街の人々① ヘルケ商店
店が昼休憩に入ると、ハンス、レッカー、エレナの三人は座ったままテーブルやソファーに突っ伏して動けなくなった。まさに疲労困憊といった感じだ。
そんな中、かずさだけはケロリとしていた。
自分以外は疲れて誰も動けないため、井戸で汲んできた水をコップに入れてそれぞれの前に置く。
置かれたコップを力なく掴み飲む一同。
かずさは苦笑いでその光景を見ていた。
「ありがとう...お水でだいぶ生き返ったわぁ~」
「気にしないでゆっくり休んでいてください」
かずさは溜まった食器を一人黙々と洗い始める。
「かずさちゃんも休みなさいよ、一番動き回ってたのはアンタじゃない...」
エレナはテーブルに突っ伏したまま言った。
「私、全然疲れてないので大丈夫ですよ」
「若さね~...」
レッカーは水を一気に飲み干すとエレナの発言に続く。
「だが、お前さんのおかげで今日は店始まって以来の客入りだったなぁ。初めての接客にしては看板娘が板についてるじゃないか」
「お役に立てたならよかったです」
洗った皿を拭きながらかずさは笑顔で答える。
「やるねぇ~。さて、俺も働きだすか~」
レッカーはひと伸びした後にキッチンへ向かい食材の確認をする。
ハンスはレッカーが動き出す少し前にはテーブル拭きなど、片づけを始めていた。
「ありゃ、もうこんなに無くなってんのか?確かにありゃ二日分の客入りだったからなあ。おい、ちょっと買い出し行ってくれるか」
呼ばれてレッカーの前に来たハンスはポケットから鉛筆と紙を取り出す。仕事中に覚えたことを書き留めるためにいつも持ち歩いている物だ。
「何買えばいいですか」
「豚肉と牛肉が無いな。あと小麦粉も頼む。それとトロックナーのとこに寄ってワイン樽、今週中に持ってこいって言っといてくれ」
「わかりました。食材はいつも通り二日分でいいですよね」
「おう」
「わかりました」
メモ紙を再びポケットに入れたハンスは荷物入れの籠と店のお金が入った財布を取って扉に手を掛ける。
「待ちなハンス!この子と一緒に行って買い出しの仕方教えてあげな」
突然エレナがハンスを呼び止めた。
エレナに肩を持たれたかずさがハンスの前に突き出される。
不意に真正面に出てきたかずさに少し動揺するも
ハンスは申し出をきっぱりと断る。
「この子は長く働かないのに教える必要ありますか。それに目立ちますし...」
かずさもその意見に全力で同意し、この格好のまま外に出るのは嫌だとエレナに視線で訴える。
そんな二人の意見には耳を貸さず、エレナは強引に二人を送り出す。
「ホレホレ、四の五の言わずに言った言った」
強引に外に押し出された二人はパタンと閉じた扉を振り帰る。エレナは買い出しが終わるまでは開けてくれなさそうだ。
ため息をついたハンスは言う。
「...仕方ない、行くぞ」
「…うん」
こんな短い、しかもふわふわのスカートで街中を歩くのは恥ずかしいが、命じられたものは仕方ない。
歩き出したハンスにかずさもおいて行かれないように小走りで続いた。
まず二人が向かったのは商店だ。食堂を出て街の商店街を五分ほど歩いた場所にある。
道中かずさは街行く人々から絶えず好奇の目にさらされ、着く頃にはぐったりしていた。
目的地の商店はこじんまりした二階建ての木組み造りの建物だ。
扉についた鈴の音を鳴らし、二人は店の中へと入る。
ここでは、日用品や保存食、そしてハンス達の目的の小麦粉が売られている。
店内には壁中に棚が設置され、その上に商品が所狭しと並んでいる。
「いらっしゃい。おや、ハンスじゃないか」
カウンターの椅子に座った白髪の老婆が挨拶をする。
「こんにちは、ヘルケさん。小麦粉いただけませんか」
