第四話 人気配信者『焼田幽霊』
焼田幽子と名乗った少女から『ありがとう』と言われました。
いったいこの人間は何を考えているのでしょう。
彼女からお礼を言われる筋合いなんて、私にはどこにもありません。
私は吸血鬼。
好物は人間の血液。
ですから目の前にいる紫色の少女、幽子も私にとっては捕食対象です。
まさか魔法使いの血を吸ったから私はもう満腹、つまりしばらくの間は獲物を狩る必要が無い、とでも思われているのでしょうか。
「……私のお腹を甘く見てもらっては困りますよ」
胃袋の中を満たしていた血液は、すでに半分ほど消化されているようです。
空っぽになるのも、そう長い時間はかからないでしょう。
「あ、あたし、あ、危うく、こ、殺されちゃう、ところだったから。だ、だから、助けてくれて、あ、ありがとう」
〈おお、そうだ。アンタは嬢ちゃんの命の恩人だ〉
〈俺たちのアイドルが消えちまいそうだったからな。いやぁ助かったぜ〉
〈視聴者の私からもお礼を言うね。ありがとう〉
〈ふむ、幽子くんの窮地に駆け付けてくれて本当に感謝するよ。やはり奇跡は起こるものだね。私も若い頃は――〉
〈しっかしあの魔法令嬢を仕留めるなんて、お姉さんすごい人ですね〉
〈たしか討伐クエストがあったんじゃないのか?〉
〈強敵だから誰もやらなかったんだよ〉
〈商人に知らせりゃ報酬がたんまり出るぜ〉
あの魔法使いはやはり強かったのですか。
で、あるならば不意打ちしたのは正解でしたね。
正面から戦えば、逆に狩られていたところでしょうから。
あ?
そういえば、あれから時間が経ちましたね。
幽子はその場に立ったままです。
嬉しそうな表情をしているので、苦しくはないみたいです。
問題なく我慢を続けられるのでしょう。
「……トイレに行くつもりはないんですね?」
「あ、あわわ! だ、だだだから、ち、違うってば!」
「私に噛み付かれている最中に、お漏らししても知りませんよ」
「ちち、違うって、い、言ってる、で、でしょ! も、もう」
幽子は口をつぶって、頬を膨らませました。
生きの良い獲物なのはいいですが、違和感がします。
それがなんなのか分かりません。
跳び回っているコウモリではなさそうですし、転がっている魔法使いの死体でもないみたいです。
幽子は一歩近付いて言いました。
「とと、とにかく、た、助けてくれて、あ、ありがとう」
彼女の目はキラキラ輝いていました。
そんなに私に血を吸われるのを望んでいるのでしょうか。
彼女は掴んでいる手に力を入れました。
ああ、これですか、違和感の正体は。
幽子の手はとても冷たかったのです。
過去に氷魔法で狩られた記憶がよみがえってしまいました。
冷たい?
という事は、彼女の血液も温かくないというのですか?
それは困りますね。
血は温かい方が美味しいのです。
冷えていたらお腹を壊してしまいます。
いえ、もしかしたら冷たいのは外側だけかもしれません。
身体の内部は逆に熱い可能性もあります。
「あ、あのぉ。きゅ、吸血鬼さん。その、えっと。す、すごく、き、綺麗だね」
幽子は上目遣いで言いました。
言葉とともに出てきた息が私の顔にかかりました。
なんという事でしょう、息も冷たかったのです。
私は彼女を見下ろしました。
彼女の身長は、私の肩くらいの高さしかありませんでした。
「あなたの身体は冷たすぎます。もしかしたら吃りが原因ですか? でしたら、もう少しはっきり物を言ってください」
「はう! ご、ごめん、なさい……」
彼女は、私の手を放し、うつむきました。
〈あーあ。吸血鬼姉ちゃんが嬢ちゃんを泣かしちゃった〉
〈それは言っちゃいけない事でしょ。幽子ちゃん気にしてるのよ〉
〈幽子さんは確かにコミュ障で陰キャですが悪い人ではありません〉
〈そうだそうだ。不器用でもな、頑張ってきたんだ〉
〈ふむ、確かに吃音症の者は社会的弱者に陥りやすい。だが幽子くんは素晴らしい才能がある。将来が楽しみだ。私も若い頃は――〉
〈最初はすぐに終わるかと思いましたが、今ではチャンネル登録者数八百万人突破した大人気配信者ですからね〉
チャンネル?
登録者?
配信者?
意味の分からない単語がたくさん出てきました。
いったい何の呪文でしょうか?
