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△▽の怪異  作者: Mr.Y
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日高健

 男は面子(メンツ)だと思って青春時代を駆け抜けてきた俺がどういうわけかお堅い市役所に勤めている。しかも休日には草野球なんてしてほのぼのとした暮らしを楽しんでいる。信条(ポリシー)なんてなにがどう作用して変わるのかわからない。もっとも俺の場合は面子が全てだったことが役所勤めになったことの理由かもしれないが。そうそう、俺の名前は日高健(ヒダカ タケル)。市役所の建設課に勤めている独身男性だ。彼女募集中なんて下世話な話はしない。彼女はそのうち俺自身がこれだ、という子をみつけるから。

 小さい頃、人より下にみられるのが堪らなく嫌だった。男性の平均身長よりやや低いのがコンプレックスだったからか、それと反比例するように普通の人よりプライドが変に高かった。だから高校生ともなると不良というか、古い言い回しになるかもしれないがツッパった連中とつるむようになっていった。そうすれば周りの連中に一目置かれると思っていたからだ。実際は引かれていたかもしれないが。

 不良連中とつるむ。そうなると些細なことで喧嘩になる。プライドが異様に高い連中でなにかと根性をみせたがるから当たり前だ。俺の場合も同じだ。プライドや意地をみせなければ低くみられる。それが堪らなく許せなかった。そのせいか手が早かった。カッとなりやすいのかもしれないし、もしかしたら臆病だったのかもしれない。先手を撃てば少なくとも相手がよろめき、どこか怪我するくらいの強打を当てられたからだ。そうなればボコられても面子は保たれる。そのせいか不良グループのリーダーの遠山(トオヤマ)さんに気に入られ、いつも傍に置かされた。

 懐刀、狂犬、抜身、ジャックナイフ、カミソリ日高……そういったふたつの名で呼ばれて舞い上がっていたが、心の奥底では不安しかなかった。今のままではいつかやられる。身長は伸びないし、体重も増えない。喧嘩相手はいつも大きく重い。遠山さんの助けがなければいつか一方的にボコられ見下される。その思いが、俺を空手道場に通わせるきっかけになった。もちろん周囲に知られないように近所の小さな道場にひっそりと。

 そこで幼馴染の南魚(ナンギョ)と再会した。

「よかった! 日高ぁ!」と団地にいたとき以来の再会だからか、すがるように抱きついてきたが、話を聞くと父親に嫌々通わされている道場に知った顔が来たから救われたかららしい。癖の強いもしゃもしゃ頭の汗まみれの男に抱きつかれる身にもなって欲しかった。そもそも高校生にもなって親に無理矢理とか小学校生じゃあるまいし、と思ったが、師範がプロキックボクサーで引退して趣味で空手と称し道場を開いたらしい。そして、師範と南魚の父親が知り合いで人数合わせ(少ない人数では市の体育館は使えないようだ)のため通わせているようだった。俺は南魚の父親に賛同する。仁義は大切だ。南魚武、おまえは耐えろ。しかし道場に学生は南魚だけであとは大人が数名。

「やっと辞められる」と南魚は小声で俺にいってきた。

 正直、来たことを後悔していた。ひっそりと通うはずだったが、ひっそりと小さすぎる。しかもいつもニコニコして人懐っこいだけの南魚がいる道場なんてたかが知れてる。通うに値しないと。

「じゃあ、ひとつ戦わせていただきますか!」

 俺はいった。喧嘩して帰るつもりだった。大人だろうと元キックボクサーだろうと、こっちは毎週か隔日くらいで実戦で喧嘩しているんだ。体育館で喧嘩ごっこしてる奴らとは違う。ひとりふたり本気で殴って「ここには通えません」と断ろうと思った。

「いいなぁ。それ、いいよ」と大人たちはしみじみいった。

 美味しそうな料理を目の前にしたときのような口調で。そしてお互い見合って誰がいく? と目配せした後「まぁ初日だしな」と師範が俺の前に出て大き目のグローブとシンガードを渡してくれた。それを装着して一礼して師範と戦うことになった。

 正直にいおう。最初、得意の右拳を交わされたところまでしかわからない。あとは腹に一発、脚に刺さるような蹴り。それを耐えて左を当てようとしたら手応えはなく横腹に蹴りか拳、とにかく強烈な打撃が数発入り、どういうわけか宙を舞い、優しく床に受身がとれるように投げられたかと思ったらバン! と頭の横の床を踏みつけられた。手加減されたのだ。本来、投げられ床に叩きつけられた後、頭を踏み砕く攻撃だ。そして顔に一撃も入れられてはいない。腹や脚への打撃も痛みがあるが本来もっと強烈なのだろう。「くっそ!」俺は叫んでいた。

 勝とうと思って戦って手も足も出なかった悔しい気持ちと綺麗に完敗して思わず「参りました」といいそうになった気持ちがぐちゃぐちゃになって出た言葉だった。

 それを南魚は心配そうにみていた。きっと俺がボロ負けして悔しくて道場に入門するのをやめるんじゃないかという心配なのだろう。

 だから痛みを堪えて跳ね起き「日高健、本日から入門させていただきます!」と叫んでいた。おおっ! という歓声と拍手「やった! やった!」と南魚にまた抱きつかれた。振りほどく力は残されていないのでぶんぶん振り回された。

 空手道場に通うようになってから一年、自信がついてきた。

 俺を子供扱いするような化物達相手に練習してるのだ。今まで俺を恐れていた奴らなんて相手でもない。もはや練習後の打撲と筋肉痛すら誇らしかった。

 そんななか抗争が起こった。

 遠山さんと別の街の不良グループのリーダーの不仲が原因らしいが詳しいことはサブリーダーだった俺にもわからない。そんな世界だ。リーダー同士の面子だろう。そして根性が試されるならば子分たちはついていき、喧嘩をし、男をあげるのだ。

