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0話 プロローグ

◇西暦202X年10月2日 東京・八王子◇


鷹峰亨たかみねとおるは、訪問先の顧客のおばちゃんから叱責を受けていた。


「あんたトコの薦めてくる投信も株も全然ダメじゃないの! 資産は目減りしていくばっかりで、増えるどころか減る一方じゃない!」


鷹峰の勤める大村証券は日本でも有数の証券会社だが、ここ数年の運用成績はお寒い限りだ。


「申し訳ありません……、不甲斐ない限りです」


この日は、ここ1年の運用成績をまとめた報告書を持参したのだが、目の前の顧客から預かっていた5000万円は1年で3000万円にまで目減りしていた。


何を買ってそこまで落ちたのかと言うと、仮想通貨関連の株式や投資信託だ。仮想通貨自体は面白みのあるマーケットなのだが、相次ぐ流出事件によって暴落することも多く、投資先としては不安定と言える。


「10年ちょっと前は北米不動産でサブプライムローン直撃、その次はヨーロッパの債権でギリシャショック、そのまた次は石油関連がシェールガスで大暴落、そして今度は仮想通貨。あんたの会社が推奨する商品の逆張りした方が儲かるんじゃないの!?」


「正解!おっしゃる通り!」と鷹峰は思った。


ただ、「俺が薦めた商品じゃない」という思いもあった。


この顧客は退職した先輩から引き継いだ顧客であり、今怒られている案件についても、鷹峰が契約をとった商品ではない。だからと言って「俺の責任じゃねーよ」と開き直れないのが証券会社員の辛いトコロである。


顧客が一息ついて、不機嫌そうに質問をした。


「で、今年度はいったい何を薦めてくれるっていうの?」


「は、はい、今年はですね、米国株のインデックスファンドを推奨させていただきます。消費増税の影響はまだまだ続きそうで、日本株は厳しい状況になることが予想されますが、アメリカ株はまだまだ上昇余地があるんです」


201X年秋に、日本の消費税は8%から10%に増税された。消費税は市民の財布の紐を硬くするため、景気に対して大きな悪影響が出てしまったのだ。この状況では海外に目を向けるしかないと会社の上層部は考えているようで、今年はアメリカ株を推奨するという方針が採られているのだ。


「ふーん。でも円高になったら、株価が上がっても損じゃないの?」


海外の投資商品を購入する場合に気を付けなければいけないのは為替レートである。いくら投資した米国株の値段が上がったとしても、円高になってしまうとドル資産を日本円に戻した際の金額が目減りしてしまうのだ。


ゆえに鷹峰は「その通りです。止めときましょう!」と言いたくなったが、我慢して説得を続けようと試みた。


「それは確かにそうですが、日本の金融緩和はまだまだ続きそうですし……」


「アメリカとかEUは金融緩和再開するのに、日本の白田ランチャーは打ち止めっていうニュースを見たわよ」


ジトっと睨むような目つきで顧客のおばちゃんは鷹峰に言った。現在の日銀総裁の白田氏は就任時こそ『白田ランチャー』と言われる金融緩和を行って円高を是正し、経済を上向けることができたが最近は鳴りを潜めてしまっている。そんな中で他国は金融緩和をするというのだから、今後は円安どころか円高になる可能性もある。


どう説得したものかと言葉を失った鷹峰を見て、おばちゃんはため息をついてから言った。


「とりあえず主人には相談しときますけど、私はもう解約するつもり。次は解約手続きの準備をして来てくださいね」


これ以上粘ってもしょうがないと思った鷹峰はテーブルに手をつき、一礼して言った。


「わかりました。どうかご検討よろしくお願いいたします」


顧客の家を出て、鷹峰は八王子支店への帰途についた。


「俺はこんなことがやりたくて証券会社に入ったわけじゃない」


支店への道をムスッとした顔で歩きつつ、鷹峰は心の中で文句を言っていた。鷹峰が金融業界を志望するようになったのは、大学時代に見たドラマの影響である。『ハイエナ侍』というタイトルで、外資系金融機関に所属する主人公の宇治沢が、日本の潰れかけの企業を買収し、再生していくというストーリーだった。


鷹峰は冷徹にリストラを実行しつつも、独自の美学や仁義に熱いところのある宇治沢に憧れを抱き、その勢いで証券会社に就職したのだ。


しかし、入社してからは理想と現実のギャップに打ちひしがれてばかりであった。


鷹峰はまずまずの私大文系学部卒の人間である。いまだ学歴が幅を利かせる証券会社においては、エリートコースでもなければ複雑な金融商品の設計を担当するような数学スペシャリストでもない。ましてや、企業買収やバルチャービジネス(※)を担当する部署など別世界なのだ。


※注:バルチャービジネスとは

経営不調な企業を買収し、経営を再生してから売却することで利益を得るビジネス


結局彼は1ソルジャーに過ぎず、「〇〇社の株を薦めてこい」、「××投資信託を契約取って来い」という上司の指示を受けて顧客回りをするしかないのである。せめて、客に薦める投資商品くらい自分に選ばせてくれればと思う鷹峰だったが、それも当面はできそうにない。


