南魚武
僕は梯子を降り始めた。
迷う必要なんてどこにある。あちらが誘ってくれたのだ。みせてくれるならばみてやろう。そのうえで罠だとしたら、もしくは対価を要求してくるならば……そのときはそのときだ。そのとき考える。僕はただ真実が知りたいのだ。
周囲は上の光が届かなくなり、次第に真っ暗になっていった。穴は人ひとりが行き来できるくらいの空間があるが、地下へといくためか空気が重くなり、息苦しくもなってきていた。しかし、それは早く下へと急ぎ降りているせいで身体な疲れてきているせいかもしれない。
ただ梯子だけが確かな鉄の感覚をもってその手に感じる。その脇には太い電線が二本、沿うように垂れ下がっているはずだ。降りている最中にたまに手に当たる。ということは地下では調査のための電灯があるはずだ。このまとわりつくような陰湿な暗さは今だけだ、と自分に言い聞かせる。
梯子を降りながら、いつも取材しているときを思い出していた。
適当にぶらつきながら僕の感性に引っかかったものを記事にすることが多かったが、他に不思議な話やいわくつきな場所をネットで検索したり、自分のTwitterやブログなどのSNSで読者が教えてくれたり、取材の依頼があったりする。そのなかで僕が好きなものは怪談や不思議な体験をした人の話を採取(インタビューといった方がいいかもしれないが、僕の場合はこの言葉の方がしっくりとくる)するときだ。話を聞いているとその人と一緒に非日常の体験を共有できたようでとても心が弾みメモも捗る。けれどそういう話のなかでふっと醒めたようにメモをとるのを止めてしまうこともある。よくあるのが「そのとき光に満ちあふれて」「突然、閃光に包まれて」「霧が立ちこめて」などの話が出てきたときだ。なんとなくだが「嘘をついているな」「作り話だな」と感じてしまう。そうじゃなかったら話を無理矢理盛り上げたいのか。つまりそういう虚飾や盛りはもう本当の体験談ではなく、映画や小説のような作り話になってしまっていると思うのだ。本当になにかが変わるときは光るのだろうか。霧が立ち込めたり、景色が歪むのだろうか。そうだとしたら異世界と現実世界は明確な隔たりがあるのだろう。しかし、その隔たりはなにをもっての隔たりなのか。あきらかな現象が発生するのならば物理的なもののはずだ。つまり観測できるはずだが、それは科学者が何度も観測し、答えを出している。だが科学では捉えることができない何かだとしたらどうだ? そんなものが存在しない? いや、存在しないようなものだから怪異なのではないか。
足が地面に着いた。どこかに電灯があるはずだと暗闇のなかを手探りで電線を伝い、スイッチらしものを押した。
辺りは電灯の光に照らされた。いままで暗闇に慣れていた目にはその光は強すぎた。僕は目が慣れるまで目蓋越しに光を調節し、ゆっくり目を開けようとした。
「あれ? 怪談や非日常の体験談で光に満ちあふれて場面が変わるのは嘘っぽいとかいってなかったっけ? 君にとってリアルな怪談や非日常の体験談てどんな感じなの?」
真っ暗のなかで先客がいるとは思ってもみなかった。<組織>の人間だろうか。それとも工事現場の作業員だろうか。聞き覚えのある男の声だったが、どこで聞いたのか思い出せなかった。
「僕がリアルと感じる話は、狐や狸に化かされたようにとか、なぜあのとき自分はあんな状況に巻き込まれていたのに違和感がなかった、という話かな?」
僕は自分でも呆れるくらい生真面目に声の主に応えた。
「では、君の認識では今のこの状況は嘘の作り話のなかかな? なんならスモークでも焚こうか? 」
「いや、結構」
薄く目を開け、僕と同じ背丈くらいの人影が目の前に立っているのがわかった。ご丁寧にに電灯はすべて僕の方に向けてあるらしい。
