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△▽の怪異  作者: Mr.Y
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蓮と立花

「ではグラウンド外周ランニングしてからウォーミングアップ、全員基礎トレーニング後でイレギュラーとレギュラーメンバーで別れてパスワークの練習と……」

 部長の七宮くんのハキハキとした声色は次第におどおどとして最後には完全に消えてしまった。

 それで僕は我に返った。七宮くんの話を訊きながらも、頭は別の事を考えていたせいで、怖い顔をしていたのかもしれない。僕は慌てて「ああ、なるほど、以前いっていたレベル分けでの練習だね。よし、それでいこう」と取り繕うように精一杯の笑顔でいった。

 七宮くんは怪訝そうな顔をしたが、僕の怖い顔は部活の練習メニューのせいではないと気づいたのか、気を取り直してグラウンドへ駆けていった。

 今日は<組織>の幹部と会う〇月×日だった。一時はほぐれたはずの緊張もまた日増しに戻ってきており、今は最高潮に緊張しているかもしれない。もし僕が胃潰瘍持ちなら脂汗を額に滲ませながらうずくまって腹を押さえていることだろう。いまはただ、いつになく落ち着かない。校内の窓ガラスに映る僕の顔からは笑顔は消え、また険しさを増してきていた。

 幹部との飲み会(食事会?)の用意はある程度すませているが、食材の方はまだだった。この午前の部活が終わったら早めに買い出しに行こう。

 もうなにも失敗できない気がする。もし次に失態を犯したなら<組織>が僕をどうするのか考えただけで怖い。そもそも今回、幹部が僕に会うという目的も最初の頃から変わっているに違いない。いままではおそらく僕を新しい幹部に昇格させるために僕に会い、僕という人間をみるためだったのだろう。けれど今は失態をしてばかりの僕に対していい印象もってないはずだ。

 そもそも幹部に云々のまえに僕も<組織>の仕事でヤバい仕事を知らず知らずにしているはずだし、学校の教師や生徒の個人情報や写真を<組織>に渡している。<組織>は一部の警官とも繋がりがあるらしいから、僕を陥れ、社会的に抹殺することも容易いのではないか。

 それなのになんで暢気に僕の家で飲み会とか……いや、こうなったら挽回のチャンスをつくってくれている、と思うしかない。

「戌角先生」

 物思いに耽っている最中、肩を叩かれて僕はちょっと驚きながら後ろを振り返ると橘先生の笑顔があった。

「驚かさないでくださいよ」

「あ、ごめん、ごめん。なにか悩みごと? 廊下で突っ立ってないで、サッカー部の指導いかなきゃ!」

「いえ……生徒の自主性に任せた方がいい場合があるんじゃないかなぁと思いまして」

「それはいいことだと思います。やっぱり戌角先生は生徒のことを考えているんですね」

「いや……」橘先生の無邪気な笑顔になんだか僕は口ごもってしまった。実際は生徒についてはあまり考えてなく、自分のこと(しかも裏社会的な事柄)で精一杯だったからだ。そんな僕の心情が顔に出てしまったのか、橘先生はさきほどとは違う種類の笑顔で僕の顔を覗き見た。

「そういえば気難しい友達が来る日って今日じゃなかった? そのことで悩んでるんじゃない?」

「そうなんです。なにが喜んでもらえるか、また悩んじゃって……」

 図星だった。むしろ橘先生は最初からそのことをわかっていたようにも感じる。おっとりとした雰囲気の人だが、やはり鋭いものを持っているのかもしれない。人は見かけによらないとは本当のことだと思う。でも少し引っかかった。

「あれ? でも橘先生、今日は休日ですよ。学校になんの用ですか?」

「ちょっと野暮用かな」

 仕事は家に持ち帰ってやれるものばかりだったし、橘先生の顧問の部活は確か文化系だった気がするから休日なのに学校に来なくても良さそうだった。ただ橘先生の瞳と言葉には僕に向けての含みがあった。そしてその含みにはかすかに甘い香り漂っていた。

