戌角蓮
僕は戌角蓮。
法律で定める最少年齢で高校教師になった。単純に最短でやりたいことをやり始めただけなんだけどね。だけどまわりの友人は高校教師なんていうと忙しいばかりで低収入、公的なブラック企業なんて好き勝手いっている。まぁ他人の評価のは他人の評価だ。覆そうと思っても覆せないし、実際教師というものはそういうところだ、仕方ない。なぜそんな教師を目指したかといえば、話しが長くなるがおつき合いいただきたい。
僕は学生の頃、少し考えた。このまま親のスネを齧りながら楽しい学生生活を満喫するばかりでいけない。いつか仕事をして自活し自らの人生を切り拓いていかねば、と。我ながら高い志だ。(みんな自然にそうなっていくものかもしれないが、そのときの僕は僕自身の決意に暢気に惚れ々々していた)それで試しに色々なバイトをして自分はなにが向いているのか確かめた。だが工場にいけばベルトコンベアに回ってくるものを機械的に処理するだけで飽き々々してくる。工事現場は危険で重労働、高いところはまっぴらごめんだ。コンビニのバイトは煩雑なばかりで面白くない。飲食業のバイトは嘘くさい笑顔を浮かべながら面倒臭い接客。先輩が事業を起こし社長になるといったので、そのお手伝いであっちへいったり、こっちへいったり、御社は弊社はと交互にいいながらぺこぺこ頭を下げる……正直、僕に合いそうな仕事なんて社会に存在しないんじゃないかって思えてきた。これはもう山に籠って一人暮らしするか、風俗女のヒモになって生きていくかの二者択一を社会から否応なく突きつけられた気すらした。そのとき目に飛び込んできたのが教育実習生だ。様々なバイトをやって長続きしなかったが、とりあえずやってみるという行動力と何事にも失敗はつきものだという覚悟はついていたと思う。その行動力と覚悟に従い、やってみたらこれが楽しかった。生徒には舐められなければ尊敬されるし、頭の使った立ち回りが要求され、放課後は生徒と一緒に部活動で汗を流す。そして、もうひとつ。このもうひとつはあとで説明しよう……とにかく、他の人にはそれが大変なんだろうが、僕には天職だと思えた。思ったら即行動だ。時は金なり、光陰矢の如し。あっという間に高校教師になったんだ。
期待と興奮、緊張のなか朝の会議でまずは一年の副担任として担任の橘 立花先生の下で働くことになった。ようは新採なのだから早く仕事を覚えるべく、橘先生に色々聞きなさい、ということなのだろう。いきなり担任をさせないあたり、やっぱり高校生という子供から大人へと変わる難しい時期にいきなり新人が担当するのは難しいのだろう。なんとなく僕ならできそうだと思った。向こう見ずで傲慢かもしれないが、そう思わせてくれたのが橘先生だったりする。
新人の僕が来るということで学校が歓迎会を開いてくれたときに先生たちを紹介してくれた。橘先生は僕より二歳上の二十五歳、おっとりとした感じでひなたぼっこをしているような雰囲気に包まれていて、話していて和むが、一方で生徒に舐められそうでもある。まだ学校が始まったばかりで仕事ぶりはわからないが。僕がそういう目で橘先生をみていただろう。隣に座っていた教頭が察したのか「橘先生はやるときはやる先生ですから」と笑ってつぶやいた。
とにかく橘先生は先輩の先生方にいわれることをよく聞いて動いていた。断れない性格なのかもしれない。嫌な役どころも頼まれればやってしまいそうで、新人で副担の僕がいうのはおこがましいような気もするが、なんだか守ってやりたい、と思う。そんなことを思いながら担任のクラスのへ向かう廊下でのことだった。
橘先生が持っていたプリントの束が気になり「僕が持ちますよ」といった。けれど橘先生は「いえいえ……新採されたばかりの戌角先生に悪いです」と断り、それを僕が「いやいや……」と半ば強引に受け取ろうとしてプリントを廊下に落としてしまった。好意が逆に仇となった形だ。しかし、橘先生は落ちたプリントを拾いながら「ごめんなさい」と一言いったきりで悪態をついたり、嫌味っぽくいったりしなかった。本当に申し訳なさそうにいうのだ。僕は、ああ、こういういい人って利用されやすいんだよなぁと思いながらも、そのいい人っぷりに惚れ込んだのかもしれない。プリントを一緒に拾いながら「すみません。こんなときにこういうこというのも、なんですが……歓迎会のときから気になっていたんですが」と拾ったプリントを渡し橘先生の戸惑う瞳をみていたら口から言葉がでていた。
「つき合ってもらえませんか」
いきなり何いってんだろう、僕は。そう思った。
和やかで受身な性格、嫌な感情を表に出さず、胸が大きく、おしりのラインも綺麗だ。そしてプリントを拾うときに屈んだときに服の上からわかった夏はまだ遠いと油断してついたであろうお腹周りのお肉。女性という性、そのものの存在の橘先生のことが気になり思わず言葉にでていた。もしかしたら、自分を知るためにバイトをしまくっていたときに身につけた行動力と覚悟がここで出てきたのかもしれない。そう考えたら、むしろ「さわらせてください。できたら揉ませてください」といわなかった僕自身にほっとするくらいだ。
「あっ、あの……今は、授業が」顔がみるみる赤くなり挙動が怪しくなっていた。いった本人よりいわれた人が緊張するなんてな。案の定、新学期の始まりは顔を真っ赤にした橘先生のしどろもどろの挨拶で始まった。
こういう、人に使われたり、仕事を押しつけられやすい人って幸薄そうな顔をしてるというか、マイナスなオーラをまとっている感じがするものだが、そういう雰囲気がまるでない。僕の空気を読まない告白に緊張したり、ほのぼのと照れたり……反射的に軽い気持ちで告白してみたが、案外、僕が本気になるかもしれないな。
そんなこんなで学校の授業が終わる。
事前に授業の練習を家でやっておいて助かった。休み時間の間では次の授業の用意だけでなにをどう教えるのか考える時間もない。家に仕事を持ち込むのが当たり前なんてやっぱブラックなんだなぁと暢気に思っていた。そうそう、新人は必ず部活動の顧問をやらされるのだが、僕はサッカー部の顧問に配属された。まぁこの辺は好きだから大丈夫だろう。そんなに勝ち進んでいる学校でもないし、エンジョイなら大得意だ。前任者の引き継ぎのためのノートまであった。エンジョイとはいっても、これを叩き台にせめて県大会くらいはいきたい。まぁ忙しくも楽しいとはこのことかもしれない。
とりあえず初日なので基本練習をみっちりとやり、各個人の動きを把握しておいた。そして部活終了のチャイムで部活を終了させたときに一番動きのよかった生徒が僕のところに駆けてきた。
「戌角先生! できることなら基本練習などが終わったらポジションが決まってるレギュラーは別でパスワークや連携の練習を……」
どこにもこういう熱いヤツっている。
「七宮くんだったっけ?」
面倒臭いヤツだ。いや、県大会までいくには必要かな?
