南魚と<組織>
僕は瓶を失った。つまりは<組織>が奪い返そうとしているものを無くし、<組織>との接点を失ったのだ。これが<組織>に知れることとなればの話だが。
妙な情報網を持ってる<組織>のことだ。瓶を失った情報を掴むのにさほど時間はかからないだろう。奥さんの話からすると拝屋礼さんは<組織>側の人間である可能性が高い。今もなにかしらの方法で<組織>が拝屋家をマークしているだろうか。
しかし、旦那さんが行方不明になって奥さんは警察に連絡しているのだ。捜査線上に<組織>絡みの案件が出てくるに違いない。そうすると<組織>にとっては都合が悪い。いや、拝屋礼さんが行方不明になったというのに<組織>は拝屋家に一切接触してないようだった。つまり自信があるのか? 警察の捜査では拝屋礼から<組織>へは絶対にたどり着けないとか? それとも中年男性の行方不明なんて警察は真剣に取り組まないのかもしれない。もし、拝屋家がマークされてないとなるとまだ僕には手札が残っているということになる。
それにしても手札の瓶のことだ。日高くんには悪いが少しホッとした。あれはいくら(拝屋さんのように)扱いが慣れているとしても個人が所有していいものではない代物だ。夜子さんと雫さんの話を訊くと対処しようもない、なにか分類不能の怪異が瓶の中に閉じ込められていたことになる。いや、そもそも、そんなものを<組織>はどこで手に入れ、どうしようとしていたのだろう。やはり研究なのだろうか。あれがなんであるか徹底的に調査するとか? いや、それともあれが人を消すために必要なのではないだろうか。あの雰囲気はどこのホラースポットより背筋の凍るものだった。(よくよく考えれば夜子さんは、あれを平気で開けられたものだ。日高くんですら怖がったというのに)使いようによってはナイフや拳銃を使う必要がなく、人を殺傷できるとか。……けれど狙いたい人ばかりか、瓶を開けた人間もやられるし、拝屋礼さんのように本物の霊能者ならば除霊されてしまうかもしれない。となるとやはり研究だろうか。それとも人づてに呪物を渡すことに意味があるとか。それとも以前、推測したように個人で持ち歩くより人づてに手渡しし、呪いを分散させ封印するところまで運送するとか……考えればキリがない。
ここは日高くんの言葉を借りよう「いまはあっちのターンだ。こっちは静かにしといて、あっちの動き次第で動くまでだ」
考えても答えはでない。単純に情報が少なきすぎる。
それにしても日高くんにどういおう……とりあえず<組織>が動くまで黙っておいても大丈夫だろう。
「うっす」
そのとき玄関から日高くんの声がした。思わずビクリと驚いてしまったが「おかえり」と日頃と同じ口調で返事ができた。日高くんは買い物をしてきたのかガサゴソとエコバッグの中身を冷蔵庫に入れていた。
僕はほっとして、ノートパソコンに向かい、書いていた記事を読み直す。
色々、考えごとをしながらノートパソコンで『町のお祓い屋』を執筆していたがほぼできあがっていた。拝屋の奥さんから預かった(正直、目新しいものはなかったが)ノートが役にたった。
「それにしても遅かったね。そんなに仕事が増えたん?」
「ああ、仕事が増えても人員は限られてるからな」
「正直、役所って残業とかないと思ってたわ」
「んなわきゃねぇだろ? 娑婆と違ってないのは残業代だよ」
「世知辛れぇ」
「おまえの仕事はどんな?」
「だいたい完成。あとは煮詰めて書いて、一晩寝かせてから修正かな?」
「カレーかよ。まぁ、今、晩飯の支度すっから、作業服、試着してみてくれ。ちょっと普通のより小さめなんだよ。Lって訊いてたけど一応、XLも持ってきたから」
「ありがとう」
僕は紙袋から作業服を取り出し言葉を失った。その少し濃めの水色の作業服に見覚えがあったからだ。
それは僕が幼い頃に三号棟の階段でこの世の秘密を語ってくれたおじさんが着ていたものと同じものだった。
すべては繋がっていると確信した。
僕はそれを解明したい。いったいなにが起こっているのか。人知れずひっそりと動いている者たちはいったい何者なのか。
