うさぎ語でお喋り
──それから二日後の昼下がり。私と師匠は、またまたジェイドの私室を訪れていた。
「ヒスイと会話が出来るだって?」
部屋の奥。ジェイドは安楽椅子にもたれ、片眉を上げた。手前にあるソファーには、師匠が座っている。
うさぎ姿の私はというと、彼女の前にある机の上のカゴに収まって、のんびりしていた。もはや堂々としたものである。私は長い耳をぴんと立て、二人の会話を聞いていた。
「ええ。ジェイド殿下がヒスイを気に入ってくださったようなので、わたくし良い物を作って来ましたの。これは魔術がかかっている指輪でしてね。身に付けると、うさぎ語を話し理解が出来るようになるのですよ」
そう言って師匠はにこやかに銀の指輪を見せた。細い輪の外側に、ぐるりと意味不明な文字が刻まれている。
ジェイドは数回まばたきした後、鼻で笑った。
「馬鹿な。そんな摩訶不思議なこと、出来るはずがないでしょう」
「疑うなら、証明して差し上げましょう。何かヒスイにして欲しいことなどありますか?」
「して欲しいこと?」
ジェイドは顎に手を添え、真面目に考えている。変なこと頼むんじゃないわよと、私は脳内で釘を刺した。
「なら私に『お手』をしてもらいましょうか」
「ちょっと氷王子!それは犬に頼むことでしょう!」
「分かりました。それをヒスイにうさぎ語で伝えますね」
「ラズリ様も了解しないで!」
私の鋭い突っ込みは、残念ながら二人には届かなかった。(うさぎ語だから)
師匠は指輪をはめ、私の方を覗き込みながらお願いしてくる。
「ヒスイ、『お手』ですって。王子のお願い、頼まれてくれる?……ふふ」
ふいに視線を外し、師匠は口元を手で押さえ肩を小さく揺らしている。どうやら笑いをこらえているようだ。
「ラズリ様、もしかしてこの状況を楽しまれてません?」
「あら、そんなことないわよ。だって王子が信じてくれないんだもの。仕方ないでしょ。ほらほら、すぐにやる」
「もう!分かりましたよ!やればいいんでしょ!」
師匠がカゴを床に下ろして、お尻を軽く叩いたので、私はぴょんと外に飛び出した。ジェイドは椅子から立ち上がり、私に近づいてくる。しゃがんで興味津々に手を差し出してきたので、私はふわふわの手で思い切りパンチしてやった。
「……これは驚きですね」
ジェイドがわずかに目をきらめかせて呟く。
あれ?この人、感動してる?
私は任務完了とばかりに手をどけ、さっさと彼から離れた。ジェイドをちらっと見上げると、口元が緩んでいる。
師匠は立ち上がって指輪を外し、ジェイドに聞いた。
「どうです?これをお使いになられますか?」
「……まあ、使わないとは思いますが、せっかくですので預かっておきましょう」
ジェイドは偉そうに言って、彼女から指輪を受け取った。
「ふふふ。では、しばらくヒスイとの時間を楽しんでくださいね。わたくしは陛下に謁見してまいりますので」
師匠は優美に礼をしてドアの外へ姿を消した。
静かになる部屋。ジェイドと二人きりになるのは何回目だろう。
だめだ。また緊張してきた。
彼の気配を感じ、そわそわしていたら「こんにちは、ヒスイ」と穏やかな声がした。
ドキリとして振り返ると、指輪を右の小指にはめた彼が居た。片膝を折り、少し離れたところから私の様子をじっとうかがっている。
これは完全に私の返事を待ってるわね?
「こんにちは。こ……じゃなくて、殿下!」
あっぶない!氷王子って言いかけちゃった!言葉が通じるんだから気を付けないと!
「おお!本当にうさぎの言葉が分かる!なんてすごい道具なんだ!」
ジェイドが指輪を見つめ、瞳を輝かせてはしゃいでいる。何だか子供みたいだ。
私がポカンとしていると、ジェイドはハッとして真顔をこちらに向けた。ちょっとだけ頬が赤くて、照れているのが分かる。
「すまない。私としたことが、つい興奮してしまった。まさかお前と話せる日が来るとは思わなかったよ。ラズリ殿は優秀だな」
「そうですね!殿下のおっしゃる通り、ラズリ様はとても優秀な方だと思います」
性格は難ありだけど!とは敢えて告げなかった。ばれたら後が怖そうだし。
そんなことを考えていると、ジェイドは何やら目を丸くして言った。
「ヒスイはうさぎなのに、礼儀正しいのだな。だが敬語など使わなくていい。私のことはジェイドと呼んでくれ」
「いや、それはさすがに失礼ですって!」
「良いのだ。私はその方が嬉しいのだから。ぜひそうしてくれ!」
強く促してくるジェイド。私は気迫に押され、軽くうなずいた。
「じゃあ遠慮なく、ジェイドで」
「ああ。よろしく頼むよ、ヒスイ」
「はあ」
「そうだ。今日はお前を連れて行きたい場所があったのだ」
「え?」
「一緒に来てくれ」
言ってからジェイドは私に近寄り、両手をこちらに差し伸べた。
「ごめん!抱っこは無理!!」
「どうしてだ?」
あんたの美しさで、気絶しちゃうからよ!
