怒り
事前にお知らせします。このお話は読んでいて楽しいものではありません。ほのぼの要素はありません。
それを求めていた方はすみませんっ。
翌日二人はいつもより遅い時間に起き、ハンスはいつもより豪華な朝食を振舞った。
朝食を済ませた二人は待ち合わせの時間まで、ティナが提案したようにデートすることにした。
街を歩いたり、以前からハンスが気になっていたカフェでケーキを食べたりと楽しい時間を過ごした。
そしてティナとの約束の時間、午後二時。
朝は晴れていた空も、いつの間にか雲に覆われ太陽が見えなくなっている。
二人は待ち合わせ場所である教会の前で待っていた。
しかし、しばらく待っても姿が見えないティナ達にかずさ達は疑問に思う。
「まだ来ないね」
「そうだな」
何か大学で急用ができたのかも、などと二人で話しているとかずさ達の前を二人組の学生が通った。学生は何やら話しながら二人の前を通る。
「女帝、大丈夫かな」
「またレオポルト様につっかかられてたな......」
『女帝』。学生たちで広まっているティナのあだ名だ。
それを聞いたかずさは躊躇なくその二人の前に立って尋ねる。
「それ、どこで見たんですかっ」
突然目の前に現れた最近話題の看板娘に学生たちは驚きつつも答える。
「商店街を抜けた方の講堂の前だよ。今回はいつになく言い合ってたな」
もう一人の学生も同意して頷く。
「ありがとうございます!ハンスッ」
かずさの切羽詰まった呼びかけに、ハンスも答える。
「商店街を挟んだ反対側には講堂は一つしかない。場所ならわかる、行くぞ」
二人は一目散に商店街の道へと出るために広場を走る。
急に走り出した二人を質問された学生たちは驚きながら見送った。
広場から商店街に出た二人は少し進んで、左手の細い路地に入る。
ハンスの案内で後を追って走っている間もかずさは心配だった。出会った時のように、再びティナが言葉で、暴力で、傷つけられてはいないだろうかと。
そうこうしている間に目的の講堂近くまで来たが、ただでさえ狭い道に何故だか人だかりができていてなかなか前に進めない。
二人は前にできた無数の人の壁で前に進めなくなってしまった。
人ごみに押されて焦る二人の耳に聞き慣れた声が入る。
「ーー勝手なこと、言わないでくれる?!!」
人だかりの中心から出会った時と同じようにティナの必死な叫びが聞こえた。
今日の分の講義を終えたティナはいつものように講義室を出て廊下でマチルダと合流してから講堂の外へ出た。
この後あるかずさ達との約束の時間までには余裕はあるが、誘った本人が遅れるわけには行かない。早めに着けるようにいかなければ、と急いでいた。
足早に講堂の門を抜けて路地に出ると、レオポルトと取り巻き数人が何やらニヤニヤして道の壁に寄りかかっていた。
ゲッと嫌な顔をするティナだったが、細い道のためどうしてもレオポルト達の前を通らなければいけない。
待ち合わせに間に合わせるためには、回り道などしていられない。ティナ達は早足でその前を通り抜けようとした。
が、突然横から伸ばされた足に引っ掛かり、ティナは石畳の道の上に激しく転んだ。
「っつ......」
倒れたティナの膝には転んだ衝撃で擦り傷ができ、そこから赤い血が滲み出ている。
レオポルト達の笑い声が狭い路地に響く。
後ろで荷物を持ち控えていたマチルダはティナの怪我を見た瞬間、スカートの下に隠された暗器に手をかけようとした。
その目は明確な敵意に満ちている。
「やめなさい!マチルダ!」
主人の声にマチルダの身体が固まる。
「ですが......」
いつになく感情のこもったマチルダの声に、ティナは笑顔を作って言う。
「私は大丈夫よ。それよりあなたが問題を起こした事になって、私の侍女じゃなくなるのは、嫌よ」
その主人のマチルダを思う言葉にマチルダの戦意はたちまち削がれる。
そして、一人立ち上がろうとするティナに駆け寄るとその身体を支えた。
立ち上がったティナはレオポルトを睨みつける。
「毎回聞いているけれど、なんでそんなにいつもいつも突っかかってくるのよ。全部答えてやるわよ、文句あるなら言ってみなさいよ!」
その問いにレオポルトは嘲笑って答える。
「こっちこそ聞きてぇよ、お姫様がなんで大学に来るんだよ」
ティナ自身もこんなクズと話す必要などないと重々承知しているが、それでもまだ何か誤解があるのではと0.01パーセントくらい思う自分もいる。
