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益母の呪神  作者: 棺之夜幟
三章
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神様

 七竈を追いかけようとした俺を、美也子が止めた。「裸足じゃ危ないから」と言う彼女に、俺は引き下がった。七竈が廃屋の中でトメと何かコントのようなものを繰り広げているのが聞こえた。それを聞きつけた美也子は、桃家と俺に目を配って、ここで待つようにと笑うと、小走りで玄関へと向かった。

 涙を生成する水分すら無くなった桃家は、地面に体育座りしたまま、鼻を鳴らしていた。その姿が煩わしくも思えた。だが、巻き込まれたという一点においては、何処か親近感があった。彼女の隣に身を寄せて、腰を下ろす。大人であっても、泣くことはあるのだなと、妙に感心してしまった。


「泣いたって意味ないのに」


 ふと、隣から七竈の声がした。どうやら彼は廃屋の中から戻ってきたらしい。


「そもそも何で泣いてるんだろ」

「……辛いから、じゃないの」

「辛いのはここにいる全員同じじゃない? というかさあ、今まで散々ぬくぬく普通の家で育って、かわいそうな子供を救いたくてここまで来たくせに、今更ってもんだよ」


 違和感が、あった。その声は確かに七竈のものだ。否、少しだけ大人らしさは含まれていた。あの七竈が二、三年成長したら、こうなるのではないかと、想像がつく様な、そんな声。声帯の違いもそうだが、何よりその態度が全く持って異なっていた。言葉選びも跳ね上がる音も彼とは別人だった。

 急いでその声の方に顔を向けた。だが、そこには誰もいなかった。確かに声は、俺の耳元に聞こえたのだ。同じ目線で座っていなければ、そんなふうには囁けない筈だ。


「あぁ、違う違う。こっちだ、こっち」


 軽快な七竈の声が、頭上から降り注ぐ。自分を覆う影があることに気づいて、俺はそっと顔を正面に向けた。

 ――――初めに見えたのは、生白い足と、それを透かす白い布。白いハイヒールのサンダルが目立っていた。赤い()()()()()()()は、抜きたての動脈血を彷彿とさせた。


「足フェチか? 良い趣味してるじゃないか、君」


 何を言っているのか、当時の俺にはわからなかったが、揶揄われていることだけは分かったので、急いで目線を上げた。白いワンピースを揺らしながら、『それ』は微笑んでいた。


「七竈……?」


 俺の問いは、その顔面に対するものだった。鋭いが男を誘うような目元、ほっそりとしているが丸みの帯びた柔らかそうな頬、唇は自然と色付いて、その姿の全てをまとめて表すなら、儚い桜のようだった。黒い絹のような長い髪は切り揃えられ、夏風に揺れる。その隙間から見えた黒真珠のような瞳は、七竈と異なって、玩具を見つけた少女の如く喜びを湛えていた。雨も降っていないのに広げていた傘を放り投げる。白い傘が反射する光に目を潰されているうちに、女の作られたような顔が目の前に浮いていた。


「違うよ」


 細い指を俺の唇に置いて、彼女は答えた。呆気にとられて、自然と口が開いた。その中に、『それ』の指が入った。その指を人差し指と呼ぶのか、中指と呼ぶのかはわからなかった。七竈と同じ顔をした女は、()()()()を一つ一つ丁寧に、俺の口内に入れていく。動けなかった。赤い爪が飴玉のように甘かったようにも思う。


「春馬から聞いてない?」


 彼女の問いに、俺は答えることが出来なかった。およその当たりはついていたものの、彼女が俺の舌を摘まんで放さなかったからだ。後から解放された舌を巻き戻して、夏空に咳きこんだ。


「――……神様?」


 開いた口の隙間から漏れ出たそれを拾うように、女はパッと口を開いた。


「そう呼ぶ人も、いるね?」


 若干不服そうに見えたのは、気のせいではないだろう。肩眉だけを顰めて、彼女は俺を笑っていた。山の中では浮くような、白く汚れ一つないその身を翻して、女――神様は俺にその生命感を見せつける。


