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△▽の怪異  作者: Mr.Y
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南魚文

 南魚武(ナンギョ ブン)

 これが僕の名前だ。南魚なんて苗字は珍しいらしい。関西方面にわずかにいると聞いているが、周りでは親戚、家族以外で聞いたことがない。むしろその関西方面にわずかにいる同姓の人たちが実際存在するのか会ってみたいくらいだ。たいてい自己紹介のときに「ナンギョ」というと妙な顔をされ「どういう漢字を書くんですか? はじめて聞きました」と驚かれる。そして名前は「武」と書いて「ブン」と読ませる。なんでも父親が仕事帰りに一杯ひっかけたついでに道端にいた占い師に「息子の名前を考えてるんだが、おれはどうしても『武』って漢字が使いたいんだ。一文字ばん、と『武』だ。だって男らしいだろう。でも『たけし』なんて普通すぎるし姓名判断の本にも運勢が悪いって書いてあってなぁ」とぐだぐだといったらしい。そしたら「『武』と一文字で読み方を『ブン』にすれば運気は上がるでしょう」ともっともらしいことをいわれたらしく、それがそのまま僕の名前になった。つまり酔っ払いがインチキ占い師に五千円払ってつけた名前だ。運気の方は知らないが少なくとも自己紹介を一回すればたいていの人は僕のことを忘れない。便利といえば便利だが、もしこれが運気というのなら別に運気なんてものは上がろうが下がろうがたいしてかわらないのかもしれない。忘れられるか、忘れられないかの違いだろう。忘れられないのが運気の上昇なら別に運気はなんて上がらなくても構わない。つまりなにがいいたいのかというと僕はこの名前が嫌いだ。けれど好むと好まざるとこの名前で生きていかざる得ない。改名なんて面倒くさいし、自分で自分の名前を考えられるほどセンスのある人間ではない。周りの人間も南魚武(ナンギョ ブン)以外の名前で僕を呼んだことはない。あだ名も呼びやすいのかナンギョかブンだ。好きでもない名前でいままでもこれからも呼ばれ続ける。なんだか自分の影ではないなにかを足元にずっと引きずっているような感覚だった。

 名前の話で長くなって申し訳ないがそれが僕の名前。この名前で学生生活を送り、社会人になった。ちなみにフリーライターだ。好き勝手面白おかしく書いた文章をみんなに読んでもらってお金にしている。もちろん収入は少ない。だからいまだ家族に厄介になり、 自宅から職場に通っている。しかし、親と一緒に暮らすのはなかなか大変だ。俺が夜遅く帰宅することもあるし、仕事を家に持ち帰ることもある。編集社から自宅も遠い。また自宅からだと取材にいくにも交通の便が些か悪かったりする。だからアパートにでも入って親元から離れようと時間をみては色々物件をみて回っていた。

 そこで市営住宅なんて家賃が安いと訊いたから、どうだろうと不動産屋さんを訪れたが、入居者の募集が多く、なかなかの倍率らしい。というか世帯を持っている家庭や高齢者が優先でひとり暮らしは該当しないし、今年の市の募集は終わったよ、と呆れ顔で不動産屋さんにいわれた。ひとつ勉強になったが、やはりひとり暮らしが気楽にできる安いアパートを探すしかなさそうだった。

 そうそう、市営住宅の団地には一時期、家族で住んでおり、子供の頃だったからか楽しい想い出しかない。玄関を出ればすぐ近くに小学校の友達もいるし、五棟からなる五階建ての巨大な鉄筋の建物の一部屋一部屋に家族があり隣同士で生活しているのだ。(もちろん近いゆえのトラブルもあるが)幼い頃の僕の目からみたそれは宇宙を漂う巨大な船のなかのドラマのようでもあり、今でも胸踊る。たぶん僕は人が好きなんだと思う。隣の生活音が気にならないばかりか、隣に人がいる音や気配があると落ち着く。だから親が住宅街の一軒家を購入したときは親と一緒に喜んではみたもののひとりのときやたら寂しかったのを覚えている。

 そんなことを考えながらひとり不動産屋を巡っていると見慣れた道に出た。それはたった今思い出に浸っていた市営住宅団地の近くだった。ふと懐かしさのあまりふるさとを(変な言い方だろうか)見てみたくなり遠回りして市営住宅団地に向かった。

 そこは以前と変わらない鉄筋コンクリートの建物が五棟あるはずだった。あの鉄筋コンクリートの建物は僕の記憶にあるものより古びてはいるが、人が賑やかに生活している感じは相変わらずだ。だが五棟並んでいた建物は四棟だけになっていた。一棟なくなっている。その理由は道路拡張のためだとか、隣りになにか新しい建造物ができるとかではないだろう。なくなった一棟は五棟ある建物の真ん中ら辺。いや三号棟がなくなっていた。

