日高と瓶
「おまえが<組織>の構成員だったら、か」
将虎は紫煙越しに刺すような視線を俺に向けてくる。その視線の抱く感情は怨みか叱責か、あるいは演技だろうか。どこか感情に乏しく、けれど容赦のないものだった。細く長い指がタバコを挟み、ゆっくりとタバコを口へ運ぶ。
「だったら、話が簡単になる」
なにか知っているということだろう。口を割らせてやればいいだけのことだ。今、俺は前に重心を移動させ、膝の上に肘をつけタバコを持っている。座りながらも重心は前方でいつでも動ける。一方、将虎の方はソファにもたれかかった状態だ。やつが攻撃するとしてテーブルを蹴りあげるくらいしかない。俺は単純にそれを警戒するだけだ。まず先手は俺が頂ける。次に場所は事務所だ。将虎にはリーチがあるがこうも狭い場所でリーチをフルに使うことはできないだろう。そして着ているものは伸び縮みしない化繊のツナギ。掴めばダイレクトに力が伝わる。投げても引き崩しながら打撃をいれてもいける。あとはどれだけ痛めつければこいつが口を割るかだ。けれど俺は将虎の根性は知っている。病院送りより、ガチでぶっ殺そうとしなければ口を割らないかもしれない。むしろ、喧嘩よりそれからの方が難しいだろう。
「……楽しそうですね。まるでパーティでもいくみたいじゃないですか? 俺は仮定の話をしたまでですよ」
楽しそう? 俺はそんなに楽しそうなのだろうか。
口を割るか、割らないかより、まずは将虎をどう倒すかだ。
将虎のパンチは上から降ってくるようなものだ。当然、重くなる。それを一回捌くにはやはりテーブルが使える。パンチを掻い潜って、接近戦。接近戦では肘や膝を警戒しなければならない。密着状態になれば腰の位置が高い将虎が不利だが、体重では明らかに俺が不利だ。イニシアティブは常に将虎にある。俺はその上をいかなければならない。そうすると……。
「はぁ」とあきらめにも似たため息を漏らし、将虎はいった。
「なに考えてるんだか、わかりますよ。昔からあんたはそうだった。俺をどうやってヤるか考えてるんでしょ? そして……俺が構成員かどうかは、あくまで仮定でしょ? 早まらないでくださいよ。で、逆に訊きます。日高さん、あんた、もしかして<組織>の構成員ですか?」
将虎は言葉を選びながら慎重に、けれど怯えとは受け取られないためか語気は強かった。
「はぁ? なんでそうなるんだよ」
なんで俺が<組織>の構成員と受け取られているのかわからない。ただ、俺の言葉に将虎の緊張はわずかにとけたようだった。
「いまさら遠山さんの死について調べている……ひょっとしたらテストかなにかですか?」
なにか誤解があるようだった。深夜のバイク愛好会のグループから抜けてからつき合いもなくなっていたから仕方ないかもしれない。将虎の最初の刺すような視線の正体は戸惑いなのかもしれない。
「一から話そう。幼馴染に会ったんだ。そいつが色々あって<組織>について訊いてきた。俺の知ってることといったら、噂話とイタチのいってたことくらいだ。でな、話してるうちに遠山さんのことを思い出したんだ。ずっと思い出そうなんて思わなかった。俺にとっては嫌な思い出だ。なかったことにして一生やり過ごそうと思ってた。だが話すには思い出さざる得ない。振り返ってみてあの遠山さんに因縁つけられたこととかタイマンのこととか……」
将虎は缶コーヒーのタブを引く、カチリという音と小さくガスが抜ける音がした。将虎は缶コーヒーに口を寄せゆっくりとコーヒーを飲んだ。
「……遠山さんが俺に因縁をつけた理由がわからなくなった。俺はてっきり高架橋の下の抗争で俺が派手に活躍してグループ内で人望を得たからと思っていた。遠山さんもリーダーをボコしてからイキッてる、ていわれたからな。けどな。そんなことで怒る人だったか? 俺も最初はなにかの冗談だと思ってた。けどあれよあれよという間に遠山さんとタイマンだ。遠山さんは無理矢理、理由をつけて俺と敵対してグループを抜けさせたかったんじゃないか? それにイタチの死だ。不可解すぎる。イタチは俺と遠山さんを<組織>に誘った。イタチが<組織>のことを俺にいったから<組織>の構成員だった遠山さんが報告して<組織>はイタチを消したんじゃないか? そして遠山さんは<組織>が本当に存在することを知った俺を<組織>がなにかしないうちにボコって自分から遠ざけた。推測にすぎないが、俺はそう考えた。そして、遠山さんはバイクに轢かれて死んだ。それも<組織>がやったんじゃないか?」