〈そして俺たちは幽子の嬢ちゃんを応援する善良な魔族なのさ〉
「魔族? 私と同じ吸血鬼ですか?」
〈似てるけど違うね〉
〈アンタはダンジョンのモンスターだろ?〉
〈僕たちは魔界に住む魔族です〉
「魔界ですか。聞いた事はありますが、確かに行った事はありませんね」
私は顎に手をつけて尋ねました。
「すると幽子も魔界から来た魔族ですか? 彼女の体温が低いのは、魔族だからですか?」
〈吸血鬼ちゃんも幽子の低体温には気になるかい?〉
〈冷たいのは当たり前だもん。だって幽子ちゃんは幽霊だもん〉
「は? ゆ、幽霊ですか?」
私は思わず、間抜けな声で喋ってしまいました。
すると、うつむいていた幽子がゆっくり顔を上げました。
「そ、そうなん、です。じ、実は、あ、あたしは、ゆ、幽霊、なん、です」
幽霊とは実態がないものです。
それはつまり、私が彼女に噛み付く事が出来ないという最悪の事態を意味しています。
でも幽子は私の手を掴んでいます。
だからウソをついている可能性があります。
私に血を吸われたくないから、偽っているかもしれません。
幽子が幽霊が本当なのかどうか確かめる必要があります。
彼女の血を吸えるかどうか、首筋に軽く噛み付いてやるのです。
今度は私が幽子の手を握り返してやりました。
彼女の手は相変わらず冷たいですが、しっかり触る事が出来ます。
次に肩を掴みます。
次に抱きしめました。
「ちょ、な、何をするの!?」
末端部だけでなく、中央の部分もやはり冷たいです。
しかしちゃんと実態はあります。
「ちょっと失礼します」
「ちょ、ちょ! や、止めてよ。く、くすぐったい、よ」
幽子の首筋を舐め回しました。
やわらかい首筋に、唇や舌を当てること自体は気持ちがいいです。
でも冷たくて、唇と舌が痛いです。
「ひゃん!」
幽子の悲鳴とともに、私たちは地面に倒れてしまいました。
私が脚を滑らせてしまったからです。
幽子には体温だけでなく、脈もなかった事に、驚いてしまったのが原因だと思います。
不可抗力とはいえ、私が幽子を押し倒している状況になってしまいました。
〈うひょー! これが今流行りの百合ってやつかい?〉
〈まあそうなりますね。しかし二人は結構年齢が離れているようですが〉
〈少なくても十年は開きがあるな〉
〈コラ! これだから男って奴はデリカシーがないわね! 十歳なんて離れているうちに入らないないでしょうが!〉
〈それ離れているだろ?〉
〈ふむ、大人の女性と未成年の女子との交流は中々の教養を感じるものだよ。私も若い頃は――〉
〈幽子ちゃんは十七歳だけど、吸血鬼さんっていくつなの?〉
そういえば私って何歳だっけ?
ずっと狩られては復活するを繰り返してきましたから、相当な時間を要しているはずです。
私はきっと何百年も生きているのでしょう。
ああ、そうですか。
だから髪が白いのですね。
そして前回狩りに来た女から『クソババア』と呼ばれたのです。
などと考えていると、炎がある事に気付きました。
青白い炎がひとつ、私の真横に浮かんでいたのです。
「何ですか、これは? あなたたちの攻撃ですか?」
私が尋ねると、コウモリが答えてくれました。
〈そいつは違うぜ、お姉ちゃん〉
〈我々によるものではありません。これは人間の魂ですね〉
「魂? 焼田幽霊の仲間ですか?」
「ち、違う、よ。た、たぶん、さっき、きゅ、吸血鬼さんが、こ、殺した、お、女の人じゃ、な、ないかな」
幽子の言葉を聞いて、私は魔法使いの方を見ました。
血を失った死体は相変わらずうつ伏せになったままです。
すると私と死体の間を、青白い炎が割って入りました。
もっとじっくり見ていたかったのに、邪魔された感じがします。
腹が立ってきました、その炎に言ってやりました。
「何ですか、私に恨みでもあるんですか? 殺されたあなたが悪いんですよ。見苦しいですから早く消えてください」
私は自分を狩った人間たちを恨んだりはしませんよ。
私も彼らの血を狙っていましたから。
お互い様というやつです。
トイレを見た方々には思うところがありますが。
忌々しい過去を思い出していると、炎はこちらに近付いて来ました。
「そうですか。リベンジですか。いいでしょう、受けて立ちます」
私は炎を殴りました。
ところが拳は確かに炎に当たったはずなのに、感触が全くありませんでした。
〈無駄だよ、お姉ちゃん。そいつは魂、ゴーストだからな〉
〈触る事が出来ないんですよ〉
〈物理攻撃が通用しない、厄介な存在なのよ〉
「触れない? 幽子には抱き締める事が出来ましたよ。彼女もゴーストなんですよね」
〈嬢ちゃんは特別だからな〉
〈そんじょそこいらのゴーストとはわけが違うぜ〉
〈もうすぐ幽霊を止める事になっているんですよ〉
「!? つまり生き返るという事ですか」
〈察しがいいな。そのとおりだ〉
〈再び人間として復活する事が幽子ちゃんの目標なんだよ〉
〈ふむ、自分を殺めた者に恨みを募らせるのは自然な感情だよ。なんとしても復讐をとげようとする姿勢には、敵であっても感服する他ない。私も若い頃は――〉
〈幽子ちゃん、幽子ちゃん。出番だぜ〉
「あ、は、はい!」
すると幽子は青白い炎を掴みました。
うそ?