「あっ、はい!」
いい受け答えだ。
「僕が基本練習のメニューを組むから君がパスの連携を考えて指導するのはどうだろう?」
全部まるっとこいつに投げちゃえ。
「あっ、いや……まだ経験が」
「いや、これから試行錯誤していけばいい、練習前に僕になにをするのかいってもらえば僕も意見をいうから。みんなを引っ張っていってもらいたい……みんなもいいな!」
戸惑う七宮くんを部長にしてあとは僕は適当にサッカーして汗を流そう。まぁ、意見してくる積極性、練習中の動きをみていると部長には相応しいだろう。うん。
「そうだ。三本勝負しないか?」
とりあえず、七宮くんにサッカー部の仕事を投げたという印象を持たれないように一対一で勝負をした。もちろん僕の圧勝。七宮くんと部員たちは驚いていた。これで七宮くんと部員たちも僕の実力を認めざる得ないだろう。尊敬の眼差しが心地いい。単純に練習後でクタクタに疲れて動きが悪くなってる高校生なんて敵じゃないだけなんだけどね。
そんなこんなで初日は簡単に乗り切った。
汗をかいたからシャワーをしたいところだけどこの学校にそんな気の利いたものはない。仕方ないから濡らしたタオルで身体を拭いているときだった。ラインにメッセージが入る。
差出人はいつもの戌角さんからだ。万が一ラインを盗み見られても親か親族からだ、と僕が嘘をつきやすくするための偽名だろう。
『黒咲夜子と親しくなろう』
<組織>からの指令だ。
僕がバイトをしまくっていたときにいきなりLINEでこの戌角さんと名乗る人から指令がきた。たしかこんな文面だ。
『カフェの三番テーブルの荷物置きに置いてある紙袋を△駅のコインロッカー〇二三に入れる』
なんのことやらわけがわからない。返信しようか、無視しようかと思った。けど俺が座っていたのがその三番テーブルで荷物置きに茶色の紙袋があるのだ。なんだか面白そうだから△駅のコインロッカーに入れて置いた。ちょうど駅に用があったからだ。戌角さんに『やっといた』と返信したら『ありがとう。他言無用』と返信がきた。
それからそのことを忘れていたんだけど、月末に通帳を記入したら、ちょっとまとまった金額が振り込まれてて焦った。これはなにかの間違いじゃないか、と。そのときLINEにメッセージが送られてきた。『謝礼です。他言無用』と。
バイトを色々していると見聞が広がるし、知識も増える。そしていらない情報も当然入ってくる。都市伝説的な話も……。僕は思った。これが<組織>なんだと。
それから僕は<組織>の構成員として働いている。だから、高校教師が低収入でも全然構わない。高校教師はたくさんの人間を相手にする。生徒は多くいるし、生徒個人には当然親御さんもいらっしゃる。<組織>がなにかするのに高校教師は絶好の仕事だろう。僕にとってやりがいのある仕事と同時に<組織>の仕事もできる。つまり高収入も約束される。これが僕が高校教師になった最後の理由。
それにしても『黒咲夜子』という名に見覚えがあった。たしか新聞でみたような気がした……と、同時に色々思い出した。たしかクラスは違ったが同級生だったんじゃないだろうか。(いや、高校のときに一回くらい同じクラスにいたかもしれない)誘拐事件だかに巻き込まれて、行方不明になっていた。それが最近見つかったとか……<組織>はなにを考えているのかわからない。ただ<組織>に対して歯車のように忠実に仕事をすればお金がもらえる。そして、さらに<組織>がなにが欲しいのか先回りして動くと、それが本当に<組織>がやって欲しかったことならボーナスがつくのだ。(以前やったことがあって、驚くようなボーナスだった)だが<組織>の意に反したことをすると消されるらしい。あくまで噂だ。<組織>の本物の構成員には会ったことがないから確かめようもないからね。
<組織>は僕が黒咲夜子に親しくなるとどういったメリットがあるのか。しかも『親しくなろう』とは指令ですらないような文面だ。それと僕と同い年の彼女が高校に接点があるとは思えない。誤った指令だろうか……。
とにかく、今は汗を拭き、荷物を整え、教員室で橘先生が文芸部から帰って来るのを待とう。告白しといて連絡先も交換しないなんて間抜けすぎる。ああ、それにしてもこの窓からみえる校舎を染める夕日がなんと綺麗なことか……雰囲気づくりはばっちりだな。