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益母の呪神  作者: 棺之夜幟
三章
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視線

 図書室を出て、トメの後ろを歩く。廊下に出た途端、七竈が俺の手を握った。その意味を理解しかねつつも、俺はその手を握り返した。冷房の無い廊下には、噎せ返るような夏の熱気が充満していた。その張りつくような空気感が、湿度によるものではないと理解したのは、廊下が無人ではないことに気付いた時だった。いくつかある扉の向こう、隙間に眼球がぴっとりと張り付いていた。それらは全て見知らぬ大人ばかりだった。服装がトメと似たものなのは、彼等が澤に連なる人間であることを表していた。


「図書室で本を探してただけだよ」


 ふと、トメはそう言って、いつの間にか持ち出していた書籍を数冊、廊下の中心ではためかせた。同時に、ガラガラと音を立てて、一つの扉が開く。トメが刺す目線の先、出てきたのは、一人の青年だった。彼は虚ろな目を俺達に配って、小さく息を吐いた。


「あんまり、紛らわしいことはしないでくださいね、トメさん」


 青年はそう言って、踵を向けた。どうやら彼は、俺達が図書室から出てこないのを訝しんで、ずっと監視していたらしい。その目線が外れると、七竈はすぐに俺の手を振り解いた。


「……早く帰りたい」


 ボソリと、七竈が俺の隣でそう溢した。彼に向けた視線を見れば、そんな感想が出るのは当たり前だろう。青年の監視もそうだが、先程からずっと隙間にいる男達の視線にも、刺さるような感触がある。狙われているわけでもない俺がそれで疲弊するのだから、七竈にとっては、疲労などと言う言葉では言い表せないようなことだろう。俺は振り解かれた手で、七竈の背を摩った。拒まれることはなかった。


「早いとこ、車の鍵を手に入れないとね」


 トメはそう言って、青年が消えた方向とは逆に足を伸ばした。よくもまあ、こんな監視だらけの中でそうやって声を上げられると、一瞬身震いする。今の話を澤に報告されるのではないかと、心臓が跳ね上がる。けれど、俺達を見つめる視線達はずっと動かないままだった。


 ――――なんだか、おかしい。トメも七竈も、この監視に気付いてないのか?


 確実に、俺達は誰かに見られている。だと言うのに、あれだけ警戒心と策謀に塗れた二人が、とんとそれらを気にする様子はない。愚鈍な俺が気づくのだから、二人がわかっていない筈がないのだ。

 自然と、足が止まる。不安感が指先を震わせた。口元に指先が向かう。ヤスリで整えられた爪を、俺は前歯で噛んでいた。


「幽冥君。どうした。具合でも悪いか」


 数歩先で、トメが振り返る。同時に、七竈がその鋭い目線を俺に刺していた。やはり二人は気付いていない。視線が増え続けていることにすら、彼らは理解が及んでいない。


「め、目、メメめ、目が」


 唇が震える。言葉にならない単語を、俺は吐き出すようにして唱えた。立っているのがやっとだった。何とかして、腕を上げて、その目線の一つを指差す。トメと同じだけの高さでギョロと動く眼球。扉の全ての隙間から、それらは見ていた。


「目?」


 俺が指差した扉を、躊躇無く開ける。隙間に手を入れて、ガラリと音を立てる。

 だが、そこには、暗いだけの何も無い空間が広がっているだけだった。家具の一つも無ければ、人間が誰か隠れるようなところもない。ただ白いだけの空間が、ポッカリとこちらに口を開けていた。


「予備の部屋だ。誰もいないよ」


 俺が混乱しているのを察してか、トメはそう言って、俺の頭を撫でた。七竈と共に、何度か部屋の中を確認した後、上を見上げる。ふと、全ての視線が消えていることに気づいた。脂汗は止まったが、代わりに冷や汗が止まらなかった。四肢の震えは頭の熱と共に消えて無くなっていく。


「疲れているのかな。悪いね。少し我慢してくれるか」


 眼球を震わす俺に、トメはそう声をかける。七竈は無言ながらも、僅かに眉間に皺を寄せていて、どうにも俺を煩わしく思っているようだった。「ごめん」と俺が呟くと、彼は何も言わずに顔を背けた。


「誰が何処で作業してるかは大体把握してるから。すぐに見つけられるよ」


 だから我慢してくれ。と、トメは言葉を漏らしつつ、俺を見た。歩き出す俺に、彼は鼻で溜息を吐く。自分がこの二人の足手まといになっているのは、理解していた。意味のわからない幻覚に翻弄されて足を止めるような俺を、よくも置いて行かないなと感心すら出来た。

 足並みを揃えつつ、廊下を歩き、階段を登る。向かう先はトメ以外わからなかったが、誰を探しているのかは、何となく俺も気付き始めていた。ふと、一つの押戸に目を向ける。扉には「ランドリー」と書かれていて、その向こう側からはゴウンゴウンという聞いたこともないような機械音が垂れ流される。それが洗濯機の音だというのを知ったのは、だいぶ後の話だった。


「おはよう」


 扉を押しながら、トメはそう声を張った。漏れ出た洗剤の匂いが鼻に付く。廊下よりも蒸した空気が顔面を暖めた。

 開いた視界の先で、洗濯機と乾燥機に囲まれた女を見る。彼女は腕で汗を拭うと、パッと口を開いて笑った。


「おはようございます! トメ君! あ、二人も!」


 大量の衣類と包帯を丁寧にまとめ上げていたのは、桃家だった。彼女は小柄なその体躯で、一人、汗だくになって洗濯機を回していた。血で汚れた白い布は、恐らくは昨日の俺達のものだ。それらをタライの中で扱く。俺達に目を向けながらも、彼女が手を止めることはなかった。


「ちょっと待ってね、これだけ終わらせるから」


 大量に積まれた布を見上げる。桃家以外の人間がいるようには見えなかった。童話の灰被り姫を思い起こしたのは、昨日は気づかなかった彼女の赤く切れた手を見たからだった。

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