43話 夜明け
「っつ、はぁ、っふぅ、はぁ」
呼吸が苦しい、前の時と比べて体の負担が馬鹿にならない。感覚を無理やり引き延ばされて、チクチクと針を刺されるそんな痛みがずっと続いてほんとに痛い。でも、これでみんなが楽になる。天羽君が、ヴォルフ君が、カウレスさんが、みんながきっと生き残れる。
「だ、大丈夫ですか、ユキ」
「…………うん、大丈夫だよレティ。すこしだけきつかっただけ。もう楽になったから」
「やっぱりこの規模は無理があるんじゃないですか?」
「刻印は確かにきついけど、維持はそれほどきつくないんだよ。だから、何とかなる」
維持はきつくないのは本当だ。ただ術式に魔力を流していれば維持できる。問題はその魔力。これだけの規模の龍域の維持、当たり前ではあるけど魔力をどんどん消費する。だから今は殆ど魔術を使えない。できて簡単なものぐらいしか。
「とりあえず他の人に龍域のことを伝えますね」
「うん、お願い。天羽君たちの様子はどう?」
「伝え聞きですけど、あの水龍の反応はアモウたちが倒した水龍だそうですよ」
「よかった。間に合ったんだ」
龍域がいつどこで刻印されたかは現地からの報告に依存している。正直間に合うかは分からなかったけど、間に合ってよかった。
そんな私の安心とは裏腹にレティの顔は少し曇る。
「どうかした?」
「い、いえ、大丈夫ですよ」
相変わらず嘘が下手だな、と思いつつ、それ以上は追及しない。レティが伝えないと判断した以上、多分私に不安を抱かせることなのだろう。今の状態でもし心が揺れてしまったら、下手すると龍域の維持が出来なくなる。何にせよ、今は維持に集中しないと。
「連絡がつかない人がいる?もしかしたら、もう…………」
肩口に喰いこむ牙を何とか外す。血が止まらない。どこか大きな血管が傷ついたのだろうか。ジンジンと燃えるような痛みが走る、けどこの傷も数日もすればある程度は癒えるだろう。だから今は一歩でも前へ。
「大丈夫ですか、アモウ」
「ん、ヴォルフか、そっちも大丈夫か?」
龍の巨体が地面に倒れた時ちょうどヴォルフがやって来た。俺と違って体は濡れておらず、どこも怪我しているようには見えなかった。
よかった無事だったんだな。
「僕はぎりぎり龍域の範囲外だったので。その傷は深いですか?」
「いいや大丈夫、血も、うん、止まったな。こういう時は子龍でよかったと心の底から思う」
あれだけ出ていた血がもう止まりつつある。活血剤も飲んでいないなのにこれだけ早いのは雪の龍域のおかげか?アドの方も前と同じくほぼ実体になっている。天龍の龍域ならその子龍にならの加護がある、ということだろうか。
俺もヴォルフ無事、なら次の行動は残る老級、風龍の討伐。それもこの龍域内で戦えるんだ、今回の水龍討伐よりもだいぶ楽になるだろう。
けど問題はアギナルド、可能性があるとしたら雪やカウレス、それに一応は俺のところに来る可能性もある。まだ姿が見えない、それだけで警戒しないといけないのは結構きついな。
そのうえあいつがまた人を操って都市内に龍を呼び出したらそれこそ一巻の終わりだ。砦は内部からの攻撃を想定して作られてるわけじゃない。対応がほとんどできずに落ちる可能性もある。その保険としてカウレスが動いてくれているのだろうが、あいつの手元にはブラックモアがある。どうしても後手に回らざるを得ない。
「少し休みますか?」
「いや良い、すぐにもう片方の老級の方へ急ごう」
カノンに指示を出しもう側面にいるはずの老級の方へ急ぐ。早く終わらせればその分他へ増援に行ける。そして雪の負担も減らすことが出来る。
都市内にコツコツと足音が響く。路地の裏、地下道、そして王宮内にも。いたるところに本来ならいるはずのない民間人が歩いている。その手には剣が、槍が、斧が、弓が握られており、とても歪な格好だ。彼らは皆正気ではない。虚ろな目に覚束ない足取り、まるで操られるマリオネットのように目的地へと歩を進める。
その軍勢を統率する者が1人、見晴らしの良い教会の屋根の上に佇んでいる。その姿は暗い夜に紛れるように隠匿されており、例え目の前にいてもそれが人だとは気づかないだろう。同じ闇を見慣れたもの以外は。
「やはりブラックモアは使わなかったか。防衛戦になれば内から崩す方が楽だからな」
「…………あなたでしたか、なるほど確かにあなたならこの闇夜でも充分私を見つけることが出来るでしょう」
教会の屋根の上にローランドが現れる。その手にはすでに龍剣が握られておりいつでも戦える準備は整っていた。
