48話 龍の心臓
西部
蒼炎と黒炎がぶつかり爆ぜる。もはや戦場に他の生物が介在する余地はない。僅かに緑が残っていた大地は荒野となり、空気は乾燥しきっている。そこはすでにダースニックと火龍ウィチトリのみが生存を許される、2人だけの地獄だった。
ダースニックの槍とウィチトリの爪が交差する。人の膂力で龍と対等に渡り合うという常識では考えられないことを彼はなしていた。蒼炎を纏う槍は巨大な黒炎の爪を切り裂き龍の胸部へと至ろうとするも、わずかに傷ついた龍の腕から炎が吹き出てダースニックの接近を拒む。双方が後方へ飛び一度体制を立て直すもその差は歴然であった。
「傷つくたびに火力が上がってんのか。そのうえまだ余力があると来た。たまんねえな、おい」
蒼白の炎を纏うダースニックの槍はウィチトリの外殻を破壊していったが、その傷から漏れる血は火山から吹き出る溶岩のように逆にダースニックを燃やし尽くす。リヴィングス最古にして最大の災害は依然としてその威厳を保っている。
ダースニックは傷こそ負っていないもののその消費魔力はかなり多く、決め手に欠けていた。
自らの炎により、ウィチトリの全長は一回り大きく見え、その炎が生み出す熱は空間を歪ませる。黒炎はもはやただの炎ではなく、燃焼という結果を押し付ける一種の概念となっていた。ふれば当然ダースニックの身を焼き尽くすまで燃やし尽くし、抵抗する間もなく彼は死ぬだろう。それに抵抗できるのは同じ炎だけ。水や氷でさえあの炎を消すことは叶わない。故に彼の王は自ら西部に赴いた。
西部龍害はこの龍を討伐しなければ終わらない。砦と2つの兵団が残る上級と他の龍を相手取っているが、それらは雪の龍域による弱体化を受けていない。本来の龍害、数多の災厄の中で人にのみ牙を向く災禍そのものを防ぎきるには、人手があまりにも足らなかった。
火龍の口が開く。その虚空から漏れ出す炎は漆黒に染まり、ダースニックに向けて放たれる。その1つ1つを飛翔する蒼い剣が撃ち落とし、主が駆ける道を開く。
龍を仕留めるのに必要なことは龍核の破壊、しかしそれ以前に龍核に接近しなければ、破壊など夢のまた夢だ。故にダースニックは龍の四肢を狙う。後ろ脚を狙い体制を崩し、前腕を破壊し、胸部へと至る道を拓く。
龍の股下を駆け後方へと抜ける。その無防備な後ろ脚に粘性の高い溶岩が絡みつく。一瞬とは言えウィチトリの動きを阻害し、振り向く時間を与えない。
「爆ぜろ!」
ダースニックから放たれた小さな光が龍の後ろ脚に付着し爆発を起こす。星の瞬きがごとき輝きは龍の足を破壊するには至らないが、わずかに体制が崩れる。
「まだまだぁ!『ブラフマーストラ』!」
蒼い獅子が駆け後ろ脚へと噛みつこうとするが、それは叶わない。後ろ脚に絡みつく溶岩は破壊され老級の巨体が宙に浮く。獅子がそれに追いすがるが、ウィチトリの纏う黒炎によって拒まれた。
ダースニックは照準を定めるように左手を前に掲げ後方に魔力を束ねる。空を駆けるウィチトリを迎撃するため炎の輪が彼の後方から放たれる。日輪がごとき炎の輪は龍をくり貫かんと突き進んだ。
巨大な翼をはためかせ、空を舞うウィチトリは炎の輪が届く前に進む方向を変える。今までは体制を立て直そうとダースニックから距離を取っていたが、その逆。炎の輪が飛んでくる方向、つまりダースニックに向けて速度を上げた。
ダースニックの全力の魔力が込められた「グローリー・ハロー」、その炎輪は例え黒炎を纏う龍の翼といえど、その機能を停止させられる。
炎輪と龍とが交差する直前、ウィチトリの翼が折りたたまれた。コークスクリューのように回転する龍の巨体は炎輪をかろうじて通り抜ける。多少の外殻は削られたもののウィチトリの飛行能力は破損することなく、ダースニックへとさらに加速する。
「っ!火の輪くぐりなんざ、今時サーカスのライオンでもしねえだろうが!」