話術だとか駆け引きだとかは苦手だ。洗いざらい腹割って話てわからないやつは殴ればいい。わかってくれれば仲間だ。我ながらバカみたいにシンプルな考えだが、シンプルじゃない複雑なものなんて結局、嘘と虚飾だ。将虎はどちらだろう。
「すみません」将虎は頭を下げた。
「日高さん、あんたのこと誤解してました。俺は<組織>の構成員でした。過去形です。指示を無視して今では指示は一切きてません。もしかしたら、あんたが構成員で俺を消しに来たのかと、あるいはその布石を……」
「なんでそうなるんだよ」
「俺も一から話します。俺は<組織>の構成員でした。だからやつらのやり方はわかります。……そう、あれは親父のバイク整備を手伝っていたときに遠山さんに誘われてグループに入った頃でした。はははは……グループなんてね。『俺たちゃ暴走族じゃないから名前はつけねぇ』て、それなのに総長て呼ばれて喜んでるとか、遠山さんらしいや」
それから懐かしい話を二三して、<組織>の仕事の話(目新しい話はなかった)をしてからイタチの話になった。
「……実はイタチをあの埠頭に連れ込んだのは俺です」
和やかな話から一転して重苦しい空気に変わった。
将虎はおそらくこの話をするつもりはなかったんじゃないかと思った。ただ俺が腹を割って話しているうちに将虎もすべて吐き出したくなったような気がした。
「あのとき遠山さんはイタチに張りついていました。おそらく、いや遠山さんは<組織>の一員です。ただ<組織>の指示に反して、イタチを守ろうとしているようでした」
「イタチを守る?」
「はい、あんたはイタチを軽蔑してるようですが、あいつはあいつでムードメーカーなところもあった。常に強いやつの後ろについていて、卑怯なこと、嘘をつくこともあった。だけど高架橋の下の抗争のとき、あいつ、あの人数をまえにしてビビりながらも逃げなかった。逃げてる連中も結構いたのにね。ボコられながらも相手に掴みかかっていったんですよ。脚なんてガクガクさせてビビりまくった青い顔で……」
将虎はソファから立ち、怯えた表情で生まれたての子鹿のように脚を震わせ、そのときのイタチのマネをしておどけた。
「だから、あいつは俺たちの仲間だ。ビビりだろうとセコいやつだろうと、俺たちの仲間だ。そして遠山さんにとっても可愛い子分だったんでしょう。だから守ろうとした。けれど遠山さんのスマホに誰だか知らないが電話がきた。おそらく<組織>の根回しだ。遠山さんは帰らなくてはならなくなった。そしてイタチは合流した俺と一緒にあの埠頭へと向かった。そうです。指示がきていました。いつものように簡単な指示だ。『安達くん(イタチの本名だ)と一緒に××埠頭に向かおう。そのあとはレース開始! 君は早めに帰ってね』というね。簡単な仕事だと思ってました。いつものように単純な。まさか……」
将虎は目を伏せ、しばらく黙ったままだった。
俺は吸い終わったタバコを灰皿に捨て、缶コーヒーを開けて一口飲んだ。そして将虎はようやく重苦しく口を開いた。
「そしてイタチを誘ってシーサイドを走っていると、知らないやつがイタチと勝負を仕掛けてきました。見たことないやつでしたね。フルフェイスで顔はわかりません。カワサキのニンジャを乗ってました。俺たちを追い越して挑発してきた。イタチはムカついたのかやつを追いかけました。俺は指示通り帰った……朝、地元のニュースでイタチがどうなったか知りました」
「おまえはただ夜の海辺でイタチを誘ってバイクを走らせただけ」
「そう。それが<組織>のやり方。そしてイタチを煽ったニンジャのやつもただシーサイドラインを飛ばしていただけ……イタチは誤って海に落ちた」
言葉とは裏腹に俺が殺しに一役かっていたという後悔の念を将虎から感じた。