 向こうは五人対五人といってきた。

 遠山さんは「守るわきゃねぇわな……十人くらい用意しとけ」と俺に命令していた。俺はその倍の二十人に話をつけ、合図があったら出てこいと指示しておいた。だが、現れたのは三十人だった。

「よほど遠山さんにビビったんじゃないスか」

 遠山さんはその巨体を震わせ怒っていたが、俺は「生きてるなぁ」となぜか開放的な気分だった。人気のない夜の高架橋の下だ。地面は土で投げられても大怪我することもないだろう。鉄パイプなんて武器を持っている奴らもいる。手加減抜きで拳で顔面を撃ち抜ける。掴んでくる。ああ、そんなに無防備に手を差し出してくれるなんて逆関節を極められたいのか。殴られ殴り返す。痛みのなかでアドレナリンが体内を駆け巡り、痛みのない場所を探すのが難しいくらいだ。そして気づいた頃には俺の左手に胸倉を掴まれた相手のリーダーが「参った」と血塗れで悔しそうに謝っていた。

 くだらない、と思った。この程度ならまだ南魚の方が(結局、大人がひとり仕事の関係で通えなくなり南魚は辞められなかった)強敵だった。面子だのプライドだのいってもほんのちょっと本気で鍛えた人間には敵わない。虚飾だ。醜く貧弱な身体をバイクやら革ジャンで綺麗に着飾っているだけにすぎない。

 一ヶ月くらい経ってからだろうか。

 遠山さんが俺に因縁をかけてきた。なんでも抗争のとき相手を楽勝にボコしてからナメてるらしい「誤解ですって」と必死に弁解したが聞き入れて貰えなかった。なんとなく遠山さんが焦っているのがわかった。グループの人望が遠山さんから俺へと傾きつつあるのだ。俺はそんなつもりないし、グループをまとめる遠山さんを尊敬していた。だが遠山さんは遠山さんの面子がある。グループの人望を失うわけにはいかない。遠山さんは俺とやるしかないのだ。

 決闘(タイマン)だった。

 正直にいおう。全部見えていた。なにが来るのか、なにを狙っているのかわかった。遠山さんは強かった。憧れだった。だから殴り合いに持ち込んだ。遠目にみれば殴り、殴り返す血みどろの喧嘩にみえただろう。俺は急所は避けて当たっていた。骨の硬い部分で遠山さんの攻撃を食らう。腫れて出血はするだろうがダメージは少ない。遠山さんにあたえた打撃は急所を撃ち抜く本物の打突だ。遠山さんの方がダメージはでかい。痛いだろう。苦しいだろう。だが向かってくる。面子だ。プライドだ。仲間の信頼だ。それに応えるのがリーダーだ。総長だ。

 だがそれらは全部、虚飾だ。本当はもうボロボロだ、俺以上に。

 俺は負けた。勝つ気がないから当たり前だ。出血や打撲はあり、身体は痛い。しかし、遠山さんの方が明らかにダメージはでかい。立つのもやっとだろう。けれど子分のために立っている。子分どもの人望に無理矢理立たされている。

 周囲は沸き立つ、歓声と拍手。俺は不良グループから抜けた。

「なぁ、野球やらない?」

 入門者が幾らかいてようやく道場を辞めた南魚が不良グループを抜けた俺を誘ってくれた。

 南魚は恐ろしく下手だった。何年も無理矢理やらされていた空手の方が上手いし、強い。喧嘩になったら遠山さんより強いくらいだが、性にあわないのだろう。空手をやっているときよりイキイキとしてボールを追いかけていた。俺はそこそこ上手かった。今でも思いっきりバットを振ったらボールがフェンスの向こうに消えていったのを覚えている。

 遠山さんは違う不良グループのリーダーと抗争し、その抗争の最中、バイクに轢かれて死んでしまった。あの人は伝説の総長として名を残すと、かつての子分がしみじみいっていた。しかしそのグループはもう自然消滅した。遠山さんは一時の熱狂で生まれ、その熱狂が冷めると消滅していった。

 俺は勉強に打ち込んだ。面子のためだ。誇りを持つためだ。

 虚飾ではなく、本当の実力と社会で生き残る力をつけるためだ。

 俺の中で今でもプライドが高く、いつも周囲に睨みを効かせている遠山さんがいるし、同時にニコニコ暢気に笑っている南魚もいて、それを静かにみている。それが今の俺。


 なんで、そんな青春時代を市役所の片隅で浸っているのかといえば目の前に南魚がいるからだ。

「……でさ。ああ、日高くん、髪、黒に染めたんだ。高校のときずっと金髪だったから、もうさ日高くんっていったら金髪なんだよね。あ、保育所、小学校と黒だったか。まぁ日本人だから黒だよね。ああ、そうだ、野球やろうよ! 野球。そうそう、野球といえば大谷選手すごいよね、観た? 昨日の試合。あ、そのまえに連絡先、交換しよ。まずはそこからだよね。LINEて便利だけどさ。Facebookもいいよね。やってる? ああ、よかったらTwitterフォローしてよ。毎日呟いてるんだよね。今さぁ、フリーライターやってるんだよ。だからさ、話題が尽きないっていうかさぁ。情報発信しながら情報受信したいっていうかさ。そうそう知ってる? 陰謀論者の間では……」

 俺が青春時代に浸りきった後でも、途切れそうにない話にさすがに無理矢理割って入った。

「それで、南魚、市役所の土木建設課になんのご要件で……」

 またそれからが長かった。

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