パン屋のポーラと画家のリュシアン④
「すみません、用があるので少し出ます」
ハンスは午後営業の片付けを手早く終えると、ソファー席に座って一息ついているエレナに向かって言った。
「いいわよ~いってらっしゃい」
「ありがとうございます。そんなに時間はかからないと思います。行ってきます」
ハンスはキッチンからホールに出ると、そのまま扉から出て行った。
慌ただしく出て行ったハンスの背中をエレナは首を傾げながら見送ると近くでテーブルを拭いていたかずさに向かって尋ねる。
「あの子があんなに急いで出るなんてめずらしいわね。何かあるの?」
テーブルを拭く手をいったん止めたかずさもエレナの方を見て首を傾げる。
「朝に画家の人と約束してましたけど......詳しくは知らないです」
「二人して首傾げてどうした」
女性陣が二人で首を傾げていると丁度厨房から出てきたレッカーも不思議そうに首を傾げた。
ハンスは店を出ると、一目散に駆け出し、噴水を中心に広がる広場を見回す。
しかし、リュシアンらしき姿は見当たらない。噴水に隠れて見えないだけかと、歩きながら広場を再度見回すと、噴水を挟んだ対角線上にベンチに座ってイーゼルに立てかけたキャンバスに向かっている男の姿があった。
服装も今朝と同じくすんだ白いシャツに、色が付いたよれた黒いスラックスを着用している。リュシアンで間違いないとふんだハンスはそのリュシアンらしき男の元へと近づいていく。
ハンスは今どうしてもリュシアンに聞きたい事があった。
先日ロビンが告白する意志を示し、まだ幼いと思っていたファビアンでさえ勇気を持ってその好意を意中の相手に伝えようとしていた。
そして、先日のリュシアンのプロポーズ。毎日振られても、遠慮ない言葉で断られても、けして想いを伝えることを辞めないその姿勢にハンスは少なからず感銘を受けた。
それは相手からすれば確かに迷惑な行為に当たるかもしれないが、しかしハンスはどんなに断られてもめげずにプロポーズを繰り返す行動原理が知りたくなった。
想いを伝える行為は相手が気持ちを受け入れてくれれば多大な幸福を得られると共に大きなリスクも伴う。それは相手から拒絶されれば、傷つき、最悪の場合、これまでの関係性が壊れるという大きな代償だ。
それにも拘わらす、どうしてリュシアンは毎日その行為ができるのか。なぜ繰り返し傷つきながらも止めないのかーーもはや傷付く心は麻痺しているのかもしれないのだが。
「リュシアンさん」
ハンスはベンチに座って白いキャンバスに小気味いい音とともに下絵のペンを入れていくリュシアンがその整った顔をあげて緑の瞳をハンスに向ける。
「よお、ハンスちゃん来たか。座りな」
そう言ったリュシアンは空いたベンチの横をペンを持った左手でぽんぽんと叩く。
「あ、はい......」
ハンスは促されるままにリュシアンの隣に座る。
「で、私に何か用かい」
目線を目の前の噴水に戻したリュシアンはキャンバスの上でペンを滑らせながらでハンスに尋ねる。
ハンスはあまり時間を取らせてはいけないと、単刀直入に聞くことにした。
「あの......不躾かもしれませんが......」
「うん、何」
「......どうしてポーラさんに毎日振られてもプロポーズし続けられるんですかっ」
ハンスの質問を聞いた瞬間、リュシアンのペンが何度も重ね描きしていた軌道からガクッと外れた。
震えながらハンスの方を向くリュシアンの顔は引きつっている。
「はあ?!そんな事聞きに来たの?!」
「はい」
姿勢を正し、真っすぐに自分に似たエメラルドの瞳を向けてくるハンスの真剣な態度にリュシアンは一息吐くと、描く姿勢を崩しベンチに背を預けくつろぐ姿勢を取った。
「ハンスちゃん、そんなの、好きだからに決まってんじゃん」
当たり前の事を聞くハンスに、何が聞きたい、と怪訝そうな顔を向けてくるリュシアンに、ハンスははい、と答えてから話を続ける。
「わかっています。リュシアンさんがポーラさんを好きなのは大前提で......でも、リュシアンさん本当はわかってるんじゃないですか?」
さらに眉間の皺を深くしたリュシアンは問う。
「何が」
一年近く毎日ポーラの店に通っているのなら、見た事無いわけがないのだ。
「ポーラさんには想っている人がいるって」
トロックナーもパン屋の常連の一人だ。一年近く通っていればどこかで二人のやり取りを見ていてもおかしくない。その上ポーラの態度はハンスでもすぐにわかってしまうほどわかり安いのだ。もし一度でも見ていたのなら気づかないわけがない。
「だからトロックナーさんがいない時に毎日店に入ってるんじゃないんですか」
ハンスの言葉を聞いたトロックナーの動きがぴたりと止まった。
昨日もリュシアンが店に入ってきたタイミングはトロックナーが出て間もなくだった。あえて鉢合わせしないようにしていたに違いない。
だからこそハンスはリュシアンの真意を知りたかった。もしリュシアンがポーラの気持ちを知っていたのなら、それでも何故プロポーズし続けられるのかーー。
「あ~~っ」
急に声をあげたリュシアンは両腕をベンチの背もたれに勢いよく投げ出すと空を見上げた。
「ハンスちゃん名推理だなぁ~」
そうして左手で長い前髪を書き上げるとハンスを見て笑う。
「あったりぃ~よくわかったね」
隠していた事実を暴かれて少しは不機嫌になりそうなものを、リュシアンは予想外に楽しそうに笑った。
「で、なんだっけ、それでもなんでプロポーズするか、だっけ」
「はい......」
「そうだなぁ~まずは私が惚れた理由でも話すかな」
リュシアンは小鳥が水を飲みに飛び降りた噴水を見つめながら過去を思い起こすように遠い目をした。
すみません、次回は土曜になります。めちゃくちゃ中途半端で申し訳ないですっ。よろしくお願いします。
カクヨムも始めようか検討中......でも時間がなぁ~。。




