南魚と拝屋家
思えば今日一日、この市内を駆け回っていた。
この市内に張り巡らされる魔法陣(これといって手応えはなかったが)、UFOに拐われて戻ってきた少女、そして<組織>が運ばせていた小瓶。一日にこれだけの出来事が起こるなんて大収穫だが、一抹の不安もある。あり過ぎないか? 僕が一ヶ月くらい県外まで駆け回ってようやく得られるものが、今日一日に集中し過ぎている。
もうあたりは暗くなり夜風も冷たくなってきていた。僕はアパートへ戻ると手のなかの瓶を弄びながら、これをどこに片付けておくべきか悩んだ。
一度、御札を剥がし、なかをみてしまい、魅入られたような感覚と自分の思考が飛ぶような感覚があった。説明はできないがこれは気軽にみていいものではない。そして、本来ならこうやって個人が所有していいものでもないものなのだろう。これを<組織>はどこへ持っていこうとしていたのだろうか。いや、なぜ人から人へリレーのバトンのように運ばなければならないのだろう。それが一番の疑問だ。封印したのならば、これをそのまま<組織>が指示する場所まで持っていって、処分するなり、保管するなり、研究すればいいのではないか。それをわざわざ不特的多数の人の手に渡らせ移動させる。まさかとは思うが、こうやって三種類の封印をして、なお、呪いか穢れ的なものが僅かずつ漏れ出ているのだろうか。放射能の汚染物質のように目に見えないものが人を蝕む。だから運び屋は(中身を知ることのない)不特的多数の構成員なのではないだろうか。
元構成員の将虎くんに<組織>のことを色々訊いたが目新しい情報はなかった。ただひとつ気になったのが「繁忙期なのか最近では指示も来なかった俺のところに指示がくるようになった」ということだ。構成員がどれほどいるのか、また年にどれくらい新人を受け入れるのか知らないが、その誰もが何度も運び、汚染の許容量を超え始めているのではないか。なにか得体の知れないことがこの△市内で起ころうとしているのか。
不吉で奇妙に腑に落ちる推理が頭を駆け巡る。いや、僕は神経質になりすぎているのかもしれない。ただ、ひとり寂しい部屋にいると嫌でも思考はネガティブになってゆく。しかもこの小瓶と一晩過ごすとなるとぞっとした。というか、そもそもこの部屋も心理的瑕疵物件じゃなかったか? いやいやいやいや、どうして僕はこんなところに住んじゃったんだろう。謎の封印が施された小瓶に孤独死をした男性が住んでいた部屋……外はもう暗くなってきている。春の夜風が部屋の壁越しに寒々しく感じられた。この寒気は夜のせいだろうか。
オカルト好きの好奇心からの軽はずみな行動が恨めしい。まぁ、僕が悪いんだが……正直、日高くんの依頼を断るんだったと後悔した。けれどようやく知り得た<組織>の謎の一部だ。
「そうだ!」
僕はスマホを取り出し、編集部の先輩へ電話をかけた。
「よう、南魚。もう記事終わったん?」
先輩はすぐに出た。あまりの早さだ。恐らくは記事を書いている合間にスマホをいじっていたに違いない。
「それが……実は妙な物を手に入れまして……」
僕は考えた。先輩が<組織>の構成員でないとは言いきれない。MU編集部で保管されていたUFOの映像がなくなってしまったらしい。つまりはMU編集部のなかにも<組織>の関係者がいるかもしれない。僕が<組織>から奪ったものを持ってると知れたらどうなるかわからない。
「なに? 俺がおまえのかわりにネタにしていいとか?」
「いやいや……呪いとかに詳しい人が僕の住んでる町にいるって話ありましたよね? たしか拝屋礼て人でしたっけ? 先輩も心霊スポット行き過ぎて呪われたんだか体調崩したけど、お祓いしてもらったら、すぐ治ったとかで……連絡先わかったら教えて欲しいなぁと」
「ああ、あの人か。気難しいけど……ん? なんか呪われたん?」
