黒咲、登校
△市立△高校は県内でも有数の進学校だった。
だから勉強さえすれば、あとはなんでもうまくいくはず、と私は軽く考えていたのかもしれない。
拉致監禁され(そういうことになっている)五年ぶりに復学するにあたり、前例のないことなので教育委員会のなかで喧々諤々の論争があったらしいが、精神的、肉体的に疾病を抱えておらず、かつ私自身が再び学びたいという確固たる意志を持ち、それに相応しい学力を持っていたため(記憶はないのに勉強は覚えてるとは私の脳は本当にどうなっているのか)復学を認められるのにさして時間はかからなかった。
ただ、私の状況が状況だけに私に対するデリケートさが求められたのだろう。先生方の提案で「県外から引越してきたというのはどうでしょう? 幸いあなたの地区に△高校に通う生徒はいませんから」という提案があった。私としてはどうでもよかった。「UFOに連れさらわれて五年間どこかにいってまして、たぶん記憶喪失? とかいうのになってよくわからないスよ。だから私の半生は真っ白で家族や家すら忘れて、やっとのことで名前を思い出したくらいで。なぜか勉強はできるんスけどねぇ。いやぁ、まいった、まいった。はははは」と正直に答えたい欲求はあるが、いってしまったら復学どころか鉄柵付きの病院に入院しなければならないかもしれない。これは私の望むことではないので先生方の提案を素直に受け入れようと思う。
「それにしても姉ちゃん、度胸あるよね」と華がいった。うんうん、と如月が頷く。
「高校だよ。高校! 思春期の気難しい連中ばっかでスクールカーストやら派閥やら仲間うちでも立ち回り求められたり、目立つとウザいとかいわれるし、髪型が少し気に入らないとかだけで……ああ、もう思い出しただけで」
私を心配と尊敬の眼差しで見つめられながら、両手で自らを抱き震える妹たち。
彼女たちにどんな暗い青春時代があったか知らないが私としては失った記憶を呼び戻せるかもしれないし、これから生きていく以上、まずは勉学をし確固たる学歴を築かなければならない。この家にいたところで人生はなにも始まらないのだ。むしろ今すぐ玄関のドアを開いて大空に飛び立ちたいくらいである。そんなはやる気持ちと志しとは裏腹に「そういやあ、姉ちゃん、友達いたよね? 会ってみれば?」と、さらりといわれた。
お母さんがとっておいた私の卒業アルバム(最後の集合写真には私の顔は丸枠で写っている)の写真には学校行事で活動する学友がこちらをみて楽しげに笑っている。そのなかで私も彼彼女らと一緒に笑っている。確かに友人はいたのだ。しかし私の友達であろう人物たちはもう大学か社会人、もしかしたら結婚、出産。さらには離婚もしているかもしれないし、会社を立ち上げたり、倒産しているかもしれない。そんな学生を卒業し、社会の荒波に揉まられ、波乱万丈を勇猛果敢に戦っている最中に「いやぁ、私、行方不明になってたけど、現れちゃった!」とかいってくるやつがいたとしたら相手にするだろうか。私ならしない。しかもそいつは見知った友達だが記憶喪失だとしたら? いやいや、私ならどうしていいのかわからない。目の前の相手に憐憫の情をかけこそするかもしれない。「応援するね!」といい、助言や記憶が戻りそうな思い出話の二、三もするだろう。しかし肝心の私は家族すら思い出せないくらいなのだ。私自身、友人に思い出話をされたところで思い出すような気もしない。なんだか見知らぬ人がする見知らぬ人の思い出話を聞くような顔をしている人(私)に友人は世話を焼くだろうか。ちなみに私ならしない。
「姉ちゃん、渡る世間に鬼はないよぉ」
しかし、友人にただ迷惑をかけるだけで、なにもないような気もする。しかし、高校にいけば学びがあるだけでなく、新たな人間関係を築ける。記憶を失って戻す方法も戻りそうな気配もないならいっそうのこと一からすべてを築き上げるまで!
