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△▽の怪異  作者: Mr.Y
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夜霧のなかの南魚

 夜の病院の廊下は暗く、ただ非常口の場所を知らせるの緑色の光とトイレから煌々と漏れる白い光だけがあり、あたりは不気味なほど夜の静寂に包まれていた。

 その静けさは本当に僕の他に患者がいるのだろうか、という不気味な想像すら働かせる。この廊下にある無数の部屋のドアというドアはすべて閉まっているが開け放ったところで無人の闇が広がっているばかりなんじゃないだろうか。それに検査の際に他の患者に出会ったことはない。移動は決まって車椅子かキャスター付きのベッドだったが医者や看護師などの白衣の人たち以外は誰もすれ違ったことはなかった。

 それに検査のことだ。いったいなんの検査かわからなかった。なにかを調べているふうで(黒咲が逐一要領を得ない通訳していた。『さん』がない? もういらないだろう)単に身体の内側を、痛みにのたうち回らないように、弄り回しているといってもいいかもしれない。あちらこちらの穴から管や検査カメラを入れられ、口から肛門や尿道を、あるいは血管のなかを這い回られ調べられる。大人しく相手を受け入れていれば、なにか解決するのではないか思ったが、このままここにいては、ただ衰弱していくばかりだ。

 そして最近は衰弱のあまり一日の大半を寝て過ごしていた。その様子をみてあいつらは拘束を外しても大丈夫だろう、と思ったのだろう。いまは拘束を外されたままになっている。

 やや熱があり身体がいうことを効かないが、この機を逃したらどうなるのかわかったものではない。

 僕はこっそりと病院の出口を目指した。


 気怠く寝ているときに異世界にいって帰ってきたといわれる人たちのことを思い出していた。

 異世界へ迷い込む話は僕がまだフリーライターではなく学生だった頃にネットの掲示板で語られ始めた。MU編集部でも一時期話題となっていたらしい。ネット発祥というところが面白く現代の怪談ともいえる。以前から少なからずこういう話はあったのだろうが、ネットというものを誰でも気楽に使えるようになり、この手の話が多く出てくるようになったのかもしれない。

 ただネットを介して広がったのが新しかったのか、界隈でかなり話題となり、MUの記者の諸先輩たちはその真偽を確かめようとインタビューや取材を試みた。結果はむしろ記事にするべきだ、ということなり、当初組まれていたUFO特集を押し退け、急遽、異世界特集が組まれたくらいだった。僕もその企画に少し参加しており記事の内容をだいたい記憶している。

 だがその話は言い換えれば帰還できた者の話だし、いまの僕にとっては脱出の手掛かりになるはずの話のはずだったが、思い返す話のどれもが、捕まる、または拘束されるまえに手助けされ、または偶然が重なり逃げられた、という話ばかりだった。逆にいえば捕まった人間は帰って来ていないということになる。

 つまりいまの僕の状況は絶望的ということになるが、僕の感情とは裏腹に僕の頭脳はわずかな可能性を模索していた。

 手がかりは地図だ。

 あの地図は楕円形型になっており、町の外に記載がなかった。異世界だか異界だかはそこまでしかない、と考えられるし、あいつらは(どういう理由か知らないが)地図に書かれた場所以外は行くことが出来ないかもしれない。だから記載がない。そう考えると異世界へいって帰還した人たちの話は辻褄が合う。あちらの世界とこちらの世界の境界線は曖昧でたまたま行けるだけ、そしてあいつらはなぜか僕らの世界には来れない。

 それともうひとつの可能性だ。

 こちらのほうが自信がある。だから抜け出したのだ。

 あちらとこちらを繋ぐであろう場所は昔の人(どれだけ昔か知らないが)は知っており、それを封印で塞いでいたのだ。その形はなぜか北斗七星だった。

 僕は以前から疑問に思っていた。なぜ北斗七星に関する建造物や都市、神社の位置が存在するのか。専門家や心霊現象に詳しい人に訊いたが「天にある星座を模した」「北斗七星への信仰があり、その力にあやかった」などなどだった。そういわれれば、そういうものかもしれないと思っていたが、ここに来て、それは別の意味にみえてきた。北斗七星は天にある道標として昔から観られてきた。そうだ。夜空にある人類にしかわからない道標。つまり異世界の住人や深宇宙から飛来した宇宙人にはその形がなにを意味するのかわからないのだ。そして北斗七星という言葉とその輝きの裏に隠された八番目の星。必ずそこに隠された出入口があるに違いない。