「諦めろ、すでにおまえの傀儡は捉えている。龍装も回収した。もう龍核廻転は使えない」
「ふむ、手際がいいですね。確かにこれではもう龍を解き放つことはできませんか。流石ですね、亡国の王子さん?」
瞬間、刃がアギナルドの喉を掠めた。しかしそれを軽々と避けアギナルドは隣の建物に移動する。命の危機だというのにアギナルドの表情は変わらない。自分の命にその刃が届くことは無いと分かっているように。
「何を、知ってる」
「私は多少ゲネルシャフト連合にいた時期がありましてね。そこで多少のことは知っているのですよ」
ローランドの顔が歪む。普段そんなそぶりを一切見せない彼だが、アギナルドの言葉を聞いた瞬間怒気を露わにした。彼の、ローランドの踏み込んではいけない部分にアギナルドは土足で踏み入れる。
「おまえたちが関わっているのか」
「いえいえ、成り行きを知っているだけですよ。さてでは私はここでお暇しますよ。あなたには興味がない」
そう言い残し去ろうとするアギナルドをローランドが逃すはずもない。ありったけの魔力が込められた剣を影へと突き刺す。
「逃がすか『タルタロス』」
闇色の刃が縦横無尽に駆け回る。その悉くがアギナルドに避けられ、残りも切り伏せられる。まるでローランドを嘲笑うかのようにアギナルドを悠々とした足取りでその場から去る。
「言ったでしょう。あなたには興味がない。ですが邪魔をするなら死んでください。
『カラミティライン』」
「ああ、残念だが俺もない。だから後は任せることにする。俺の役目はこれで終わりだ」
縦横無尽に滅紫の刃が射出される。しかしその凶刃を前にしてもローランドは防ぐ素振りを見せない。そのことにアギナルドが疑問を抱く前にそれは舞い降りた、あらゆるものを焼き尽くす業火の刃として。ここは住宅街、しかしそんなことなどおかまいなしにあたり一面が火の海になる。王子として全ての住民が避難していることを知っているからの行動であり、戦後は新たに補填することも心に決めていた。
「よくやった、ローランド」
「隊長、後は任せます。俺はすぐに北部砦に戻るので、では」
そう言い残しローランドは北部砦に向かう。カウレスの邪魔をしないように、そして親衛隊としての務めを果たすために。
カウレスは炎の海を見下ろす。殺すべき敵はこの程度では死なないと分かっているからだ。いつでもその剣を鈍らせずに心臓へと突き立てるために爛乱とその眼を放さなかった。
「おまえがアギナルド・モースウィッグか」
「あなたとは初めましてですね、カウレス・リヴィングス。では死んでください」
そう言いアギナルドの背後から闇色の球体が飛び出る。姿を現す前に仕込んでいた魔術がカウレスに襲い掛かる。そのほとんどをカウレスは撃ち落とし残りは無視する。なんでもないかのようにカウレスはアギナルドに尋ねる。
「ヨウムはどうした?」
「開口一番聞くのがそれとは、いやはや師匠思いですね。もしくは彼に父親としての役割を求めますか?私と違って本当の父親が生きているでしょうに」
「黙れ、どうしたんだと聞いているんだ」
カウレスの有無を言わせない迫力にアギナルドは押し黙る。たとえどんな返答であろうと自分を殺そうとすることは明白だった。ならば相手が一番感情を揺さぶられるであろう返答をするまで。
「死にましたよ。ええ、私の手で殺しました」
その返答にカウレスはどうとも反応しなかった。激昂するのでもなくただ静かにその言葉を飲み込もうとしていた。彼も心のどこかでもうヨウムは助からないと思っていたのかもしれない。少なくともアギナルドの言葉一つでそれを事実だと思えるぐらい。
ならどうしたらヨウムを救えるだろう。死んでしまった彼を救う方法はもうないかもしれない。たとえ目の前の男を殺してその死体を燃やし尽くしてもヨウムは喜ばないだろう。彼が救われるたった一つの道は彼が願ったものの実現。リヴィングスの勝利だけだ。
空気が膨れ上がる。カウレスの魔力は周囲の空気を熱し、それにより膨張した空気は壁となりアギナルドにぶつかる。しかし彼はまるでそよ風にでもあたっているかのように目を細めるだけで微動だにしない。
「ふむ、不思議ですね。太陽もないのにその魔力、いったいどこから」
その疑問に応えることもなく炎の剣は振り下ろされる。それをアギナルドは二対の剣でそれをいなすが、カウレスは残った片手でアギナルドの襟首を掴み、ぐっと引き寄せる。
「なぜヨウムを殺した!ヨウムはおまえにとって、」