「おお!」私の決意に感嘆の声をあげるふたりに私は誇らしい気分になった。この調子でいけばなんとかなる気がしてくる。どうせ過去など忘れ去っているのだ。黒歴史のない私は振り返って身震いするようなものなどなにもない。いや、これから黒々と築き上げていくかもしれないが。
「でもさぁ、姉ちゃん、ホントは二十二歳なんだよね。おしいよなぁ。私、記憶があったまま高校生活に戻れたら無双だぜ。あんなこといった、あいつにも。あんなことしてくれたあいつにも……うまくいい返せるし、うまく立ち回れれるのに!」
如月の言葉に「わかる、わかる」と頷きながら「私ならさぁ……」と華が「私の考える高校無双生活」を熱く語り始めた。私は後学のために今度は聞き手に周り妹たちの妄想話に耳を傾けた。
そう、妄想だ。結局、うまく立ち回ろうとしたって、自分の意思とは関係なく、ぶんぶんと振り回されるのが人と人とのつき合いなのだ。
登校初日、お母さんが「一緒にいこうか?」といってくれたが、私としては約一年通わなければならない高校だ。それを初日から母親と一緒に通うとなると気恥しさがあるし、甘えも出そうになるので「私、ひとりで大丈夫だから」と家を出た。
まずは転校生扱いなのでクラスの朝礼の少し前くらいに職員室に来るように、といわれていたが、少し早く登校した。
桜も散り、葉桜の緑が眩いばかりに目に映る通学路を歩きながら、記憶を失う前は二年間通っていた道なのだから、記憶を呼び戻せるかもと期待をしている。いつかすべてを思い出し、普通に暮らすのだ。幸い家族はいい人ばかりなのでなんの苦労もないがUFOの映像が壊れていたことに一抹の不安がある。あの家族に……南魚さんの心配していた<組織>とかいう秘密結社の一員がいるかもしれない、という不安だ。私の記憶はその<組織>が秘密にしたいことと一致している可能性もある。私は記憶喪失のままが色々、都合がいいのかもしれない。もし、記憶が戻ったら私はどうなるのだろう。家族は今のようにいい人たちでいてくれるだろうか。
そんなことを考えながら△駅(田舎の駅だが新幹線が通っている。税金の無駄遣いのような気もする)の在来線の電車に乗っているときだった。
ふと視線を感じた。
その視線は向かいの座席に座っていた髪の白い女の子のものだろう。私がその子をみると、その子はあきらかに視線を外した。それにしてもどこの高校の生徒か知らないが、女の子で髪を白に染めているとは恐れ入る。高校の校則とか気にならないのだろうか。好きなバンドかアニメの影響だろうか。それとも校則を破ることがかっこいいとでも思っているのだろうか。しかし、制服が気になった。どこからどうみても私と同じなのだ。
高校に復学する際に校則を流し読みしたが、髪型、髪の色、バイトは生徒の自由だった気がする。華は「姉ちゃんも舐められないように染めちゃえば?」とかいっていた気もする。
白髪の子にしてみれば見知らぬ人が△高校の制服を着ているのが不思議なのだろう。それとももう目をつけられたのだろうか、できれば影薄く勉学だけに集中したかったが、なんだか不安だ。
学校に着くと玄関は生徒同士で挨拶をしたり、女子同士の楽しそうな会話やじゃれついている男子を横目に私はひとり静かに私のネームプレートがあった下駄箱に靴を入れ、内履きを履くと職員室へ向かった。
ささやかな孤独と新しいものへの興味で足元がおぼつかない。どこかふわふわとしたままノックをし、職員室へ入ると私の姿をみたひとりの若い男の先生がにこりと笑い「おはよう」と挨拶してくれた。
「黒咲夜子さんだね。はじめまして、僕は戌角蓮。体育の先生で一年の副担任をしてるんだ。まぁ、座りなよ」
そういって職員室の一角にある応接用のソファに案内された。
「まだ三年の担任がちょっと用があって出てるから……もうすぐで帰って来ると思うんだけど。まぁ、あんまり固くならないでよ」
日に焼けた肌にジャージ姿だがスタイルがいいのか野暮ったくないし、むしろラフな格好が似合っていた。そして本当に爽やかに笑い、その声はこちらを安心させてくる。まるで俳優のようだ。
