拝屋と石室
私は送られてきた少しくたびれた水色の作業服を着た。胸にはオレンジ色の糸で凹凸建設と刺繍をしてあった。
いつもはスーツを着ている。なんのことはない。単純に娑婆に合わせて着ているだけだ。私の父は夜になるとよく着物を着て繁華街で辻占をしていたが(雰囲気が出るし、ハッタリが効くからといっていた)依頼の仕事となると私と同じくスーツを着ていた。私たちの仕事は普段着でもジャージでも仕事には差し支えないので、なんでもいいのだろうが、一般人は私たちのような霊に関しての職業に対してあまり良いイメージがないのだろう。「拝み屋」というだけで不審な目をされ、あからさまに嫌がられたことも一度や二度ではない。ようは信用の問題だった。スーツという一般的な格好をしているだけで、一応は一般常識を持ち合わせているようにみえるのだろう。信用されやすいから着ている。それだけだった。
だが着慣れない作業服を着て帽子をかぶり、鏡の前に立つと、まるで自分ではないような奇妙な感覚だった。妻は笑いながら「年相応にみえる」といっていた。訳あって髪の色が抜け今は総白髪というのもあるが、いつもはそんなに老けてみえるのだろうか。ただ鏡のなかの私はどこにでもいる日に焼けた中年の工事現場の作業員のようにしかみえない。
いつもはスーツケースのなかに入れている商売道具をリュックに詰め替え肩に下げて重さを確かめるとチャイムが鳴った。
玄関のドアを開けると私と同じ作業服を着た無個性な顔の男がいた。
<組織>の人間だ。どうしてかわからないが顔の印象というものが薄い。みているときはどうということはないのだが、しばらく時間が経つとどういった顔なのかを思い出すのが難しくなる男だった。整形なのだろうか、それともそういう個性の男なのだろうか。
「こんにちは。準備はどうですか?」とその男はいう。
私は「準備はできてる」というと作業服と一緒に送られてきた安全靴を履き、凹凸建設と文字の入った軽トラックの助手席に乗った。
「今回は?」
「覚えていますか? 何年か前、貴方の助言で市営団地三号棟を取り壊しました。実はそこと同じような場所がこの△市に他にもあるのはご存知で?」
軽トラックは県道へ出た。通勤時間帯なのか混雑しており、車の進む速度は遅い。車内についているラジオからはパーソナリティがリスナーからの言葉を無条件に肯定しながら話を盛り上げていた。
「地下の石室のことか?」
無個性な顔の男は黙って頷いた。
「そうです。どの程度、ご存知で」
「怪談レベルでしか知らない。とある場所の基礎工事で地下から石でできた部屋が見つかった。そのなかにはお経らしき経典の残骸、筵、蝋燭や茶碗。調査の結果、茶碗には水銀と漆が検出された。だからそこは偉い上人様が即身仏、つまり木乃伊になるための石室だと思われた。ただ、発見時、その石室の中央は今さっき殺人があったかのように血で染められていた」
「真偽のほどはどの程度だと思われますか?」
「ほぼデタラメだろう? △市は昔から二つ大きな川が流れ、支流も多い。つまり湿度が高いということだ。だから木乃伊造りには適していない。ただ県内には即身仏を祀る寺があると訊くからできないわけではないだろうが、適してない場所には変わりがない。そして詳しくはないが上人が土中入定した場所だ。なにかしら石碑か史料が残っているはずだ。だから基礎工事でみつかったものは相当古い時代の遺跡の石室だろう。そこから噂に尾ヒレがつき、怪談になった」
無個性の男は私の言葉を聞いて押し黙った。私にいうべき言葉を吟味しているのだろう。つまり私の推測はある程度当たっており、肝心なところは間違っているのだろう。
無個性の男は私になにを指示し、働かせれば<組織>にとって有利になるか考えているのかもしれない。私としては金さえいただければどうだっていいが。
ラジオからは中年ふたりしかいない車内には似つかわしくない可愛らしい声の女性が歌うJ-POPが流れていた。
「市営団地三号棟にも実はその石室がありました。そこは貴方のいう▽町に繋がった。だから我々も注視していました。他の場所も繋がるのではないか、と……」
無個性の男は他の場所、といった。つまり、団地の他にも複数ヶ所、石室はみつかっているということだ。そして私のいった古い時代の遺跡は間違っていない。
「ああ、経典があったのは本当です。それは江戸時代のものだろう、ということです。ですが、石室は古墳時代のものだろう、とのことです。土器と壁に文字らしきものがみつかりました」
どうも今回の無個性の男は回りくどい物言いをするので私は少し苛ついてきた。私を試しているのかもしれない。
「なんて書いてあった?」
「我々には読めませんでした。それは漢字ではなく。神代文字でしたので……」
「なら私も読めない。大方、ここに入るな、とでも書かれていたんじゃないか?」
「ご明察です。石室に書いてあるのに、ここに入るなと書かれている。神代文字の専門家は頭を捻っていました」
「嘘だな。<組織>の関係者で神代文字が読めるとなると神道関係の霊能者だろう? ここに入るな、とは石室はすべて▽町に繋がる可能性があるんじゃないのか? 経典は仏道の霊能者にみせたか? 江戸時代の坊主がその当時、繋がった道を塞いだんじゃないのか? 神道、仏道でも明らかにならない怪異に対して、どこにも属さない霊能者の私に依頼がきた、というこということではないか?」
「……そうです」
