黒咲夜子
私は今、二十二歳らしい。鏡を見るたび、その実年齢との隔たりに違和感を覚える。
私は五年間行方不明だったらしい。そして五年後、同じ場所で発見された。警察に通報があったようだ。「いきなり女の子が現れた」と、そのときのことはよく覚えていない。流星群を観察しに△市にある小さな山に来ていた人が倒れている私が目の前に忽然と現れ驚き通報したらしい。その後、警察署に連れていかれ、警察官に名前、住所、年齢を訊かれた。私は虚ろに「黒咲夜子、十七歳、△市△町……」と応えたらしい。
さっきから『らしい』としかいってないが、記憶がはっきりしないのだ。外傷はなく、健康そうにみえた。だが一応、病院へ行き入院、検査したが異常なし。放心状態だったが、次第に話すようになったようだ。そして五年ぶりに再会した家族をみて「あなたたち、誰?」といった。違和感しかなかった。私は私自身の名前と住所をいったらしいが、記憶が薄い、あまり覚えてないのだ。記憶喪失というらしいが、名前や住所はわかる。十七歳までに得た常識や習ったこと学校で得た勉学なども覚えている。ただ行方不明になってから発見されるまでなにをどうしていたのかさっぱり覚えていない。それ以前の記憶もぼんやりとしか覚えていないのだ。だから医者にはなにかしらの精神的なショック、としか診断しなかった。誘拐されていたときに暴力や虐待を受け、それらから自分の心を守ろうと記憶を抑え込んでいると。そして「焦らずゆっくり生活していくうちに思い出すでしょう。焦りは禁物です」といった。けれど私は本当に誘拐事件に巻き込まれたのだろうか。
私の姿は消えた十七歳の頃のままだった。発見されたときも着ていた服も消えたときのまま。警察は誘拐事件として私を捜していたらしいが、家族の誰も私が誘拐されたとは思ってなかった。家族は皆、私はUFOにさらわれたと思っている。ただ世間体というか便宜上、誘拐事件として話をするしかないのだ。そうでなければおかしな家族と思われてしまう。
「姉ちゃんは空からやってきたUFOに連れさらわれたんだ」
私を家に連れて帰ってきて家族でテーブルを囲んだときに一番下の妹、華が口に出した。あのとき十三歳だったらしい。父親のスマホで流星群を撮ろうとしていたときに空から光るものがこちらに飛行してきて、辺りを昼間より明るく照らし、目も開けられないほどの光で満たした後、音もなく空へと去っていった。そのとき私だけいなくなっていた。だから姉ちゃんはUFOにさらわれた、といっている。お父さんもお母さんも真ん中の妹、如月も口にこそ出さないがゆっくり頷いていた。
色々いいたいことはあるが、まず二十歳、十八歳の女が妹で、十七歳の私「姉ちゃん」はないだろう。そして、UFOとはどういうことだ。記憶喪失といっても一般常識は持ち合わせている。
妹の話が本当だとしたら私はUFOに連れ拐われて、アブダクションされ、アメリカの憐れな牛のようにキャトルミューティレーションされかかったり、ヒューメリアンやハイブリッドを産まされたりしてショックで記憶喪失になったということだろうか。そして光の速さで星間移動をしていたからウラシマ効果により歳をとらなかったとか。
そんな私の言葉に「やっぱり姉ちゃんだ!」と妹たちは手を取り合って喜び、両親は満足そうに微笑んでいた。いや、記憶のなくなるまえの私を家族がどういう目でみていたのか少し気になる。
自分の部屋に案内された。
五年の月日が流れているが記憶がないのだ、懐かしさはない。その懐かしさを望んでいる自分がいる。なにか記憶や心の奥底からよみがえるなにかがあったのなら、それをきっかけにして記憶が戻ってくるのではないか、と。しかし、案内された部屋はみたままの部屋だ。四畳くらいの大きさの部屋でただ机があり、本棚があり、ベッドがある。なんの感慨も湧かず、どことなく「ここではない」と心がいっている。
「実はあなたの部屋はふたりが使っていて……机もベッドもいつ帰ってきてもいいようにしておいたから」
お母さんの声が優しくいってくれている。
私は「ちょっと妹たちの部屋にいっていいかな」と妹たちふたりが使っている部屋に連れてってもらった。
「あ、姉ちゃん」
ノックをして入ると華がベッドにもたれかかって、如月がベッドのうえで寝転がってスマホをいじっていた。
六畳くらいの部屋に机がふたつに二段ベッド、本棚、可愛いインテリアや写真立てが置いてある飾り棚……ここで何年も過ごしたはずなのに、やはり期待していたような引っかかりはなかった。落胆しているのが顔にでていたのだろうか。
「まぁ、座んなよ」と如月が部屋に似合わない渋い紺の座布団を私に投げて渡した。
「はぁ」
座布団に座り部屋の中央にあるガラス板のテーブルに頬杖をついてため息が出た。
「まぁ焦りは禁物、て医者にいわれてるんだから焦らないようにね、姉ちゃん」
「でも、記憶がないってことは私たちが他人にみえるんだもんなぁ。不思議だよね。私たちには姉ちゃんなんだけどさ」