なんか風邪でもひいたん? といわんばかりの気楽さで訊かれた。やはり場数を踏んでる人は感覚も普通じゃないかもしれない。
「いや、やっぱ、心霊スポットを歩き過ぎたのか、妙な物を拾ったのか、なんか疲れが……」
「ああ、なら早めがいいぜ。あとアミノ酸とタンパク質を多目に摂って、早く寝ることだな……えーっと。あった、あった。名刺に携帯と自宅の番号があるけど」
僕は携帯だけでもいいかと思ったが、一応両方の番号を聞き、メモをとり、お礼をいって電話を切った。
僕は結構慌てていたのだろう。なぜ心霊スポットを歩き回るとアミノ酸とタンパク質、十分な睡眠が必要なのだろうか。まるで筋トレかなにかだ。それとも除霊除呪にはなにか関係あるのだろうか。いや、ただの先輩の冗談かなにかだろうか。
拝屋さんに電話をかけながら、そんなことを考えるに十分なだけの時間、コールが鳴るのを聴いていたが、拝屋さんは電話に出ることはなかった。
一応のため自宅の電話番号を訊いていて助かった。僕は気を取り直して自宅に電話をかけた。
スマホのことがあり、長い時間、コール音を聴くと思っていたが、あっという間に繋がった。まるで電話の前で僕が電話をかけることを待っていたかのようだった。
「はい。もしもし、拝屋ですが……」
それは少し慌てた女性の声だった。
「あっ、もしもし、お祓いや除霊をしている拝屋さんのお宅でしょうか? 僕は南魚武といいます。この度はMU編集部の者に訊いて電話致しました。実は折り入って頼みたいことが……」
「そういったご要件は主人が承っておりまして……けれど今、仕事の依頼で出かけておりまして……」
霊能者の仕事という言葉に少し胸が高まるのを感じた。一度、取材してみたい。きっといい記事が書けそうだと思った。けれど、今はそれどころじゃない。
「お帰りになるのはどれくらいになりますかね?」
「本来ならもう帰ってきているはずなんですが」
「……そうですか」
「いや、仕事の依頼というのはお急ぎでしょうか?」
「はい。できたら今から伺ってもよろしいでしょうか? 預かって欲しい物があるんです」
「大きさはどんな感じでしょうか? あまり大きなものは保管場所がないので。例えば人形であるとか、刀や長物、観葉植物などは主人がいなければ預かることはできませんが」
「いえ、そんな大きなものではありません。大きさは香水瓶かアロマオイル瓶くらいで、なにか呪われているような感じがして」
しばらく電話の向こうで考えているらしかった。
おそらく拝屋さんの奥さんは霊能者ではなく、主人の仕事のサポートをおこなっているのだろう。あまり奥さんには呪い関係の物品にはふれさせてはいない感じがした。呪いの強弱ではなく、単純に物品の大きさで保管を考えているあたり、奥さんには霊能力はないのかもしれない。
「それならばお待ちしております。料金は……」
料金は少し高いような気もしたが、背に腹はかえられない。
「では、今から伺います」
僕はすぐに家を出て拝屋宅に向かった。
これで助かった。ゆっくり眠れそうだ。
けれど又貸しみたいなことになるので日高くんには悪いとも思ったが、やっぱりこれは怖すぎる。そもそも日高くんもあの小瓶が怖くて僕に預けたんだ。そうだ。専門家に預けるのが一番だ。うん。
拝屋宅は白壁にチョコレート色の屋根という住宅街のなかにあるやや大きめの普通の一軒家だった。
周囲に溶け込んでおり、ここで霊媒師やら拝み屋、祓い屋をやっているとは思えないくらい、ごく普通の住宅であり、玄関近くには自転車が二台止まっていた。一方はごく普通のママチャリで、もう一方には△市立△高校の反射シールが貼ってあり、カーポートには普通車と軽自動車が停まっている。普通車が拝屋礼さんのもので軽自動車は奥さんのものだろうか。二台停まっているということはもう拝屋礼さんは帰宅しているのかもしれない。僕は胸を撫で下ろした。さきほどの奥さんにはこの瓶を預けるには心もとない気がする。僕だって霊能者ほどではないだろうが、霊感らしきものはある。この瓶からはどんな心霊スポットでも感じたことのないものを感じる。いや、次元が違った。テレビで観る熊と鉄柵のない至近距離で出会う熊くらい違う。僕のなかで霊感がサイレンを鳴らしと赤いライトをつけながら交通規則を無視して走り回る消防車のように危険を告げている。