ダースニックがそう愚痴るが、そんなことを言っている暇もない。回転と速度と黒炎を纏う火龍ウィチトリが迫ってきている。もはやその巨体を避ける術はない。槍を構え、その巨体を受け止めようとする。
龍と人とが再度ぶつかる。しかし今度はろくに準備が出来ていない人と、あらゆる全てを味方につけた龍との対決だ。数秒、それだけでも耐えたダースニックを讃えるべきだろう。龍の巨体を前にダースニックの小さな体は後方へと大きく吹き飛び、まだ原型を留めていた小岩を破壊してようやく止まる。
「く、そ。でけえ、早え、強えの理不尽の塊みたいなやつだな」
吹き飛ばされてもまだダースニックは立ち上がる。その傷は決して浅くはないが、それでも彼を止めるのには足りなかった。それ以前の無辜の民の血、それこそがダースニックの進む理由なれば、己が傷など止まる理由になどなるはずもない。
「だぁークソ。痛えじゃねえか。雑魚どもも群がってきやがって」
血を流すダースニックの周りを下級や中級の龍が取り囲む。強者になびくだけの小物風情が、強者が弱った途端に牙を向いた。煩わしくもあるが、同時に彼にとって鬱憤を晴らすいい獲物だ。その槍の一振りで龍の黒に穴が開く。蒼き獅子はまだ健在あることを知らしめると周囲の龍は霧散する。
ウィチトリは遠く離れたところにおり、もはやダースニックへの興味も失っている。その本来の役割、人の文明の終わりに向けてテノティトへとその歩を向ける。
「は、あいつにとっちゃ俺も雑魚の1人か。笑えるな、おい。笑えるほど、イラつくなぁ!」
まだ龍血脈動は終わってない。そのうえ、ダースニックの闘志はまだ折れてはいない。なら無視される謂れもないだろう。
その魔力を足にため、火龍との距離を一息に詰める。殺したはずの雑魚、それが2度も自信に歯向かうという事実に、ウィチトリのプライドのようなものに傷がつく。その愚かな行為を後悔させるべく、ダースニックの方へ向き直った。
黒炎を纏う流星が空から降り注ぐ、1つ1つが大規模魔術よりも威力があり、当たるだけでも致命傷になりかねない。そのうえ自ら暴威の化身ともなったウィチトリも翼をはためかせ距離を詰め始めた。
天に流れる黒炎の流星を迎え撃つは、地から放たれる蒼炎の流星。大規模魔術の多重刻印、それすら彼の龍への決め手にはならないが、それでも自身の身を守ることにはなる。
中空で激しい爆発が起き、あたりは激しい光に包まれるが、両者ともに走ることも飛ぶこともやめない。その火山とも形容できる大きな魔力が彼らの眼にははっきりと映っているのだから。
衝撃波があたりの砂埃を吹き飛ばす。三度ダースニックはウィチトリと刃を交える。双方ともに振りぬかれた一撃は互いに譲ることなく、拮抗していた。
「こちとら、何億人もの命がかかってんだ。負けるわけにはいかねえんだよ!」
槍の穂先から蒼炎が放たれ、さらに加速する。じりじりとダースニックがウィチトリを押していく。小さな人の体から振り出される力が、巨体を誇る龍を押し留め、その上後退させるさまはもはや現実とは考えられないほど常識と隔絶していた。
拮抗状態は破られる。槍の穂先が龍の爪を切り裂き、胸部へ傷をつける。その傷口から溢れんばかりの黒炎が吹き出るが、それを回避しダースニックは再び距離を取り、魔力を束ねる。
龍核への道は拓かれた。ならば後は、そこへと至るのみ。
「時間もねえ、魔力もねえ、だからこれで終わらせてやる!」
ダースニックが右手を掲げる。蒼い太陽の現身が顕現した。南部砦で大人数で刻んでいた『プロミネンスフレア』をダースニックを1人で容易に刻印する。その数4つ。輝く太陽はその炎の方向性を1点に束ね照射する。
