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△▽の怪異  作者: Mr.Y
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黒穢

 座っていれば楽だったのがしだいに呼吸が苦しくなり、僕は樹の根を枕に横になる。そして身体の芯から冷えてくる悪寒からジャンパーを手繰り寄せ、身を包むようにして無心に真言を唱えていた。

 夜霧の立ちこめる森林の奥は暗く、周囲には近づいて欲しくない気配が、ある一定の距離を保って存在していた。

「あれはちょっと情けなかったよなぁ」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

「誰だ?」

「船長だよ。さっきのあれはないわ。童貞だからって同情かってキスでもしてもらいたかったのか?」

「今生の別れかもしれないからさ。わかるだろ? 彼らだってこの先、どうなるかわからない。絶望的な状況なんだ。軽口くらいしておかないと息がつまりそうなんだよ。ただでさえ、息苦しいのにさ。けどそれにしてもどこにいってたんだ? 姿は現さないのか? できれば前みたいに服のサービスなんて嬉しいんだけど。みてくれよ、いま着ている青白い患者着をさ。ところどころ血がついてるんだぜ。しかも自分の血さ。赤ならまだいいけど、酸化して茶色だし。なかなかアヴァンギャルドな服過ぎて、僕の趣味じゃない」

「ああ、似合わないな。僕だって着たくないね。けどもうサービスは打ち切りなんだ。わかるだろ? あいつらに弄られて別れそうだったのがまたひとつになったんだ」

「黒咲夜子みたいに?」

「なりかかっていたと思う。でもあいつはレアケースなんだろ? それ以外のなにかになってたかもな……そうそう、何回、検査やったか覚えているか?」

「おそらく九回か十回くらいかな」

「古代エジプトはひとりの魂を何分割した? その数くらいだ。きっと肉体を通じて魂を調べていたんじゃないか? あの狂人たちは。そもそも、人間を下等なモルモット的ななにかだと思っているんだろう」

「でも恐れてた」

「おそらく真言や呪術的な詞と指や手で示す印を恐れていたのだと思う。あいつらは古くから人類が恐れてた者かで、人類はあいつらの撃退法を身につけていた。蜂が毒針をもっているようね。けれど、あいつらも人類に近い種なんだろう」

「少なくともこの山にいる連中よりは人類よりだな」

「立てるか?」

 僕は樹を背に立ち上がった。

 サンダルで歩くのがこんなにも脚の力を使うことだとは思わなかった。気を抜くと滑りそうになるし、足場の悪いところでは脱げそうになる。

 もう無理だ、と息荒くへたり込む。

 まだ八ヶ谷峠はみえないが、結構歩いたかもしれないと後ろを振り返ったが、数メートルしか進んでいなかった。

 もはや絶望しかないのだろうか、もしくは休んで拝屋さんと黒咲の助けを待つか。

 せめて、なにか書くものでもあったら、いままでのことを書き記したい。それが人の目にふれることがあったのならライター冥利につきる。そうだ、△市の地下に▽町があり、人でないなにか知的な存在があり、宇宙から飛来した人まで絡んでいたなんて、これが真実だとしたら世の中ひっくり返る……いや、そんなことでもひっくり返らず、人類の生活は続くかもしれない。もはや、こことあちらには明確な境界線が敷かれているし、現実世界は世界そのものが、こちらの存在をなかったこととして消し去る。

 怪異に遭遇した人も「あれは見間違えたかもしれない」「目の錯覚だったかも」と自信なさげに話す。きっと、隔絶された世界同士はその存在を認めないのだ。人類以外の人だろうと霊的な力だろうと怪異だろうと、その世界にない異質な力はやがて力として作用しなくなるのではないか。

 顔のないおじさんもいっていた。人類は違う世界から来たのではないか、と。それが現実世界に適応した種なのかもしれない。だから太古の文明の持つ霊的な力は徐々に薄れ、いまは完全(完全とは言い難いが)に科学のほうが圧倒的な力を持っている。

 僕がここで知ったことを書いても世の中はひっくり返らないだろう。わずかな人が手にとり、妄想として楽しむ。あるいはわずかな人は真に受けてくれるかもしれない。けれど時間とともに忘れ去られる。昔と変わらないオカルト関係の書籍の流れだ。

