迷惑な思いつき
──二日後の昼前。私は師匠とジェイドの私室へやって来ていた。
私は天井に白いハンカチが被せられている、ラタンのカゴの中に居た。左耳に赤いリボンを付けた、うさぎの姿で。
はぁ。何で私がこんな目に……。
私はカゴが揺れるを感じながら、ふて腐れて丸まった。何もかも、師匠の迷惑な思いつきのせいだ。
この間、彼女は私にもう一度ジェイドの所へ行ってほしいと頼んできた。しかも警戒を解くため、うさぎの振りをして彼の様子をうかがえというのだ。
もちろん、そんなお願いは絶対に聞けないと断ったんだけど。
今日、朝食を済ました後、急に眠くなってきて、気が付いたらこの状態でカゴに入れられていたんだよね。たぶん師匠が私の野菜スープに、眠り薬と、うさぎになる薬を入れたのだろう。
エルージュの城門前で目が覚めた時は、悪夢の続きかと思った。それで慌てて脱出しようとしたら、師匠に
「ここから逃げてもいいけど、また誰かに捕まって、今度こそ焼きうさぎにされちゃうかもよ?」
と、良い笑顔で言われた。か弱い弟子に薬を盛ったあげく脅迫するなんて、とんでもない師匠である。美人だからといって何でも許されるはずがない。
もしかしたら前に城を出たのは、影で悪いことしてたのがバレたからじゃないかしら?
八年前、師匠に拾われてから、ずっと一緒に居るものの、私は彼女の過去を知らない。尋ねても、くだらない理由よ?とか言って、教えてくれないからだ。
ラズリ様はもしかして、隠れて魔術を悪用する犯罪者なのかも?
色々な想像を巡らせていると、揺れがピタリと止んだ。疑惑の師匠はカゴを丁重にどこかへ置いたようだ。
ハンカチの隙間からこっそり鼻先を出すと、床がずいぶん下に見える。どうも私の入っているカゴは、台に載せられたらしい。横に立つ師匠の視線の先を追ってみると、ジェイドが安楽椅子にもたれ、尊大な態度で彼女を見据えていた。
「ラズリ殿。本日は何用でこちらへいらしたのですか?」
「大臣殿から依頼されたのですわ。殿下の診察をお願いしたいと」
「ベラクルスめ。余計な真似を」
ジェイドは不快そうに小さく吐き捨てる。師匠は彼に近付き、顔色を確認したり、普段と違ったことはないかと質問したりした。
うわぁ!氷王子とラズリ様、二人並ぶと絵画みたい!圧巻ね!
窓からの光に照らされる彼らを眺め、一人興奮していると、ジェイドが冷淡な声を放った。
「特に具合の悪いところはありません。ご用が済んだのなら、今すぐお帰りください」
「あら。つれないですわね。わたくし、殿下に何か無礼なことをしてしまいましたか?」
「いえ。ですが不信感を抱いています。あなたは十五年前、我が城を追い出された身と聞いておりますから」
「え?殿下はご存じないのですか?わたくしは追い出されたのではありません。陛下直々にお願いされ、町へ引っ越したのですよ?どうもわたくしが城で働くと、殿方全員がこの美しさに心奪われてしまい、業務を放棄してしまうようですのでね」
そうだったの!ていうか、そんな理由で!?
私はずっこけてカゴから落ちそうになった。想像以上のくだらない理由である。居るだけで皆を夢中にさせちゃうとは、ラズリ様、罪な人ね……。
「なるほど。あなたはその美貌で皆をたぶらかす悪女というわけですか。穢らわしいですね」
「そういう殿下も町で噂されてますよ?数多くの令嬢を暴言で傷付ける【氷王子】だと。美しく地位があるからといって、あまり好き放題されますと、いずれ女性に刺されますわよ?」
師匠がにこやかに笑いながら、真っ黒いオーラを醸し出す。さすがのジェイドも彼女の迫力に黙り込んでしまった。私は、いけいけー!もっと言ってやれー!とひそかに応援した。
「ふふふ。まぁ、その件はいいとして。ジェイド殿下は今、何かに悩んでおられるのではないですか?」
「……ラズリ殿にお話する気はありません。私はあなたを信用しておりませんので」
「しかし体調を崩されているのでしょう?誰かに心の内をさらけ出した方がいいわ」
「それは無理です。誰がそれを広めるか分からないですからね。弱味など見せるわけにはまいりません」
「そう言うと思って、いいものを持って来ましたわ」
師匠は私の入っているカゴを持ち上げ、ジェイドの前に置き、白いハンカチを取った。
来たよ、私の出番が!