ウィチトリもそれを甘んじて受け入れるつもりは毛頭ない。胸部の傷口から溢れんばかりの黒炎を壁のように前面に集め蒼白の炎を迎撃する。4つの大規模魔術は彼の老級が全力を出して防ぐに値する威力であり、その黒炎は蒼炎と相殺される。ぶつかる瞬間、周囲は激しく燃え盛り、余燼すらも許さない。大地はガラスと化し、空気はそのあまりの熱に膨張し突風が吹き荒れる。
その刹那、一瞬の炎の交差により、龍の眼はダースニックの姿を見失う。自身と同等の魔力を持つダースニック、それを見失うことなどありえない。しかし彼に残された魔力は、一撃分、故にウィチトリはその矮小な魔力を見逃してしまった。
火龍の真下。ちょうど胸部の傷が頭上に来る位置に、ダースニックは立っていた。その槍が纏う魔力はダースニックが持てる全てを賭したもの。故にその威力は古の龍の守りすらも突破できるものだった。
「砕けろ!『ブラフマーストラ』!」
焦土を踏みしめ龍槍を掲げる。掲げられた穂先からは蒼炎を纏う獅子が解き放たれた。獅子は貪欲に龍の胸部目掛けて駆け抜け、すべてを飲み込まんとする。
ウィチトリを守る炎はすでにない。再燃しようにもその時間は無いだろう。もはや彼の龍に蒼き獅子を止める術は存在しなかった。
「がはっ!」
ダースニックの腹部が黒炎を纏う爪によって切り裂かれる。傷口から血が出ることはなく、焼け焦げた体はボロボロと崩れ落ち、それが全身へと広がりつつあった。避けることは不可能なはずだった。あの瞬間、あの空間、あの状態であれを防ぐことはいかに火龍ウィチトリといえど無理だったはずだ。
けれど、現実は違う。あたりには花が咲き誇り、虫や小鳥が飛びまわっていた。しかしその全てが黒一色。色彩などどこにもなく、炎の黒と空から降りしきる雪を模した塵の灰色しかない。ただただそこには、ウィチトリでは触れる事の能わぬ幻想の世界が広がっていた。
ウィチトリの胸部には小さな虫、虫を模した黒炎が集まりそれが蒼き獅子を内側から食い破っていた。勇猛な獅子も牙をも避ける虫を殺すことはできずただただ死に絶えるしかなかった。
ダースニックは一度距離を取るしかない、己がわき腹に蒼炎を灯し黒炎からの侵食に抵抗するも時間稼ぎにしかならないだろう。この炎を消すには燃える本人が燃え尽きるか、その炎の担い手を倒すほかなかった。
「随分夢見がちな龍だな。こんな景色、お前にとっちゃそれこそ異界と何ら変わらないだろ」
全てを燃やす黒炎を担うウィチトリにとって命ある豊かな世界など未だ見たことすらないのだろう。その眼に映る全ての光景は何かが燃え、苦しみ、死んでいく、そんな灰色の光景しか彼の龍は見てこなかった。故にこの龍域はウィチトリが描く、彼の理想。しかしその理想郷に人の影はどこにもなかった。
悪態をつくダースニックだが、その傷は深い。およそ立っていることが不思議なくらいその流す血の量は多く、同時に魔力も尽きかけていた。
当然だ、大規模魔術の同時複数刻印を連続して行えば、例え龍血脈動を行使していたとしても魔力は大幅に減ってしまう。時間が経てばまた回復するだろうが、それでも今はそんな時間もない。そのうえここは龍域。最もウィチトリが慣れ親しんだ、戦場だ。今の彼に勝ち目など一つたりとも無いだろう。
「まだ、まだだ、俺はまだ倒れちゃいねえし死んでねえ。なら俺はまだ、戦える」
だが、彼の体はその意思に反して、動けない。腹部の蒼炎を維持する魔力が尽きた時、彼の命は燃え尽きるだろう。その魔力も残り少ない、その身もただ立つことしかできず、槍を持つ右手はその石突を地面に刺したまま、構えることもできない。しかし眼は、その瞳は、遠くに映る光景を確かにダースニックに届けていた。
「あれは、」
太陽が如き炎が天高く燃え盛る。見紛うはずもない、あの紅蓮の刃はまだあの都市で彼の息子が、その仇敵と戦っている証左であった。まだまだ未熟な息子が、命をはってリヴィングスに仇なす敵と対峙していた。
なら自分は?未だ命を投げだすことすらしてない自分の何と情けないことだろう。
