黒咲と怪異
すべてを話し理解を得られたのが嬉しいのか、雫は胸を撫で下ろし、雫のお母さんはほっとした様子だった。
正直にいおう。いまので本当にいいのか? みんな理解したのか? 中途半端なオチのない怪談を聞かされたようにしか思えないのだが。
私の心配をよそに、南魚さんにいたっては雫の話の途中で仕事をする男の顔になり、メモ帳を取り出し、雫の話を必死にメモ書きしているし。雫のお母さんは聞き慣れた様子で雫の話を聞きながら南魚さんの顔色を伺っているようだった。
「あのぉ、私はそのついでに家にお邪魔させていただいているわけです……はい。以上かな?」
なんか場違いなことを話しているような気分にすらなってくる。いやいや、怪異だの、ヤバいものだの、もうひとりの私だの理解の範疇を超える話をしてなぜ三人とも納得しているんだろうか。南魚さんは仕事上、そういう話を面白おかしく書かなければならないのだろうから仕方ないかもしれないが、雫のお母さんまで。いや、やはり拝屋家は霊媒師の一家なのだろう。でもこの中途半端なオチのない怪談みたいなのが心霊現象なのだろうか。
「信じられなくてもしかたないよ」
戸惑う私の顔をみて雫はいった。
「まぁ、私は雫が自殺願望をもってなくてよかったよ」
そういうしかなかった。他になにをいえというのだ。例えば瓶詰めの悪魔に殺されなくてよかったね、とか三人に話題を合わせたほうがいいのだろうか?
「夜子さ。マックで私に起こったことを箇条書きのようにいってみてっていったの覚えている? ちょっといってみてよ」
さらっというはずだった。けれど言葉が出てこない。
「自殺するとかいってフェンスに登ったから、引きずり下ろした」
「いや、夜子はこういった。私が小瓶を取り上げる。水が零れ落ちる。コンクリートに染み込む水。円を描いた小瓶。屋上は船。周りは漣立つ音……あとは確か私をフェンスから引き剥がしたとかだったかな?」
「覚えてないや。そんなこといった気もするけど、そのときは気が動転してたから……」
「じゃあ、なんで先生呼ぶなり、保健室に行くなりしなかったの? なんで明るく賑やかなところで私を休ませたの?」
それは私もそのとき疑問に思ったことだ。言葉に詰まっていると雫は南魚さんに目配せをしてふたりとも頷いていた。ふたりには私が疑問に答えられない理由を知っているのだろうか。答えられない私に「それが怪異」と雫はいった。
「前後の意味は理解できる。けれど怪異の最中を正確に言い表すことは難しい。なぜならこの世の現象ではないから」
「そうだとしたら、いつの間にか終わってたし、雫は飛び降りなかったし……もしかしたら、私が除霊だかお祓いだかができたことになるわけ?」
「それはわからない。ただ、いなくなる場合もある」
「呪われて身体のなかにいるとか?」
「それはないなぁ。気配がないもん」
「つまり怪異って?」
「いったでしょ? 人智を超えた現象。まぁ、霊感ないとそれが起こったかすらわからないものの方が多いから……ただ、今回はなにごともなかった。運が良かったのか、ヤバいものの目的が私たちじゃなかったのかわからないけど。まぁ霊感のない夜子にはなにがなんだか理解できないかもね」
その言葉になんかカチンときた。「そうはいってもね。これでも私、記憶喪失になる前はかなり霊感あったと妹たちがいっていたし。霊とかおばけとかがみえるって、そして昔、市営住宅に住んでたんだけど、私たちの住んでる近くの棟には近づくな、と妹たちに忠告したりしてたんだ。記憶が戻れば霊感も戻るかもしれないし」と柄にもなくまくし立ててしまった。
「おっ、じゃあ、はやく記憶戻して御祓屋でバディ組んで一儲けしようぜ」と雫はうれしそうにいった。
「ちょっと待ってよ。いま、市営住宅ていわなかった?」
急に南魚さんが驚いた顔で訊いてきた。
「あっ、はい」
「いってはいけない棟って、まさか三号棟じゃない?」
「そ、そうらしいです」
確か妹たちがいっていたのは三号棟だったと思う。私の言葉に雫のお母さんもなにか思い出したのか「あっ、夫も市営住宅に仕事にいったことがあります」といった。
「え?」南魚さんは驚き、言葉を失った。
「はっきり覚えていますよ。だってあの日、帰ってきたら髪が真っ白になってしまっていたから。確か三号棟で除霊だか失せ物探しだったか……仕事の内容は忘れましたが仕事が終わってから、ひどく疲れたのか何日か寝込んでいました」
南魚さんはその言葉を訊くとなにか合点がいった顔をして「長くお邪魔になりました。ノートはそのうちお返しします」と立ち上がった。
「ちょっと、三号棟になにがあるんですか?」
「いまは大丈夫。三号棟は耐震性に問題があって取り壊されたから。公園になっている。でも怪しいところには近づかないこと。いいかい? 今回は瓶のものもなんとか逃げ切ることができた。でもいつでも逃げ切れるとは限らない。興味本位で怪異に近づいてはいけないよ。鬼ごっこの鬼から逃げるように必死に逃げるんだ」
そういうと南魚さんはいってしまった。
「近づくなっていってもねぇ」
雫はにやにやしながらいった。
「誰かさんは感覚ないから」
「失礼なやつ。霊感なんてあっても、みなくていいのに怖いものをみてしまうだけでしょ? なんでそんな感覚がある人とない人がいるのかわからないんだけど。怖いものなんてみなえない方がいいじゃないか。危ないものと知らずに近づいてしまうのは怖いけど」
「だから私、頼まれたのかも黒咲夜子にさ」
二十二歳の黒咲夜子、こんな女じゃなくイケメンの霊媒師はみつけられなかったのか。少し恨むぞ。
「ふぅん。あっ、私も遅くなったのでそろそろ帰ります」
これ以上いたって謎の霊感マウントとられるだけで、なんかムカつくだけだ。
そういえば巫病云々と中二病みたいなこといってたな。
「そうそう、雫の髪が白くなったのは巫病が原因らしいですけど、本当ですか?」
雫のお母さんに訊いてみた。私の推察では雫の白髪は巫病じゃなくて中二病だろう。雫は思春期特有の漠然とした劣等感から自分が特別な人間だと思いたいのだ。そのために霊感などという人生において、これといって使いどころがなく、目立たない能力を有難がっているのだ。あれば人とは違う特別な人間になれるから。しかもそんな特殊能力、あるのかないのか、誰も確かめる術もない。単純に周囲から特別視されたいのだろう。そのためにわざわざ髪を白く染めているのだ。お堅い進学校の生徒が髪を白に染めてるとなれば目立つし、その理由を霊感云々にしておけば自己顕示欲が満たされる……大方、こういったところだろう。しかし、見事に私の推察は外れた。
「ええ、高一の頃に巫病で寝込んでしまい、それから白くなってねぇ。最初、黒く染めていたんだけど、お父さんに霊感がついてきた証だって励まされて……色々、周囲から浮く子だったけど、いい友達ができて。最近は帰ってくると夜子さんのお話ばかりで」
「ちょ、ちょっと、お母さん!」
なんか恥ずかしがってる雫が可愛く思えた。というか雫の霊感マウントはもしかしたら自分を認めてくれ、尊敬してくれ的なアピールなのかもしれない。うん、やっぱ、ちょっとウザい気もする。




