春夏秋冬
隣国の占領地の警戒任務。そう聞かされてチームごと派遣されたのは世間でニュースにすらなっているほどの激戦地であった。
自身を守る為の弾薬すら早々に尽き、元敵兵の遺留品と正規兵からのおこぼれで何とか生き延びる日々。そして気が付けば水すら満足に手に入らない状況が続き、俺は心底疲労困憊していた。
非日常が日常となったある日の深夜。仲間と交代で前線にて警戒に当たっていた時だった。
「……ッ!!」
明らかな敵兵の気配を感じ、自身の直感を信じてノールックで背後に向けて撃ち抜く。一瞬の油断が命取りの世界だ。
しかしそこに敵はおらず、その事実を受け入れがたかった俺はしばらくそこで放心していた。
傍目から見れば一発で自軍殺害の不名誉だ。
「おい、大丈夫か!?」
「衛生兵を呼べ!」
すぐさま仲間が俺を取り囲み何やら叫んでいたが、耳には何も入ってこない。
極限状態が続いたが故の錯乱。過去の事例からいとも容易くその診断が下り、俺はいつ爆撃されるかもしれない前線駐屯地にて療養となった。傭兵には危険な場での宿泊が基本だ。
果たして、こんな人生に生きる意味はあるのだろうか。
幸か不幸か自害用の弾丸は用意されていない。それはそのまま、祖国にそれほどの余裕が無いという証左とも言えた。
確かに、そのような弾丸があるのならば最前線で敵に向かって使用するべきだ。
このまま苦しい思いをするくらいならばいっそのこと……。
俺は天に向かって深く溜息をつき、そのままいつしか眠りに就いた。
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目の前に広がっていたのは、見たことが無いほんのりと淡い赤の花が咲く木が生い茂る草地だった。
なんだこれはと辺りを見回す俺に、誰かが声をかけてくる。
「はい、どうぞ」
ふと横を見ると栗色の髪の長い少女が俺に何かを差し出してくる。
何も答えずに受け取ったそれは、三角形の白い塊だった。
「美味しいですよ。食べてみてください」
ニコリと笑う彼女の言葉に誘導されるように手にしたそれを口にする。白い粒の塊。初めて見る物だったが、空腹には耐えられなかった。
なんだこれは? 最初は仄かな酸味が広がったかと思ったが、酸味とは違う。はぐと噛んだ瞬間に甘みと絶妙にマッチし、落ち着いて食おうとしていたはずがバクバクと食らいついてしまった。湿り気がある粒は指に引っ付くが、それすら舐め取ってしまう程。
「焦らなくても、まだまだ沢山ありますよ」
「これは、何という食べ物なんだ?」
「おにぎりです。私はおむすびって言う方が好きなんですけど」
「オニギ……いや、オムスビか。ありがとう。とても美味しい」
「喜んで頂けて嬉しいです」
喜びを爆発させているかのような笑顔を向けられて、女っ気の無い俺は思わず赤面してしまう。
しかし、夢とは不思議なものだ。今まで見たことが無い景色すら出てくるとは。
「はい、次もどうぞ」
差し出されるオムスビを、俺はまたもや一瞬で食べ終わったのだった。
「良い景色ですねぇ」
「まったくだ。現実に帰りたくなくなるね」
「え?」
そういうと彼女はキョトンとした表情を浮かべる。この花のように可憐だと思った。出来ることなら他の表情も見てみたいと願いながら。
「何がおかしい?」
「何がって……。ここが現実ですよ?」
「何を言って……?」
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意識を取り戻すと、駐屯地の療養所であった。やはり夢であったと確信し、少しの安堵と大きな絶望を謳歌した。
あの夢に出てきた場所は、あの少女は、オムスビとはなんだったのだろうか。
ふと右手に違和感を覚え見てみると、乾いて泥も付いていたがそこには確かにオムスビの粒とあの時に見た花の花弁が残っていた。
「あの花の名前……。聞きそびれてしまったな」
誰も居ない部屋で一人呟く。夢を見る前とは違い頭が冴え切っており、自然な動作で療養服から戦闘服へと着替えている途中で見回りの人間に見つかり、仰天される。
「何を。まだ療養が必要ですよ」
「疲れ過ぎていたようだ。充分休息は取った」
「いやせめて、明日の朝まではお待ち下さい」
オムスビを食ったからか、身体は回復している気にすらなる。
だが、ここは一旦見回りの言うことを大人しく聞いた。夜間中の作戦に自分は加わっていない。邪魔になるくらいならと再度着替え、寝心地が良いとは言えない布団の上に仰向けになった。
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驚異的な回復と最前線のエースの復帰は即座に歓迎され、翌日から早速最前線で戦闘に従事した。
不思議なことに一昨日までに積み重なっていた疲れがすっかりと取れている。元来持っていた射撃精度と周囲の状況把握を同時に行える身体に自分自身が最も驚いていた。昨日食ったオムスビとやら。危ないものは入ってなかろうな……?