 それにいま、僕は貴重な体験をしている。これを記事……いや、本にして出版しよう。いまならいくらでも書ける。そして、まだ数多くの疑問が残っている。なぜ大昔、△市に住んでいた人は▽町と繋がった八つの場所を必要としたのだろう。完全に塞ぐのなら遺跡や封印せずに埋め立て忘れ去れば良かったのだ。それなのに目印のように遺跡があって、再び誰かが埋め立て封印して、また掘り返した。なぜかはわからない。なにか僕の知らない物語があるのだろう。そして△市と▽町は昔から別れ繋がりを繰り返している。

 昔から△市と隣合う市と仲が悪いのはそのときの軋轢だろうか。そして、明治から行われた治水事業も△市への水害防止以外にも理由があったかもしれない。▽町になみなみと水を湛える川が存在するのだから。帰ったらまず△市歴史民俗資料館の田島さんにも話を訊かなくては……まだまだ取材したいことだらけだ。

 そうやって疲れと恐怖にベッドに戻りたくなる自分を鼓舞し、病院の出入口まできた。

 自動ドアの下方にある鍵を開け、外に出るとあたりは濃い霧に包まれていた。病院前の街灯は薄ぼんやりと街灯周りの霧を照らし、本来の用途をなしてはいない。

 この霧のなかを患者着とスリッパで気怠い身体を引きずって町の端までいかなければならないが、仕方ない。このまま身体を好きなようにいじられていてはもたないだろう。

 重い身体を引きずるように歩き始めた。だが足が止まる。霧のなかになにかの気配がした。病院にいる医者や看護師たちとは違う気配だった。檻のない動物園に入るような感覚が僕を襲う。それはどんな心霊スポットよりも肌身に迫るような感覚だ。足が動かず、むしろ、このまま病院へ戻ってモルモットにされたほうが一縷の望みがあるのではないか、とすら思った。


 そのとき、声がした。

 おんあびらうんけんばざらだとばん、と何度も繰り返されている。この(ことば)には覚えがあった。拝屋さんの奥さんから借りたノートに書いてあったものだ。

 調べたところこの言葉は密教系の真言であるらしい。拝屋家は密教系かと思われたが、ノート全体を読むと修験道や仏教、部分的には陰陽道すらあり、体系立てておれず、苗字の通り民間の拝み屋としてやってきた系譜を感じた。特に重要視されていたのが、いま病院の駐車場から聞こえてくる詞だ。

 おんは帰依、あびらうんけんは胎蔵界大日如来のこと、ばさらだとばんは金剛界大日如来のこと。深い意味はわからないが、悟りとこの世の本質を現す詞だったような気がする。ただこの詞が聞こえてくるということは、誰か異世界の人間ではない者がいるということだ。もしや、行方不明となっている拝屋礼(オガミヤ レイ)さんかもしれない。そう思うと、僕は道路へと向かうのをやめ、駐車場へと向かう。駐車場にある一台の白いセダンからその声が聞こえてきた。

「もしかしたら拝屋さんですか?」

 詞が止まり、パワーウィンドウがわずかに開いた。そこに白髪と鋭い眼光がみえる。最初は白髪の老人かと思ったが、老人にしては顔に皺が少ない。白髪の中年なのだろう。その拝屋さんだと思われる男が上目使いでこちらを睨んでいた。

「すみません。乗せてもらえますか?」

 咄嗟に出た言葉は我ながらバカバカしいと思った。

「私たちがどこへ行くのかわかるか?」

 僕を試すかのような口調だった。まるでテストだ。わからなかったら置いて行くのだろうか。それか、やつれた僕があきらかに足でまといにみえるのかもしれない。

「おそらく八のつく地名のところです。そこが出口だ」

 ガタと後部座席のドアのロックが外れた音がした。

 僕は逃げ込むように車内に入ると「やあ、こんばんは」と看護服のうえにカーキ色のジャンパーを羽織った見覚えのある女性に挨拶された。

「黒咲に感謝するんだな。看護師たちをうまく誘導して、拘束を外したり、身体を弱らせる薬を減らしたりしていたらしいからな」

 弱った身体のせいか脳がうまく働かず状況が読み取れない。

 車は夜霧のなかをゆっくりと走り出した。

「いま迎えに行くところだったけど、拝屋さん、乗り気じゃなくてさ。でも拝屋さんと同意見とか凄いね。あれだけ(いじ)られても頭が働くなんてさ」

 黒咲がいった。メガネの奥の瞳には尊敬というより嘲笑うような感情が滲み出ていた。本当にもう少し早く助けて欲しかった。

「そんなに怖い顔しないでよ。最初はすぐ助けられそうだったけど、あんた、取調室であの男をぶん投げちゃったから、めんどくさいことになったんだわ。博士が興味持っちゃって……私もさ。地球出身だから、宇宙人たちとはなかなか反りが合わないんよ。だからいつも以上に従順なフリしないとさ。五年もここで生活してるんだけどね。なかなか連中に馴染めなくて……」

 この女、いまさらっと意外なことをいわなかったか?

