日高と戌角
久しぶりの試合は華麗に逆転サヨナラ勝ちするはずだったが、俺が塁へ出たものの相手の守備の硬さに打線が続かなかった。でも楽しめたから良しとしよう。試合のあとは懇親会だった。いつものメンバーに加え相手チームとの大所帯で懇親会なんて楽しいものだ。
いつもの飲み屋の奥の座敷部屋で派手に飲んでいた。相手チームは他の町の人たちなのでほぼ初対面なので、自己紹介から話さなければならないからか、あるいは白熱した試合の後だからかみんな話が弾んでいた。幹事の話では二時間飲み放題コースだったらしいが、あっという間に終了した感じで物足りない。そう感じたのはみんなも一緒らしくほぼ全員が二次会へといくらしい。だが俺は「明日の仕事に差し支えると悪いんで」と適当な理由をつけて二次会への誘いを辞退した。何人かはそれでもしつこく誘ってはくれたが、それも断った。
「これだろ?」そういって小指を立てるやつまでいる。俺はどう答えていいのかわからず、曖昧な笑みとともにみんなと別れた。
俺は繁華街の一角にあるカクテルバー『suzuki's bar』というマスターひとりがやっている小さな店に入った。狭い店内は純喫茶を改装した作りでレトロな壁紙や照明、多肉観葉植物があるシックな雰囲気だが、店長はカジュアルなカクテルバーを目指しているのか表の看板や店内にネオンが輝いており、店内の雰囲気がちぐはくな感じがした。その雰囲気はまるで昭和中期に建てられた店がバブルに合わせて無理矢理派手に色付けされたような雰囲気だ。無理矢理コンセプトをつけるとするなら『昭和』だろうか。今が令和だと忘れさせてくれる妙なレトロさ。非日常を味わう分にはいいのかもしれない。
二次会に誘われたとき「明日の仕事に差し支えると悪いんで」といったのはもちろん嘘だ。飲み屋から出たときに俺の方を探るような視線を感じ、その視線を追うと、あのコンビニで俺を睨んでいた色黒の男と目が合った。あちらは気もなさげに歩き去ったが、もしかしたら奪われた瓶を取り返すべく<組織>が動き始めた可能性もある。だからひとりになってあちらを誘ってみようと思ったのだ。
俺と年齢がさほど変わらないマスターは俺をみると笑ったような困ったような顔をしていた。俺はそんな顔を見てないふりをしてカウンター席に座りジンフィズの砂糖抜きを頼む。店内には聴いたことのない、けれど耳心地がよいジャズが流れていた。客は俺の他には三人ほどの男が笑いながら大声でバカ話をしてる他はいなかった。
そういえば俺が二次会を断るとき「これだろ?」と小指を立てたやつがいたが、今の気分は女に会いにいくような高揚感すらある。いや、女は気づかいしなければ振り向いてくれないが、こっちは向こうからやってきてくれるし、女は優しく接しなければ気持ちよくなれないし嫌がられるが、こっちはなにをどう動いても良いように思える。どちらが自らの欲望に忠実になれるかといえば、こっちだろう。「これだろ?」と小指を立てて問われれば、そりゃ返答にも困る。「女よりいいものさ」なんて答えたら色々とめんどくさい。それより飲み屋を出てからみたあいつは<組織>の構成員だろう。これからどうでるか、俄然、楽しみだ。力づくでくるのか、それとも手堅く交渉だろうか。精々振り回してやろう。<組織>を振り回しているうちに<組織>がどういったところなのか知ることができるかもしれない。それに将虎は遠山さんの死には<組織>は関係ないと推測していたが、本当かどうかもはっきりさせたい。
「おまたせ致しました」
俺の前にジンフィズが差し出された。
