無自覚
毎度のことながら遅れて本当申し訳ないです、、
昼時を迎えた大衆食堂『レッカーハウス』は今日も大盛況だ。
ハンスは開店時間直後までは先ほどのファビアンの件で落ち込んでいたものの、店内がすぐに満席になると次々に飛び込んでくる注文で、それどころではなくなった。
ハンスが必死にフライパンを振る中、かずさは秋色の衣装を着て店内を忙しく動き回る。白いブラウスに焦げ茶色のコルセット風胴衣を付け、下は紅葉色と鬱金色の二色でフリルが付いたロングスカートの落ち着いたスタイル。腰に巻いた白いフリルのエプロンも可愛らしい。
髪は以前ハンスと祭りに行った時と同じハーフアップで紅葉色のリボンを絡ませてある。こうしてかずさが髪形を変えることも珍しいため、若い学生客たちは珍しい看板娘の恰好に見惚れる者も多い。
「いらっしゃいませ、ようこそ『レッカーハウス』へ!」
慌ただしく働くかずさの表情はいつにも増して明るい。
アンナと別れた後、かずさはハンスの様子が少し気がかりだった。かずさは恐る恐るハンスに尋ねる。
「ハンスは、小さい女の子を見ても......その、もう大丈夫なの?」
以前のハンスは幼い女の子を見ると妹の事を思い出し、体調が悪くなるほどだった。妹との過去を受け入れたと言ってもまだ無理をしているのではないか、とかずさは不安だった。
かずさの質問の意図が分かったハンスは、ああ、と言うと穏やかな笑顔をかずさに向けて言った。
「もう、ルナの事を思い出しても前の様にはならないみたいだな......アンタのおかげだな。ありがとう」
その言葉と笑顔がかずさの胸を温かくした。かずさも優しい笑顔を返す。
「どういたしまして」
最初にこの街に留まることにした理由であり、果たしたかった目的を果たすことができた満足感と、ハンスと妹との思い出を守ることが出来た喜びがかずさの胸を満たす。
ハンスにとって大切な妹との記憶がつらいものではなく、少しでもあたたかな思い出に変わったのなら、これ以上の事はない。
その嬉しさもあって、ルンルンのかずさはいつもの倍働き、客にいつも以上の愛嬌を振りまいていた。注文すれば、品を持ってくれば、飛び切りの笑顔を向けてくるかずさに客たちは首ったけだった。
午後の営業を終えた後、かずさは片付けをテキパキ済ませるとエレナに言った。
「すみません、今日はティナの家に行くのでこれから抜けますね。夜営業までには戻ります」
ソファー席にもたれ掛かったエレナはかずさの方を見て頷く。
「事前に聞いてたからいいわよ。楽しんできてね」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってかずさは奥の部屋へ行き、荷物を取ってくると扉を開けて外に出た。
「行ってきまーす!」
かずさの元気な声からしばらくしてハンスが夜営業のために、休みもそこそこに仕込みの準備し始めた時ーー、
「あっ!」
エレナは思い出したように声をあげた。
「スープ用のパンが切れてるんだった......。ハンス、あんたパン屋に後でお使い頼める?」
キッチンに立つハンスは頷いて答えた。
「いいですよ。何買ってきますか」
「そう、これが『しょ』。で、『く』は......?そうそう上手いじゃないっ。十分書けてるわよっ」
かずさはティナの家でリビングのテーブルに向かい合って座り、ティナから文字を教わっていた。
この大陸で使われている言語は同じものの、使われている文字が地方によって大きく異なる。そのため、かずさは仕事中は耳でメニューを覚えていたが、普段から意識的にメニューを通して文字の形を見てきたためか、文字を覚えるのが早いらしい。
ティナは乗り出していた身体を木製の椅子の背もたれに預け、紅茶を一口飲む。
「この調子ならすぐに全ての文字を覚えられるわね。さすがね、かずさ」
侍女のマチルダはというとキッチンで何やら手の込んだ夕食の支度を既に始めている。