立ち上がった老婆はレンズに色が入った眼鏡をかけており、装飾のグラスコードを揺らしている。身長はかずさよりも低く、腰が曲がっている。
「アンタ、入れ物は持ってきたかい?」
小麦粉は量り売りされているが、容器や袋などを客が持ってきてその中に入れてもらう形式だ。
「あ...忘れた。普段ここで小麦粉買わないから...。ちょっと、オレ戻って取ってくる。アンタはここで待ってて」
「あ、うん」
「じゃ、ヘルケさん。少しの間この子を頼みます」
「はいはい」
ハンスは走って食堂まで戻って行った。
突然残されたかずさは自分の恰好があまりに派手すぎて、おかしな人に思われていないか急に不安になる。
恐る恐るヘルケの様子を伺うかずさと目が合ったヘルケは穏やかな笑顔を向けた。その笑顔にかずさの緊張が少しほぐれる。
「アンタ名前は?」
「かずさです。東から来た旅人です。助けてもらった恩返しに、少しだけ食堂を手伝っていて、今はハンスの家でお世話になっています」
そう言うと、ヘルケは驚いた顔をした。
「アンタ、ハンスん家にいるのかい」
「はい。部屋が余っているから、と…」
「そうか…」
ヘルケは重い表情をしてかずさを見る。
「その部屋のこと、あの子から聞いたかい?」
「いいえ。話したくなさそうだったので、何も…」
ヘルケはかずさの目をしばし見つめてから何か納得したように一人で頷き、話し出す。
「その部屋はね、亡くなったあの子の妹の部屋さ」
「え…」
かずさの部屋には確かにクマのぬいぐるみが置いてあった。かずさの部屋が妹の部屋だったのであれば、あのぬいぐるみは妹の物だったのだろう。
しかし、それ以外に妹の私物らしきものは何一つなかった。
「あの子が十歳の時、7年前くらいだったかね、母親を亡くしてからずっと兄妹で暮らしてたのさ。それがまた、二年前に妹まで流行り病で亡くして…。あんなに仲が良かったのに…」
ヘルケは当時を思い出しながら話しているのか、眼鏡の奥はどこか遠い目をしている。
「あの子は天涯孤独になっちまった。それからのあの子は見ていられなかったよ…自暴自棄になって、ボロボロだった…。かわいそうにね…。だけど食堂屋の二人があの子をなんとか支えてきて、今はあそこまで元気になったのさ」
「......そう、だったんですね...」
かずさが持つハンスの印象からは想像もできないほど重く、辛い過去がある事を知り、かずさは言葉に詰まる。
かずさが一人暮らしかと聞いた時のハンスはどんな表情をしていたのだろうか。
まだ心の整理は着いていないのかもしれない。それはそうだ、唯一の家族を亡くすなんてかずさには到底想像もつかない悲劇だ。
それだけではない、あまりにも物の少ない妹の部屋。かずさは、ハンスがぬいぐるみ以外の妹の物を全部捨ててしまったのではないかと思った。
ーー思い出して苦しむくらいなら、いっそ全部。
ハンスの気持ちはわかるような気がしたが、やはり悲しい選択だとも思う。
すると、店の窓から走って戻ってくるハンスの姿が見えた。
ハンスは扉を開け、鈴の音が店内に鳴り響く。
同時にヘルケはかずさの瞳をじっと見つめ言った。
「頼むよ」
それが何を意味することなのか。かずさは返事ができなかった。
くすんだブロンド髪をぐしゃぐしゃにしたハンスがカウンターに小麦粉用の袋を置く。
「お願いします、ヘルケさん。二キログラムで」
「はいはい、ちょっと待ってな」
受け取った袋を持って店の裏に引っ込んだヘルケは再びカウンターに出てきてお代と交換する。
「はい、毎度ね」
「ありがとうございました。良い一日を」
笑顔で手を振るヘルケにハンスは挨拶して店を出る。続いてかずさも一礼してハンスの後を追う。
そんな二人の背中をヘルケは目を細めて見送った。




