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亀を助く猫

 おそらく日本国におきまして、昔話というものを聞いた事のない方はおられますまい。よほど教育熱心な親を持たれたか、あるいは他者と一切接した事のない方くらいの事と存じます。おそらくそのような方はこの文章を読むはずがありませんので、これを読まれます方は皆、日本国の古き良き童話(わらべばなし)たちに親しみを持って育たれた事でしょう。


 しかし、これより話すは日本国に伝わるそれとは趣を違えるものに御座います。あるいは見覚えを感じる部分もありましょうが、その実態はまるで異なる事を始めにご注意なされませ。


 もしも幼少の時分に於かれまして、かぐや姫に恋い焦がれた方、そして桃太郎に憧れた方がおられますれば、ともするとこれよりの話は腹立たしいものと相成るやもしれませぬ。もしもと思われましたなら、すぐさまこの文章を読む事をお辞めになるようお願い申し上げます。


 なれば此処より先に、それらの方々への気遣いは須らく不要であるべしと心得ます。何故ならば、おられるやも知れぬ読み進められたる方々を慮る事が疎かになる恐れがあるために御座います。


 さてさて、前置きはこの辺にいたしまして、これこの時をもちましてこの場は日本国を離れます。代わりに皆様方がおりられますは、一見して日本国とよく似た、その名も日の本ならず“猫の本(ねこのもと)”に御座います。この国の奇妙は、ただ眺めるだけでは分かりますまい。ただ眺めるだけでは、日本国のとある時代と全く同じにしか思われぬ事と存じます。


 なれば何が違うのか。

 いたって簡単。それは猫の数に御座います。おや? 名前で気が付いておられた。これは失敬。


 ともかく、この国で目を開けている限りにおいて、猫を見ない事はまず不可能。愛くるしい子猫から見すぼらしい老猫までが、常に視界のどこかに映り込まれます。いやはや、人よりも猫の方が多いとは、この国に於いて比喩などではありませぬ。紛れも無い事実にして、この国一番の特徴と言えましょう。


 はい、そんなわけですから、やはりお話も猫に寄ってしまうわけでして。人間が差し置かれてしまう事もしばしば。

 例えば海辺の漁村では、浦吉という茶虎の猫が住んでおりました。橙と白のシマシマ模様が特徴的な、近所でも評判の“美猫”であります。

 そんな浦吉がある日浜辺に赴きますと、村に住む悪ガキ達のたむろする声が聞こえて参りました。流石に猫といいますか、わざわざ耳をそばだてるまでもなくその声の一字一句は浦吉の耳に確かに届いております。


 なんでも、打ち上げられた亀を返して遊んでいるようであります。皆様方の中にはこのあとどのような話になるのか大方の予想を立てられた方もおられましょう。そしてその方の多くは、この亀を助けたのちに竜宮城と呼ばれる城へ招待され、それはそれは絢爛豪華なもてなしを受けて、時間も忘れて遊ぶのだろうと思われた事でしょう。


 それから……おっと、ここより先は所謂“ねたばれ”に御座いました。この文章を読む方の中にお話をご存じない方がおられるとは思えませんが、しかし誤って目にする可能性も否定できませぬ。気遣いは無用であるなどと言ましたが、この一度のみ気を遣ってしまおうかと存じます。


 ともかく、多くの方が同じような光景を思い浮かべた事と思います。しかしてここは猫の本(ねこのもと)。人の多い国とは訳が違うので御座います。


 浦吉が考えた事と申せば、気持ちのいい昼寝の場所はどこだろうかという事くらいで御座います。何せ猫であります故、お昼寝は何物にも代えがたい至福であります。亀を助ける理由も思い浮かびませんし、なれば眠る時間を削ってまで何をするはずもありません。


 薄情などと申されますな。何せ、そう、猫でありますから。

 そんなわけでして昼寝場所を探す浦吉ですが、今日この時に於ましては木の上を最上と見定めました。近くにいる悪ガキが亀公を虐めるのに飽きた頃合いに、あるいは自分に目をつけるかもしれないと思ったので御座います。浦吉は木の上によじ登り、悠々と悪ガキ達を見下ろします。この位置ならば、仮に悪ガキ達が辺りを念入りに探そうとも浦吉の就寝は邪魔されないだろうと思われました。


 ただ、しかし、今日の浦吉はどうにもツイておりませんでした。同じ考えの猫が、優に数十はいたのです。何せここは猫の本(ねこのもと)。どこを見ても溢れんばかりの猫が視界を埋めるような国なのですから。


 浦吉が気配を感じて背後を振り返った時、もう後の祭りというやつで御座いました。木の下からは見えない死角となる位置に様々な柄の猫がビッシリと詰めていたのです。そして、あぁ、なんと不運な事か。木の枝々が、猫の重さに耐えかねてしまったので御座います。超過分、実に浦吉一匹分。


 木は腕をバタンと下ろすように枝が折れ、中に隠れていた猫が一斉に地面に落ちます。いつもは可愛らしくニャンと鳴く猫達も、この時ばかりはブミィといった具合でありました。


 しかしたった一つの幸運は、悪ガキ達が驚いて逃げて行った事でありましょう。あまりにも唐突にしてあまりにも不細工な声を上げたものですから、天下御免の悪ガキといえど肝が飛び跳ねてしまいました。


「なんてツイていないんだ」


 そんな風に悪態を吐く浦吉に、返されていた亀がのっしのっしと近づいてまいりました。あまりに遅い動きでしたが仕方ありますまい。何せ相手は亀でありますから。

 ようやく浦吉の目の前まで到着した亀は言います。


「返されながらも見ておりました。貴方が木に登られました故、私は助けられたので御座います。つきましては、私の住まう竜宮城へ招待したく候」


 亀はより詳しく竜宮城について話します。ここにつきましては、日本国のそれと変わりませぬ。絢爛豪華な料理と美しい姫。この世のものとは思えぬほど愉快な時間となるでしょう。


「でも海の中は嫌だ」浦吉は一蹴しました。何せ猫でありますから。

「しかし踊り子もおります」亀は食い下がりました。「海の中でも選りすぐりの美魚が集まっているのです」

「それは真か、食べ放題じゃないか」


 浦吉は舌舐めずりを始めました。そう、何せ猫でありますから。

 青い肌をさらに青くした亀は、のそのそとした動きで海の方へ逃げていきます。本当ならば脱兎の如く逃げたいのでしょうが、その辺りは仕方がありますまい。そう、何せ亀でありますから。


 浦吉は亀の甲羅を見まして、特に何をするわけでもなく波に消えるまでそこにいました。追い付こうと思えば追い付けましたが、海水に濡れてしまいそうだったのでやめておきました。そんな事よりも、お昼寝をし直そうとするのが猫なので御座います。


 おやおや、何も始まりません。しかしそれも致し方ありますまい。何せ猫は気まぐれでありますから。

 このような具合に、猫の本(ねこのもと)の物語は皆様方の知るそれとは大きく異なるものなので御座います。皆様方のご気分は害されませんでしたでしょうか? 今更ながら、このお話は間違いなく名作を貶める目的によるものではありませんので、皆様方におかれましては決して勘違いなさらぬようお願い申し上げます。

 いやはや、あまり長く話すのも風情がないというもの。今日はこのあたりに致しましょう。もしもまたお会いする事がありますれば、再び猫の本(ねこのもと)をご案内致しましょう。

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