チャイムを鳴らすと「お待ちしておりました」とインターフォンから声が聞こえ、玄関ドアが開いた。
出てきたのは細い目の痩せた四十代くらいの奥さんだった。神経質そうな顔に真一文字に結んだ口元で、笑う姿が想像できなかった。
僕はてっきり拝屋礼さんが出てくるものだと思ったが、期待が外れた。思わずカーポートのほうをもう一度、みて車が二台駐車してあるのを確認してしまった。
さすがに察したのか「主人はまだ帰ってきておりません。今日は依頼者さまの方から迎えがきましたので」と少し気を悪くしたような声でいいながら手に持っていた手提げ金庫を開け僕の前に差し出した。なかは衝撃吸収用の灰色のスポンジが施され、瓶が割れないように配慮されていた。
「ここにいれてください」その言葉のまま僕は御札に巻かれた瓶を手提げ金庫のなかへいれた。自分で瓶をふれないあたり、専門的な仕事の所作を感じる。そしてすぐに手提げ金庫は閉められ、鍵がかけられた。奥さんは人差し指と中指二本を縦横に九度切りながら「おんあびらうんけんばざらだとばん」と何度も小さく唱えているらしかった。おそらく密教か修験道発祥の真言だろう。ただ印を切るのは陰陽道だ。神仏混淆の民俗的な体系立てられていないものを感じた。そして手提げ金庫に梵字の書かれた御札と僕の名前と住所、電話番号の書かれた付箋が貼られた。少しちくはぐな気もするが、どちらも重要なのだろう。
「私は霊感はありませんが、主人がこういった詞は覚えておけ、と。霊能力には関係なく作用する。そもそもそのために編み出された、と申しておりました。一応、これで大丈夫なはずです。主人が帰ってきましたら、またみてもらいます。お茶でもどうですか?」
僕はお言葉に甘えて、お茶をいただくことにした。
このまま料金を支払って帰ってもよかったが、霊能者の家が気になったということもある。有名どころは何度か取材に伺ったことがあったが、いかにも霊能者という家だったり、部屋だったりした。そういう霊能者は能力はあるのだろうが、僕には合わなかった。単純な個人的な好悪といってしまえば、それまでだが、なんというか、霊や神秘的なものに対して向き合ってないような気がしたからだ。どちらかといえば僕らの現世を、いや、お金欲しさや霊能者という自己顕示欲の方に重きを置き、祓うことは二の次のようにもみえた。それでもいいとは思う。実際祓えるわけだし、人の役には立っている。
ただ僕が取材したなかで、この人こそ霊能者だ、と思った人がいた。その人はラーメン屋をやっていた。取材をするのは決まって深夜だった。なんのことはない、朝は仕込みで忙しく、夜は飲み屋帰りの客が絶えないからだ。そのラーメン屋は神様からのお告げで御守りをつくっていた。
「夢に神様を名乗るやつが出てきて、これから頼ってくる人がおまえのところに来るから拒むな、助けろ、ってね。どうやって助けんだよっていったら。今からいう言葉を書いて小さな巾着のなかに入れて渡せ。いいか、それを商いにするな。って、その夢の神様、夢のなかだっていうのに、くっさいだよ。すげぇ爺だったしな。でも不思議に疑わなかったんだよね。なんでか? 知らねぇよ。神様だからじゃね? でね。その日の朝に百均いって小さな巾着用意したわけ。仕込み終わって一服してるときにメモ帳にわざわざ一枚一枚、筆ペンで書いて巾着にいれたよ。するとね。なんかわかったんだわ、困っている人が。会計のとき、サービスです、って渡したら、次来たとき、助かった、運が向いてきたってお礼をいわれてね。なんかわかんねぇんだけどな。メモ帳の切れ端だぜ。だけど書かなきゃって思っちまったんだ。せっかく教えてくれた神様に申し訳ないからなぁ。なに書いたか、って。そりゃ、教えるなっていわれてるから教えられない。巾着開ければいいんじゃないか? 開けたやつはいままでいないらしいけどな。でも正直、人助けよりうちの売上も助けて欲しいよ。まぁ神様、見た目が貧乏神だったから、ダメかな……あははははは」