無個性の男は相変わらず、事の詳細はいってはいない。私の推測を肯定しているだけだ。こちらのほうが都合がいいのだろう。ただ黙って仕事をすればいいのだろうが、黙って仕事をして何度も危ない橋を渡っている。一番危なかったのは▽町に足を踏み入れたときだった。あのとき帰って来れたのは運が良かっただけに過ぎないと思っている。今思い出すだけで冷や汗がでる。できる限り情報が欲しい。できる限り安全に仕事をするために。
「すべての情報が欲しい」
「できません」
「どうして?」
「我々にもわからないことだらけなのです。怪異の専門家ならわかるでしょう? 理屈や理論ではないのです。理論整然とした繋がったできごとではない。私が変に理論整然とまとめあげれば怪異はさらに理解できなくなるか、『こちらの世界』の話になってゆき『あちらの世界』の話ではなくなってゆく。だから貴方がた霊能者には個々に対応していただいています。貴方がみたことと他の人のみるものとはまるで違う。ただ危険度はかわらない。だから危険度に関しては話します。しかし私の語る詳細と貴方がみるであろう怪異は違うものになる可能性がある。そのとき、私の語った話が足枷となって貴方が怪異に侵される可能性がある。わかるでしょう?」
私はため息をついた。私が彼らに常々いっていることをいわれたからだ。どうにも▽町に関することとなると私は冷静さを欠いてしまう。
しばらくすると△駅についた。
高度成長期にあった日本列島改造論の影響で田舎にある△市だが新幹線が通っている。しかし△市はこの立地条件を活かしきれてないようだった。△市の鉄鋼業、隣の市の洋食器を合わせ売り出そうとしてはいるが、隣同士の宿命なのか、上辺上は仲が良いが、裏では市民的性格の違いがあり、いささか仲が悪く足並みが揃わない。△駅と名称も当初は路線の一部が隣の市にかかっているため隣の市の名前と合体したものも提示されたが、△市はこれを断りさらに仲が悪化していた。その仲の悪さが駅構内にも現れていた。土産屋が二件あり、広い駅のあっちの隅とこっちの隅にある。
ふたつの市には河川が多い。長雨のたびに氾濫し、稲作に甚大な被害をもたらしたらしい。そこで食べ物に困った集落同士で奪い合いがあり、それが市同士の仲の悪さの遠因になっているようだった。鉄鋼業も洋食器の発展も食糧や年貢に困った藩が農閑期に推奨したことが始まりらしい。近代にはダムや堤防が造られ、今となっては河川の氾濫は過去のことになったが、何世紀にも渡ってあった奪い合い、いがみ合いはどこか人々の影となって、なにをするにも足元にまとわりつき、からまっているようだ。
そんなことを考えながら広い構内を歩き、私と無個性の男は改築中と書かれた白い防音壁につけられたドアのなかにはいった。
中は床が剥がれ、基礎が剥き出しになっていた。
そして表にあった案内表では新しい催事場を造るらしいのだが、明らかに掘り起こし、地下へと続く穴を造っているらしかった。
現場監督らしき人物が私たちに歩み寄り「石室までの通路が開きましたが、今、作業員に通路の安全を確認させています。今しばらくお待ちください」といい、パイプ椅子を差し出した。
私たちはパイプ椅子に座り、床の下に黒く空いた穴と梯子をみて、安全確認へといった作業員の帰りを待っていた。
「今回はあちらへ繋がってないか調べればいいんだな」
「そうです。繋がってないとわかれば、団地と同じくコンクリートで埋め立てます」
「なぜ、この石室があるのか、できた由来は調べないのか?」
私の言葉に無個性の男は「ええ、上の命令ですので」と簡潔に応え「この仕事とは別ですが、少し相談してよろしいでしょうか?」と話題を変えた。
「実は石室は血で染められていたというのは本当です。それは血ではない『なにか』だった。その『なにか』は神道の霊能者によって封印されました。それがですね……運び屋に任せたら紛失してしまったんです。上へは報告しましたが、指示は来てません。やはり探すべきですかね」
「程度による、な」
「私の理解できる代物ではないのです。ただ封印は解かれるかもしれない」
「数年前、似たようなことがあったな。暴走族を運び屋として使って……」
「ええ、あれはバラされたくなかったら、と金銭を要求してきましたね。ひとりは綺麗に消しましたよ。物を預かっていたやつから奪い取ろうとしましたが、すでに封印を解いたみたいです。取り憑かれて、かなり情緒不安定になっていました。一応、手を尽くそうとしましたが手遅れでした。最終的には他の族に喧嘩を売って抗争になり、抗争中に頭を喰われました」
「抗争中? 人がたくさんいただろう。よくバレなかったな」
「人間は皆、目で見たものより理論や理屈を信じます。目の前で信じられないことが起これば信じないんですよ。そしてどうにかしてこちらの世界の理屈に合わせようとする。だから暴走族のなかにいた構成員に轢き殺されたと嘘をいわせ、新聞に同じような嘘の情報を書かせました。もう何年も経っています。皆、二台のバイクで轢き殺され、頭を潰されたと思ってますよ」
「それと同じでいい、と上も判断したんだろうよ。腹をくくれ、チェーホフが『物語の中に拳銃が出てくれば、それは必ず発射されなければならない』といっている。最近では村上春樹が1Q84の中でその言葉を引用していたな。封印されたものが人の手に渡った以上、封印は解かれる。そして最悪、惨殺される。ならば今のうちにそいつらの素性を調べて都合のいいような、こちらの世界の理屈を考えておけばいい」
「参考にさせていただきます」
私たちの話が終わると暗い穴のなかからガスマスクを被った作業員が出てきた。ガスマスクを外し、汗をタオルで拭いながらいった。
「石室までの通路に崩落の危険性、及び有害ガスはありませんでした。通過可能です」
現場監督が頷き「お願いします」と私にライト付きのヘルメットを渡した。




