言入れ
夕方からも学生たちを中心に、大衆食堂「レッカーハウス」は大繁盛だった。
かずさたちは息つく暇も無く働き続け、最後の客が帰った瞬間一斉に倒れこんだ。もちろんかずさを除いて。
「今日一日で一か月分働いた気分だわぁ...」
エレナはカウンター席に倒れこんでいる。髪留めでまとめていた綺麗な赤髪も今やくしゃくしゃに乱れてしまっている。
「こんなに夜まで客が来るなんて...今までどこ行ってたんだ...」
ハンスはキッチンにもたれ、床に座っている。
「おい、それはオレの料理は嬢ちゃんがいなけりゃ振り向いてももらえねぇ物だって言いてえのか」
客席のソファーで横になっているレッカーは疲れでよく分からない切れ方をしている。
「ちっがいますよ...変な言いがかりやめてください...オレは、ただ、あの大量の学生達はどっから湧いたのか疑問に思っただけです」
「フンッ。紛らわしいこと言うな」
昼と同じく水を汲みに行こうとしたかずさだったが、夜一人で外を出るのは危ないからとエレナに止められた。
今は黙々と一人片付けをしている。
「かずさちゃん、そんなに働かなくていいのよ」
「ご飯の御恩を返さないとですから」
「もう今日の売り上げで十分過ぎるほどだわ。……で、相談なんだけど、うちでしばらく働かない?」
カウンターの席を拭くため傍に来たかずさにエレナは顔を上げて言う。
「もちろんお給金も出すわ。接客も完璧だし、働き者だし、居てくれたらすっごく助かるわ。看板娘としても一日でこの人気だもの。うちとしてはぜひこのまま働いてもらいたいわ。ね、どうかしら?」
エレナの打診にかずさは困った笑顔で答える。
「ごめんなさい、私は旅を続けないと…」
「ええ~...そうよねぇ事情があるわよねぇ…」
諦めたかと、安堵したかずさはテーブルを拭き続けるも急にエレナから腕を掴まれる。
「せめて、三日後の祭りまでは手伝ってもらえないかしら」
エレナの、少しでも人手と売り上げを増やしたい気持ちが必死の形相に表れている。
ジリジリと詰め寄るエレナのあまりの圧に、かずさはついに折れた。
「三日後...まででしたら。もともと数日お手伝いするつもりでしたし…。ハンスが迷惑でなければ、ですけど」
その言葉に一斉にハンスを向く一同。かずさの滞在先はハンス宅である。当然家主への滞在許可が必要だ。
立ち上がったハンスは頭を掻きつつも面倒くさそうに言葉を返す。
「エレナさんの必死の頼みなのに出て行けとか言えないでしょ...」
ハンスの返答に突然手を叩いて立ち上がったエレナ。
「よかったわ!じゃあ、かずさちゃん、とりあえず三日後の祭りまでよろしくね。もちろんもっと長く手伝ってくれても結構よ。延長はいつでも大歓迎」
ウインクしたエレナは、先ほどまで疲れ果てていたのは何だったのか、急にきびきび動き出した。
その様子を見たかずさは
この人の勢いには注意しないと、どんどん巻き込まれてしまうーー。
と心の中で警鐘を鳴らすのであった。
片づけを終えたハンスとかずさは帰路についていた。門をくぐり街から出て、橋の上を歩く。
満月ではないものの丸い月はシェーネ川にその身を映している。
オイルランプのオレンジの光が橋の両脇を照らしている。
夜遅いこともあり、橋の上にはハンス達以外誰もいない。
静かな夜道、ようやく普段の着物に着替えられたかずさは伸び伸びしていた。
「やっとあのフリフリから解放されたぁ~」
大きな伸びをすると周りに誰もいないのを良いことに、橋の欄干に飛び乗った。そのまま平均台を渡るようにバランスを取りながらブーツの幅ほどの欄干を歩く。
「嬉しそうだな」
「うん、ああいう恰好はやっぱり落ち着かないや」
「だろうな」
ハンスは欄干を悠々と歩くかずさを見て、昼間の女の子らしい恰好よりも、今の自由気ままな方がかずさらしいな、と思った。
楽し気に歩いていたかずさは不意に立ち止まり、川の中の月を見て言う。
「ねえ、ハンス。君は…私と出会ったこと後悔しないかな?」
突拍子も無い質問にハンスは怪訝に思いながらも率直に答える。
「今更なに言ってんだ。後悔も何ももう会ってしまったら仕方ないだろ。それとも何か、アンタが能力者だから迷惑かけるとでも思ってんのか。そんなの…今更だろ」
ハンスはかずさの質問の意図が掴めず、答えながら何故か少し苛立ってしまった。
まるで、自分たちの出会いが良く無いことのように言うから。
「とっとと帰るぞ」
ハンスは歩く速度を速めた。
欄干から降りたかずさは先を行くハンスを見つめ、一人つぶやく。
「君は、思い出を捨てないでよ」
ハンスは家に着くや否やすぐにベットに倒れこんだ。
「もうだめだ、動けない...オレはこのまま寝る。何かあれば...いま…の...うち...」
話している途中で寝始めてしまったハンスにかずさはクスリと笑うと、布団をかけ小さくおやすみと言った。
部屋に戻ると、背嚢からペンと皮装丁の手帳らしきものを出す。
机に座り、月明かりを元に書き記す。
三百二十一日
初めて接客をした。楽しかったけど、フリフリは恥ずかしかった。
書き終えたかずさは目の前の窓に反射する自分の姿を見つめる。
そしてそっと胸元に光る黄金色の鉱石に触れた。
すみません、8月くらいまで次回掲載予定日時を今までの様に予告しづらい状況です(−_−;)少なくとも週一、二回は最低でも投稿する予定です。だいたい土日が多いかと思います。引き続き読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願い致します。