未だ終わらぬ戦闘は続く。死に物狂いになりながら今日生きる為の最善策を打ち続ける。しかし元より食糧は限界ギリギリ、明日を生きる為の水にすら仲間に分けながら、ある瞬間に思わず零す。
「オムスビ、食いたいな」
「なんだそりゃ? 聞いたこと無い食い物だな」
「また幻覚見ちゃったとか勘弁してくださいよリーダー!」
囃し立てる程度にはまだ余裕もあるらしい。
「ああ、ここじゃ食えない幻のような飯だったよ」
枯れ尽きる寸前で、極上と言える味わいを思い起こしながら、俺はゆっくりと倒れた。
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「あら、お久しぶりですね」
「……ッ! ここは……?」
夢にまで見た彼女との再会。
これまた祖国で見たことが無い一面真っ青な水。そして久しく見ていなかった青空。それに隣にいる彼女は肌を露出した下着姿。
「何という格好をしている!」
「え……? 水着、ですけど……」
「なんだそれは? とにかくこれを着なさい。」
俺は羽織っていた戦闘服のアウターを着せる。やや戸惑いながらも彼女はそれを受け入れる。
「海……。お嫌いですか?」
「海、か……。存在していたのだな」
かつて大海原と呼ばれる水の集合体の上で活躍する冒険家の話を幼い頃に聞かされただけだ。絵本に描かれた海とやらが本当にあったとは。
「ふふ……。なんか今日、持ってきていた方が良いと思ったんですよ」
そう言うと彼女は俺の大好物となったオムスビを差し出してくる。礼も言わずにそれを受け取ると、即かぶりつく。
「お目目がキラキラしてますね。作ってきて良かった」
「美味い……。美味いよ」
数ヶ月ぶりに食うオムスビは感極まる程だった。仲間にも食わせてやりたい。確かにこれはヤクを疑われても仕方なかった。
「落ち着いてからで良いので、しっかりとお鼻で呼吸してみてください」
俺は一つのオムスビを食い終わると同時にその指示に従う。
「……! オムスビの匂いが!」
「潮の香りです。おむすびにも、海のお塩が入ってるんですよ」
「なんと! 海の食べ物だったのか」
「ちょぉっと違うんですどねぇ。まぁそういうことでも良いです」
「それはそうと、こないだ聞きそびれた花の名前を教えてもらおうか」
そう言うとしばし考える素振りを見せ――
「あ、初めてお会いした時ですか? あれは桜と言います」
「サクラ」
オムスビ、海、サクラ。覚えた。
「こんなお高そうな服、お返しします」
彼女から戦闘服を返される。またしても肌が露わになり、俺は顔を背ける。もっと見ていたいはずの心に蓋をする。
「すまない」
「いえ。……これあげます」
もう一度彼女を見ると、何かの容器をこちらに差し出してきた。
「良いのか?」
「次いつ会えるか……分かりませんから」
前と同じ笑顔のはずが、どこか悲しげに見えたのは俺の錯覚だろう。
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起き上がると取り囲んでいた仲間が驚愕する。
「死んだかと思ったぞ!」
「リーダー! ……良かったぁ……」
「お前ら! これだ! これを食え!!」
夢醒めやらぬ内に手に持った感触を皆の前で掲げる。煤けているが、これは確かに彼女がくれた容器だった。中身が何かは、彼女に問うまでも無かった。
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「そこからは急進撃だ。我々の勝利が最も近付いたのだ。……ところでこれは、サクラとは違うようだが?」
俺は久方振りの勝利の美酒に酔い、昏倒した後またしても彼女に会いにやって来た。
今までと異なり、座れる場所に来た俺は目の前の花なのかか葉なのか分からない植物と彼女を見て、今までの功績を鼻高く語っていた。
「これは紅葉ですね。今日はおむすびだけじゃなくて、こちらも召し上がれ」
いつものようにゆったりとした喋り口は俺をいつでも安堵させてくれる。彼女が差し出してきたのはオムスビと見慣れた芋であった。
「これは! 俺もよく食べたものだ。火に炙ると美味いのだ」
「初めて食で共通点が出来ましたね! 私嬉しいです」
「ああ、これは特に寒くなってくる頃が一番美味く……」
一口食って、俺はそのまま止まった。
「あれ……。美味しく無かったですか?」
「逆だ。……なんだこの甘みは?」
同じ芋を見ていたはずの俺はその味に驚愕していた。赤子の頃に飲んだ乳を思い起こすかのような甘みであった。
「普通のおいもですけどねぇ。枯れ葉に火をくべて、そこに入れるだけで味が変わるんでしょうか?」
「面白い。色々とあるのだな、この国には」
「私は貴方の国と貴方をもっと知りたいですけどね……」
突如大きく風が吹き、彼女は俺に掴まってくる。
きっと、冬も逢えますように……。
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傭兵が戦死したところで、正規兵は勿論国からもまともな処置は与えられない。
所詮は金で雇われただけの存在。数字の一つとして数えられるだけだ。
だが名前も知られぬ彼だけは、ただの有能な戦闘員であっただけではなく、祖国に新しい種子、絵本の中の実在、そしてそれまで捨てられていたはずの芋の調理法まで後世まで伝えた。
「冬は、嫌いだったんですかね。寒くてとても辛い日々ですけど、それでもたまぁに良い日もあるんですよ」
「小春日和っていうんですけど。次の季節を知らせてくれるような暖かい日が訪れることがあるんです」
「春はまた、桜の木の下で、おむすび用意しておきますね」
「きっと、また逢えますように……」