「話は訊いてるよ。記憶喪失なんて大変だね。……実はね。僕と君は同級生らしいんだ」
「え?」
本人もあまり面識はなさそうな感じだが、昨日夜に妹たちと話したことが頭をよぎる。
「私……十七歳の私はどんなでした?」
「うーん、ほら、クラスが多いからこの高校。直接は話したことなかったけど、今と変わらないよ」
「いやいやいやいや……当時の話なにか知りませんか? なんでもいいんです。友達周りとか、部活とか、イベントごととかで、私、なにをしていたか。いや、どんな感じだったかでもいいんで知りたいんです」
「近い、近い! 顔が近い!」
気づけばテーブル越しに戌角先生の胸倉を掴まんばかりに迫っていた。いや、戌角先生のお陰で一縷の望みが出てきた。もしかしたら私についてなにか思い出すきっかけになるかも知れない。
「そうだ! 連絡先いただけませんか。電話番号とかメールアドレスとか……」
「まぁ、お茶でも」と、私と戌角先生の間を割くようにお茶が出された。冷ややかな声の持ち主は柔らかな表情の女の先生だった。
長い艶のある黒髪に黒いニットが意図せず大きな胸を強調していた。そして唇はぷっくりと瑞々しく、目はぱっちりと大きい。その表情は柔らかな微笑みを浮かべていたが目は一切笑ってなかった。私を見下ろしながらテーブルの上に置いたお茶を私にすすめ、戌角先生の前にも「どうぞ」とお茶を置いた。
「ありがとうございます。橘先生」と礼をいう戌角先生の隣に橘先生は座った。
橘立花という名前で国語を教えていて、一年の担任をしていると自己紹介をしてくれた。それより私を見る目と会話の雰囲気から戌角先生と橘先生の関係がなんだかわかってしまった。
「いやいやいやいや、私、戌角先生の連絡先を訊いたのはそういうんじゃないんです! 誤解です、謝ります。橘先生!」
なぜか橘先生に今のうちに謝らなければ、とんでもないことになるような気がした。その勘は当たっていたのかもしれない。
「さぁ、なんのことかしら……それにしても復学なんて偉いと思います。記憶喪失だと色々不安でしょ?」と話ながらも橘先生の目はしだいに彼女の表情と同じく日向ぼっこをしているかのよう柔らかくなっていった。ただ戌角先生はきょとんとした顔で私と橘先生を交互にみていた。
その後すぐ三年の担任がやって来た。
なんだかほっとした。いや、本番はこれからというのにほっとしている私に呆れたが、とりあえず、ほっとした。
担任の先生との打ち合わせの通り、県外から引っ越ししてきた、年齢は十七歳、ということになった。
「もう部活もイベントもないから、学校生活は勉強だけになるけど大丈夫?」と心配してくれた。そして「戌角先生と同い年で同級生らしいじゃないか、なにかあったら相談にのってもらうといいよ」と職員室でいらんことをいってくれた。
私は「はぁ」とわざと気のない返事をする。とてもじゃないが橘先生の顔をみることができない。
「とにかく、いきましょう!」
私は担任の先生を促した。
「おっ。やる気満々だな!」
担任はきっと私に対して色々心配してくださっていたのだろう。けれど私のやる気(職員室から逃げたい気)にほっとしたようだった。
教室での挨拶も自己紹介もさらりとできた。橘先生のいいようのない圧に比べれば三十人くらいの好奇の視線なんて、なんてことはない。
「じゃあ、黒咲の席は……雫さんの隣で」
これがドラマかマンガなら窓際の席で、ぶっきらぼうなイケメンの隣なのだろうが、現実は甘くなかった。窓際の席だったが、隣は女子でしかも電車のなかで私をちらちらみていた白髪の女の子だった。
「私、拝屋雫。よろしくね」
「よろしく」
よろしくはないだろう。あんまり仲良くはなれない気もする。髪の色はアウトローを気取っているのか。目立ちたがり屋のファッションか。自分が特別という証明か……真面目で純朴、ピュアな私の感覚とはズレている。
「でさ? どうだったの?」
雫が小さな声で訊いていた。
私は面倒だったが聞こえないふりをするには私は真面目なのだろう「なにが?」と不機嫌に答えた。
「UFOの乗り心地」
私の驚く顔をみて、雫はにこりと笑った。




