南魚と八番目の星
僕は四畳ほどのコンクリートの部屋にいた。簡単にいえば刑事ドラマなんかでよくみる取調室のような部屋だ。椅子に座らせられ、手には手錠を掛けられていた。手錠は長方形のステンレス製で左右一体型のものだ。そして、身長より高い場所に採光窓があり、ご丁寧に鉄格子までつけられている。そんなセレブでも滅多に入れないビップな部屋には白衣の人たちが何人も入っており、奇異な視線で僕をみている。まるで僕は正体不明の珍獣にでもなった気分だ。そして僕の前には机を挟んで頭髪のない老人が座っていた。その老人の左右にメガネをかけた黒咲夜子さんに似た女性と僕の言葉がわかるであろう男がいた。黒咲さんが通訳すると男が老人に耳打ちをする。おそらく黒咲さんは周りの人間に不信がられているような気がする。あくまで雰囲気としてだが。
「あなたはどこから来ましたか?」
僕は質問されたが、どう答えていいのかわからない。嘘をつくことも可能だろう。しかし、どうしたらいい? 相手を欺いて機転を効かせて逃げることは可能だろうか。いや、無理だろう。正直に答えれば自由になれるのかといえば、そうでもない気がする。
「▽駅の地下からです」
しかし、正直に答えなければ、どうなるかわかったものではない。黒咲さん(女性の本当の名前はわからないがそう呼ぶ)が口で『あとでたすける』といってくれた。
逆にいえばいまは綱渡りのように酷い状況なのだ。だがうまく切り抜ければ助けてもらえる可能性がある。それにはまず警戒を解く必要があるような気がする。
僕の言葉に黒咲さんが老人に通訳し、老人は男に目配せすると男は頷いた。
「では、あなたは△市という場所はご存知か?」
「はい。そこから来ました」
白衣の集団は驚きの声をあげる。それは期待に満ちているような声だった。
「▽駅にあるあの穴から△市にいけると?」
「来たのはいいですが、帰れません」
黒咲さんと老人と男はじっと僕を見つめ、後ろの白衣の人たちはざわざわと小声で話していた。
「それはなぜ?」
「僕にもわかりません」
「嘘ではないですよね? 嘘ならあなたは酷い目にあいますよ」
「はい。嘘ではありません。どういうわけかあそこにたどり着きました。しかし、あそこはただの遺跡でした。僕はできることなら帰りたい」
黒咲さんと老人が話すがお互い、諦めたようなため息を漏らした。男は僕をじっとみていた。まるで凝視することにより心奥をメスで切り裂き腑分けられるのではないか、というくらい居心地の悪い奇怪な目線だ。
黒咲さんと男が話す。そして、それを取りまとめるように老人がなにか提案をしたようだ。黒咲さんは後ろにいる白衣の集団から地図を受け取り、それを机に広げた。それは▽町らしい。△市に似ているが、要所要所違う場所がある。ただ日本語で書かれているので僕にもなにがどこにあるのかよくわかった。おおよその位置関係は△市と同様だ。黒咲さんはゆっくり丁寧に通訳する。
「△と▽に繋がる通路ができていると思われるところは」と指を七つの場所を指差した。
その位置はまるでなにかの答え合わせのように僕が推理した△市の魔法陣とぴたりと一致していた。僕は興奮して思わず声が大きくなる。
「合ってた。合ってたよ! ここに繋がる道が七つの封印だったんだ。あちらからこちらにこれたってことは、こちらからもいけるの? でもなんで七つなんだろう。なんで北斗七星の形なのだろう。星辰となにかしらの関係が? もしかしたら一部の人間にしかわからないよう、秘密裏にかつ意図的に行き来しやすくするためなのでは? 君たちはどう思いますか? いや、もしかしたらひとつの場所がわかればあとはすべてわかるようにとかいう可能性もある。だからこういう封印はどこかしら共通点があるのかも? どうなんですか? 僕の推察は合ってますか?」
僕は興奮のあまり立ち上がると白衣の集団が老人を守るように立ちはだかり、男が僕の胸倉を掴み人差し指で僕を指差し謎言語でまくし立てた。それは下品な罵声と非難なのだろう。悪意は訳さなくてもわかる。胸倉を掴み、とんでもない力で壁に押しつけようとした。その瞬間、昔、空手道場で嫌々ながらも一生懸命に習っていた技が出てしまった。