社会の裏で活動し、オカルトや怪異のことを知っている<組織>を追えばきっと僕が知りたいことに繋がっていくだろう。
僕は試着しながらぐるぐると頭のなかで考えていた。
そんなとき鏡に映った作業服姿の自分がまるで自分の皮を被った別人のような感覚があった。着慣れてない服を着たからだろうか。その姿をまじましとみているうちに奇妙な考えが沼から湧き出る不吉な泡のように湧き上がってきた。
僕は<組織>の人間と同じ人間ではないだろうか。
怪異を理解し、一般人とは違う視野で生きている。いつも不思議に思っていた。なぜ他人は怪異に対して執拗に「なかったこと」にしたがるのか。体験談を訊いてしばらく経ってから再び取材にいくと「あれは目の錯覚だったかも」「空耳だったかも」と忘れたがるのだ。まるでそういうのが常識で、その詳細を訊ねることは非常識だといわんばかりに。
だが実際に体験したのだ。その体験を差し置いて、過去を振り返り常識に外れた体験を否定する。なぜなのだろう。整合性、常識、科学的視野。それは必要なものだろう。けれどそれでは怪異を捉えられない。常識や科学的視野の範囲外で起こることだからだ。
僕は怪異の存在を忘れはしない。幼い日、僕は出会ったのだ人の姿をした人でない者に。
「おう。鏡の前で真剣な面して、デート前かよ」
気づくと野菜炒めと味噌汁のいい香りが部屋中に漂っており、僕はかなりお腹が減っていることに自分自身のことながら今さら気づいた。
「まぁね。会いたい人に会えるんだ。そりゃ気合いも入れるさ」
「肩透かしくらうかもよ」
「それは慣れっ子だから大丈夫」
「慣れたくない慣れだな」
日高くんは笑いながらテーブルに晩ごはんを並べた。
「まあ、ほぼただの工事現場だろうけどな」
「ほぼ、ていうことはわずかな可能性として、なにかしらの儀式をしてるかもよ? それか封印されようとしてるなにかを拝見できるかも。ときめくね」
テーブルに並べられた野菜炒めとごはんを前に「いただきます」といい、箸をとりながら話した。
「工事現場をみるだけなら大丈夫だと思うけど……一応、アドバイスしておくと仕事は朝午前八時始まりで凹凸建設の作業員が集まり点呼する。それと昼休みから午後一時半にまた作業が再開するときにまた一応の点呼があるらしい」
「じゃあ、忍び込むのは午前九時から昼、午後二時から終業までか」
「ただ、作業員は顔の見知った人ばかりだろうから、狙うのは資材搬入時か、役所の確認だけど役所はあとは最終確認だけだから、資材搬入時しか狙うときはないかな。資材搬入がいつ来るのかはわからないけどな」
「バイトとかは雇ってないの?」
「ないみたいだ」
「逆に忙しそうなときを狙って紛れ混むとか……」
「一応、いっておくと、その作業服は市役所で現場確認の際に向こうに着てくれと渡されたものだけど、ホームセンターで買えるものだ。あと刺繍もホームセンターで入れてもらえるからな」
「捕まったときはそういうよ。ていうか、捕まるって思っているよね?」
「十中八九」
「一割か二割は逃げ切れるじゃん」
「低い逃走率だな」
「全盛期のイチローの打率だって三割だよ。僕にしては高い確率だ」
「もし、<組織>関係の仕事ならみてわかるものか? 俺は<組織>はただの秘密結社にしか思えないんだがな」
「わかる。僕もフリーライターだけどジャーナリストの端くれさ。情報のことなら任せてよ。<組織>関係のことは執筆作業の合間にまとめてあるし、信頼できる人にいままでの分は渡してあるから僕が捕まったり、消されたりしてもどこかで<組織>のことは公開されるよ」
「なかなか忙しいな」
「娑婆と違って長々働いても残業代はでないけどね」
日高くんは「一緒だな」と笑った。
「そうそう、明日にも俺、帰るわ。なんか警察に訊いたら空き巣はおそらく単独犯らしいからな。<組織>の動きにしては雑だ。構成員のひとりが先走ったんだろう。だから<組織>に揺さぶりをかけるためにも、家に帰るわ。後片付けもあるし。まぁ、短い間だったけどありがとな」