霊的系統も日本の神学的な系譜とも当てはまらないが、なぜだか僕はそのラーメン屋の主人も神様も本物だと思っている。
そして拝屋さんはどうなのか気になっていた。
六畳ほどの畳の客間に通された。そこは市内の住宅街というよりも田舎の農家の客間を思い起こさせた。木棚の上の段にはどこかの旅行のお土産(こけしや一刀彫の熊など)が並び、下の段には茶道具、コーヒーメーカーが並んでいる。広い座卓も座布団も至って普通のものだ。霊能者を誇示する必要がないのだろう。少し信頼が持てた。
「それで金庫の鍵はどうします? 貰う人もいますし、このまま私に預けることもあります」
奥さんはお茶を出してくれると金庫にいれた瓶ついて事務的に話していた。ここはなんとなく有名どころの霊能者に近いものを感じる。ただ拝屋礼さん自身はどうなのかわからない。
「金庫も鍵も預かっていてください。あと再び瓶を手元に戻したいときはどうすれば?」
「電話をいただければ対応します。ただこちらも個人でこういった事業をやっておりますので、仕事が立て込んでいると対応できなかったり、対応が遅れる場合もあります。最低でも三日前くらいにご連絡いただければ」
事務的な話をしながら、心の内で拝屋礼さんが帰ってくるのを待っていた。その僕の心情を察したのだろうか。奥さんがいった。
「朝、依頼者が迎えに来て、晩御飯までには帰れるだろう、とのことでしたが」
時計に目をやると時計針はもう二一時を少し過ぎたあたりを指していた。
「時間は守る人なので……正直、なにかに巻き込まれたような気がするんです」
「除霊で?」
「はい。いつもいっていました。そういうこともある、と。なにがあっても不思議はない、と。彼は髪が白いんですよ。私より二、三歳上ですので白髪が出てくるのは当たり前なんですが。ある日の夜、突然、真っ白になって帰ってきました。そして疲れたらしく、気だるげに丸二日寝てました。その日も帰りが遅かったんです。今回も同じような気もします」
奥さんが事務的に話しているのも心配で仕方ないからなのかもしれない。旦那さんのことを話しているときは心做しか、表情が和んでいるようだった。けれど僕はそんな奥さんの心配をよそに「除霊やお祓いでそんなこともあるのか」と不謹慎な関心の方が強かった。呪い、心霊現象で身体にまで損傷が出るものなのだろうか。話には聞くが本当になっている人がやはりいるのだ。そういう人に会いたかったし、是非、瓶をみて欲しかった。
「実は僕はオカルト関係のライターをやっています。今回もその関係であの瓶を手に入れました。いままで色々な物をみてきましたが、いままでとは別のものを感じたんです。あの瓶は本物です。本当の霊能者でなければ扱ってはいけないものだ、と思うんです。だから、もし、拝屋礼さんの手にも余る場合にはご連絡ください。別のツテでなんとかしますから」
「承知致しました」
僕は料金を払うと一応、領収書を切ってもらい(できることに驚いた。こういった霊的事業も自営業にあたり確定申告が必要なのだろうか)もう一度、お礼をいって拝屋家を後にした。
なぜだか後ろ髪を引かれる気分だった。あの瓶がなくなってほっとしているのに、僕の手のなかにないことが残念な自分がいた。後ろを振り返るともう拝屋宅は住宅街の一部として周囲の夜闇に溶け込み、ただ窓に明かりを灯すばかりだった。