「僕は異世界と現実世界との境目はないと考えている。いや、あるのだけれど、ないと感じるから異世界の体験ができた、と思っているのかな? たぶん、毎晩みる夢と同じだ。夢のなかで、それが夢と思わず現実と思ってしまうように……そうだな。夢をみているとは、現実と区別された夢という状態の中にいるときではなく、夢と現実との区別のない一元的世界をみている状態なんじゃないかな。異世界と現実世界は僕にとってそういうことだ。そして、僕が取材にいった人たちは異世界から帰ってきた。つまり、夢からの覚醒だ。現実世界との対比ができる状態となり、いままでの異世界を認識できる」
目が光に慣れると暗い穴のなかで電灯が向けられている状態でも周りが確認できるようになった。そして僕のまえにいる人物の姿が確認できた。それは僕がよく着ているパーカーにジーンズ、アディダスのスポーツシューズ、そして頭にはなぜだか宇宙飛行士を思わせる大きなヘルメットを被っており、顔は黒いアクリルガラスで覆われているせいで、本来、顔があるはずのところに僕の顔が映るばかりだった。
「その言い分じゃあ、覚醒せず夢のなかに行ったっきりになる可能性もありそうじゃん」
「それが神隠しだと思っている」
「じゃあ、神隠しに会った人はそれが異世界と知らずに過ごしているのかな?」
「おそらくは」
「なるほど……自己紹介が遅れたね。そうそう、不躾で悪いんだけど君に僕はどうみえる?」
ヘルメット男の認識と僕の認識はまるで違うのだろうか。僕はみたまま「ヘルメット男……いや、宇宙飛行士かな」と応えた。
「なるほど、じゃあ、僕のことは宇宙飛行士とかヘルメット男と呼んでくれ。うーん、長いな。いっそ、船長なんてどうだろう? このヘルメットはさ。アールストロング船長と同じモデルなんだぜ。知ってるかい? あの時代の宇宙服ていうのはもうオーパーツなんだ。というのも……」
どうでもいいことをペラペラと話していた。口を挟まなければこのままどうでもいいことを延々と話しそうな勢いがあった。だから間髪いれずに質問をぶつけた。
「いやいや、ちょっと待ってよ。君のことは船長て呼ぶよ。でもそれはあだ名としてだ。僕が知りたいのはそもそもの君の名前だ。 というか、なんでこんなところにいるんだ? 君は<組織>の構成員ではないのか? いや、そもそもなんでそのヘルメットはとらない?」
ヘルメット男はハリウッド俳優のように肩をすくめた。
「僕の名前は南魚武。占い師がつけてくれたラッキーネームだ。つまり僕は君自身さ。そして……君のいい方をそのまま使えば、ここは夢の入口だ。でも君はラッキーだ。まだ選択肢はある。引き返すか、このまま先に進むか。さぁ、選んでよ」
なにをいっているのかよくわからなかった。引き返す? 先に進む? 僕は真実を知りたいだけだ。
「先に進むよ。<組織>がなにを隠しているのか、どうして僕をここに誘い入れたのか」
船長は腕を組み、頷いた。
「承知したよ。でもごめんね。僕がみえてる時点でもう後戻りはできないんだ」
「じゃあ、なんで訊いたんだよ」
「どう応えるか知っていたからかな」
僕のため息は地下空洞のなかに響いた。
あらためてみるとここは六畳ほどの広さの石室だった。ところどころ崩れており、そこかしこに倒壊しないように鉄柱とジャッキで簡易的に補強されていた。そして、電灯や発電機らしき機材が置かれており、後ろには梯子があった。梯子を見上げると上には駅の天井がみえる。僕はいままでどこから降りてきたのだろう。あの暗く長い梯子はいったいなんだったんだろう。そして、後ろを振り返ると船長は消えていた。ただ僕の服とシューズが古代の石室の床に散乱しているばかりだった。