そして、記憶が戻るようにか、昔の家族の話や漫画やアニメ、ドラマの話……どれも引っかかりがなく、どこか別の家族の別の人の話に聞こえた。ふたりはそのうち自分たちの話に夢中になっていた。感じるのは疎外感、孤独感、不安感、それらが押し寄せてきて静かに私を潰してゆくような錯覚すら覚えた。
ふと写真立てが目に入った。そこには如月や華が写った写真。家族で撮った写真がいくつかあり、私が映る家族写真が一番上にあった。私は大事にされていたのだろう。行方不明になったにも関わらず、一番上に置いてあるのだから。その顔をみると確かに姉妹はどことなく似ていて、自分の顔も家族と一緒に笑顔をこちらに向けている。
「なぁんにも思い出さない。……もしかしたら、私、あなたたちの姉ちゃんの皮を被った宇宙人かもしれない」と力なくうなだれテーブルに突っ伏した。
妹たちがその姿をみると「いやいや、そういう落ち込み方とか姉ちゃんだって」とふたり同時にいった。
「そうだ!」如月がなにか思い出したようにいった。
「まだ……みえる?」
「なにが?」
「霊とかおばけみたいなの」
「なにそれ?」
「みえるっていってた。親には内緒だよって。まだうちら市営団地にいたとき、特に三号棟には近づくなって……華は小さかったから覚えてないと思うけど」
「ああ、ごめん。いったと思われる私自身も覚えてないや」
「じゃあさ、あのUFOの映像あったよね? あれみてみれば? たしかスマホ買い換えるときにSDカードに入れてさ。あれは確かお父さんが……」
私は如月の言葉に立ち上がると一階に走り降りて「お父さん! UFOの映像みせて!」といっていた。
お父さんは私が家に帰って来たからか、高そうなボトルを開け、顔を真っ赤にして気持ちよさそうにしていたが、私が入ると驚き、しどろもどろに「ええっと、どこだったかな?」とサイドボードにあるメモリらしき雑多なものがはいっている引き出しをみて悩んでいるようだった。
「ちょっと、みせて!」
引き出しのなかは百均のプラスチック枠で区切られ文房具、名刺が入った冊子あり、片隅にメモリカードが数枚あった。
「UFO、どれ?」
私は目に入ったハンディカメラを手に取ると、まず一枚入れたが、ズラっとスマホで撮った家族の写真があるだけだ。手早く抜き取り次のカードを入れる。
「姉ちゃんだね」
「うん、姉ちゃんだ」
後ろから声が聞こえるが構っている暇がない。次のカードもそれらしきものはない。最後の一枚もやはりなかった。
「あれ? 最後のカードがそれだったんだが……」
お父さんが酔っ払いながらも操作して「うん、間違いない」と冷静にいった。
「もしかしたらスマホ買い換えるとにSDカードに入れたはずが、データが壊れたのか……あ、これだ」
映像は流星群を映そうとしている華の声、スマホじゃ無理だよ、とお父さんの声。その声が慌てたものになる。『なんだ、あの光は?』『こっちに……』と華がいいながらスマホを向けようとしたところで切れていた。
「データが壊れてるな」
私はなにかしらの手がかりになる気がしたのに、まさかUFOの映像だけ壊れてるとか有り得るのだろうか。
「……そういえばさ、UFO騒ぎのとき研究家って人が来たとき映像をコピーして渡したよね?」と、如月がそっとお父さんにいった。
「それだ!」
私は叫んでお父さんの肩を掴んで「それそれそれそれそれそれそれだよ! 連絡先は?」と前後に揺すった。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
お父さんは酔っ払って力が入らないのかカックンカックンと揺らされるままになりながら手で私を制した。
「姉ちゃんだね」
「うん、間違いない」
妹たちの声が後ろからするが構っている暇がない。
お父さんはサイドボードの引き出しから名刺の入った冊子を取り出し、そのなかから一枚を私に渡した。
私の記憶を失った原因、私はそれをみる権利がある。記憶が戻らなくても私の五年と今まで生きてきた記憶を奪った事象をこの目に焼きつけてやる。その決意を胸に名刺を受け取る。
「お父さん!」
「はい?」
決意に満ちた私の声にお父さんの声は少し上ずった。
「これから私、高校に通いなおします。高三からやり直したいんだけど」
「ああ、そのことなら今、市の教育委員会からの回答待ちで……ほら、おまえさえよけれぱ外見、十七だし、転校生扱いでいけないものか、と提案してるんだが」
「だいたい、何日くらい待てば回答きそう?」
「一週間くらいかな?」
「じゃあ、明日、朝一で電話してこの人に会ってくる」
私は名刺をみた。
『UFO研究家・田島精一郎』と大きく名前があり、その下に住所と電話番号も合わせて記載されていた。
「さすが早いね」
「うん、姉ちゃんだ」
後ろから声が聞こえるが、とにかく今日は寝よう。
できれば明日すぐ会いに行きたい。