一途な吟遊詩人の悠久なる探索
童話企画参加作品。
ここは異世界。吟遊詩人組合の事務所です。
「すいませーん! 上王ブレス様の紹介で来ました! ケルトの吟遊詩人、コープルです〜」
旅装の女性が扉を開けながら部屋の中に声を掛けます。
「ああ、すいません。あなたのお相手をするはずだった理事のヘルメス様は外出中なんで、俺がお相手しますよ。吟遊詩人のオルペウスといいます。」
チャラそうな青年が、竪琴をかき鳴らしながら部屋の奥から出てきました。
「あ、どうも。よろしくお願いします。」
ホリの深い顔立ちのコープルが、日本人のように丁寧にお辞儀をしました。
「随分腰が低いですね。聞いてた話と違うな。」
オルペウスが録音のカセットテープを机にセットします。
「いやあの上王。真面目そうな顔して実は使えないらしいから、私の手腕で悪評を流してこき下ろし、泥水飲ませて懲らしめようと思ったんですけど……。次々に新しい法律を作られて、名誉毀損罪で捕まっちゃったんですよ。あと威力業務妨害罪だったかな?」
元お役人の日本人は、この異世界でも元気にお仕事をこなしているようです。
「そう。……それじゃあ、今日は童話のための対談ってことなんだけど、いいかな?」
「それが投獄されずに罪を償う条件だったので、もちろんよろしくお願いします。」
竪琴を置いたオルペウスが、コープルの対面に座ります。
「せっかくだから教訓を含めた寓話的な話にしよう。吟遊詩人たるもの、政敵から賄賂を貰ったり追い落としたりするために風刺歌を作るだけじゃだめだからね。色んな物語を覚えてみんなに聞いてもらわないと。」
「はい……身に沁みて理解しました。」
「それじゃあ今日は苦い経験から得る教訓話にするね。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
とある青年の話。青年は愛する妻エウリュディケとの念願の結婚式で、ダンスを踊るんだ。ファーストダンスはもちろん愛する妻と。次に青年は、森の精霊だった妻の同僚である水の精霊ナイアドと踊ったんだ。その間、エウリュディケは一人だった。それが青年の義理の兄弟であるアリステウスに悪心を起こさせてしまったんだ。結婚式の帰り道、新郎を殺して新婦を自分のものにしようとしたアリステウスが襲いかかってきた。二人は手に手を取って逃げ出した。そして毒蛇を踏んでしまった新婦エウリュディケは、噛まれて死んでしまったんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「そんな……。オルペウスさんの奥様がそんな目に。」
コープルは早くも目を潤ませながらため息をつきます。
「俺の妻だとは言ってないけどね。この話から得られる教訓はなんだと思う?」
オルペウスは淡々と問いを投げかけます。
「愛する人の手は絶対に離してはいけない。」
今度はオルペウスがため息をつきました。
「奥さんとだけダンスをしても許されるのならそれでもいいかもね。その場の空気とか人間関係とか壊れないかな?」
「そ、それは……」
「俺が思う教訓は、いくら森の精霊だとしても森を歩く時にはちゃんとした靴を履くべきだったってことかな。これは子供に読ませる本のためにしている対談だからね。」
「な、なるほど。子供向けの教訓のためってことですね。」
コープルは夢から醒めたような顔になりました。
「……じゃあ続きを話そう。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
幸せの絶頂から不幸のどん底に突き落とされた青年は諦めなかった。唯一自分に残った竪琴の腕を使って、冥界の王に直談判しに行ったんだ。もちろん王のもとに辿り着くまでも、門番のカロスやケルベロスを竪琴でかわし、王の奥方のペルセポネも懐柔してね。そうして冥王ハデスから条件付きで妻エウリュディケを連れ帰る許可をもらうんだ。その条件は、地上に出るまで青年が妻のことを見てはいけない、ということだった。簡単だろ? だから青年も了承して、妻を連れてその場を去ったんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「奥さん取り戻せて良かったですね。」
「その油断がダメなんだよ。東の島に伝わる『くもの糸』って話は語り部として当然知ってるよね? もしも地獄からの脱出手段を得られたら、脇目も振らずに出口を目指して進まないといけないんだ。神の気まぐれはいつ終わるか分からないんだからね。あ、あの話は仏かな?」