「そして……遠山さんの死は<組織>じゃありません。<組織>にしては雑だ。ただ暴走族のボスが遠山さんにビビって新入りふたりにバイクで遠山さんにぶつかれ、と指示していた。なんでふたりかというとひとりがビビって動かなくても、もうひとりが動くだろう、という目論見です。だがふたりとも動いた。だからひとりが遠山さんを轢き、もうひとりが倒れた遠山さんの頭を轢き潰した。重症です。救急車を呼びましたが、間に合いませんでした。ボスは捕まり、ふたりは少年院送り……はっきりと犯人があがり裁かれている。<組織>絡みではないでしょう」
俺は自分を納得させたくて「そうか」と呟いた。
「ただ、わからないのはなんで遠山さんは俺に因縁をつけてきたんだろうな」
「そりゃ……」
将虎はマルボロの二本目を口に咥えた。そして俺にも勧めたが俺は断った。
「<組織>絡みであんたをイタチみたいに殺したくなかったからでしょ?」
「じゃあ、グループから抜けろ、とかそういうふうにいえばよかったのにな」
「いやいや、わかってないなぁ」と笑いながらいった。
「結局、遠山さんはあんたと同類ですよ。最後にあんたと派手に喧嘩してみたくなったんですよ。喧嘩終わってあんたがとぼとぼ帰ったあとだ、遠山さん自慢してましたもん。あのパンチは凄かった。あの蹴りで脚が効かない。アバラ何本か折れてるわとか……ボコしたあんたへの賞賛ばかりだ。嬉しかったんですよ。ガチで殴り合って。あんたらみたいな戦闘狂じゃない俺にゃわからんことですが」
肩をすくめて笑い、そして遠くを見るような目でいった。
「懐かしいな。……あれから十年も経ってないか。まぁ、今こうやって話して少しすっきりしました。なにか俺、ずっと背負っていた気がするんです」
背負っていたのはイタチのことを話したことだろうか、知らず知らずに遠山さんを裏切ってイタチを手引きしたことだろうか、その両方かもしれないし、なにも知らず<組織>の歯車となって働いてとんでもないことを手伝わされていた後悔かもしれない。俺にはわからないが。
そのとき将虎のスマホが鳴った。将虎はスマホをみるとなにか苦い表情を浮かべ俺にいった。
「ああ、最近、また来るようになったんですよ。<組織>から。人員足りてないのか、繁忙期なのか。まぁ、無視してりゃ、また来なく……」
「みせてみろよ」
将虎のスマホのメールアプリに「裏のセブンイレブンのゴミ箱の上にある紙袋を北△駅のコインロッカー一〇三に入れる」と簡潔に書かれていた。
俺はいいことを思いつき、にやりと笑って駆け出した。
「あんた、まさか!」
後ろから声がする。その声に「振り回されっぱなしじゃ、つまんねぇだろ!」と応え、驚き怪訝そうな顔をする従業員に構わず俺はカネダ整備工場の裏へと周り、セブンイレブンへ来た。
休日ということもあり、駐車場には何台かの車が止まっていた。そして、外に設置してあるゴミ箱の燃えるゴミと書かれた上に茶色の紙袋が置いてあった。それは口をテープで巻かれ封がしてある。俺はそれを手に取る。重くもなく軽くもない。なにか固いものが入ってあるらしい。
俺が後ろを振り返ると男がいた。
肌は健康的に小麦色に焼け、いかにも女に好まれそうな優しい感じのする顔立ちだが、その視線は俺を刺すように一瞬睨んだ。そしてチッと舌打ちすると、なにごともなかったようにセブンイレブンに入っていく。
なるほど、将虎が動かなかった場合の<組織>の構成員のひとりなのだろう。仕事を横取りされてムカつき、そして一応、構成員と悟られないためにコンビニに立ち寄ったように装ったのだろう。
優男の着ているものは△高校サッカー部とプリントされたウィンドブレーカーだ。年齢は俺と変わらないくらいだから教師なのかもしれない。
「なにやってんスか!」
将虎が慌てて走ってきた。
俺は将虎の言葉にブルーハーツの月の爆撃機の出だしを口出さみながら応え、紙袋の口を破いて中身を出した。
「あっ、なにを……」
出てきたのは拳銃でもヤバイ薬でもない。長い紙をぐるぐるに貼りつけられたガラス瓶だった。長い紙は読めない文字が書かれ、ガラスには糊や接着剤でもないなにかによって貼りつけられていた。
「……御札?」
指の爪で少し引き剥がすと中でなにか蠢いているのがわかる。なぜかそれをみただけで総毛立ち嫌な汗が吹き出した。
「ヤバいスよ!」
将虎が小声で俺に耳打ちした。
俺たちはとりあえず、カネダ整備工場に帰ることにした。帰り際、コンビニのガラス越しに優男と目が合った。その目は冷たく俺を見送った。




