第三話 初めての吸血
「いやああぁぁぁ! 痛い痛い痛いですわ!」
魔法使いは叫び、激しく抵抗しました。
彼女は杖を振り回し様々な魔法を出してきます。
ただ幸いな事にそれらは私には当たりませんでした。
私は指に力を入れて、彼女の肩を強く掴みました。
彼女の身体のやわらかさに、食欲をそそられます。
そして顎にも力を込めて、魔法使いの首筋に食らいつきます。
私の唇から伝わる、彼女の体温の温かさが、食欲をそそられます。
彼女の首筋から出てくる血は、私の歯を伝い、口の中に入ってきました。
温かくて、ネバネバとした食感。
歯や舌に、彼女の血液が染み付いていきます。
お、美味しい。
口の中で満たされた血液は、喉へと流れていきました。
ずっと渇いていた部位にようやく癒やしが来てくれたのです。
私の首の辺りの細胞が活性化されて、眼球や脳も刺激されていきます。
ああ、とても美味しい。
喉を通過した血液は、いよいよ胃袋に到達しました。
ずっと空っぽだった私のお腹。
そこへようやく栄養が入ってきたのです。
血を吸収した事で、私の肉体は一回り大きくなったような気がしました。
それだけ栄養に飢えていた証拠でしょう。
でもまだまだ足りません。
もっともっと吸わなければいけないのです。
「あ、ありえませんわ! ちゃんと吸血鬼の弱点である聖水香水を全身に塗っていましたのに!」
え、そうなんですか?
それじゃ、私の口と手はダメージを受けているという事ですか?
いえ、すでに彼女と密着しています。
これはつまり私の身体が大きな傷を負っているんですか?
ずっと目を瞑っていたから分かりませんでした。
それに痛みも感じません。
もしかしたら私の身体はもう溶けているかもしれませんね。
ですがせっかく首筋に噛み付いているのです。
それに彼女からの血の供給はまだ続いています。
血は美味しいですし、もっと味わいたいです。
ならば答えはひとつ。
私が息絶えるまで吸血行為をすればいいんですよ。
「だ、誰か助けてくださいまし!」
私は彼女を押し倒してしまいました。
私はもう立つ力もありませんか?
また死にますか。
ですが私はまだ彼女に噛み付いたままです。
満腹にはなっていません。
美味しい、すごく美味しい。
口から入ってくる血の量が減ってきました。
吸う力が無くなりましたか。
私の唇から伝わってくる、彼女の体温に温もりが無くなっていきました。
感覚も失いましたか。
私の下敷きにされた彼女は身体が固くなりました。
やわらかいと思えないという事は、私の掴む力が無くなったのですね。
彼女から出てくるはずの言葉が聞こえません。
もう聴覚もありませんか。
いよいよ私は死んでしまうみたいです。
結局また狩られてしまいました。
ですが今回は獲物の血を吸えました。
これは大きな前進ですね。
誇らしいですよ。
「……あ、あの……えっと、お、お姉さん」
若い女性の声が聞こえました。
魔法使いの甲高さではなく、普段喋らない人が無理して喋っているような自信の無い声です。
目を開けると、肌の色が青白くなった魔法使いの後ろ顔が見えました。
上体を起こすと、私は彼女に馬乗りになっていました。
ほ、良かったです。
私はまだ生きていますね。
しかし魔法使いはどうしちゃったんでしょう?
うつ伏せになっている彼女は身動きひとつとりません。
死んだのでしょうか。
私が血を吸ったせいで。
まさかまさか、今まで狩られてきた私に殺されるはずがありません。
あんなに強い魔法を使えるんですから。
きっと死んだフリですね。
あるいは、ここにある彼女は身代わり。
以前、そんな罠にかかって殺されましたから。
本物の彼女はどこかで私を見ているはずです。
しかし辺りを見渡しても魔法使いの姿は確認できません。
いえ、もしかしたら目の前にいる紫の少女かもしれません。
変身しているんですよ。
もしくは隣で羽ばたいているコウモリとか。
そのコウモリが声を出してきました。
〈すっげーなアンタ。あの勇者パーティーの魔法使いをぶっ殺しちまうなんて!〉
死んだ?
本当に死んでいるんですか?
