奪われた心
「ラズリ殿に無礼な振る舞いをしているのは、私との間にあらぬ噂が立たないようにするためだ」
「あらぬ噂って?」
「彼女は独身な上、容姿端麗だからな。普通に会話をするだけで、交際していると勘ぐる者がいるかもしれない」
「交際してると思われたら困るの?」
「そうだ。それは絶対に避けなければいけない」
「どうして?」
「ここ数年、私と親交のある女性たちが、次々と不幸な出来事に見舞われている。しかも、恋人候補と噂されていた令嬢ばかりだ」
そういえばラズリ様も、そんなこと言ってたわね。
「彼女らはきっと、私と関わったせいで誰かに狙われたに違いない。だから私は、なるべく女性を近付けないよう努めているのだ。新たな犠牲者を増やさぬために」
「それで感じ悪い態度ばかり取ってるのね?」
「ああ、そうだ。私の評判が落ちれば、私と接しようとする者も居なくなる。結果、誰も危険な目に遭わされずに済むのだ」
やっぱり。あのムカつく態度は、全部演技だったのね。
そしてうさぎの私にだけ見せていた顔。あれがジェイドのほんとの姿だったんだ。
「女の子たちを酷い目に遭わせてる奴に、心当たりはないの?」
「あるにはある。残念ながら私を疎ましく思う者は多いからな。その中でより疑わしいのは、叔父と叔母、従兄弟、それを支持する貴族たちだ」
「容疑者いっぱいね!しかもほぼ身内じゃない!」
「私は王位にあまり執着していないのだが、彼らはそうではないからな」
「そのこと、誰かに相談したの?」
「いいや。誰にも話してはいない」
「どうして言わないの?」
「私の交友関係は、この城で暮らす者しか知らないはず。だから本件の犯人が身近に居るのは明白だ。しかし誰が私を裏切っているか分からないゆえ、下手に相談も出来ない。弱みを見せればつけこまれると分かっているからな」
「王族って色々大変なのね……。でも、ジェイドはこのままでいいの?皆から冷たい人間だって誤解されて、嫌じゃないの?」
「私はどう思われてもいい。誰かを不幸にするくらいなら、恋愛も結婚もしない。一生独り身で構わないのだ」
彼は諦めたように言って首を振り、視線を机へ落とした。
辛そうに寄せられる眉。たぶんすっごく無理してる。
ジェイド、ほんとは酷いことなんて、誰にも言いたくないんだろうな。
彼はきっと、女の子たちに暴言を吐きながら、自分も傷付いている。恐らく頭痛に悩まされているのも、本心を無理やり押さえつけているせいだろう。
何とかしてあげられないかしら?
私はジェイドを助けてあげたいと強く思った。この人の悲しい顔を見たくない。なぜだか私まで悲しくなってくるから。
「それに私には、忘れられない人が居るのだ」
ジェイドの言葉にドキッとして、私はこてんと首をかしげた。
「へえ。どんな人なの?」
「隣国プレシアの第三王女で、私より少し年下の──お前と同じ緑の瞳をした女性だ。私は彼女に初めての恋をしてしまった」
「ジェイドはその人と婚約しないの?」
「したくても、出来ないのだよ」
「え?」
「私が十四の時、王女は亡くなってしまったのだ」
「そうだったの」
「彼女は皆が手を焼くほどのおてんば娘でな。性格は自由奔放。けれど元気で笑顔が素敵な女性だった。私は彼女のことが、今も心から離れないのだ」
淋しい表情で話してから、ジェイドはそっと胸元に触れた。緑の宝石があしらわれたブローチが、キラキラと輝いている。
いつも身に付けてるブローチは、その王女様からの贈り物なのかもしれない。ジェイドは何年も変わらず、その人を想い続けてるんだ。
考えたら痛いくらいに、胸がぎゅうっと締め付けられた。
何だろう。私、ジェイドに同情してるの?