コープルはその話を知らなかったのか、目を左右に泳がせます。
「あ、そう、なんですね。」
「それから条件の確認をもっと明確にしておくべきだった。手をつないでもいいのか、妻を先に歩かせても良いのか、外に出たという判定は誰がするのか。青年は生身で冥界を訪れたけど、妻の肉体はどういう扱いになるのか。青年がもっと真剣に取り組んでいれば、この先の悲劇は起きなかったはずなんだよ。」
「……悲劇。」
「じゃあ続きを話すね。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
青年は地上を目指して歩き出した。全く気配のしない背後にいるはずの妻は、本当についてきているのかと恐怖を覚えながら、自分をなだめてなんとか進むんだ。そしてついに地上の光を見たと思って振り返った青年が見たものは、青白く生気のない顔をした妻が、霞のような姿で光の差さないところに立っていた姿だったんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「そ、んな〜! じゃあ奥さんを連れ戻すのは……失敗?」
「連れ戻す……そうだね。それは失敗だ。ここで得られる教訓は分かるかい?」
「奥さんが確実に光の中に出るまで歩いてから振り返るべきだった?」
「手をつないでいたわけではないけど、青年との距離感でいえば、妻がすぐ後ろを歩いていてくれたなら、もう光の中に出ていたはずだった。そのくらいは青年だって考えるよ。」
「そ、そうですか……」
「問題は妻エウリュディケが、青年と一緒に冥界から地上に帰りたいと思ってたかどうかってことなんだ。」
「え〜〜!?」
「だって一緒にそこまで歩いて来ても、最後の最後で立ち止まられたら青年にはどうすることもできないだろ?」
「それは、まあ……」
「じゃあ続きを話すよ。」
「続きがあるんですか??」
「もちろん。」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
連れ戻ったと思った妻エウリュディケが消えてしまった。慌てた青年がもう一度冥界へ降りようと思っても、冥府の門は二度と開かなかった。それ以来、いつも明るく竪琴をかき鳴らし、動物たちと楽しく歌っていた青年はもう見られなくなった。そして結婚前には沢山の精霊たちとふれあっていた青年は、女と名の付くものは人だろうが精霊だろうが拒絶するようになる。そのせいで、青年が独り身に戻ったなら早速また仲良くしようと考えていた女たちは、怒り狂い、そして発散した。青年をギッタンギッタンのバラバラにしたんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「えっ……? え?!」
「ある意味良かったのかもね。」
戸惑うコープルに見向きもせずにオルペウスは話を続けます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ふさぎ込んで歌うことを忘れていた青年の頭部は、川に流されながらも歌い続けたんだ。そして親切な娘さんに拾われた青年は首だけ埋められて、愛用の竪琴は天に取り上げられ星座になった。それがこと座だ。有名な星はベガ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あ、頭だけ? ……歌って?」
コープルは顔を青くして、目を白黒させました。
「ああ、体も集めて一緒に埋めてもらえたパタンもあるみたいだけど。どちらにしても竪琴は一緒に埋められないし、青年本人は星座にはなっていないんだ。」
「あ、あの、これ、童話のための対談、ですよね? 子供にはちょっと残酷すぎるんじゃ……」
「ギッタンギッタンは子供向けでも大丈夫らしいよ。まあ国によると思うけど。それにテープを文字起こしする時に、ダメなところはカットしてもらえばいいからさ。さて、ここで得られる教訓は分かるよね?」
そろそろコープルもオルペウスの話の流れに慣れてきたようで、自分の考えを述べるのに掛かる時間が短くなってきました。
「物語は……聞く人に合わせて、編集する、べき?」
「うーん、文章は出版元が保管するだろうし、歌だけ編集しても違いの確認が取れ……。ああ、コープルさんのところは物語は書面に残さないんだったっけ?」
ケルトは口承文化なので、それもあってか吟遊詩人の地位が高いようです。