相手の力のベクトルをそのままに支点となる胸部を外す、相手が崩れる体勢を利用して(手錠があるから関節技に移行できないが)腕を絡ませ、崩れた体勢を戻すため出た相手の足を払ってやる。すると男は完全にバランスを失い頭から壁にぶつかった。ごっ、とコンクリートと骨が皮を挟んで鈍い音をたて、男は痛みのあまり頭を押さえてうずくまった。
「あ、すみません。悪気はないんです」
僕の言葉はわかるはずだ。一応、通訳やっていたし。
そのとき首筋にチクリとなにかが刺さった。そこに手をやるとなにか針に三角錐のプラスチックがついたものが刺さっていた。
後ろの白衣の集団をみると、そのなかのひとりが長いストロー状の筒を持って満足気に僕をみた。おそらく吹矢かなにかだろう。ますます僕は珍獣扱いだ。そして皆、遠巻きに僕の様子をみており、黒咲さんは呆れたようにため息をしながら首を振った。
「まいったなぁ。だから……悪気はないんですって」
白衣の集団にいうが、言葉を発すると少し遠巻きに広がり、ざわついた。少しでも警戒を解かなくてはならないのに、凄く警戒されてしまった。これで拘束はもっと酷くなるだろう。少しでも警戒を解くには無抵抗で友好的な態度でなくてはと、仕方ないから椅子に座って、目を瞑る。そして、やがてくるであろう強烈な睡魔を待った。
「さてさて、やっちまったな」
気づくと宇宙服のヘルメットを被った船長が机の向かいに座っていて、呆れたようにいった。
「本当に。でもなんで怖がられるんだろう。どっちかというと僕の方があちらが怖いのに」
「あちらが怖いのは僕らの言葉なんじゃないか?」
「でも、普通に話していたし。あと手錠にしたって頑丈すぎだろう。肉体的にはあの白衣の男はすごい腕力だった。背丈も体重も僕より小さいのに。ほら、握られただけなのにチャックが壊れてる。パーカーの生地だってボロボロだ。まるで熊に掴まれたみたいだった。熊に掴まったことないからわからないけどさ。本当に僕にこの手錠が必要なのかな」
「それより……地図をみた? いや、君は七つの場所に夢中だったから気づかなかったかもしれないが、地図の端々には一切の記載がなかった。道や川は途切れているし、山々は色のみで文字はなかった。ぐるりと楕円形に記載なしの空白部分が取り囲んでいる。もしかしたらこの▽町は▽町のみで完結しているんじゃないか?」
「この異界はここのみであとはないってこと?」
「だから△市に領地を求めているとか?」
「あるいは封印されている空間とか?」
「もしくはなにかしらの理由でこの異界ではやつらは▽町から出ることができない」
色々な考えが周り巡るすべて推測に過ぎず、確かめる術はない。いまのところは。
カンカンと妙な機械音が上のほうから聴こえた。僕はベッドのうえで拘束されたまま横になっている。ぼんやりと隣に人がいるのがわかった。
「ここ、どこ?」
「起きた? もう少し寝てればいいのに。これからあなたの脳を調べます」
声から黒咲さんだということに気づいた。
ここは手術室かなにかだろう。よく周りをみようとすると顔や頭になにか覆われ、真っ暗になった。
「まずは落ち着いてください。そして、いまから説明します。まず大腿部の内側の動脈にカテーテルを入れ、脳の動脈までのぼり、造影剤を投与します。それからヘルメット型のCTで脳の造形、血管を撮影します。麻酔が効いているので痛みはないと思いますが、内側から圧迫されるような不快感はあると思うのでそれは耐えてください。なお、この検査から三日は大腿部の傷口から大量出血と血栓ができる可能性があるため、安静にしていなければなりません」
カンカンと異様な音は一定の期間をあけて聞こえ、太腿の内側からなにか入っていく感覚と、首筋に圧迫するような違和感を感じた。黒咲さんの説明によれば動脈をカテーテルが這っているのだろう。いや、待て、そのとき血液はどうなっているのだろう。カテーテルを通じて出ているんじゃないか? いや、そもそも、なんで、脳を調べる必要があるんだ?