私はふいにジェイドの顔を覗き込んだ。彼の澄んだ銀の瞳が私を捉える。それが優しく細められた瞬間、私の息は止まった。心音が耳元で鳴り響いている。
「すまない。せっかくの楽しい場が、暗くなってしまったな」
「え!いいわよ、そんなの!話してくれて嬉しかったわ!」
「そうか。それを聞いて安心した」
柔らかく微笑んで、ジェイドは紅茶をカップに注いだ。
「私が一向に身を固めようとしないので、父上と母上は相当気を揉んでいるようだ。しかし良い方法は何も見つかってはいない。マディラ嬢にも、どうにか私のことを嫌いになってもらうしかないだろう」
「マディラ嬢って?」
「ああ。我が王家と親交の深い、ウォーリア家の令嬢だ。昔から私を慕ってくれているようなのだがな」
「その子にも、わざとキツイこと言ってるの?」
「ああ。しかし彼女は何度冷たくしても、諦めてくれないのだ。次は彼女が狙われるんじゃないかと、内心ひやひやしているよ」
「……ジェイド。あなた、それは酷いわよ」
「え?」
「だってその子、ジェイドをずっと想ってくれてるんでしょう?その気持ちに、ちゃんと向き合ってあげなきゃだめよ!」
「しかし私は」
「しかしもお菓子もない!ジェイドの気持ちを伝えるの!毒を吐くんじゃなくて、ほんとの気持ちを!そうじゃなきゃ、その子だって納得出来ないだろうし、あなただって、嘘をつき続けて苦しいでしょう!?」
「ヒスイ……」
ジェイドは大きくまばたきした後、ふっと口角を上げた。
「まさか、こんな愛らしいうさぎに叱られるとは思わなかった。お前はまるで、人間みたいなことを言うのだな」
「えっ?そ、そうかしら?」
「不思議なうさぎだな、ヒスイは。……じゃあ今度は、私から質問していいか?」
「いいわよ。何?」
「お前、パートナーは居ないのか?」
「はあ!?そんなの、居るわけないでしょ!」
「ではラズリ殿に言って、見合いをセッティングしてもらったらどうだ?お前なら良い相手がすぐに見つかると思うぞ」
ジェイドは少しからかうように言った。
「ふん!冗談じゃないわ!いらないわよ、うさぎの相手なんて!」
「ん?どういう意味だ?」
「あーっ!何でもない何でもない!気にしないで!!」
「?そうか」
ジェイドは紅茶を片手にこちらを見ている。
私は何だか胸の辺りがモヤモヤした。気分がやたらと沈んでいるのが解る。
何よ。パートナーなんて、軽々しく勧めないで。そんなの、余計なお世話なんだから……。
それからしばらく他愛ない話をした後、ジェイドはうさぎ(私)入りのカゴを持ち、庭園を出た。ずいぶん時間が過ぎていたらしく、ゲート前に待機していた従者が「ラズリ様が私室でお待ちかねでございます」と早口で告げてきた。
ジェイドは指輪を外して胸ポケットに入れ、すぐに向かうと返事した。私はゆらゆらするカゴに箱座りし、襲ってくる眠気と戦っていた。
「ジェイド殿下!」
嬉しそうに弾む声がして、靴音が近付いてくる。
びくっとしてカゴから覗くと、ピンクのドレスを着た大人しそうな令嬢が、数メートル先に立っていた。この前、薬を届けに来た時、ジェイドに追い返されていた子だ。今日も緩く巻かれた薄茶色の髪と、大きな瞳を輝かせている。
「マディラ嬢。今日はなぜこちらに?」
「殿下が庭園におられると聞き、お待ちしておりましたの!今まで何をされていたのですか?」
「お茶をしていました。ゆっくり花を見たくて」
「お一人で、ですか?」
「いえ。ヒスイと一緒に」
「ヒスイ?それは誰ですの?」
「このうさぎの名です」
マディラはカゴに収まっている私に視線を滑らせた。バラの甘い香りが風に運ばれてくる。彼女の付けている香水の匂いだろう。
「あらまあ!とっても可愛いですわね!この子、どうされたんですの?」