「あ、そうです。だから相手に合わせて編集し放題。本当の話かどうかなんて歌ってる時点では分かりようがないので、こちらの良いように内容を変えて政敵を追い込むんです。賄賂が貰えれば歌にも手心を加えて……ってすいません、もうしません!」
コープルにお仕置きをするのも今日の目的のうちだということは、ここでは口にしないオルペウスでした。
「いや、別に俺に謝らなくてもいいけどね。……本題に戻ると、ここで得られる教訓は、結婚前に女性関係はきっちりきれいに清算しておくべきだったってことだね。それまで一度も妻以外の女性になびいたことがことがなければ、他の女性が群れをなして迫ってくることもなかったでしょ? それに断り方ももう少し上手くやれたんじゃないかな。相手を逆ギレさせないようにさ。いくらトランス状態の集団だったとしても、いくら迫られても嫌悪感しか感じなかったとしてもさ。」
「そ、そうですか……」
同じ女性としても、何も反論できないコープルでした。
「じゃあ続きを話すよ。」
「まだ続くんですか?!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
青年は死んで冥界へ降りていった。人が生身で冥界に入るのは一度までなんだけど、死んだ魂はその限りじゃないからさ。青年の魂は門にも門番にも阻まれることなく冥王のところへ降りていった。死を恐れずに、最初からこうして妻に会いに行けばよかったと思いながらね。だけどそこに愛しい妻エウリュディケはもういなかったんだ。彼女はすでに次の世界へ旅立っていた。行き先は別の国なのか、地球なのか、エリュシオンなのか。……もしくは全く別の異世界なのか。冥王ハデスは妻エウリュディケの行き先を青年に教えてはくれなかった。彼は死んだ妻を生き返らせようとして、冥王の領分を一度侵していたからね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「それで? 青年はどうしたんですか? 奥さんには会えたんですか?」
「それが教訓さ。後悔先に立たず。備えあれば憂いなし。準備8割。あとは高名の木登り。帰るまでが遠足です。」
「じゃ、じゃあ、結局青年は奥さんに再会できなかったんですね……」
「まだ、ね。」
「え?」
ジーーーーカチャッ。
「あ、ちょうどテープが終わったみたいだ。じゃあ対談はここまでってことで。上王様にはコープルさんがノルマを終了したって伝えておきますよ。」
「え、あの、もう終わり? 続きは? 奥さんは?」
コープルは腰を浮かせたり座ったりしています。
「ああ、コープルさんへ一つ忠告。……人の話を鵜呑みにしてはいけません。」
「え? ……えっ!? 今の話? 全部嘘だったんですか!? 酷い!!」
バンっと立ち上がり、コープルは顔を赤くして声を上げました。
「自分だって都合よく話を作り変えて歌ってるくせに、人の話は全部本当だって信じちゃうの? 俺は本当にあったことだなんて一言も言ってないよ。」
「だ、だって経験からの教訓話だって……」
コープルは話し始めの時のことを思い出しながら言いました。
「そう。だから君の苦い経験からの教訓。上王ブレス様が真面目そうっていうのは君が実際に見ての感想だけど、使えないらしいっていうのは噂だよね? 王の上位、上王の施策を君がつぶさに観察することはできないだろうから。なのにそれを鵜呑みにして、でっち上げの風刺を仕掛けて返り討ちにあったんでしょ?」
「全くの嘘ってわけじゃ……」
本当のことも歌っていたコープルは、少し不満そうです。
「それが一番タチが悪いよね。事実の編集、都合の良い部分だけの切り貼り。そうして上王を陥れて自分だけ美味い汁を吸おうとしたんでしょ? だけどブレス氏はやり手だった。政治については俺は分からないし興味もないけど、実際君は合法的に逮捕されてるしね。最近はまた大きな仕事を成し遂げたって聞いてるよ。その英雄歌が事実かどうかは分からないけど、今現在は国民の支持を受けているのが真実だ。そのブレス氏の人脈によって、君は今ここで人の役に立つお仕事をさせられてるんだよね。」
「はい……」
「俺は君をさばく立場じゃないし、誰が正しいとか正義とか言うつもりもない。真実はそれぞれにあるんでしょ? だから童話のための対談の、君への教訓だけ。人の話を鵜呑みにしない。鳥神様の世界だから、教訓にも鳥を絡めてみました。お後がよろしいようで。」
ここでオルペウスが録音用のカセットを停止しました。先程の機械音は、A面からB面に切り替わっただけだったようです。この事務所は鳥神の世界と地球をつなぐゲートにもなっているので、地球のものも手に入ります。