そんな疑問に答えるように頭が内側から圧迫された。
「あっ、そうそう、造影剤は放射性物質ですが、一週間ほどで体外に尿と一緒に完全に排出されるので……」
話は半分くらいしか頭に入ってこない。痛みというか、いままで感じたことのない圧迫感と不快感だ。頭蓋骨の内側から押さえられたような感覚と鼻の奥が痛くなり、眼球が内側から押し出されるような感覚に脂汗と冷汗が混じったものが、全身から滲み出す。
あの老人の声がカンカンと音のするほうから聞こえた。
それに黒咲さんが謎言語で応えている。
「では次は左脳のほうもやるらしいので耐えてください」
ちょっと待って、といおうとすると、首筋にあるカテーテルが一度喉元へと戻るとまたカンカンと機械音がなり、別の血管に入るのがわかった。瞬間、いまの圧迫感と不快感が二倍となった。眼球が飛び出るんじゃないかと必死に目を瞑り、鼻の奥が圧迫され、息ができない。そのまま「撮影するんで動かないで下さい」と無理な注文がつけられる。
動いたらどうなるのだろう、と頭の隅に疑問がおこるが、単純にまた再撮影なんじゃないか、と思い歯を食いしばって耐えた。
そうすると老人と黒咲さんの声が聞こえた。次の瞬間、小さなモーターが回る音とともに、いつの間にか腕に刺さっていた点滴から冷たい液体が体内へと無理矢理入ってくるのがわかる。頭の圧迫感と不快感が消え去って……。
悪い夢の連続が続いていた。
それがようやく落ち着いて、灰色の部屋にひとり横になっていた。そういえば、いつ患者着に着替えさせられたのだろう。よくわからない検査をやらされたせいなのか、ところどころ小さな血痕が付着している。それにいつの間にか下着すら替えられているようだし、検査のためか陰毛すら剃られていた。
いまは気だるく体力が尽きたような感じだ。逃げようと思うが、身体に力が入らない。なぜ、こんなにも念入りに調べられるのか。いったいなんの検査だったのか。もしかしたらここの住人とは身体のつくりが違うのだろうか。
『あとでたすける』といった黒咲さんは検査のときの通訳をしているばかりだった。しかも事前説明せず、直前に思い出したように説明するからいたずらに不安が増すのだ。専門外だからか、性格なのか。もしかしたらあの口の動きは僕が勝手に思い描いた妄想なのかもしれない、とすら思えてくる。
とりあえず、いまは体力の回復を待とう。
手錠も外れているし、窓に鉄格子もない。
様々打たれた注射のなかに体力を削るものがあって、相手はそれで満足して僕に対しての警戒を解いているのかもしれない。いまは寝よう。少しでも体力を温存して、動くなら夜だ。
そして、▽町からの脱出方法を考えよう。
あの地図をみて七つの場所はもはやマークされているのはわかった。だが、ここと△市が繋がっている場所の形が北斗七星だとしたら八つ目の星がある。それはあいつらはわかってないようだった。そうだ。▽町の夜には月がふたつあるだけで星がみえない。北斗七星という概念はないのだ。
あまり知られてないが、北斗七星には八番目の星がある。名前はアルコル。ラテン語でかすかな者。中国では輔星。日本語では添星。その場所はやつらにマークされていないはずだ。
まだ昼間だったが、僕は無理矢理目を閉じ身体を休めた。疲れた身体はゆっくり夢寐へと誘う。目が覚めたらこれが夢であったらどれだけいいことか。いや、せめて深夜に目を覚まそう。北斗七星の八つ目の星の場所を目指すのだ。