 まだなにか話しそうだったが思わず「宇宙人? ここは異世界じゃなくて?」といっていた。そうなれば脱出どころではない。

「いや、異世界だ」と拝屋さんの一言でほっとした。いや、その異世界でも手一杯なのに宇宙人まで絡んでくると、もはやなにがなんだかわからなくなってくる。

「あれ? 南魚も異世界派か。二対一ってことは、じゃあ、やっぱりここは異世界なんかなぁ。てっきり宇宙船のなかとか、どこか別の惑星かと。だってさ。私、UFOに連れ拐われたんだよ。山に家族で流星群観に行ったらUFOが迫ってきて……」

 話によれば、そのUFOに連れられてここで生活しているらしい。食べ物と衣服、住居を与えられ、病院で仕事をしている。そしてときおり、連れてこられる人間の通訳と検査をするのが主な仕事らしい。

「連れ拐われここに来て、色々あったけど。いまは、まぁ、博士……あの爺さんのことね。彼のペットみたいなもんよ。あ、ペットといってもエロい意味とかじゃないから、ご心配なく」

 なんとなく黒咲の目線から、僕の陰毛を(やたら念入りに)剃ったのはこいつではないか、と思った。

「そんで、あちこち盗みを働いていた拝屋さんが捕まったけど。博士に頼み込んで彼を保護したから、周囲と険悪になっちゃってさ。でもこれでここからオサラバできれば博士とも病院のやつらともまとめてオサラバ。心配してんだろうな。お父さん、お母さんに如月(キサラ)(ハナ)

 拝屋さんも初めて聞く話らしい。真剣に黒咲の話を聞いていた。そして「まず、君を拐ったUFOみたいなものはUFOではないかもな。▽町の連中は△市には自由に行き来できないが、△市から人を連れ去ることはできるらしい。けれど私の知る限りでは△市のUFO誘拐事件はその一回だけだ。なにかUFOに似たものを使うには条件がいるのか、それとも黒咲自身が目的だったのか」と推察していた。

「ああ……私に特別な理由はなさそうだけど。ここの人たち頭はいいんだけど、気まぐれなんだ。人間とは思考回路が違うみたい。だから使えるものでも忘れちゃってんじゃないの?」

 ふたりの話は尽きないようだ。おそらく出会ったのはごく最近でこういった話はできないような環境だったのだろう。僕に妙な検査(もしくは検査と称するなにか)をしてくる連中だ、考えることは理解できない。しかも万が一機嫌を損ねたらあの腕力でなにをされるかわからない。

「そういえば自己紹介がまだだったな。まぁ、私のことは知ってるみたいだが」

「あなたの高名はMU編集部の飯島から伺っております。拝屋礼さんですよね。僕は飯島の後輩にあたる南魚文(ナンギョ ブン)といいます。フリーライターをやってます。奥さんと娘さんには、以前、呪物関係でお世話になりました」

 拝屋さんは頷き「雫と妻が……よろしく」とバックミラーで僕をみながらいった。

「そしてあんたは黒咲夜子、だよね?」

 黒咲は目を見開いて驚いているようだった。

「なんで知ってるの?」

 そのとき、どんとバンパーになにかが当たった。

 拝屋さんがブレーキをかけたそのとき黒咲が「なにやってんの! アクセル、アクセル!」といった。

 拝屋さんは慌て黒咲の言葉に従いアクセルを踏む。タイヤとアスファルトになにかが挟まるぐにゃりという感触が車全体を包んだ。

「ふぅ」黒咲がため息を漏らす。

「拝屋さん、私、いったじゃん。ここは地球じゃないんだから、あっ、現実世界? じゃないんだからさ。あれに顔みられなかったよね? なんならバックしてトドメを刺してからいく? それとも必殺の呪文で撃退するとか」

「いや、大丈夫だ。顔はみられてはいない」

 拝屋さんの声は少し震えていた。黒咲は確認するように後ろをみた。僕も一緒に後ろをみたが、そこには夜霧と闇があるばかりだった。

 やはりここは異世界なのだと僕はいまさら実感した。

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