「おや? 対談はもう終わってしまいましたか?」
組合の理事であるヘルメスが戻ってきました。彼は道の神協会の理事でもあるので忙しいのです。
「遅いですよ。立ってるついでに彼女をゲートまで送ってきてください。」
異世界の中でも、遠方の分社や事務所間をつなぐゲートが存在します。
「おやおや、立ってるものは叔父でも使いますか?」
オルペウスの父とされるアポロンは、ヘルメスの兄にあたります。
「あ、私は大丈夫です。船で来たので。じゃあ船長を待たせてるのでこれで失礼します。」
コープルはお辞儀をし、慌てて吟遊詩人組合の事務所から出ていきました。彼女の住むヒベルニア島までは遠いので、それも仕方のないことでした。
「それで? 今日はまた黄泉下りの話ですか?」
オルペウスは遠くから戻ったヘルメスのために、お茶を入れる支度をしながら返事をします。
「冥府です。これが鉄板なんでね。」
オルペウスは機会があればいつでもこの話を披露していました。
「……私に頼んでくれていれば、なんとかできたかもしれなかったのに。」
魂を冥界へ案内する役割も持つヘルメスは、冥府に多少顔が効きました。ですがそれだけです。死者を蘇らせるのは冥王への冒涜で、ヘルメスにも成せなかっただろうことはオルペウスにも分かっていました。
「あの頃あなたは、冥界へ導く仕事の途中で精霊ララに双子を産ませたばかりだったじゃないですか。大事な新妻をあなたに任せられるはずがありませんよ。」
オルペウスはわざと怒ったように言いました。
「ええ……。先程、道の神協会で双子のラーレスたちに会ってきたところです。立派に仕事をこなしていましたね。」
ヘルメスの子である双子は道の神、境界の神である親の仕事を継いだようです。
「叔父さんには、冥界の門の場所を教えてもらえただけでも感謝していますよ。俺は俺のやり方で妻を取り戻すんで、心配しなくても大丈夫です。」
不貞腐れた風のオルペウスは、ヘルメスにお茶を出した後、竪琴を持って外に出ます。ガス抜きに失敗したヘルメスは、一言だけ付け加えます。
「……自分を責めるのはもう止めなさい。」
ヘルメスの言葉には返事をしないまま、オルペウスは入り口の扉を閉めました。外はもうすっかり暗く、空には星が輝いています。
オルペウスはもっとよく星を見ようと、丘の上に登りました。この鳥神の世界では、空の星も地球と全く同じになっています。
「はぁ〜。……年に1回でも会えるやつらはいいよな。」
オルペウスは以前、日本から来た転生者に七夕の話を聞きました。同じこと座の関係者であるのに、片や年に一度の逢瀬を繰り返すベガとアルタイル。片や魂のゆくえさえ分からない妻を探すオルペウス。羨むことはあっても、妬むことはしません。オルペウスは草の上に寝転びました。
「これであいつが怒りそうな童話ができたら、文句言いに出てきてくれないかな……」
オルペウスは黄泉下りの話をコープルにした時に、妻であるエウリュディケが怒りそうな教訓を述べていました。
しかし本当は全て自分が悪いのだとオルペウスは思っています。ナイアドと踊ったこと、アリステウスを呼んだこと、丈夫な靴を用意しなかったこと。ハデスの言うことを信じて冥界から地上へ向かったこと。死んだ人間を、ただ少し上手なだけの竪琴を聞かせただけで、生き返らせることができると信じたこと。最後の時、エウリュディケの霊体に悲しい顔をさせたこと。
「どこに行っちゃったんだろうな〜。それともまだ怒ってるから出てきてくれないのかな。……いや、それはない。俺のこと知ったら、あいつは絶対に殴り込みに来るはずだ。」
オルペウスは地球で死んだ後、契約を交わしました。他の神たちと同じ様に、異世界であるこの鳥神の世界で働いているのです。
この世界が安定するように、地球から来た魂が世界から迷い出ないように。この世界のワーキングホリデーには年齢制限も回数制限もありません。役割を果たしながら、転生した妻を探す日々を送っていました。
「きっちり死んだから転移はありえないしな。記憶をまっさらに転生したって可能性もあるかもな。俺の竪琴は魂に響かないのか? 俺を思い出さないのか? エウリュディケ……」
生前に父アポロンから貰った竪琴は、叔父ヘルメスが作って贈ったものでした。見様見真似で作り直した竪琴は、この世界で再会した叔父の手直しで、以前よりも素晴らしいものになっています。
「俺が彗星みたいに蒔いたチリが流星群になって各地に飛んでいけば、いつかどこかでエウリュディケの目にも入ると思うんだけどな。」