「その……色々あって抱っこは嫌いなの」
「なるほど。何か嫌な思い出があるのだな?」
ジェイドは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「そういえば、初めて会った時もお前は気絶していたな。そうとは知らずに、悪かった」
適当な言い訳でごまかそうとしたら、勝手に納得してくれた。
やっぱり私の嫌がることはしない。
「抱っこが無理なら、これに乗ってくれないか?」
ジェイドがラタンのカゴを側に持って来てくれたので、私はいいわよと言って飛び乗った。彼はカゴを持ち上げ、嬉しそうに笑っている。
「よし。では特別な場所へ連れていってやろう」
──数分後。
私は城の西側にある、庭園に来ていた。
「わぁあ!すごいわ!」
ジェイドの背よりも高い木々に囲われた庭。
黒のアイアンゲートを開き、バラのトンネルをくぐると、何種類もの花たちと芳しい香りが私を迎えてくれた。
右の突き当たりには三角屋根の東屋があり、その隣に丸い大きな池がある。澄んだ水面は青い空と緑を映し込んでいて、池の中にもう一つ庭があるかのようだった。
ジェイドはカゴを入口近くに置き、私に話しかけた。
「ここは私専用の庭で、特別な客しか入れないのだ。誰も通さぬよう言っておいたから、気がねなく過ごすといい」
「どうして私をここに連れてきてくれたの?」
「お前は部屋の中より、外の方が好きだろうと思ってな。広いから存分に走り回っていいぞ」
「ジェイドは?」
「私はお茶でもしながら、お前の姿を見ているよ」
「それはやめて。のびのび出来ないから」
「え?どうしてだ?」
「いや、こっちの話!とにかくさ、一緒に見て回らない?一人より二人の方が楽しいし!」
私はカゴから出て、ジェイドに提案する。
「お前が言うなら、喜んで」
ジェイドは笑って隣に立った。私たちは庭園を散歩した。
心地よい日差しを浴びながら、草のじゅうたんの上を跳ねる。ジェイドは花が好きなようで、ここに咲く花の名をいくつも教えてくれた。お返しに私が森に生えている薬草の話をすると、彼は驚き真剣に聞き入っていた。
広大な庭園を一通り案内してもらった後、私たちは東屋で休憩をした。ジェイドに呼ばれた老齢の男が、テキパキと紅茶や水、お菓子を用意をして、すぐにその場を去っていった。
ジェイドと私は椅子に横並びで座り、ハーブ入りのクッキーを食べる。ちなみに私のために、椅子はクッションで底上げされ、専用の皿や器も用意された。至れり尽くせりである。
私は両手にクッキーを挟んで食べた。クッキーは甘くてサクサク。口に入れるとバターとハーブの匂いがして、ほわりと幸せな気分になった。
「さすが王宮のお菓子ね!美味しくていくらでも食べられそう!でもあんまり食べたら太っちゃうかしら?」
「はは。ヒスイはご令嬢みたいなことを気にするのだな」
「こう見えて、うら若き乙女だからね」
「そうか、乙女か。それは失礼した。だがお前なら、多少太っていても愛らしいと思うぞ」
「むぐ!ごほっ!げほっ!」
唐突に誉められて、クッキーが変なところに入った。王子、まじでやめて。
「どうした?大丈夫か?」
「き、気にしないで」
むしろそっとしておいて。
「美味しいのは分かるが、あまり慌てて食べない方がいいぞ」
ジェイドは私の背中をさすってから、水の入った器を私の前へ差し出した。
水を飲み落ち着きを取り戻すと、彼は微笑み温かい紅茶に唇をつけた。
そよ風にさらりと流れる濃紺の髪。カップを持つ長く整った指先。
氷王子なんてあだ名にはほど遠い、温かみに満ちた眼差しを、私に送っている。
「ねぇジェイド。前々から気になってたんだけど、あなたって私にはすごく優しくしてくれるわよね。ラズリ様にはキツイ態度を取るのに。あれ、どうしてなの?」
思ったままを直球で聞いてみた。今の気安い雰囲気なら、悩みを打ち明けてくれそうに思えたからだ。
すると、ジェイドはとたんに表情を曇らせ言った。
「お前から見ても分かるのか」
「そりゃ、あれだけあからさまだったらね」
「事情を話してもいいが、誰かに聞かれないだろうか?」
「私たち、うさぎ語で喋ってるんだから、万が一聞かれても平気でしょ」
「なるほど、そうだな……。しかしお前の主人には、今から言うことを話さないでくれ。私とお前だけの秘密にして欲しい」
「……分かった」
私は罪悪感を隠してうなずいた。申し訳ないけど、師匠には聞いたことを全部話さなきゃいけない。
彼から情報を引き出す。それが私の仕事なんだから。
ジェイドはしばらく黙った後、私を真っ直ぐ見据えて、理由を語り始めた。
※注
実際は人間の食べ物を、うさぎに与えてはいけません。(うさぎにとって毒になる場合があります)