「は!馬鹿だな。何が、王だ。その責務すら果たせないようじゃ、ただの傀儡よりも質が悪いじゃねえか」
ダースニックが自身の左手を胸にあてる。その手に伝わる鼓動は今にも果てそうなほどに弱弱しい。けれど、そうだとしても、止まることなど許されない。彼には責務があり、それに殉じるに足る信念がある。
「ならば俺はここに、この地の王としての役目を果たそうじゃねえか」
彼の胸から鮮血が迸る。彼の左手は胸を抉り、やがてはその心臓へと辿り着いた。それをダースニックはうめき声一つ上げず、ただ自身に、この地の王の血族に与えられし責務を果たさんとしていた。
「草木は燃え、大地は干上がり、空は荒天へと移ろう。万物の滅びが必定なれば、我は我が血を以てその理を破壊する龍の心臓を、今呼び覚ます!」
ダースニックを中心に魔力が燃え上がる。黒がはびこる世界に、煌々とした赤が光を灯す。夜明けの太陽が如き光は、その身を燃やさんとする黒炎までをも燃やし尽くしていく。
その魔力を、その気配を、その炎を火龍ウィチトリが無視できるはずもなかった。暴虐の化身たる自身の主、大火山に座する火の龍を統べる者、始祖龍の一角たる炎龍。その星をも焼く炎の一端をただ人がもっているのだから。
黒炎によって形づくられたものがダースニックへと襲いかかる。その歪に生物を模した黒炎はただ触れるだけで、容易に他者を焼き殺すことが出来るだろう。けれど、ダースニックは紡ぐ言葉を止めることはない。その黒炎が届くことはないと、きっと彼は知っているから。
「汝は星を灯す種火、破壊の権化たりて命を火を繋ぐ者。古の約定に基づきその焔を我に貸し与えよ!」
紡ぐ言葉は、遥か昔に結ばれた契約により、貸し与えられた炎龍の心臓を励起させる。紅蓮の炎はダースニックの蒼白の炎を塗りつぶす。故にもうこの場に蒼き獅子と謡われた騎士の姿はない。ここにいるのは心臓より溢れ出る炎を纏い、この地の全てを背負いに背負い、そのために全てを捨てた王。
「皮肉だな、最後の見る炎が蒼でも黒でもない赤色だなんてな。だが、悪いなウィチトリ。たとえ俺の命を賭してもお前は行かせるわけにはいかないんだよ」
魔力などとうの昔に尽きている。ならばこの赤き炎は何を燃やしているのか。そんなもの考えなくとも分かるだろう。ダースニックは自身の魂すらも燃料として、この炎を燃やしている。
「さあ、もう終わりだ。終わりなんだよウィチトリ。この炎には誰も、俺の蒼炎もお前の黒炎すらも届くことはない。最も気高き赤には、蒼も黒も関係ない、そうだろ」
ダースニックが一歩を踏み出す。その一歩で黒く染まった大地には赤い火が灯り、彼が手を振るだけで炎が刃となり、生物を象った黒炎を燃やし斬る。
敵うはずなどなかった。けれどそれでも、ウィチトリが退くわけにはいかない。何故ななら、己にも目の前の王と同じく役割があり、それは炎龍すらも頭を垂れる相手からの勅旨であるから。
眼前の敵はただ人。ならばその器にあの炎が収まるはずもない。体のあちこちから炎は漏れ、それを扱うたびに彼の四肢は余燼と化していく。待てば、あの龍人が燃え尽きるまで待てば…………否、そんな真似ができるはずもない。主の炎の前で自らが退くことなど死よりもなお恥ずべきことだ。
ウィチトリはその巨体を黒炎に包む。自身の世界を黒に包む炎をすべて身に纏い、主の炎に挑まんとする。
「ああ、いいな。それでこそだ、最後の相手がお前でよかった、とは言えねえが後悔はせずに済みそうだ」
ウィチトリが一歩前進する。その黒炎は世界を歪め、空間そのものを焼き滅ぼし、顎からこぼれる炎は、もはや自身の肉体すらも焦がしていく。互いに限界を超え、身を投げうっている。ならば、もはや余計な手間など必要ない。全力でぶつからずとも、どちらかは死ぬだろう。だが、それでも、この戦いの終わりを締めくくるには相応しくない。