 でも書きたい。それが僕の知った真実だから。折れそうな心を保つためなら理由はなんでもよかった。少しでも前向きになれば、少なくとも前へ進める。夜霧に濡れ、滑る樹の根をサンダルで用心しながら進む。

 そのとき、唐突に地震が起こった。

 僕は足を滑らせ、地面に突っ伏した。その揺れは続いた。このまま山が崩れ、川の水が溢れるまで続くかと思った。しだいに揺れに慣れ、また樹に背中をもたれかかり、ゆっくり深呼吸しても続いていた。夜霧が晴れ、日の光が山林の樹の葉を透かして、地面を光の斑模様に彩るまで続いた。

 いつ止んだのはよくわからなかった。長く揺れていたのでその振動に身体が慣れ切っていたのかもしれない。止んでも身体のなかでまだ揺れている錯覚があった。

 地震のおかげでなにも唱えずにゆっくり身体を休めた。できればもう少し、日の光に当たって身体を温めたかったが、誰か人陰が山道を歩いてくるのがみえた。

 僕は這って樹の後ろに周り、目を瞑り、静かに真言を唱えて人陰が行き過ぎるのを待った。しかし、人陰はこちらに気づいたようだ。気配が僕の目の前で止まった。そして服の衣擦れの音で屈んだのがわかった。

 そいつはそこで動かなくなった。真言を止めれば襲いかかってくるのだろうか。それとも人間が珍しくて好奇心から観察しているのだろうか。

 僕は決心した。終わるなら一瞬であの世に送って欲しい。痛いのも苦しいのもごめんだった。

 覚悟を決め、真言を止め、目を開けると、目の前には毛髪のない爺さんが平伏していた。服は山道に似合わない黒いスーツを着ており、ネクタイはしていない。

「あなたは?」

 殺るなら早く殺って欲しかった。力の出ない僕なんて一捻りだろう。だが、できるなら死にたくないし、助かるにはそれに越したことはない。自暴自棄になるにはまだ早い。知性があるならまだ話せるかもしれなかった。

拝屋樹(オガミヤ イツキ)と申します」

 そう聞いたことのある名前を名乗り、顔をあげると確かに爬虫類顔のような気がするが、東京で人混みの多いなかでもいそうな顔でもあった。黒咲のいう教祖、拝屋さんのいっていた祖父だろう。

 理知的な目をしており、話がわからない人ではなさそうだった。なにしろ弱っている僕に対し尊敬をもって接してくれている。もしかしたら誰かと間違えているのかもしれない。なにを話そうかと思っていると手を差し伸べて肩を貸してくれた。

 肩も首周りも老人のように骨っぽいが、老人とは思えない力で僕の肩を担ぐように支えてくれて、僕もなんとか歩くことができた。

「ありがとう」

「勿体ないお言葉」と頭を下げる。

 誰かと勘違いしているのは間違いない。

 これを利用してなんとか八番目の出入口までいこう。黒咲や拝屋さんに追いつくのだ。

 なにか話したらバレる可能性もある。けれどなにも話さないのはどうかと思う。その考えのなかで結局、沈黙せざる得なかった。

 程なく行くと道が開け朝日に照らされた村がみえた。その村には朝早いにも関わらず人陰があり、慌てているようにもみえる。

「さっきの地震の影響かな」

「そうです。ミシャクジが動きました。……私はミシャクジは人類が呼んだと聞かされていた。人類が本来の姿に戻り、呼びかければ動くと。けれど、それは違った。ただ、あれはたまたまここに居座っただけだ。ただの気まぐれに。何十億年も生きるものは数千年くらい寝るものなのかもしれない。■■様は……」

 ■■と聞いたとき、なぜだかぞくりと肌が泡立ち、動悸がした。それは本能的な拒絶反応のようだった。それを気取られないように歩く。

「……結局は我々を奴隷かペットかなにか。もしくは食糧としてしかみていなかった。嘘をいい、都合よく動かしているだけだった。奇跡の一端をみせてはくれるが、それにふれさそようとはしない。ただその奇跡に惹かれる都合のよい存在を集めていただけでした。見て下さい」