「父だったと?それは昔のことでしょう。敵として立ちふさがるのなら殺すのは何ら不思議じゃない」
「ヨウムを、父親だった人を殺してまで貴様が成し遂げようとするのはなんだ!」
アギナルドの顔が歪む、まるでおまえにだけは言われたくないと言わんばかりに睨みつける。
カウレスはアギナルドを突き放し再度攻撃を仕掛ける。炎の刃は煌々と燃え盛りアギナルドの闇色の刃と激しくぶつかる。カウレスの剣は重い、例えアギナルドであっても両方の剣で受け止めない限り受け止めきれないほどだった。
アギナルドは距離を取り魔術を刻印する。アギナルドは屋根の上カウレスはそれを見上げる形となる。カウレスも走りだし同じく魔術を刻印する。方や炎の剣、片や漆黒の鴉。互いに術式の数は12、それが今発動される。
「『レイダークロウ』」
「『イフリートダンス』!」
双方の魔術がぶつかる。闇夜に紛れる漆黒の鴉を踊るように舞う炎の剣が打ち落とし、黒い火花が散る。互いに魔術の腕も剣の腕も互角。けどそれはより長い間生きてきたアギナルドのプライドを傷つける。
「人の世の終焉ですよ。人に辟易した我らは龍との手を取りあなた方を絶滅させる。5000年前と何ら変わらない人々に対する神罰です」
「神罰だと、自分が正しい側にいると本気で思っているのか?龍の気まぐれで世界が滅びるなんて誰が黙って受け入れる!」
カウレスはアギナルドという男の全てを否定する。その度に剣戟は鋭くなり徐々にだがアギナルドが押されていく。込める魔力も、乗せる思いも強くなる。ヨウムを殺され、この国の民を殺され、そして自分のことも殺そうとする目の前の男を否定するために。
「たとえ貴様の人生がどれだけ不幸に苛まれていたものだとしても、他者を傷つける道理にはならない!」
「それをおまえが言うか!恵まれた出自、恵まれた環境、恵まれた人生、そんなところからしか世界を見ていない奴が!」
互いが顔を見合わせるのはこれが初めてのはずだった。けれどその憎悪はまるで長年の怨敵を前にしたようなそんな気迫があった。カウレスが居なければアギナルドはヨウムの下へ戻れていたかもしれない。アギナルドが居なければヨウムは死ななかったかもしれない。譲れるはずもない。カウレスはヨウムを殺したアギナルドを殺すために、アギナルドは過去への執着を断ち切るために、今出せる全力を尽くす。
魔術には魔術で剣には剣で2人の衝突は止まらない。戦場は住宅地から南部の商業区へと移り変わる。住宅街と違い高い建物が乱立する商業区では一度見失うと見つけることが難しい。火の魔力を纏うカウレスはともかくアギナルドを見つけ出すことなど不可能に近い。アギナルドを野放しにすることは内部からの崩壊を招く。それを防ぐためには逃すわけにはいかない。
「『ブラッドスナーク』」
そのことはアギナルドも分かっている。彼の足元から赤黒い煙が湧き出て周囲を覆いつくす。アギナルドが術式を刻んだ様子はない。元から刻んでいた場所にカウレスを誘導したのだろう。
カウレスが魔術で煙を焼き払うも次から次に煙は溢れ出て意味を為さない。最初の術式以外にも仕込まれていたのだろう。煙を晴らすためには全ての術式を焼き払うほかない。
「っ待て!」
カウレスはアギナルドがいるであろう場所に走り出す。煙が濃い方向は魔術が発動した手であり、アギナルドがいる可能性が高い。この魔力の霧の中では龍眼は役に立たない。故にカウレスは、周囲に刻まれている魔術を発動してから出ないと気づくことが出来なかった。
夜闇はアギナルドの魔術を自然と隠す。商業区にある街灯の影、昼間では死角にならないが夜には死角になる場所、あるゆる点に術式が刻まれ発動する。誘い込まれた形となったカウレスはそれを防ぐしかない。
「あと、30分」
「何を待っているかは知らないが、夜のあなたでは私には勝てない。おとなしく死ね」
何処からともなく声が聞こえる。声は反響し位置は特定できない。しかしアギナルドがまだ近くにいることの証明でもある。しかし時間もかけられない、アギナルドという脅威を排除してカウレスは北部砦に戻り龍害を討伐する必要がある。だからなりふり構うことなく問いかける。
「もし貴様が選択を間違えず、ヨウムの元に戻っておけばこうはならかった」
「間違い?いいえ違う、あれは間違いではない。私が選んだ正しい道だ。子供を処分しようと考えるあの男の所になど…………いいや違うんだ、そうじゃない父さんはそうじゃないんだ」