ティナは怒りを抑えながらも冷静に答える。
「大学で学ぶことが夢だったからよ。そしていつか自分の学校を作りたいからよ」
「なんでお前は女なのにここで学んでるんだよ」
「学ぶことが、研究することが全部面白いからよ。この世で一番好きだからよっ」
「なんでそんなに勉強しようとすんだよ」
「学ぶことが好きだって言ってるでしょう?!好きなことに、理由はないでしょ?!」
あまり話がかみ合わない二人の口論に、いつの間にか現れた聴衆たちもざわつく。聞いていた通りすがりの学生がレオポルトに尋ねる。
「なんで君は彼女をそんなに問い詰めるんだ。これ以上尋ねることも無いだろう」
すると、レオポルトは笑いながら答えた。
「ハッ、王族でも女は女だろ。女なんか大学で学べる頭も無ぇ。家でおとなしく裁縫でもしとけばいいんだ。来んじゃねーよ!帰れ帰れ!」
その稚拙な言い分に、ティナの思考が止まった。
聴衆たちもさらにざわつく。
自分が女である、ただその理由だけでこれまでずっと否定され、馬鹿にされ続けてきたのか。
今まで自分が歯を食い縛って積み上げてきた苦労も努力も、こんなたった一つの、どうしようもない事実だけで何も認めてもらえないのかと。
レオポルトが大学に身を置く学生でありながら、事実を検証せず、ティナが積み上げてきた結果を何一つ認めず、ただ『女である』その一点だけをもってすべて否定する事は間違っている、という事はティナ自身もよく分かっている。
ただ、これまで大学の中で向けられてきた視線の中には、少なからず『女は無能だ』という暗黙の感情が根底にある事に気づき、その事実に対してある種の無念とやるせなさが心を支配した。
怒りと呆れと悔しさと悲しみが入り混じった複雑な感情で目が熱くなる。
ティナは無意識に胸のシャツを掴みながら震える声で叫ぶ。
「あなたは......あなたはっ!私の事何も知らないでしょ?!私の苦労も、努力も、目的も、夢も、なーんにも知らないでしょ?!知らないくせにっ!知ろうともしないくせにっ!勝手なこと、言わないでくれる?!」
ティナの声は狭い路地全体に響き渡った。集まった聴衆からは、その言葉に肯定の声が上がる。
「そうだそうだ、彼女が大学で学んで何が悪いんだ!」
「失礼だぞ!」
その声に、レオポルトは反射的に言い放つ。
「だって女だぞ?!女は家での仕事しかできない無能だろ?!オレ様は間違ってないっ!!」
聴衆に反論するも、取り巻き達から静止されるレオポルト。
「レオポルト様、もう行きましょう。コイツらに言ってもわかりません」
苦々しい顔をしたレオポルトは舌打ちすると、商店街とは逆方向へ人ごみをかき分けて去って行った。
残されたティナは興奮して上がった息が整わないまま、レオポルトが去った方向をただ見つめることしかできない。
そんなティナにマチルダは心配そうに寄り添う。
今にも緑の瞳からあふれ出しそうな涙を、ティナは唇を噛んで必死に堪える。
ーーこんな……こんな、愚かで、馬鹿な奴のために絶対に涙なんて、流してやらないっ!
絶対に、あんな奴らなんかに、あんな奴らの言葉なんかに傷ついてやらない。
口論が終わり人ごみも捌け、やっとのことでティナ達の元にたどり着いたハンスとかずさ。
ずっとレオポルト達が去った方向を見つめるティナの様子を不思議に思い、どうしたのかとマチルダに尋ねるとマチルダは一連の騒動をすべて話した。
話を聞いたかずさはショックを受け、心配そうに再びティナの顔を見た。
普段は絶対に見せない涙を必死に堪えている姿にかずさは言葉が出ない。
相手がどんなに愚かで無知で間違っていようが、放たれた言葉の刃は的確に相手の心を抉り、傷つける。
賢くて、努力家で、綺麗で、優しくて、そんな大切な友人を傷つけた愚か者に対して、かずさは腹の底から煮えたぎった怒りの感情が込み上げてきた。
ティナが見つめる先にはもう何も見えないが、かずさも鋭くにらむ。
かずさの握った両手から血が滲み出る。
この二章は、お分かりの方も多いかと思いますがティナちゃんのお話です。
私は、逆境に抗って頑張る皆さんに当ててこの物語を書こうと思いました。
言いたいことは......この章が完結したら言いますね。まずは、読者の皆様に感じてほしいです。
前半のデートシーンは後日閑話で書くと思います。




