落ち驚く猫
好きであるという事と、得意であるという事には大きな隔たりが御座います。和菓子好きの全員が和菓子職人ではないように、好きこそものの上手とはならない場合は往往にしてありましょう。
さて、猫に関していいましても、それは変わらぬものに御座います。屋根や木の上に登ったまま降りられなくなるような愛らしい生き物を、皆様も見た覚えがありましょう。
今回は、そのようなお話。一体どうやったのか高所へと登りました猫一匹と、偶然にもそこに居合わせた老夫のお話に御座います。
まずは、ある晩の事。
輝姫と呼ばれる猫がおりました。この輝姫、実のところ自らの屋敷から逃げてきたのであります。猫であれば珍しい事でもありません。自由を愛する事の、なんと愛らしい事でしょう。
その輝姫でありますが、どうやら地べたで寝転ぶ事に抵抗があった様子。なにせ、生まれてこの方飼い猫でなかった事など瞬く間もない箱入り猫で御座います故。
ならばどうするのかと聞かれますと、その場はちょうど良い竹林でありました。不慣れにも流石は猫といいますか、輝姫はその竹の上へと登ってしまったのであります。
「みーぅ、みーぅ」
嗚呼、猫にありがちな、降りられぬ高所に御座います。登るばかりが得意でありまして、眼下を臨めば、最早その高さは自らの許容を超えているのであります。
「みーぅ!」
猫の多い此の猫の本に於きましては、やはり此の様な事は茶飯事でありました。皆様の居られます国とは比べるべくもありません。
多く、此の様な場合には、暫くした後に足を踏み外して落ちてしまうのが常であります。
そして、猫は往々にして人間を嫌っております。
「み……っ」
もう一度鳴こうとして、しかし辞めてしまいました。足元直下、そこに一人の人間が現れたのであります。雪の様に白い髭を蓄えた、ずんぐり潰れた様な見た目の老夫でありました。。
輝姫はとても用心深い性格でありまして、見知らぬ老夫が現れれば鳴く事もままなりません。
嗚呼、これは待たねばならないだろう。あの男が立ち去るまで、密やかに。立ち去った後には、速やかに。輝姫は、足場もままならない竹の上で潜んでしまったのであります。流石は猫というところでしょう。
しかし、輝姫の不運は、それだけには止まりません。その老夫は鎌やナタを持ち、竹林の坂下から歩いてきたのであります。老夫の名は左貫と申しまして、輝姫は知らぬ事ではありますが、竹取の翁と呼ばれております。
勘の良い皆様ならばもうお分かりでしょう。左貫は、竹を取りに来たので御座います。
それで困るのが、他でもない輝姫でありました。
カーン、カーンと小気味の良い音が聞こえますと、輝姫の隠れる竹が激しく震えます。ええ、お察しの通り、竹取に御座います。
輝姫の隠れる竹は右へ左へ前へ後ろへと大層激しく揺れ動きまして、とてもではありませんが猫の爪でも掴めぬ程の動きであります。輝姫も必死でありますれば生まれてこの方これ以上はないという程に力を込めましたが、それでもとうとう振り落ちてしまいました。
実の所この輝姫、一般的な中のそれと比べて運動が得意ではありません。温室育ちの、座敷猫でありますから。
「ぅみみ!?」
「おおう! なんだ!?」
竹の上から落ちました輝姫の悲鳴を上げ、上から猫が落ちてきました左貫は驚きました。僅かばかりの幸いは、輝姫には怪我一つなかった事でありましょう。落ち様に左貫を引っ掻いた為に、地面に叩かれる事がなかったのであります。
背を下に落ちる。およそ猫らしからぬ事ではありますが、輝姫のこれは仕方がなきものでしょう。人の罠にかかった鶴すら取り逃した事が御座います。温室育ちの座敷猫でありますれば。
「みゃみゃあ!?」
嗚呼、皆様。恐らく輝姫は翁に拾われるものと思われました事でしょう。その後大層美しく育ち、終には次へと帰るのであると。
しかし、この場は猫本。輝姫は酷く怯えまして、竹藪を見事な走りで駆け抜けて行きました。拾われる事もなければ、月に帰る事もありません。何せ、猫でありますから。猫でありますれば、美しく育つ事もありますまい。何せ、既に美しくあります故。
「なんだってんだよ……」
後に残るは、背中を引っ掻かれた左貫。皆様が御存知の物語とは違い、翁はただ猫に引っ掻かれただけの老夫に御座います。
そう、この場は猫の本。勝手も気ままも、猫の性分でありますから。