「じゃあ、あと二時間したら部活の方が終わるんで、それまでに野暮用を終わらせておいて下さい。もしできたらでいいんですが、ちょっとつき合ってもらえますか?」

「どうしよっかな?」

 橘先生は考えている様子だった。いや、考えているふりだろう。僕が次にいうであろう言葉を待っているのだ。なんかわかってしまった。何度も経験があるがこういうやり取りは大好きだった。だからついつい「一緒に食材の買い出し、つき合ってもらえませんか? 橘先生なら気難しいやつでも喜びそうなものを選べるんじゃないかって思いまして」といっていた。

「仕方ないなぁ……じゃあ二時間後、職員室で!」

 頼んだのは僕だ。けれどなぜだか橘先生にいわされたような気がした。相手は歳上で好みのタイプとは違う。遊びでつき合うならまぁいいかもしれないと思っていた。けれどいつの間にか僕の心の奥に橘先生は忍び込んでいた。

 もしかしたらこの胸の高鳴りは吊り橋効果的なものかもしれない。でもまぁ。こんな状況なら仕方ない。いまは勘違いでもなんでも力になってくれる人がいるのはありがたい。

 少し気が晴れ、グラウンドへいくとサッカー部はみんな必死に練習メニューをこなしていた。七宮くんを選んでおいて助かったかもしれない。僕なしでも練習は滞りなく行われている。

 理想に燃える生徒ほど使いやすい。熱すぎて反感をかうかもしれないが、そこは監督として部内の統制をとっていけばいい。けれど七宮くんの人間性やクラス内の評価は下がるかもしれないけど。まぁ、顧問としては部内がまとまればそれでいいかな。部活が終わると一礼した後、部員に対してテキトーなアドバイスもそこそこに職員室へいった。

 職員室では資料ファイルを片づけている橘先生がいた。

 なにもそんなにまで資料を出さなくてはならない仕事でもあったのだろうか。他学年の資料まである。

「橘先生、もしかしたら他学年の先生にもなにか頼まれました?」

「うん、まぁね」

「休日出勤までしてすることですか? できる範囲でやってた方がいいですよ」

「頼まれるとやらなきゃいけない気がしてさ」

 橘先生は困ったように笑った。

「はぁ、僕にいってくれれば手伝いますよ」

「後輩くんにはまだ頼めないかな……でもいずれ頼むかもね」

「でも断れる仕事なら断った方がいいですよ。あんまり抱え込まないでくださいね」

 話しながら橘先生に手渡されたファイルを戸棚に戻した。

 それにしてもお人好しというか、なんというか……橘先生は机の上にある、いま作ったであろう資料をバッグにしまった。

 普段使いの仕事用のバッグの他に品のいい革製のハンドバッグに目が止まった。

「いいバッグ持ってますね」

「休日だからね。これから出掛けようと思ってたから……」

 そのバッグには金のプレートにHとエルメスのロゴが入っていた。なんとなく高そうなバッグだし、橘先生の着ているものも白い大きめのざっくりニットにベージュのゆるくふわっとしたスカート、赤茶の革製のブーツだった。その姿はいつもの地味な高校教師とは違って見えた。そういえば化粧もいつもと違うのか雰囲気が華やいでみえる。春の休日にショッピングにでもいく女性といった雰囲気だ。

「なんだか悪いですね。そんな日に僕と……」

「ううん、いいよ」

 橘先生はもうこれ以上いわなくていいよ、と目でいっていた。

 僕らはそれから駅近くのイオンモールで食材を買った。

 買い物よりも橘先生の話の方が楽しかった。

 第一印象はおっとりとした雰囲気だったが、話してみると意外にもYouTubeでメイク関係の動画で人気のあった人らしい。今はチャンネルはないらしいが、嘘をいう人ではないし、化粧品売り場を横切った際、橘先生に向かってさりげなく手を振る店員や会釈する店員すらいた。

「その頃はYouTubeで少し有名になるだけで結構稼げたから。けど欲しい化粧品とハンドバッグ買うとお金なんてすぐなくなってしまうんです。いまとなっては恥ずかしいだけですけど」