黒炎が龍の顎に集まり、一つとなる。もはや世界そのものに穴が開いたと見紛うほどの黒い淵は微かに揺らめき、揺蕩えど確かにそこに存在していた。あらゆる光を飲み込み、反射することなく、自身の魔力へと変換する。貪欲なまでに魔力を喰らい、そして、全ての魔力を龍の息吹へと変換する。それは魔力によって活動している龍にとってまさしく、自殺行為そのものだった。
王の槍に魔力が集う。其の赤は何よりも輝かしく、何よりも暴虐な炎。梵天が如きその威容はまさしくこの地を治める王にたる姿だった。しかし彼の魔力は彼の物ではない。故にその熱は光は彼の身を眼を焼いていく。もはや槍を握る右手は黒く焦げ、右眼は輝く炎によって焼き切れていた。
もう次は無いだろう。互いにそれを確信してこの一撃に全てを賭けている。生き残るためじゃない、後に託すため、その一撃は今、放たれた。
「消し飛べ!『ブラフマーストラ』!」
「Graaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」
蒼き槍から紅蓮の獅子が放たれる。その獣は虚空を蹴り進み、その身がもつ圧倒的な熱量によって、捕食の為ではなく相手を焼滅させるために駆けていく。その軌跡には余燼すら残ることはない。
龍の顎から黒き淵が解き放たれる。限界まで圧縮された黒炎は世界そのものを焼いていく。炎龍に与えられた黒炎は全てを飲み込み、今その主の一端たる炎の獅子目掛けて照射された。
駆ける獅子、放たれた黒炎。その熱により歪みに歪んだ空間で2つの炎は確かに交差した。紅蓮の獅子は黒炎の中を突き進み、黒炎はその獅子を焼かんと迸る。燃える炎は尾を食い合う2匹の蛇のように、焼いては焼かれてその熱量を奪い合う。
ただ1つ両者に違いがあるとするのなら、それは何を見ていたかだろう。ダースニックは火龍ウィチトリを討伐するためにその全霊を投げ出した。しかし、そうそのウィチトリはもはや主の炎しか見えてない。眼前の巨大な光に、矮小な炎などもうすでに見えてはいなかったのだ。
紅蓮の獅子に蒼き牙が生える。矮小な炎であっても、この状況を動かすには大きすぎた。
「残りカスだ。持ってけ」
不完全な紅蓮の炎と火龍ウィチトリの全てをとした黒炎はわずかに拮抗していた。その状況を打破するは蒼き獅子の牙。ならばもう黒炎に勝ちの目があるはずもなかった。
黒炎の中を蒼き牙を持つ紅蓮の獅子が突き抜けた。それはまるで夜明けの空にさす黎明が形をなしているかのようであった。ならば夜闇が裂かれるは必定、蒼を伴う黎明は駆け抜け龍の胸へと至る。
もうウィチトリに避けるだけの余力も防ぐための黒炎すら残されてはいなかった。獅子の牙が蒼炎によって彩られた牙がウィチトリの胸部を噛み砕く。そしてその隙間から吹き出る黒炎を意に返さず、その中心、光り輝く龍核を噛み砕いた。
火龍は沈む。胸部には深い穴が穿たれ、その機能を完全に停止させ、長く長く悠久の歴史に名を刻んだ、不朽の生に幕を閉じた。
だが最後のその最後の表情は満足そうだった。遠い昔に眠りについた主に、その一旦とはいえ再開できたことは望外の喜びだったのだろう。
「ようやく、か。」
王はその場に立ち尽くす。もはやその半身は完全に焼け焦げ、動くことは無い。
「はっ、親父のことをとやかく言えねえな」
あの至高の炎を身に浴びて余燼が残るだけでも、充分奇跡だった。それ以上は起こりえない。魂をなげうったダースニックに残された時間は決して多くなかった。
「後は頼むぜ、馬鹿息子」
自らが未熟と断じた息子にその先を託す。それは父としての期待故か、それとも王が臣下に抱く信用故か。王としてのダースニックは燃え尽きた、ならきっと今の彼は、
王は倒れた、龍を道連れに。そして老級の討伐をもって龍害は終わりを迎えた。




