放浪阿闍梨への取材
本来、阿闍梨とは先生を意味し、深い悟りと極意を身につけ弟子を導く者である。
ちなみに現在の日本密教では阿闍梨はもはや資格であり、実質的な内容を伴うものではない。高野山真言宗では一般の僧侶が持つべき最低限の資格ともされている。
その阿闍梨と名乗る者が依然から掲示板サイトで「ワイ、放浪阿闍梨なんだけど除霊が必要なら受けるスレ」というスレッドを立て、呪われた地域や人の話、依頼を受けるとわざわざ訪ねていくという行為をしていた。さすがに現在ではスレッドは立っておらず、part.七十八で終了しているが、今はどうしているのか噂の放浪阿闍梨について、ついにMU編集部が彼の正体を暴く!
(現在、Twitter、Facebookをメインに活動の場を移したことを書くべきか? それだと掲示板サイトで活動し始めたという話題性が薄まる可能性もあるか? 締切まで熟考。以下、文字起こし)
「こんにちは。MU編集部の飯島といいます。それでは準備はよろしいでしょうか?」
「はい。こんにちは。放浪阿闍梨の阿田大輝といいます。準備はいいですけど、わざわざ袈裟着んでもよかったのでは?」
「いえ、インタビュー終了後に御祓の撮影をありますんで。あっ、もしかしたらいつもは……」
「うん、普段着。出歩いてお客さんに会いにいくから、いっつもワークマンかユニクロやけど。まぁ、雰囲気重視する人もいるから袈裟着るときもあるわなぁ。あとな、私、坊主なんで御祓っていうのもなぁ、あれ、神主さんのいいかただろう? 私らは加持祈祷といいます。まぁやることは悪いモノを追っ払う。悪いモノから護るてことだから手段が違うだけで一緒ですけどね」
インタビューは現在、旅の途中でもあるというのでG県の温泉旅館の一室で行われた。年は二十八と若く、僧侶というよりは登山家のようなワイルドさと溌剌とした陽気を持ち合わせていた方だった。関西出身らしいイントネーションが親しみやすさを感じさせる。
「なるほど。つい先日、三柱さんの方々から御祓みせて頂いたばかりなので、祈祷のほうをみさせて頂けるのが、いまから楽しみです」
「ああ、あの人たちが? 写真とか映像ある? 私も興味あるから観たいわ」
(インタビューを一時、止めて三柱の御祓の動画を一緒に観る。阿田さんの感想と見解については資料No.一。今回の記事では使えないかもしれないが、密教と神主の御祓、祈祷の相違類似点について興味深い内容。紙面の都合で入ればさわりの部分くらいは使いたい。もしくは特集提案)
「始めたきっかけはどうしてなんでしょうか? 掲示板サイトにスレッドを立てるなんてなかなか訊きませんから」
「うん。part.一の最初にも書いてある通り幅広く衆生を救うためです。そのために生まれながら霊感があり、修行を積んだという縁もありますから」
「大変興味深いです。阿田さんの御実家はお寺ではありませんよね? プロフィールには縁あって修行したと。つまり修行で鍛えられたのではなく、生まれながら霊感があった。つまり霊感があったから密教の道へいかれたのですか?」
「うーん(しばらく悩む)そこは難しいところ。密教があったから私に霊感が身についたかもしれんし、私に霊感があったから密教が用意されていたかもしれんと。もし、弘法大師さまがいらっしゃらなかったら、恐れ多いことですが、私が密教を開いていたかもしれん。いやいや、やっぱり、弘法大師さまがいらっしゃったから、私がいるのかもしれん。まぁ、『縁』あって、いまの私がいるということでしょうな」
(正直なにをいっているのかわからない。仏教徒としての論説とか人生観なのかもしれない。私見は書かず、そのまま書いたほうが面白いかもしれない)
「修行のほうはやはり高野山のほうで行われたのでしょうか?」
「うーん。それがな、霊感のある人間は割り振られるん。作務(通常業務)する人、指導者を目指す人。そして霊感がある人……とね。密教の由来はwikiでも検索したらいいねん。それが大多数の歴史家、一般市民、衆生にとっての密教やけどな、もともと。私らは違う。国家安寧のための存在です。弘法大師さまは仏教の教えだけでなく、帝や貴族の相談相手……とりわけ土木建築にも造形が深かった」
「仏教だけでなく、土木建築」
「そう。とりわけ治水管理やな。河川の管理を制する技術を古代中国から積極的に取り入れていったんよ。現代はもう私らの分野ではないし、本物の土木建築業者に任したらいい。だから修行ではそこまではもうやることないから、儀式と精神、真言と印の修行を重点的に行いました」
(文字起こしでは長くなるので修行内容をまとめたものは資料No.二)
「それにしても治水管理と霊感とは結びつくんですか?」