炭酸が細やかに弾ける音に合わせて、搾りたてのレモンの香りが鼻をくすぐる。そのカクテルの炭酸の泡を眺めながら、昨日、図書館で調べた遠山さんの事故について書かれた記事を思い出していた。確かに記事には喧嘩中に少年ふたりの乗るバイクに轢かれて死亡、と書かれていた。本当にそうだろうか。なぜ俺はその場にいなかったのか悔やまれる。いや、警察が調べ記者の書いた記事は本当のことなのだろう。だが行間からでもなにかしら感じるものはないか熟読してみたが、それらしいものは感じられない。ただただ遠山さんが轢死した事実を何度も知らされるばかりだ。しかしなにか別の事実があるのではないか、と妙な勘が働く。そして少年院入りした少年Aと少年B、暴走族のボスに会えないか、と情報はないか色々調べたいが、記者でもない俺はツテがない。人間関係も大半は切れているし、だいたいもう忘れられつつある事件だ。真相に行き着くには年月が経ちすぎているのかもしれない。
「マスター。XYZ、ひとつください」
物思いに耽っていたせいか、新しい客が入って来たのに気づかなかった。しかもそいつは色黒の男だった。そしてわざわざ俺の隣に座ってきた。
「飲まないん?」
にこりと笑い俺にいった。
夜のカクテルバーに似合わない爽やかな笑顔だ。
どことなく南魚の笑顔に似ている。いや、顔はこちらの方が女ウケは良さそうだが、なんとなく人好きそうな人懐っこい笑顔ではある。ただ目の奥には人を一段見下した色が沈殿していた。その色に俺には心当たりがある。深夜のバイクのグループの連中と同じ色だ。エゴを肥大化させ自分が誰よりも偉いと勘違いし、一度見下すとあとはどこまでも下に見たがる厄介な色。
「瓶を取り戻しに来たのか?」
俺の問に「うーん、まぁ、それもあるけどさ。まず、なんで盗んだかって、それが訊きたいんだ」と自分が<組織>の構成員であることを認めつつ、余裕をもって答えた。
なるほど、つまりは余裕がもてるなにかをこいつは持っているということだ。<組織>ならば俺の情報も当然知っているだろう。その上での余裕となるとなにかしらの俺の弱みか武器を持っているに違いない。
「悪いことはいわないから、全部ぶっちゃけて、早くアレを返した方がいい。……あとが怖いよ」
俺と色黒の男の視線が交錯する。後ろで「すみません。お会計!」と三人の男が会計を済ませ店を出ていった。
「おまえは<組織>のなんなんだ? 運び屋か? 作業員か? 情報屋か? 交渉役か? それとも指示を出す幹部か?」
将虎の話では大抵の構成員は運び、事件や事故につながりそうなちょっとした作業、もしくは様々な情報収集をやらされている、とのことらしい。俺は木っ端の構成員にはもう興味がない。<組織>の中枢の構成員をぶん殴ってやりたいのだ。そして色々訊き出したい。目の前のこいつが幹部なら一気になにもかも解決できる。
「話す気も返す気もないの? 家も職場ももうバレているのに」
だがこいつらはまだ瓶の在処は知らない。
あの小さな瓶はそんなに重要なものなのだろうか。あの黒いタールのような物はいったいなんなのだろう。黒いヤクなんて聞いたこともない。なにか専門的な薬なのかもしれない。それにしてもなぜあんなにあの黒いものに俺は恐怖を感じたのだろうか。今になってみると不思議だ。南魚に預けず俺が常に持っていれば交渉にも使えたかもしれない。いや、俺の周囲をすでに調査済みとなると預けるのが正解か。
俺は色黒の男を睨みつつジンフィズに口をつけた。
爽やかなレモンと炭酸が辛味をもって口を和ませる。
「おまたせ致しました。XYZになります」
「ありがとう」
色黒の男はXYZを口をつけ一口飲むと「僕が何者か……そうだな。一応、<組織>の幹部候補ってことになるのかな」と得意満面の笑みを浮かべながらいった。
ヒットを打って球が三遊間を抜けた気分だ。
思わず漏れた俺の満面の笑みに男は怪訝そうな顔をした。