「だりぃなぁ……」


ため息をつきつつ、鷹峰は支店へ戻った。


八王子支店に着いたのは夕刻だった。


鷹峰がリテール二課(個人顧客への営業を担当する部署)の自分のデスクにつくと、上司の熊田課長からお呼びがかかった。立ち上がって、課長のデスク横に移動したと同時に、熊田が口を開く。


「北山のおばちゃんはどうだった?」


北山というのは先ほどの顧客の事だ。


「はい。運用成績に御立腹で、もう解約する気のようです。一応米国株はお薦めしたんですが、来週は解約手続きの準備をして来いって言われました」


熊田の顔がムッとなる。


「それでお前、なんて言いかえしてきたんだ?」


「いえ、何も……」


「バカかおめぇは! 何しに行ってんだ!」


熊田の瞬間湯沸かし器が沸騰した。「また始まったよ」と同フロアの人々が目を背ける。


原因や状況によらず、その時の気分で怒鳴り散らす熊田課長は支店のマスコット的存在である。その熊田を筆頭とするリテール二課は支店内で「熊田組」とあだ名をつけられており、組長がカミナリを落とす回数が他所の課の昼飯代の賭け材料になっている。


鷹峰が支店内の同期から聞いた話によると、「ここ数日の平均は1日6発。下がり調子だね」との事である。しかし、今怒られている組員の鷹峰からしてみればそんなことはどうでもいい。むしろ、「下がり調子なのになんで俺が」と思えた。


「お前、聞いてるのか!」


熊田は鷹峰が組長のお叱りを左耳から右耳に流しているのに気付いたようだ。


「聞いてますよ。すいません」


いつもなら必死になって焦ったフリをしてやり過ごすのだが、今日は何故かそれすらうっとおしく感じられたため、如実に不機嫌な顔をしつつ、鷹峰は返事をしてしまった。


「なんだその態度は!」


「別になにも!」


「なんだと!」


もはや子供の喧嘩である。周囲のデスクの人々も笑いを堪えている。


「お前はここ最近、営業成績全然じゃねぇか! どうするつもりだ!」


そう言われて、鷹峰もカチンと来てしまった。


「そりゃ課長から指示される商品が全然ですからね。成績も全然でしょうね」


「おまえ!」


熊田は立ち上がって、鷹峰の着ている黒色のスーツ上着の襟をグッと掴む。胸倉を掴まれた鷹峰だが、余計に怒りの衝動を高められただけであった。


「安定投資がしたくて、海外移住なんて毛の先ほども考えていない客に、米国株薦めてこいってバカなんですか! どこの個人顧客にこんな外国株のニーズがあるってんですか!?」


「だったら、お前なら何を薦めるってんだ!」


「少なくとも米国株インデックスよりは購買欲が湧いて、安定的なものを薦めますよ!」


「この野郎!」


熊田の腕に力が入る。


ビリッ! と鷹峰のスーツの左肩の縫い目に、500円玉大の裂け目が入った時だった。


「いい加減にしなさい!」


鷹峰や熊田の直上にあたる西原次長が立ち上がり、制止の声を発した。


チッと舌打ちしながら、熊田は鷹峰の襟を離す。


西原が熊田と鷹峰に近寄ってくる。


「鷹峰君、今日はもう帰りなさい」


「しかし、今日の報告書を……」


「明日でいいです」


西原はそう言って鷹峰の左肩を指さした。


「スーツの修理もあるでしょうから、今日は帰りなさい」


鷹峰はそう言われてやっとスーツの破れに気付いた。その日着ていたスーツは、小遣いを一度すら出した事の無い鷹峰の父が、就職祝いに奮発したスーツだった。


「……、はい。分かりました。失礼します」


父親の顔が一瞬脳裏をよぎり、僅かながら冷静さを取り戻した鷹峰は次長の言葉に従い、一礼してから自分のデスクに戻った。荷物をさっとまとめ、カバンをつかんで出口に向かった。


「熊田君、ちょっと来なさい」


という西原次長の声が後ろから聞こえた。


鷹峰が支店から出ると、日は落ちて暗くなっており、10月の肌寒い感触があった。


普段の鷹峰であれば、おちついて破れたスーツを脱いで左腕で持ち、ワイシャツ姿で歩き始めるところだが、頭に血が上っている現状ではそこまで気が回らなかった。


「やっちまった」という反省と、


「あのパワハラ課長め」という苛立ちと、


「明日からどうしよう」という気の重さが、同時に頭の中を駆け巡る。


大学時代の友人に再会して悩みを語った時、「辞めちゃえばいいじゃん」と軽くアドバイスされたシーンも繰り返し脳内再生される。しかし、金無しコネ無し実績無しの現状では独立なんて不可能であるし、この仕事以外で他にやりたい事というのもピンと来ない。


交通量の多い通りに差し掛かる。


「俺はどうすりゃいいんだ……」


と呟きながら、鷹峰は横断歩道を歩く。


刹那、鷹峰の後方から大声があがる。


「おいっ! 兄ちゃん信号!」


見知らぬ男の声と同時に、激しい車のクラクションが聞こえる。


鷹峰が右側に視線を向けると、鼻先まで大型のトラックが迫ってきていた。


鷹峰は悔いる間すら与えられず、彼の意識はブラックアウトした。

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