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益母の呪神  作者: 棺之夜幟
第一章
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廃屋

 死体を抱えて歩く俺を、七竈は敷地の隅へと向かわせた。話によると、そこには昔、使用人が使っていたという小さな入り口があり、鉄格子で閉じられてはいるものの、赤く錆び付いているので易々と壊せるだろうということだった。事実、俺達が辿り着いた頃には、その使用人入口の扉は既に草木の上に倒れて、壁にはポッカリと四角い穴が開いているのみになっていた。


「おかしい」


 七竈はポツとそう言った。


「開いてるんだから良いじゃないか」

「その点については同意だ。が、いくら腐食しているとはいえ鉄格子の扉が風で倒れるとは思えない」

「猪が突進した?」

「鉄の扉に何で猪が向かってくるんだよ。庭の果実を食べに来て扉を壊したなら、周りに土を掘った跡があるはずだ。けど、それもない」


 しゃがみ込んでしまった七竈は、その小さく白い背中を俺に向けて、地面を探っていた。長い髪の隙間から見える七竈の(うなじ)は、太陽光を乱反射させて、眩しかった。


「わからない。雨でも降ってれば足跡がついていたかもしれないのに」


 そんな回答だけを呟いて、七竈は塀の向こうに体を通した。俺は彼女の手に示されるまま、男の体を穴に通した。地面の上で死んだ皮膚が削れる。体の一部が赤紫色に変色していた。


「死体、足が赤くなってる」

「死斑だ。血液が重みで下に溜まるんだ」


 不思議そうな顔をする俺に、七竈は何でも答えてくれた。彼女は死体を抱える俺に歩調を合わせながら、少しだけ前を歩いていた。

 聞く話だけをまとめれば、七竈は俺と同じ歳だとは思えない程に大人びていた。所々で幼い子供のようには見えるものの、その教養は、閉鎖的な村の更に外れ、厳重な屋敷で育ったとは思えない程度には、幅広く、また深く見えた。ただ、経験というものは殆ど無く、時々、目の前を通る蝶や葉に驚く姿は、何処か可愛らしかった。


「七竈は屋敷の外に出るの、初めてなのか」


 道中の沢を渡り切った時、俺は七竈にそう尋ねた。すると、彼女は小さく頷いて、素足を土で汚しながら、ワンピースの裾を翻した。


「窓からは塀と山の風景しか見えなかったし、定期的に父さんが庭に出すくらいしか、外に出たことはない。でも、屋敷には外から色んな人間が来ていた」


 ふと、抱えている男を七竈は指差した。その目はジッと湿り気を含んで、一種の哀れみにも近い視線を垂れ流していた。


「それは庭の手入れに来ていた男だ。うちで家事を務めていた『お姉ちゃん』の夫らしい。でも時々……お姉ちゃんが休みで、父さんが街に出ている時、母さんとベッドに入っていた。今日も、そういう日だった」


 淡々と言葉を繋ぐ七竈は、すぐに前に目線を戻して、歩行を再開した。なだらかな斜面の小さな石が彼女の足に刺さらないかが不安だった。一度、俺の靴を貸してやろうかと言ったが、「ゴワゴワする」と言って放り投げられてしまった。どうやら七竈は靴を履いたことも無かったようだった。


「見えたぞ」


 七竈の声で、ずっと彼女の足元を見ていた目線を前に向ける。鬱蒼としていた木々に、隙間が見えた。そこから光が漏れて、七竈を斑らに照らしていた。

 彼女の言う「廃屋」は、恐らくはかつて金持ちが建てたのであろう別荘のようだった。窓や壁、建物の形の隅々に至るまで、全てが一昔前に流行ったであろうそれであった。当時の七竈が住んでいた屋敷も古いものではあったが、アレがアンティークと呼べるデザインであるのに比べて、こちらは流行遅れとしか言えなかった。そんな捨てられた廃屋の一階には、何故だか外から見える硝子張りの浴室などもあって、中の様子が伺えた。不法投棄された粗大ゴミなどが無いのに、違和感があった。普通、こういった廃墟には落書きなどが至る所に飾られているものだ。山の向こうにある高級別荘地だって、管理が行き届かない建物であれば、更に向こうにある街の若者が、カラースプレーなんかを持って、肝試しに群がっている。だがここには、それらが一切無く、はっきり言えば異様としか言えなかった。「おかしい」と頭では理解していたが、七竈の言葉に逆らう気も起こらず、俺は黙って彼女の後を追った。


「よくうちの屋敷に来る女が、ここのことを話していた」


 廃屋の周囲を歩きながら、七竈は言った。キョロキョロと探しているのは、多分、件のマンホールだろう。ここに来ること自体は初めてなのだと、彼女は口溢した。


「それは……お姉ちゃん、さん? とは違う人?」

「違う。父さんは『家庭教師』と呼んでいたけれど、いつも『経典』の話とか、『神様』の話しかしていなかった。実際の勉強は父さんが教えてくれていた」


 少しだけムッとしたような、恨み辛みのようなものを語気に感じるのは、その「女」が彼女を「神」と呼んだ張本人なのかもしれない。そう思って、俺はそれ以上何も言わずに、口を閉じた。七竈はその後も、壁を撫でながら、周囲を見渡していた。


「あいつが言うには、悪い人間をこの家の中に閉じ込めて、改心したら出すんだそうだ。でも、天罰で死ぬ時もあるから、その時はマンホールの中に捨てるんだと。地下は死者の国があるから、らしい」


 そうやって、七竈は鼻で笑った。その嘲笑からして、やはり彼女は神だとか信仰だとか言うものに、嫌悪感がある様子だった。


「要はどっかのカルトが使ってる人間の監禁場所なんだよ、ここは」

「そんな危ない場所に来て大丈夫なのか? それって、つまり、ここには人殺しが来ることもあるってことだろ?」


 人殺し。その単語を口にした時点で、俺は感覚が麻痺していることを理解した。廃屋の庭、草木の茂る中で、彼女は力が抜けたように肩を下げて、再び鼻を鳴らした。


「なら、今お前の目の前にいるのは、何だと言うんだ?」


 同じだろうよ。威圧的に言う彼女の口元は、嘲笑を称えていた。その嘲笑の的は、俺と、もう一人、七竈自身のように見えた。

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