 謙遜にしか聞こえなかった。

 他にもコスプレイヤーのメイクを手伝ったり、一部、マイナーな写真集のメイク担当にもなったことがあるらしい。

「けれど本格的なメイクするためには美容師免許がいるんです。私は取らなかったから」

「もったいない」

「ううん、人のメイクやYouTubeじゃあ、いまのように暮らせないでしょ?」

「もっといい暮らししてますよ」

 職員室でファイルを整理したり、プリントを作ったりするよりは楽しい人生のような気もする。けれど橘先生は「ううん、私は普通に暮らしたくなったの」といった。

 僕とは正反対だ。普通の暮らしより、自分らしく特別な暮らしの方がいいに決まっている。けれど橘先生は普通に暮らしたいと思えるくらい特別な暮らしだったのだろう。革製のエルメスのハンドバッグが静かにそれを物語っていた。


 夕暮れで次第に暗くなるまえにアパートの僕の部屋に着いた。橘先生と食材とお酒、お茶などを部屋に運ぶと少しほっとした。<組織>の幹部だろうと、ただ飲みにきて僕と話がしてみたいだけじゃないか、と気楽にできる気持ちに切り替えられたのは橘先生のお陰かもしれない。

「じゃあ、ちょっと仕込みをしますんで、橘先生は少しゆっくりしていてください」

 でも少し困った。あまりゆっくりされても困る。けれど無碍に帰すのも気が引ける。そして、それとは別に橘先生ともっと話したい自分がいた。もし許せるなら顔も知らない<組織>の幹部より橘先生と一晩、食べて飲んで語った方が楽しいのではないだろうか。

 橘先生は僕の後ろから料理をしているのを覗き見ながら「ねぇ、こういっては悪いかもしれませんが、戌角先生、学校以外では名前で呼びませんか? お店でもお互い先生、先生なんて呼びあって、変でしたよね、私たち」と笑いながらいってきた。

「いいですよ、立花(リッカ)さん」

 始めて橘先生を名前で呼んでみた。さらっといったつもりだが、ぎこちなさが滲み出てくるような響きだった。

「はは、なんだかぎこちないよ、(レン)くん」

 僕の気恥ずかしさを気づかれていた。そして立花はぎこちなさもなく、まるで何度も呼んだことがあるみたいに、さらりと僕の名を呼んだ。

 その時、ずどん、と背中を刺された。

 その痛みは心臓にまで響き、身体が強ばり倒れた。いままで持っていた包丁が床に落ち、跳ね返り、銀のきらめきとともに転がった。なにがどうなったのか理解ができない。ただ刺された場所を手で押さえたがそこには服も裂けてはいないし、傷も出血もないとだけはかろうじてわかった。

「立花、大丈夫……」

 大丈夫かどうか訊こうとしたが言葉が出てこない。なぜなら立花はいつもと変わらないおっとりとした雰囲気のままの笑顔でしゃがみこみ、倒れた僕を見下ろしているのだ。左手にはハンドバッグを右手には映画やドラマでみたことのあるスタンガンが握られていた。

 なぜ? どうして? 頭の中を疑問だけが駆け巡る。この状況をどうやっても頭も心も認識してくれない。ただ動けず、立花を見上げてひとつ気づいた。ハンドバッグはバーキンではないだろうか。一度<組織>の連絡で見た気がするが、瓶のことや失敗が重なってよく見ていなかった。流し見していたのでバーキンというブランドかと思っていたが、ブランド内のデザインの名前だとしたら? 数ある疑問のなかで解答を求め、必死に回転している僕の脳がそんな推理を呼び起こさせた。つまり<組織>の要注意人物のバーキンズが立花だとしたら僕は。いや、そもそもなぜ僕なのか? なにが目的なのか? さっきまでのいい雰囲気はなんだったのか?

 ひとつの推理ができたところで疑問は広がりをみせ、僕の頭の許容範囲を大きく超えたできごとを理解することができない。ただこのままではどうなるのかわからないという身の危険だけは激しく感じられた。

 僕は跳ね起き逃げようとしたが身体に力が入らない。その動きを制するように非情にこめかみにスタンガンが押しつけられ床とスタンガンと板挟みになった。そしてまた全身に衝撃が走った。僕は意識を失う。

 最後にみた橘立花(タチバナ リッカ)の顔はいつもと変わらないおっとりとした感じで、まるでひなたぼっこをしているような雰囲気だった。

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