「あったり前です。衆生を救うもっとも現実的で重要なものです」
「そうですよね」
「それと、治水は流れです。気脈、龍脈ていいますでしょ? それを制すればその土地の意味合いも霊的に変わってきます」
「それは風水的な?」
「ああ……風水はくわしくないんでわかりませんがね。人が住みやすくするのとはまた違った意味で土木建築は必要な面があるんです。奈良の大仏殿ができたときに大量の水銀が使われました。一説にはその水銀が空気と土地を汚し、人体に蓄積されてしまったわけです。そのおかげで疫病が蔓延したと。つまりは日本初の公害です。そして政治も機能不全に陥ったのでしょう。すぐに遷都された。しかし、その公害の真っ只中でも南都仏教は遷都せず居座り続けた。そこになにかがあったのでしょう。ただ権力者の箔付けのための宗教だっただけではない、なにかが。公害のなか、なにかと戦い続けたのでは? それを証拠に現在でも盧舎那仏が鎮座しておられる……もちろん、私個人の見解ですがね」
「面白い話ですね。では日本各地にある神社仏閣や土木建築、治水工事にはなにかしら霊的な戦いが存在したと」
「私はそう思います。霊的に感じるものと現実とは大きな乖離があり、理屈ではなかなか具体的に説明できないんですが……わかりやすい例えがあるとすると江戸です」
「江戸ですか?」
「音で読めば『穢土』となり、穢れた土地を意味します。古来より都からの流刑地であり、貴族たちにとっては人生の墓場でありました。かの大怨霊・平将門もかの土地を支配し新皇として君臨しようとしました。源頼朝の流刑地先でもあります。そして豊臣秀吉に目をつけられた徳川家康がいままで所領していた土地を没収され、渡された土地でもあります」
「ですが、徳川家康は天下を統一して二百六十年も続く幕府を……」
「そうです。まず『穢土』を渡された徳川家康が行ったのは埋め立てです。丘を山を切り崩し土地を作った。巨大な地鎮プロジェクトだったのではないでしょうか。そして天下統一を果たして真っ先にやったことは各国の大名を従えて江戸の都市計画です。そのなかの計画相談役が天海和尚です。それまで歴史に出てこなかった人物が江戸の都市計画にいきなりあらわれます。戦国時代の現実には活躍しなかった。けれど霊的には実力者だったのでは? 湿地を埋め立て、なくてもいいはずなのに丘をつくり、坂道をつくった。河川を町中に這わせて物流と人、気や霊的な流れをつくり、さらには流れと起伏からなる魔法陣を作り、土地の意味合いを変えて『穢土』を『江戸』に完全に変えてしまった。そのうえ三百年の都とするため陰陽五行説に則り、東海道、海、山など周囲は白虎、青龍、朱雀などの四聖獣……さらに玄武の要となる場所には日光東照宮を建て、徳川家康自身が大正大権現となり江戸の町は完成したのでは」
(陰陽五行説と四聖獣については資料No.七参照)
「なるほど……だからあれだけ発展を」
「いえ、発展の最中だと思います。明治維新のおりに名前が東京に改名されました。『穢土』という名前を奪った。さらに物流が河川や海運から汽車に変わった。そうするとできたのが……」
「山手線?」
「そうです。毎日何度も円を描き続ける巨大な機械仕掛けの魔法陣となります。そして不可解なほど蜘蛛の巣状に入り組んだ道路網が籠目……つまりドーマンセーマン、五芒星、ダビデの星などに由来する封印の印です。それがさらに霊的にあの地を護っている。おそらくまだまだこの計画には先があるのでしょう。そう考えれば私の祈祷の旅なんて端下の仕事ですよ。ただやらなくては誰かが困るので修行としてやっております」
「なかなか面白い話を頂けました。では公共機関にも霊的な職がある可能性も? 現代の陰陽師のような」
「それはわかりかねます。それこそ、下っ端の私が知らんこともあるかもしれません」
「色々、旅しているとそういうひとに出くわすこともあるんじゃないですか?」
「人はありませんが、そういう工事だろうな、というものは多々ありますね」
「ほう、それは……」
「一番気がかりだったのはN県△市……おそらく市の真ん中を横切るように大きな河が流れていたのでしょう。それが治水工事と上流にダムを築くことにより洪水や氾濫を防げるようにはなったようですが。その河川の流れ、いや土地そのものかもしれませんがよくない感じがありました。昔からなにかと因縁があったのでしょう。そこいらで工事していたので、あれがたぶん先程、私がいったような封印なのかも……ただ、あそこは他にはない異質な雰囲気を醸し出していました」
(土地と土木建築による封印の話が長くなり、ここで流れを変えた。ここの部分は使いたい。以下、祈祷の話。怪談話)