その選択は間違っていたと糾弾するカウレスにアギナルドは否定しようとする。そして否定するためにヨウムの所業を断罪しようとするが、そう言い切る前に言い淀み、うろたえる。そうまるで父親に謝る子供のような声音で言い訳を。
「そうだヨウムはそんな人じゃない。たとえ誰が敵になったとしても彼だけは見捨てなかったはずだ、貴様が道を違えない限りは。貴様はヨウムを恐れたんじゃない、血に濡れた自分の手をヨウムがとってくれるかを恐れたんだ。その事実を忘れるためだけに、俺を妬みヨウムを恨んだ。ただそれだけだ」
「違う!私は、ヨウムのことなど!…………そう、そうだ、僕は怖かったんだ、父さんに拒絶されるのが、だから逃げて逃げて逃げて、それでもう忘れることにしたんだ」
カウレスはアギナルドの様子が変わったことになど意識を向けず、ただその罪を糾弾する。アギナルドはそれにも反論しようとしたが、またも様子が変わる。まるで二人の人が入れ替わりになるように、アギナルドの口調は変化する。
「や、めろ。私の記憶の蓋をこじ開けるな!すべては過去のことだ。今の私には関係、ない。この激情は、この憎悪は、私にはふさわしくない。こんな余分は子龍にはいらないんだ!」
煙に隠れていたはずのアギナルドがカウレスに奇襲を仕掛ける。力任せな一撃はアギナルドの莫大な魔力ものり強大だ、けれどカウレスに阻まれる。当然だ、それで傷つくほど太陽の騎士は安くない。
そこからはもみくちゃな戦いだった。剣の応酬の合間に魔術が飛び交う。騎士が戦場で使う魔術は大規模魔術のような時間のかかるものではなく、数秒で刻印し終わる軽い魔術。たとえ当たったとしても僅かに体制を崩すだけだろう。しかしその隙でも充分死に至る。
カウレスの剣は確かにヨウムの剣だ。その剣筋もその構えもヨウムのそれに似ている。それが酷くアギナルドの癪に障る。けど同時に守りやすくもある。押されてはいる、が崩されてはいない。両者とも決め手に欠けた状況だった。
故にカウレスは自身に眠る龍の力を解放する。
「我、炎龍の名代にしてこの地を治める血族の一員。契約に基づきその血よ目覚め脈動せよ」
「馬鹿な、もう太陽は沈んでいる。おまえは、」
「『シウメテル』」
炎が爆ぜる。魔力の膨張は先ほどの比ではない。カウレスの周囲は燃え盛り煉瓦でさえその原型を留めきれていない。モースウィッグの時以上にその体は炎に包まれていた。
その姿をありえないとアギナルドは糾弾する。カウレスの龍核解放は太陽に影響されることは周知の事実である。だというのに目の前の男は爆発的に魔力を伸ばしているのだから困惑するのも無理はない。
「上を見ろアギナルド、この偽りの空に太陽が昇る瞬間を」
アギナルドは空を見上げる。見間違えることは無い夜空には星が瞬き月が浮かんでいる。この夜空のいったい何処に太陽が昇る隙間があるだろうか。しかしその夜空が割れる。比喩ではなく、確かに割れたのだ。月があった場所からひびが入るように空が割れた。そのひびから光が漏れる。優しい月の光ではなく、燃えるような日の光が。そして完全に空が割れ後に残るのはアギナルドを隠す夜の闇ではなく、カウレスを言祝ぐ昼の光。
「馬鹿、な。リヴィングス全土を覆う規模の幻、だと。それほどの魔術の使い手がいる、わけが」
「いるだろう、世界最高峰の魔術師が。その名を聞いたことが無いものはいないほどの有名な方が」
「まさか、夢幻の龍狩ノルディック・パリーグだと。馬鹿なここからユーダニアまでどれだけの距離があると」
よほど衝撃だったのだろう。今まではカウレスへの憎悪の色が浮かんでいた顔は困惑している。しかしその言葉は続かない。アギナルドの真横に炎の剣が周囲を囲むように現れる。鍵句なしでの魔術、気づいたときには遅かった。カウレスの掲げられた手が降ろされる、まるで刑を執行するかのように。
「っ!」
その半分を防ぎきる、それだけでもアギナルドの実力の高さの証明だが、残りの半分をじかに喰らう。急所は外れた。いや外されたと言った方が正確だ。まだここでアギナルドを殺すという選択を取らなかったのはカウレスの理性が感情に勝ったからだろう。得られる情報を逃すわけにはいかない。
けれどそれはその体を救うと同時にカウレスをも救っていた。炎の剣が刺さった場所から黒い煙が漏れる。それは体の全身にまで広がり、やがて崩れ落ちる。その状況から油断せず目を離さなかったカウレスは見てしまった。全身を黒い糸に覆われた自らの師を。
「ヨウ、ム?」




