの力も時間もないのにーー。
「おい」
突然目の前に現れたハンスの顔にかずさはハッとする。
「さっきからどうした。ずっとぼーっとしてる。体調でも悪いのか」
少し心配そうなハンスにかずさは答える。
「全然問題ないよ。少し考え事をしてただけ」
「…ならいいけど。あんまり無理するなよ。アンタに何かあったら連れてきたオレの責任みたいになるからな」
「うん…」
言い方はぶっきらぼうだが、自分の心配をしてくれている。その優しさがかずさには少し痛かった。
ハンスは橋を渡り終えると、家とは逆方向に進む。「ハンス、どこに行こうとしてるの。ワイン屋さんは町にあるんじゃないの」
ここまで来て、かずさはどんどん街から離れていく事を疑問に思った。
ハンスは歩きながら答える。
「違う違う、オレ達が向かってるのは酒屋じゃなくてブドウ畑。親方の昔馴染みがワイナリーやってて、その伝手で直接仕入れてるんだ」
「へぇ、レッカーさんの昔馴染み…。気になる…」
興味深げなかずさにハンスは悪戯っぽい顔をする。
「トロックナーさんは親方とは全く違うタイプの人だよ。会ったらアンタもきっと驚く」
楽しそうなハンスに、かずさは先ほどまでの暗い気持ちを忘れて、内心嬉しくなる。かずさに対して大分心を許してくれた気がした。
かずさはハンスに続いて歩いていく。
今後の事は考えたところでわからない。ただ、自分はこの数日の滞在で恩を返して、ハンスや食堂屋の二人に満足してもらえばいいだけ、そう自分に言い聞かせた。
ブドウ畑は川沿いにある小高い山の傾斜面にあり、ちょうど対岸にゾンダーベルク城がきれいに見える。
均一な距離で並んだワインの木にはたわわに実った白ブドウがついている。あと数日で収穫といったところか。
その畑の下に、大きな木造の小屋がある。ワインを製造し保管する倉庫のようだ。
ハンスはその小屋の前まで行き、扉をノックした。「トロックナーさん、いますか」
しばらく待っても誰も出て来ない。すると、ハンスは躊躇なく勝手に扉を開けた。
「ちょ、ハンス、勝手にいいの?」
「大丈夫大丈夫、いつもの事だから。多分地下の貯蔵庫にいるんだろうな」
ハンスは何度も入ったことがあるのか、迷いなく地下への入口へ向かい、階段を下りていく。
地下に下りると気温も下がり、少し肌寒くなる。
土壁の地下室には大量に積まれたワイン樽があり、芳醇な香りが周囲を満たしている。
その奥で作業をしていた一人の男が立ち上がって振り返った。
男はすらりとした長身で薄い銀縁の眼鏡をかけている。白いシャツに紺色のベストと同色のスラックスを身につけ、ピカピカに磨かれた革靴は高級感がある。
白髪交じりの黒髪の髭もきっちりセットしてあり、清潔感がある。いかにも知的な大人といった感じだ。
「やあ、ハンス君」
男は中に入ってきた二人に特段驚いた様子もなく軽快に挨拶した。
「こんにちはトロックナーさん。また勝手に入ってすみません」
「いや、地下にいたら気づかないからね、まったく問題ないよ」
男は手にワイングラスを持ち、中のワインを揺らしながら香りを確認している。
二人がじっとトロックナーを見ていると、何かに気づいたようにああ、と声を上げた。
「君たちも試飲するかい?」
勧められた二人は同時に首を振った。
「いや、夜からまた働くので」
「私も、遠慮しときます」
トロックナーはそうか、とそのままワインを口にして満足げにうなずく。
「それで、今日は何の要件かな」
「今週中にワイン樽を1つ届けて貰えませんか」
「おや、もうかい」
「予想以上の客入りで、たくさん飲んでいったんですよ」
「ほう、それは喜ばしいことだね。レッカーもとても喜んだだろうね」
「それもありますけど、あまりの忙しさにぐったりしてました」
「ハハハ、そうかいそうかい」
笑い方にも品があるな、とかずさはトロックナーを見ていると、不意に目が合った。
「それで、君は新しいウェイトレスさんかな」
かずさの派手な衣装から推測したのだろう。
頭を下げてからかずさは名乗る。
「はい、かずさと言います。大陸の東から来ました。レッカーさんやハンスにお世話になったので恩を返すために数日だけですが手伝うことになりました。よろしくお願いします」
礼儀正しく挨拶するかずさに優雅な笑顔でトロックナーは返答する。
「私はトロックナー。こちらこそよろしくね」
胸に手を当て軽く頭を下げるしぐさに、これが紳士か、とかずさは静かに感嘆した。
「もしかして君が売り上げの立役者かな」
紳士の指摘にかずさはいやいやと首を振るも、ハンスはしっかり肯定する。
「そうですね。接客もしっかりしていましたし、客の満足度も高いように感じました。まぁ…この子のおかげですね」
かずさはハンスの思いの外高い評価に驚いた。
その言葉に、トロックナーは笑顔で頷いて言う。
「こんな可愛らしいお嬢さんがいれば客の酒が進むのも納得だ。うちのワインも多くの人に飲んでもらえたみたいだし感謝するよ、かずさ君」
ストレートに褒められて、照れて顔を掻くかずさ。
「ハンス、明日は予定があるから、明後日に届けに行くよ。その次の日は祭りでお互い忙しいしね」
「そうですね。わかりました、伝えておきます。では、オレらはこれで。良い一日を」
かずさも一礼する。
「君たちも、良い一日を」
トロックナーは別れの挨拶をしてから再び作業へと戻る。
ハンスとかずさは階段を登り出入り口へと向かった。
倉庫から出るとかずさは先ほど聞けなかった疑問を口にする。
「祭りって何のこと?」
「ああ、毎年この街の誕生を祝う祭りがあるんだ。なかなか賑やかなんだ。オレは...ここ数年行ってないけど。食堂の手伝いが忙しくてな」
後ろを歩くかずさからはハンスの表情は見えなかったが、声のトーンは一段低くなっていた。
祭りに何か思う事があるのだろうかとかずさは直感で察した。
二人は再び街へ戻るために、来た道を引き返す。
緩やかに流れるシェーネ川。
川の畔を歩く二人の身体を冷たい風が通り過ぎる。
――温かいお茶が飲みたいな。
かずさは川に流れる赤や黄色に色付いた落ち葉を見て、ふとそう思った。
かずさは故郷の好きだったほうじ茶を思い出してるのでしょうか…。
お忙しい中、時間を使ってここまで読んでくださりありがとうございます。引き続きこの物語を見届けてくださると嬉しいです。