私には触れる事も出来なかったのに。
炎を捕まえた幽子は、それを自分の顔に近付けました。
そして口を開けて。
「い、いただきます」
「た、食べているのですか? ま、魔法使いの魂を?」
炎は揺らめきながら、やがて幽子の口の中に消えていってしまいました。
彼女は両手を合わせて言いました。
「ご、ごちそうさま」
〈嬢ちゃんはな。元々は日本っていう異世界にいたんだよ〉
〈それがある日、こっちの世界に来ちゃったのよね。何か勝手に移動しちゃったらしいよ〉
〈流行りの異世界転生というやつですよ〉
〈それを言うなら異世界転移じゃないか?〉
〈ふむ、その年齢で異世界転生するとは中々過酷な選択をしたものだよ。私も若い頃は――〉
〈細けぇこたぁいいんだよ。それでよ。こっちに来たはいいが、可哀想な事に事故って死んじまってね〉
〈幽霊となった彼女は生き返るための経験値を稼いでいるのです〉
〈それが人間の魂を食べるってわけね〉
〈最初見た時はドン引きだったけどよ。まあ慣れりゃ面白いもんだ〉
〈おお、そうだ! 吸血鬼の姉ちゃん! アンタ、嬢ちゃんとコンビを組んだらどうだい?〉
「え?」
突然の申し出に、私は戸惑ってしまいました。
なぜなら、ずっとひとりで生きてきましたから。
いつもひとりで狩られて、ひとりで復活を繰り返してきました。
そんな私に仲間が出来ても、狩られるのがオチだと思います。
〈ほらほら、幽子ちゃんも言いなさいって〉
「あ、は、はい。あ、あの……あ、あたしと、こ、コンビを、く、組んで、く、ください!」
幽子は近付いてきて、私の手を再び握りました。
ただ前と違い、彼女の手は少し温かくなっていました。
魂を食べた事で復活に近付いた、というのでしょうか。
「分かりました。承諾いたします。以後、私はあなたを仲間と認識いたします」
「ほ、ほ、ほんとに!」
〈良かったな嬢ちゃん!〉
〈今までソロでやってきたからな〉
〈素敵なお姉さんとお友達になれて良かったね〉
〈ふむ、人間の幽霊と吸血鬼か。種族を超えた熱い友情が期待できるね。楽しみだよ。私も若い頃は――〉
「ほ、ほんとうに、あ、ありがとう、ね。あ、あたし、い、精一杯、が、頑張るから、こ、今後とも、よ、よろしく、ね」
「私の方こそよろしくお願いします」
ふふ、愚かですね。
私を信用するなんてめでたい小娘です。
私は吸血鬼、生きた人間の血が大好きなのです。
だいたい死んだ人間の血なんて不味いに決まっています。
焼田幽子、あなたが人間として復活したら、私があなたの血を吸いますから。
生き返った喜びから、捕食される絶望へと叩き落とさせていただきます。
ああ、想像しただけで今から楽しみです。
〈吸血鬼の姉ちゃんも、先ずは嬢ちゃんと同じ配信者にならなくっちゃな〉
「へ?」
予想外な事を言われたせいで、また間抜けな声が出てしまいました。
〈吸血鬼さんは、どうやら配信者になる方法を知らないようですよ〉
〈困ったな。あれになるには登録が必要なんだが〉
〈こんなとき商人がいればすぐに出来るのにね〉
〈おっ!? 噂をすれば向こうから来てくれたじゃねぇか〉
ダンジョンの奥から鈴の音が聞こえてきました。