 (イツキ)さんが指差す方向には朝日に照らされる▽町が一望できた。

 ▽町の中央に川があり、その川に沿って建物がある。そしてなにか赤い光が輝いているようだった。それは消防車とか救急車、あるいはパトカーなのかもしれない。ここまで音は届かないが町内は大騒ぎなのだろう。そして、その町の向こうにはなにもなかった。日本ではないような荒野と空が延々と地平線まで続いていた。

「ひとつの時代が終わりました。虚偽にまみれた私は真実を知っていた曾孫に敗れ、永くミシャクジと名付けられた存在は去り、ここは孤立した場所ではなくなった。■■様方もあちらへお帰りになる。でも我々はここで暮らす。いつか来迎してくださる■■■様が永遠にお救い下さる」

 気の狂いそうな言葉が次々と……こいつは狂人だ。

 僕は(イツキ)から飛び退くように離れた。十分休んだためか、疲労が峠をこえて感覚が麻痺したのか疲労感がなかった。

「それを証拠に最後に■■様の博士が我々に奇跡の一端をご提示され、残されてくれた。蠱毒のように毒虫を入れ込んだ▽町にあって、博士が造った最後の存在。■■■の存在の証明はあなただ」

 尊敬するような眼差しを向けられ僕は震えた。いったい誰と間違えているんだ。人違いにも程がある。いや、ここまで来ればあとは拝屋さんと黒咲に合流するまでだ。僕は駆け出す。

 後ろからは(イツキ)が大声で「巫病は越えられましたな」とまるで僕を労るような言葉をかけてきた。幸いなことに、どうやら僕を追いかけるつもりはないらしい。

 八番目の出入口はおそらく、この村のどこかなのだ。村の大きな道をそのまま走り、一番奥にそれらしい建物をみつけた。

 なにか神社かお寺だと思い近づくと異界にあって目を見張らんばかりの美しい木造建物だった。神聖かつ複雑な造形を力一杯、幾何学模様で表現する造形は人の手ではなく神造の物と見紛うばかりだ。中に入るとさらにその色合いは増し、要所要所で寄木細工のように木と木の混色造形はまるで大理石や琥珀を混ぜ合わせたようで木造とは思えない艶めきと躍動感すらある。その彫られた模様はどうだ? 力強く猛り震えるひとつの美獣のごとき表現と乱雨のなか羽ばたく大鳳の羽根の風靡を兼ね備えており、ひとつの力の流れを表現している。ここには必ずなにかある、と駆け抜けた。ぐるぐるとまるで時計の針のように周り、中心へとたどり着くと、そこは天井に吹き抜けがある。暗く荒れ果てた大広間だった。

 採光窓は真上にあった。この場所をはっきりした姿でみることができるのは真昼しかないのだろう。どうしてこういう設計なのか。もしくは夜に照明を入れてから本当の姿が現れるようにするためか。ああ、そうだ。中天に陽が当たる時と陽の落ちた闇のなかに灯りをつけたときと……なんというコンセプトの広間なのだろう。驚嘆とともに失望した。なぜこんなにも荒れ果てているのだろう。

 いや、僕は拝屋さんと黒咲が探していた出入口を探しているのだ。ここにあるのだろうか。出入口は明確な形ではないはずだ。あの△駅の地下のようにこの場自体があちらとこちらを繋いでいるのだろうか。静かにそれが起こるのを待つが、なんの違和感も、なにか起こりそうな気配もなかった。ただ、ここが荒らされるまえの姿がみたかった。それは僕の心を揺さぶったはずだ。ここを壊した人は誰なのだろう。拝屋さんなのだろうか、それとも黒咲なのだろうか、酷く憎しみすら覚えた。

 そのとき、足音が聞こえた。

 もう駄目なのだろうか。八番目の出入口はここではないのだろうか。僕は座り込み目を閉じ、来るべき結末を待った。

 現実世界へ行けるのか、それともここに留まるしかないのか。

 足音は止まり、しばらくの静寂のあと声が大広間に響いた。

「恐れながら、あなたはあなた自身をまだ知らないようです。鏡をお持ち致しました。是非ご覧ください」

 僕は目を開けた。

 (イツキ)が大きな鏡を抱えていた。

 そこに映るのは、白い██████だった――。

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