七夕を教えてくれた転生者は、天文学に詳しい女性でした。こと座流星群の話を教えて貰ってから、オルペウスは地球とこの異世界を行き来しながら、自分の痕跡をあちこちに残しました。アルゴナウタイ、オルペウス教、小説、映画、音楽。オルペウスにオルフェウス、オルフェと呼ばれることもありました。
「今年はダメでもまた来年、こっちの世界がダメでも地球にいるかもしれない。」
オルペウスが鳥神の世界と地球とを好きに行き来することはできません。鳥神の力を借りる必要があります。ですがゲートで空間を超える時、着地する時間はある程度選ぶことが出来るのです。
「無理だって、無駄だって他人に言われても信じない。俺は自分が出来ることを全部やるまで諦めないぞ。……だから鳥神様、契約延長お願いします。」
オルペウスが寝転んだまま顔を横に向けると、そこには2羽の鳥が寄り添って座っていました。
この世界の人々は、鳥神を夫婦神だと、太陽神と月の女神だと考えています。
オルペウスは自分の願いを神に祈ることはしません。それは鳥神の力ではエウリュディケと会わせることができないから、ということではありません。対価としてオルペウスの魂の消滅を求められれば、エウリュディケの今の命を求められれば、願った時点で拒むことができなくなるからです。オルペウスは神の端くれとして、それを知っていました。
時に神はありえないほど大きな願いを、対価も無しに叶えることがあります。しかし全ては偉大なる神の気分次第だということを、苦い経験からオルペウスは知っていました。一度神の言葉に縋って失敗したオルペウスは、どれほど途方もない願いでも、自分の力で叶えようと頑張っています。
「ピピピ」
「チチチ」
オルペウスが横に向けていた顔を上に戻すと、星が流れました。次から次へと星が流れていきます。
「会いたい会いたい会いたい! エウリュディケ! どこにいるんだよ〜出てきてくれ! 謝るから! 頼むよ、頼む……」
こうしてオルペウスがこの丘で流星群を一人眺めるのも、数え切れないほどの回数になりました。月や太陽ではなく星に願います。神ではなくエウリュディケ本人に頼みます。ずっとずっと長い時間一人で頑張ってきたオルペウスは、一度泣き始めたら止まらなくなりました。降るように流れる星の下、声を上げて泣いています。
「ううっ……。ぐっ!」
泣き疲れた頃に、オルペウスはお腹の上に重みを感じて呻きました。仰向けの顔に腕を乗せて泣いていたオルペウスが、首を持ち上げて自分の腹部を見てみると、そこには鳥神たちが座っていました。
「はぁ〜」
オルペウスは脱力して草の上に大の字になります。
コン!
その時、手が竪琴に当たりました。
「泣いてても仕方ない、か……」
「おやおや。大きな子供が大泣きをして、鳥神様たちにあやしてもらっていたのですか?」
中々戻ってこないオルペウスを心配したヘルメスが丘の上にやってきました。すると2羽いるうちの大きい方の鳥がバサバサと羽を動かし始めます。ヘルメスが持ってきたお酒に反応しているのです。ついには飛び立ちヘルメスの肩に止まりました。オルペウスは、下を向いて首を振っている小さな方の鳥を抱きかかえて起き上がりました。
「叔父さん……」
「一人の女性にそこまで夢中になれるとは、全く羨ましいことですよ。私には中々できないことです。」
ヘルメスは恋多き男です。しかも子沢山の神でした。
「ピピッ。」
ヘルメスの肩に止まる鳥神が、催促するように鳴きました。
「鳥神様のお口に合うかどうか。」
すると今度はオルペウスの手の中にいる鳥神が、竪琴にクチバシを向けて鳴き出します。
「チチッ。」
「こちらの鳥神様は曲をご所望ですか? では一曲ご披露いたしましょう。」
真っ暗な丘の上で、二人と2羽が丸くなって座ります。お酒の杯は4つ。オルペウスが竪琴を弾き、ヘルメスは笛を吹きます。いつも一人で頑張っていたオルペウスは、本当は一人ではありませんでした。それでも今夜奏でるのは悲しい調べの曲。歌うのは切ない恋物語でした。
空には相変わらず星が流れています。オルペウスの流星が、いつか一つでもエウリュディケの瞳に映る日まで。そして2つの星が、いつか並んで輝く日まで。オルペウス彗星は足跡の帯を残しながら、今日も明日も世界を廻っていくのでした。
おしまい
お読みいただきありがとうございました。
ちなみにプロローグ的な話として、『あの日見た映画のDATとカセットテープの違いを異世界人は知らない』があります。おフザケも許せる方はページ上部「企画参加の短編」からへどうぞ。
冬童話期間終了後は『【番外編】バードの歌』に収納予定です。