バーキンズの最後
女は<組織>の末端に所属していた。今回は前回とは違い配属先は前任者失踪のための穴埋めだったが、今後のキャリアを考えるといつかはやらなければならない仕事だったので、やり甲斐よりも今後を考えて志願した。幸い仕事は自分の裁量に任せられているし、終了次第、別の部署に移動できることは確約済みだ。だからこの仕事は少しでも早く切り上げたい。前任者失踪といっても、もう生還できないであろう状況らしい。当初、女は仕事は前任者の救出とも思ったが、そうではないから、おそらくは前任者の死亡は確定したのだろう。顔も知らない同僚の死は、一抹の寂しさはあるが、仕事が仕事だけに仕方ないとも割り切れた。それより女は寧ろ前任者と同じように危険を犯さなければならない、と覚悟を決めるほうが寂しさを感じるより、あるいは早かったかもしれない。しかし、引き継ぎ内容に目を通し始めたが、どうやら仕事は単純なもので、前任者は不意の事故に巻き込まれた形のようだ。拍子抜けし、ほっと胸を撫で下ろすと同時に、緊張感がとけ、くだらないとすら思っていた。仕事はほぼ終わり、いまはたったひとりの女の調査だけなのだから。
それに小耳に挟んだ情報だが、作戦は大詰めを迎え、<組織>は早いうちにここから退却するらしい。信じられない。人類との接触をあきらめ、自分たちが永遠に理解できない存在がこの宇宙にあることを許してもいいのか。あいつら理解するため何千年かかったのか、何人もの仲間が失われたのか。それなのに■■が何者なのか不明なのだから。もしかしたら上層部は把握しているかもしれないが。そのうえで知らされてないとしたら? 女にはわずかな恐怖があった。しかも、引き継ぎの資料を読んでいたら調査すべき女、通称『バーキンズ』は■■汚染者か■■自体かもしれないと書かれていた。退却前にまさか自分が対峙するとは、と女は後悔したが、退却の噂が本当ならこの仕事は消化試合みたいなものだ。そして、仕事は顔取りのあとは身辺調査のみだからバレなければ問題は無い。この仕事のあとは昇進が待っている。もしバレたらすぐに退却すればいいとタカを括っていた。
女は鍛え上げた体格も人類の骨格でも戦える格闘技術も習得しており自信があったからだ。しかし、顔取りしようとした男の部屋に入るなり、バーキンズに背後をとられていた。女はここに来る前に軍にいたこともあり、専門的な技術はもちろんのこと実戦も経験済みだった。それが容易く背後を取られたのだ。女の背中に冷たいものが走った。
前任者は■■汚染しないため、■■の関する物品、資料の配送、撤去を人類にやらせていた。それと■■に詳しい霊能人材の確保もしていたようだ。人類社会に知られないように秘密裡に。そのために金も人脈も必要で、さらに人類社会の一部を操るために資料が大量に必要だった。さすが人類社会に長く潜伏していただけはある。もしかしたら上層部ですら知らないことを知っていたかもしれない。
バーキンズは前任者が喜びそうな資料をネタに顔取り用の男から手を引けといってきた。女にしてみればバーキンズを調査するためだけの男だ。その必要がなくなり、バーキンズを捕獲すればあるいは調査より詳しく■■について詳しいことがわかるのではないか、と思った。■■は恐ろしいが、いま会ってみてわかったのはバーキンズはなんのことはない、ただの人類の女性にみえたからだ。
女が動く前にバーキンズが女の腹部に向かってなにかをしようとした。咄嗟に女は身体に染み付いた動きが出ていた。
「しまった!」と女は思った。壊したり殺しては元も子もない。しかし、必中のはずの攻撃は空を切る。
そして、女の目にはバーキンズが手に持っているスタンガンが飛び込んできた。腹部を撃つつもりだったのだ。いつの間に持っていたのかわからなかったし、武器を持っているのならば女も用心せざる得ない。いや、考える隙すら与えず波状攻撃をしようした。しかし力任せの雑な攻撃の初動をバーキンズにつけいられた。浮いた重心のまま、顎を押さえられ、畳の上に後頭部を叩きつけられたのだ。女は朦朧とする頭を押さえて呻いていたが、バーキンズはそれよりはテーブルの上の鍋が煮こぼれないか不安らしい。火力を弱火にして調整していた。
それが女を本気にさせた。もう壊すか、殺すかだと思い、冷たい視線でバーキンズの重心や手の動きをみて一撃で仕留めるべく隙をうかがった。
バーキンズは「はぁ」とため息をついた刹那、女の内腿が穿たれた。バーキンズが改造モデルガンで早撃ちしたのだ。その銃も見覚えがあった。前任者が護身用に携帯していたものだ。資料によれば××式で万が一、人類に見つかってもただの改造モデルガンにしかみえない物品らしい。お気に入りの人類に貸して行方不明らしいが、なぜそれがバーキンズの手のなかにあるのか。それにより女は機動力を失なった。内腿の動脈近くだったら出血が酷く動ける時間も少なくなる。女は傷の具合を確認したかったが、そんな暇をもらえるはずもなく、次々と弾が発射された。もはや撤退しか選択肢がないことを悟ったが、逃げようと進む身体に穴が穿たれる。あまりの痛みに疼くまりたいくらいだったが、そんなことをすれば状況は悪化するに決まっている。やけっぱちになり周囲のものをバーキンズに投げた。バーキンズはまるで射的の的を撃つようにそらを空中で撃ち落とした。至近距離とはいえ、丸いだけの弾で精密射撃をする姿に女は驚愕した。投げた料理も皿もバーキンズの身体にはなにも当たらない。むしろ、バーキンズは撃ち落すことを楽しんでいるようだった。