学校帰りなのか、いつもの白シャツに短い紺色のスカートとヒール靴姿のティナは赤と黒二色のリボンで結われた長い赤髪のツインテールをテーブルの上に垂らし、頬杖をつくと目の前に座るかずさの顔をまじまじと見る。
「こんな普通に可愛らしい子が鬼のように強いなんて、誰も思わないでしょうねぇ」
そう言ったティナにかずさは顔を上げると、半目になる。
「なに、ティナも私が馬鹿体力とかいうの?」
「馬鹿体力って別にいいじゃない、不眠不休で好きなことたくさんできそう」
冗談のつもりで言ったティナにかずさは真面目に答える。
「......できるけど、でも半月くらいね」
「いや十分すごいわよ」
苦笑するティナ。
「そっかぁ......やっぱり私って普通じゃないよね......」
かずさは持っていたペンを置くと両腕をテーブルの上に挙げて、その上に顎を乗せた。
「何、なんか悩み事?」
少し意外そうな表情をして紅茶を再び飲む。
「うん~悩みっていうか......この間、ハンスに馬鹿体力って言われた時に少しムッとなってしまって......」
意外にもハンスの名前が出てきたことに反応したティナはカップをティーカップに置くと、興味深そうに身を乗り出す。
「え、ムッとしたの?」
「うん......別にその言葉が嫌とかじゃなくて......人より体力があるのは当のことなんだけど、それをハンスに言われたことが、なんだか......もやっとしたというか......」
話を聞いているティナの緑の瞳が光る。
「それはハンスさんに言われたから嫌だったの?!」
だんだんティナの顔が学問の話をしている時や、かずさの能力についていろいろと問いただしてきた時の表情に変わってきている気がしたかずさは怪訝な顔をしてティナを見る。
「ティナ......なんか面白がってない?」
かずさの表情に気づいたティナは、調子に乗りすぎたか、とコホンと咳ばらいをしてから再び椅子の背もたれに背を預けて座る。
「で、他の人に同じようなことを言われた時とハンスさんとでは違った......と」
かずさは一瞬ティナの様子を疑っていたが、もうは嫌疑は晴れたのか正直に頷く。
「うん......故郷の幼馴染にも怪力バカ女だ~とか言われてたし、故郷の男衆にもお前には誰もかなわないって言われた時とも違う......あの時はただ腹が立つか、誇らしかっただけなのに......なんでだろう......」
ティナは再び頬杖をついて、不思議そうに首を傾げ手元にあるホットミルクを飲むかずさに尋ねる。
「ねぇ、かずさはハンスさんの事、どう思ってるの?」
唐突な質問にかずさは腕を組みながら考えつつ言葉に出していく。
「どうって......普通に好きだよ?行き倒れた私を助けてくれた恩人で、作ってくれるご飯も美味しくて。笑ってくれたら嬉しくなって、もっと笑顔にしたいって思う。仕事で真剣に料理を作ってる所は格好いいなとも思うし、いつも朝も早いけど、偶に寝癖が付いたままの時とかは小さい子みたいで可愛いなってーー」
ハンスのいろんな表情を思い出すたびに胸の奥が暖かくなる感じがした。
さっきも、自分のおかげで妹との記憶に向き合えるようになったと言われてすごく嬉しかった。
「やっぱり、うん、そうだなぁ......ハンスは私にとって一番幸せになってほしい人、かな」
無邪気に笑うかずさにティナは思わず口が出る。
「それって......」
しかし、言いかけた言葉をティナは飲み込む。これは、きっと自分が何か言うものでもない、という事はこっち方面の経験はほとんど無いティナでもわかる。
「何、ティナ?」
不思議そうに首を傾げるかずさにティナは静かに答える。
「......何でもないわ。さ、練習の続き、始めましょう」
釈然としない様子のかずさにティナは知らないふりをする。
そして、一生懸命に目の前でノートに文字の練習をするかずさの顔を見ながら思う。
どうか心優しい大切な友人と、そんな友人を大切に思う少年がどうか幸せになりますように、とーー。
少しずつ少しずつ物語は進んでいきます。
次話は新キャラ登場、です!土曜投稿予定です。よろしくお願いします。