「私を神様と呼ぶなら、この足を動かす肉と骨は何なんだろうね?」

「神様だって飯を食うんだから、筋肉だとか骨だとか、あるもんじゃないのか」

「まあ、それもそうだね」


 くるくると落ち着きのない彼女は、そうやって遊ぶようにして、俺の前で笑い続けていた。感情の機微が理解出来なかった。こちらに興味があるのか、それとも俺が返している言葉に適当を抜かしているだけなのか、その行動の意味を飲みこむことは出来なかった。


「なら神様って何なんだろうね?」


 自分を指し示して、神様は言う。俺の答えを聞くよりも早く、再び彼女は大きく口を開いた。


「私を神様だと言う()()()は、神様(わたし)にいつも『お願い』をしていたよ」


 願いを叶える者。そういえば、昨晩の春馬はそんなことを言っていた。七竈と同じ顔をした神様に願いをかなえてもらったのだと。もしあれが本当のことだったとするなら、これが幻覚ではないと言うのなら、この女は確かに神様なのだろう。そして、春馬に対してそうしたように、誰かの願いを叶えることが出来るのだ。


「願いを叶えて欲しかったから、『みんな』は私を神様にしたよ。神も仏も、もうこの世にいないのにね。こういうのを傲慢って呼ぶらしいよ。最近の人達は便利な言葉をよく作るよね」


 つらつらと並べる言葉には、いつぞや神と呼ばれることを嫌悪した七竈を彷彿とさせた。彼が成長したら、彼女のようになるのだろうかと考える程に、彼女はその深部に七竈と同じものを持っているように見えた。


「……神様になるの、嫌だった、のか?」


 俺がポロと零した問い。それを聞きつけた神様は、光の全てを吸収するような黒い瞳を、俺にはっきりと向けた。

 彼女は、俺を見ている。俺を見ているのに、その瞳には俺が写っていない。普通、人間の瞳は、鏡のように像を反射させるものだ。眼球の、角膜の外は、涙液で満たされているのだから。だというのに、彼女の、神様の瞳は、吸い込まれるように暗かった。その瞳の奥が死の国に繋がっているのではないかと錯覚する程に、それはこの世のものではないことを象徴していた。


「嫌だったのかなあ。凄く楽しかったのは覚えているけど、凄く昔のことだもの。忘れちゃったよ」


 ケラと軽く笑う神様は、そう言って俺の顔を撫で回した。何処か機嫌の良い彼女は、六本の指で俺の耳を包むと、優しく口角を結んだ。その一瞬の表情に、人間に似た悲壮感が薄っすらと見えたのは、俺の気のせいだったのかもしれない。ただ、それは俺の、蝶の翅のように軽い同情心を擽った。


「……神様が誰かの願いを叶えるのなら、神様の願いは誰が叶えてくれるんだ?」


 俺がそう問うと、神様は目を見開く。驚いた様子の彼女に、俺は畳みかけるように舌を回した。


「神様は誰かにお願いをしたことはあるのか?」


 ――――七竈も、いつか、貴女のように、そんな悲しそうな顔をするようになってしまうのか?

 そうやって、問いただすより前に、神様は俺の頭を両手で固定した。冷たい息が分かる程に、その顔面が近付く。そうして、心底嬉しそうに、彼女は笑った。


「なら君が神様になってみるかい?」


 神様はそう言って、その顔を触れるほど近くに寄せた。その瞬間、唇の全てを、柔らかなものが包む。生きた薄い肉の感触は、冷たくて、夏の茹った脳を冷やした。そんな俺の意識は、冷静で尚且つ沸騰するように熱かった。記憶と思考が巡って、言語化を否定する。ただハッキリと()()()()()のは――――この神様という存在が、俺に『欠片』を与えたということ。


「……幽冥、くん?」


 ふと、誰かに肩を叩かれる。俺は神様を突き飛ばして、急いで後ろを振り返った。そこでは、桃家が震えながら俺を見つめていた。


「君、さっきから誰と話してるの?」


 強張った頬を赤くして、彼女は涙の痕跡を擦る。桃家の問いに答えようと神様の方を指差した時、そこには白い傘だけが落ちていた。

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