女はそこに好機をみた。投げつけながら窓の方へ逃げるしかない。これが女を撃つことのみが目的ならすでに女は倒れていた。相手の嗜虐的遊び心に期待する無様な方法だがそれしか方法はなかった。
投げまくり、撃ち落とされるなかでバーキンズは撃つの夢中で女の位置には気にも止めていないようだった。女は窓側に一気に駆け抜けられそうな場所に来るとガス缶のセットを投げた。女はそれがなにか気づいてはいなかった。ただそれを投げた後、痛みを堪えて全力で窓に駆け抜け、体当たりで窓を破壊した。それと同時にガス缶がテーブルのうえのカセットコンロ付近に落ち、爆発が起こる。
爆風と体当たりの勢いで道路まで飛ばされた。アスファルトのうえでなんとか受身をとったが、身体はあちらこちら撃たれた傷とガラスに当たったときの傷、受身の際の擦り傷だらけだった。コンクリート塀を伝ってなんとか立ち上がると自分がバーキンズのハンドバッグを持っていることに気づいた。
そのときだった。アスファルトのうえにテンテン……と黄色のゴムボールがどこからか落ちてきた。それに目をとられ、道側の排水溝に足をとられた。痛みに顔が歪む。どうやら足を挫いたらしい。しかも蓋のしてあるはずの排水溝になぜか一箇所だけ蓋が外してあった。明らかに意図的だと思われた。
それをみたとき女の顔が恐怖に引きつった。
誰かわからないが、前任者がつくったシステムを発動させたのだ。人類社会にいるひとりひとりがわずかな行動をするだけで、最終的にやりたい仕事が完成するものだ。それは最終的には些細な不注意による事故にしかみえない。対象を消したいとき、対象に罪をなすりつけたいとき、■■が這い出したときに<組織>の人間が手を下すことなく、被害を最小限に抑えたいとき……様々な用途が可能だった。
女はバーキンズのハンドバッグの中にスマホがないか調べた。誰でもいい<組織>に連絡してシステムを解除してもらわなくては……しかし、出てきたスマホはロックがしてあった。ロック画面は九つの点を結ぶパターン認証だった。ざっと三八九,一一二通りが考えられると同時に絶望した。短時間で解き明かせるわけはない、と。これが指紋認証や顔認証ならばいま身体に備わった物でなんとかなった。スマホをハックする物はさきほどの乱闘騒ぎで部屋に落としてきたらしい。
足を排水溝から恐る恐るあげるが、まだなにも起こらない。
消防のサイレンが鳴り響き、アパートが燃えているのがわかる。もしかしたらと女は思った。バーキンズがこのシステムを発動させたのではないか、と。
前回の女の仕事は■■が<組織>の船の動きを真似しだした理由の調査だった。空を自在に飛ぶ動きがまさに<組織>の船の動きだった。しかもあろうことか、条約を結んでいたA国の戦闘機を挑発するような行動に出たのだ。A国と<組織>の間に問題があってはならないし、<組織>の船と同じ動きをするということは種として■■に近い人類が<組織>の技術を盗める可能性もあるかもしれない。だから■■を追跡し、捕獲または人類にみえないところで撃ち落とすという仕事だった。しかし、捕獲できないばかりか撃ち落とすことすらできなかった。ただ挑発的行為をするだけで無目的に飛び回る。そして<組織>の船の動きを真似、しまいには××式移動すら真似し始めた。これは応用すれば恒星間移動すら可能な技術なのだ。しかも<組織>の船より明らかにエネルギー効率が良い。いや、そもそもこの資源の乏しい星で得られるエネルギーでは××式移動はできないはずなのだ。
最終的には■■を追わない、手を出さない、という不思議な結末になった。そうすると■■はそれ以上のことはしないのだ。A国にも詳しい説明は避けたが、あれは我々とは無関係だし、できるならば相手にしないで欲しい、という提案し合意を得た。<組織>のなかには■■の正体を見極めれば、さらなる科学の発展になると主張するものもいたが、大部分は懐疑的だった。あきらかにあれは科学的な存在ではないと多くは認識していたからだ。
女はそれを思い出していた。いまの状況はそれと一緒なのだ。
女がバーキンズのハンドバッグを持って外に出たことが合図になっていたかもしれない。どうやったのか知らないが女自身をバーキンズだと思わせたのだ。焼け落ちるアパートの一室からどうやって? と思うかもしれないが、そんな疑問を嘲笑うように動くのが■■だと女は知っていた。そもそも見た目に騙され、交戦したのが間違いだと後悔していた。
排水溝に落ち、泥に濡れた足が不快だし、身体中痛みが走っている。女は息を整え、頭のなかで対策を練るが対処法しかないと決心した。しかし傷ついた身体で<組織>支部まで行くのは至難の業だ。
そんなとき夜空を見上げると、多数の<組織>の船が眩いばかりに光り輝いていた。その光は<組織>に対してのメッセージも含まれていた。
『封印は完了。ミシャクジは動いた。支部は破棄。A国を目指すこと』
女はあきらめて夜の住宅街を歩き始めた。
そして女は朝日をみることはなかった。