 僕のライターとしての直感がこれは記事になると告げていた。

 そうそう、僕はオカルト関係をメインに記事を書いているフリーライターだ。昔はブログを書いていた。もともとオカルトが好きであっちこっち出かけては写真を撮ったり見たり感じたことを面白おかしく書く。それがそこそこ人に知れることになり、それから雑誌に取り上げられ、大学生の頃はバイト感覚で暇をみては取材し、記事を書くようになったのだ。雑誌『MU』への寄稿しているフリーライターとしての名前は南魚文(ナンギョ ブン)。ペンネームを考えても思いつかないので本名で書いたつもりなのだが、どこで間違いがあったのか雑誌に載るとき武と文を違えていた。けれど意外に自分に合った名前だと思う。

 話が飛んでしまったので戻す。

 僕自身の育った場所でオカルティックなことが起こっているなんてなんだかぞくぞくした。とにかく取材だ。ショルダーバッグからスマホを取り出した。いつでも写真が撮れるようにだ。そして市営住宅団地に行く。三号棟は綺麗になくなり二号棟と四号棟の間は滑り台やブランコ、ベンチに雨の凌げるだけの東屋がある小さな公園になっていた。昔、五階建ての建物があったにしては意外に狭いな、とも感じる。だが人の居住空間とは案外そんなものかもしれない。そして僕が子供のころによく遊んだ公園は駐車場になっていた。一応、近くでみると整合性はとれているようにも感じる。おそらく鉄筋コンクリートといえども経年劣化するし、維持管理費削減のためとか、違法建設があったとか、その線で撤去されたとかだろう。それはそれとしてあとで市役所にでも問い合わせればいい。問題は今、ここに立って漂う雰囲気をいかに面白おかしく書くかということだ。昔を思い出して、三号棟の入口付近に立つと目の前は東屋がある。日差しや雨を凌げる為だけの質素な作りで周囲より少し高くなっていた。ここに座って公園で遊ぶ子供たちをみれるような設計だろうか。ただ位置が公園の中央だ。子供たちをみるにはあっちこっち首を振らなければならない。それとも公園全体をみたときに美しいと思える設計なのだろうか。東屋を中心に公園が広がっている。

 なぜか東屋に引っかかっていた。ここになにかあるのではないか、という思いが消えない。ここはもともと階段のあった場所だ。

 それを思い出した瞬間、ある記憶が甦ってきた。

 一階の階段の下の床を腹這いになって調べている作業服の男、それを僕はみていた。ちょうどこの場所だったに違いない。

 あのおじさんがなにをいっていたのか、思い出す。

 もしかしたら僕がオカルト好きなのはあのおじさんのせいかもしれない。あの人は子供だった僕に不思議な話をした。子供をからかったのか。どうせわかりっこないと本当のことをいったのか。僕は後者だと確信している。そしてそのことを僕が色々な人に話しても、どうせ子供の妄想話として誰も相手にしなかった。あのおじさんの読みは当たっている。そして真実を覆い隠している世の中に少し不満があるのだ。だから子供だった僕にあの話を話した。

 オカルトは現実に存在し、今もその力を発揮している。

 そして、ここにあちらの世界にゆく通路が開いたのだ。だから建物は壊され封印された。

 東屋の中央の石造りの床には北南方位が刻まれ、周囲には星のデザインされた刻印の四角の石畳が敷き詰めれていた。

 僕はスマホをできるだけ手を伸ばして高いところから写真を撮り、その撮った写真をみてみる。そこには方位が刻まれた石を中心にたくさんの格子柄に囲まれた星印があった。自然に「ドウマンセイマン」という呟きが口から漏れる。格子柄と星印。それらは陰陽道に伝わる悪しきものを捕らえる籠目柄。それらが現代風にデザインされているようにみえた。

 あのとき誰も信じてくれなかった話は本当だった。

 あのおじさんの言葉を思い出す。

「君に私はどう見える?」

 そういったおじさんの顔は平均的なおじさんの顔だった。百人のおじさんの顔を足して、その数で割ったような、どこまでも普通で平均的で不気味な程に没個性だった。今思い出そうとしても思い出す足掛かりのないくらいの無個性さだ。だから僕は「おじさん」と答えるしかなかった。おじさんは安心したように帰っていった。しかし僕はそのとき悟った。人の姿をした人でない者がこの世に存在するということを。

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