倒れている魔法使いを見ました。
相変わらず動きません。
頭を掴んで背骨ごとぶっこ抜いて本物かどうか確認しようかと考えていると、コウモリが様々な声を出してきました。
〈勇者パーティーって全部で五人いたわよね?〉
〈ああそうだ。仲間は……今回はいないみたいだな〉
〈ソロしてて助かったぜ。もし勇者パーティー全員で来やがったらと思うとゾッとするね〉
〈なんでコイツ単独で来たん?〉
〈そりゃあれだぜ。幽子の嬢ちゃんを討伐すんのが高報酬クエストだったんだよ。稼ぎを独り占めしようって魂胆だったんだろう〉
〈欲の深さに助かりましたね。まあ彼女にはそれが命取りでしたが〉
〈この三年間はヤツらにとっちゃ退屈だったんだろ?〉
〈魔王みたいな強いのが出てくればいいのにね〉
〈ふむ、大金のために命をかける。実にスリリングな事だよ。だがその緊張感こそ若者には必要なものさ。私も若い頃は――〉
〈いえ、ちょっと待ってよ。たしかこの女『魔王の聖書』とか言ってなかった?〉
〈あのレアアイテムかい。でも嬢ちゃんには無関係だぜ〉
〈魔王の聖書なんざ作り話だからな〉
何だ、そうでしたか。
そんなデタラメのために、私は今まで何度も狩られてきたんですね。
コウモリは続けました。
〈ガセネタを拾ってここへ来たんですね。幽子さんにはいい迷惑です〉
〈いえ、幽子ちゃんじゃないでしょ。『魔王の聖書』をドロップするとすれば、ですわ女を殺した、そこにさっきから突っ立っている……〉
コウモリがこちらを向いて、少し近付いてきました。
魔法使いは死んだようですね。
それでは次の相手は紫少女とコウモリですか。
どんな攻撃を仕掛けてくるかは分かりませんけど、今の私は生まれて初めての吸血行為が成功しているんです。
そう安々と狩られてあげるつもりはありませんよ。
あなたたちを二度と口の聞けないようにしてやる自信があります。
ところがコウモリはただ喋るだけでした。
〈んああ、嬢ちゃん嬢ちゃん。あの姉ちゃんは吸血鬼だ。間違いねぇ〉
〈まあそうですね。首を噛み付いていましたから〉
〈顔を見ろよ。すっげー美人じゃねぇか〉
〈腹が立つくらいスタイル抜群ね〉
〈女の嫉妬ですか?〉
〈うっさい!〉
〈白い肌に白い髪が美しいですが、人間でない事は確かですね〉
〈そりゃそうだ。エルフ耳だしよ〉
〈それにポカンと開いた口から牙がのぞいているわ。おっそろしい〉
〈ふむ。吸血鬼とは恐れ入るな。人間の生き血を求めて彷徨う姿は恐ろしくも美しい。私も若い頃は――〉
〈目ん玉もよう。猫みてぇに瞳孔が細長いじゃねぇか〉
〈猫といえば商人ですね。幽子さん。そろそろ商人の所へ行きましょうか〉
コウモリがそう言うと、幽子と呼ばれた紫色の少女が口を開きました。
「え? あ、はい」
私は、幽子はどこかへ行くものかと思いました。
ところが、彼女はへその下で両手を交差させてモジモジしています。
さらに彼女の顔が少し赤くなってしまいました。
何か大切な事があるような雰囲気です。
誰にも言えない何かがあるのかもしれません。
ああ、そうですか、そういう事ですか。
分かりました、ご案内いたします。
「排泄行為でしたら、ここから右に真っ直ぐに行った所にトイレがありますよ」
すると幽子は顔をさらに赤くしました。
「ちちちちち違うよ!!!」
「ご心配なく。いくら私でも排泄行為に及んでいる獲物を襲ったりはしませんから」
「だだだだだだだから、ちち違うってばばばば!!!」
私の事を信用していないようですね。
まあ無理のない事です。
人間にとって吸血鬼は捕食者ですから。
「でも信じてほしいのです。トイレから出てくるまでは絶対攻撃しませんから。あ、そうそう忘れていました。トイレの近くに小川が流れています。そこで手を洗ってください。もちろんその最中も襲いませんから」
「あ、あ、あわわ」
呂律が回らないですね。
おそらく襲われた時の事を想像しているのでしょう。
ええ分かりますよ、その屈辱を。
「私は実際にあったんですよ。トイレを利用している時に襲われた事が。何度も何度も――」
私は幽子に背中を向けました。
彼女の顔を見ていると、忌々しい過去を上手く話せませんから。
「殺された事よりも、見られたくない物を見られてしまった事の方が、よっぽど辛かったです」
言い終えるとひとつため息をしました。
黒歴史を誰かに話すのは初めてです。
ですが気持ちが楽になりました。
いつか私のトイレを見た人間たちを殺したいものですね。
私は向き直り、赤い顔で固まっている幽子に言いました。
「私の秘密を知った以上、あなたを生きて帰すつもりはありません。ですから早くトイレに行ってください」
するとコウモリが笑いました。
〈ギャーハッハッハッ! こりゃいい! 中々てぇした姉ちゃんだぜ! ギャーハッハッハ!〉
〈ぷぷぷ。なに下ネタ使ってるのよバカ!〉
〈ふむ。絶世の美女がトイレというミスマッチの単語を使うとは恐れ入る。私も若い頃は――〉
〈ふう、全く。せっかくの美人が台無しですね。く、くふふふふふふぶ!〉
叫び声を上げながらコウモリは私の周りを飛び回っています。
しまった、攻撃ですね。
幽子のトイレは、私を油断させるためのお芝居でしたか。
さらにコウモリに気を取られていると、いつの間にか幽子が目の前まで近付いていました。
ダメです、避けれません。
吸血行為が成功して気が緩んでいたのが敗因ですね。
私は死を覚悟して目と口を閉じました。
しかし、痛みは全くありませんでした。
代わりに手を握られました。
そのまま振り回して、私を地面に叩き付けるつもりでしょうか?
しかし、そのような事をする感じはしませんでした。
私は恐る恐る目を開けました。
そこには幽子のぎこちない笑顔がありました。
「あ、あ、あのぉ。た、助けてくれて、ほ、本当に、あ、ありがとう」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうな表情になって喋らなくなりました。
それからしばらくして彼女はまた口を開きました。
「あ、あたし、や、焼田幽子って、な、名前なの」
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