「魔術医のラズリ殿から預かっているのですよ。なかなかに賢いうさぎで、見ていて飽きないのです」
ジェイドは私をちらりと見下ろす。私は頑張って言うのよ!と鼻先を動かしてアピールした。彼は小さくうなずき、カゴを足元へ置いてから、真剣な顔をしてマディラと向き合った。
「ちょうど良かった。君に大事な話があったのです」
「何でしょうか?」
「私はこれまで君にしてきた非礼の数々を、今日ここに謝罪したいと思う。本当にすまなかった」
ジェイドは深く頭を下げる。マディラはびっくりしたらしく、おろおろしていた。
「ジェイド殿下!顔をお上げになってくださいませ!わたしは気にしておりませんわ!今までの辛辣なお言葉。あれはいわゆる、ジェイド殿下の『愛情の裏返し』だったのでしょう?」
ほんとだ。あんな酷いこと言われたのに、全然へこたれてない。この子、すごいポジティブだわ。
「違うのです、マディラ嬢。冷たい態度を取っていたのは、君に私を諦めて欲しかったからなのですよ」
「どうしてそんなことを?」
「君が私を慕ってくれているのは知っています。けれども私は、長く忘れられぬ人がいるのです」
「そんな!それは一体、どこの誰ですの?」
「プレシア王国のネフィリティス殿下をご存知でしょう?私は十四の頃から、彼女に心奪われたままなのです。それはきっと、この先も変えられない」
「でも!そのお方はあの日、事故で亡くなられたじゃありませんか!」
「ええ。ですから私は、もう誰とも添い遂げるつもりはないのです。マディラ嬢。せっかくのご好意に良い返事が出来ず、本当に申し訳ない。だがこれが、私の偽らざる本心なのです。どうか分かってもらいたい」
マディラは下を向き、唇を固く結んで動こうとしない。ジェイドも彼女を見つめたままだ。
重苦しい空気が二人の間に流れている。私はハラハラしながらそれを見守った。
「……分かりました。お気持ちを伝えてくださり、ありがとうございます。それでは、失礼、いたします」
彼女はスカートの裾をつまんで、ぺこりと一礼した。泣き声を殺して去っていく姿が、壊れそうで痛々しい。
「これで、本当に良かったのだろうか……?」
少ししてから、ジェイドがカゴを手に歩き出す。呟いた彼は複雑な面持ちだった。
「うん。きっと、これで良かったんだよ。好きな人に嘘をつかれたまんまじゃ、悲しいもの!ジェイドの気持ち、ちゃんとあの人に伝わったと思うわよ!」
私は身を乗り出し、ジェイドを見上げて言った。けれど彼は無反応だ。
あ。そういえば、指輪はさっき外してたんだっけ。思わず励ましちゃったけど、言葉が通じてなかったのね。
私は恥ずかしくなり、耳を垂らして両手で顔を押さえた。するとジェイドはカゴを抱え、私のふわふわの頭をそろりと撫でた。
「私のことを心配してくれたんだろう?お前のおかげで、気がかりが一つ減った。ありがとう、ヒスイ」
間近に見えるジェイドの笑顔。私の胸はひとりでに高鳴ってしまう。身体が火傷しそうなくらいに熱い。たぶん人間の姿だったら、私の顔は真っ赤になっているだろう。
まずいわ。どうしよう。私、ジェイドのこと好きになっちゃったんだ。
彼への恋心を、もうはっきりと自覚してしまった。大きな手のひらで頭を撫でられるたび、嬉しくてドキドキして、幸せな気持ちになる。それと一緒に切なさも込み上げてきて、苦しくなった。
でも、ジェイドは亡くなった王女様が今も好きなんだ。私のことなんて、見てくれるはずがない……。
もう失恋確定じゃないの、なんて思ったら、泣きそうになった。せめてその子が生きていて、ジェイドが幸せになってくれたら、すっぱり諦めもつくのに。
どうにもならないなんて、悲しいよ──。