「うさぎ?」
「はい。この子の名はヒスイ。私の可愛いペットです。動物との触れ合いは心を癒しますよ。良ければ試してみてください。では、わたくしは報告のため、大臣殿に会って参りますので。また後ほど、ヒスイを迎えに来ます」
「ええ。承知いたしました」
「あと、この子、自分でトイレに行くので、ドアの前に来たら開けてあげてくださいね」
それだけ言い残して、師匠はジェイドの私室を優雅に出ていった。
しんとなる部屋。私は恐る恐るジェイドと目を合わせた。
どうしよう。こいつと二人きりなんて、ものすごく気まずい。
「緑の瞳と薄茶の毛、赤いリボン。この前のうさぎだな」
ふいにジェイドが独り言を漏らす。
そうですけど、何か問題でも?と、私は脳内で喧嘩腰に聞いた。
「良かった。無事に主人の元へ帰れたのか」
ジェイドは目尻を下げ安堵したように呟く。あまりの変わりように、私は面食らってしまった。
「おいで。抱っこしてやろう」
彼は穏やかな声と笑顔で両手を伸ばす。さっきまでのトゲトゲした雰囲気は一切ない。
でも絶対そっちには行かないけど!
「怖がらなくていい。さあ」
ジェイドは立ち上がり、私の両脇を掴んでカゴから持ち上げる。私はジタバタして彼の手から抜け出し、床へ格好よく降り立った。それから部屋の隅まで走り、彼の出方をうかがった。
「ううむ。ラズリ殿は癒しになると言ったが、全然懐かないのだな」
「当たり前でしょ、この性悪!女の敵!顔だけ男!」
私は言葉が通じないのをいいことに、悪口を並べ立ててやった。人間の姿だったら不敬罪ですぐさま首が飛ぶのだろうけど、今なら問題ない。私はこの時だけ、わがまま師匠に心から礼を言っておいた。
するとジェイドは、思い通りにならない私へ怒りをぶつけるでもなく、ため息をついた。
「お前のように、最初から皆、私に近付かないでいてくれたらいいのだが。なかなかうまくいかないものだな」
え?どういう意味?
私は首をかしげ、ジェイドを見上げた。さらさらの髪から覗く、憂いを含んだ面差し。師匠の言ったように、彼は何やら思い悩んでるみたいだった。その悲しげな銀の瞳を見ていると、胸がズキンとうずき出す。
仕方ないわね……。
私はジェイドに突進し、その足に体当たりした。
「っ!?何だ?」
「ほら!言いたいことがあるんなら、吐き出してしまいなさいよ!私が聞いてあげるから!」
ポカンとする彼を見上げ、頭を振って促してみる。
「不思議だ。何でも話せと言ってるような気がする。やはり私は疲れているのか……」
ジェイドはしゃがみ、右手で額を押さえる。そして思い詰めた表情をしてから、私に視線を送った。
「氷王子だと揶揄されているのは知っている。私とて現状をよしとしているわけではない。しかし、そうせざるをえないのだ」
何それ?どういうこと?
私はジェイドの顔をじっと見つめる。彼は眉根を寄せ、苦しみに耐えているようだった。
私はふわふわした手でジェイドの左手を撫でた。彼の悩みや状況は全く解らない。けど、元気を出してほしいと思った。
「お前、慰めてくれているのか?」
ジェイドは驚いた口振りで問いかけてきた。
まあね、と私はうなずいた。
「……ヒスイは優しいうさぎなのだな」
ふわりと頭を撫でられ、甘く、いとおしそうに名前を呼ばれて、ドキッとした。……ん?ドキッとした?何で?
ていうか馴れ馴れしく触るんじゃないわよ!
私はジェイドの手を払いのけ、つんっと顔を背ける。彼は、扱いの難しいうさぎだと朗らかに言った。冷たさなんて微塵も感じない、温かい笑顔だ。
私の胸は高鳴る。もしかしたら、こっちが素の彼ではないだろうか。
でも、だったら何で女の子には、酷い態度ばかり取るんだろう?
私は興味が湧いた。ジェイドのことを、もっとよく知りたい。困ってるんなら、力になってあげたいと思った。あくまでも、ちょっとだけだけど。
氷と砂糖。二つの顔を持つ王子。私は謎めいた彼の本性を暴くべく、詳しい調査を進めてやろうと心に決めたのだった。