狙われた獲物
「あれ?誰も居ない?」
音は確実にこちらへ近付いて来ている。だけど姿は一向に見えない。
もしかして……うさぎになったから耳がよく聞こえるようになったのかも?
だとすれば、まだ足音の主との距離はあるはず!今すぐここを離れなきゃ!
私はお守りのリボンを、左耳に蝶々結びして駆け出そうとする。
しかしバランスを崩して、すてんと転けてしまった。ふわふわの毛皮のおかげで幸い無傷だったけど。
そっか!足が短いから二足歩行は出来ないんだ!
こんな時に思うように動けないなんて!と、歯がゆさでいっぱいになる。無意識に前足で草をむしってしまった。
落ち着け、私!うさぎになりきればいいのよ!
私は冷や汗をかきながら、うさぎの走る姿を思い浮かべる。そのイメージを頭に置き、前足で草むらを捉え、後ろ足を強く蹴った。今度は成功だ。ちゃんと前へ進める。
川から離れ、足音から遠ざかるように木々の間を駆ける。食べたてで全力疾走したから気持ちが悪くなってきた。息をするのが辛い。私は、少し走るのをやめた。
突如、後ろからひゅんっと音がする。私はとっさに右へ大きく飛び跳ねた。
矢は私の前に生えていた木に当たった。結構なスピードが出てたようで、矢の先が深く幹に突き刺さっている。
ちょっと!あんなの刺さったら死んじゃうじゃない!何してくれてんのよ!?
自分の反射神経に深く感謝しつつ、矢の飛んできた方を睨んだ。
遠く離れた木陰に、金髪の男が二人。動きやすそうな服装に長いブーツを履いて、私を見ていた。小綺麗な身なりからして、たぶん貴族だろう。
「ちっ!外したか!大きいくせに、すばしっこいうさぎめ!」
「矢を当てるのは難しそうだなぁ。俺とお前で挟みうちにしよう。捕まえたら昼食の準備だ」
ああ、なるほどね。あの人たちは遊びで狩りをしに来たのか。こんな時間に仕事もしないで、貴族っていいご身分ね。
……ん?挟みうち?昼食?
その言葉に私は自分の立場を理解した。彼らの目に、私はたぶん獲物として映っている。
このままじゃ狩られる!と真っ青になって、私はまた全速力で駆けた。草を踏む音が追ってくる。どんどん近付いてくる。
後ろばかりに気を取られていた私は、前を良く見ておらず、何かに思い切りぶつかった。わっ!と驚いた声が聞こえ、私は額を前足で押さえた。衝撃で目の前に星が点滅する。モフモフしててもかなり痛い。
「何だ、うさぎか。緑の瞳とは珍しいな」
この声は!!
私はハッとしてぶつかったそれを見上げた。革のブーツを履いたすらりと長い足、上質な素材で作られた黒い服、そして銀色の瞳と煌めく濃紺色の長髪。
氷王子!!何でこんなところに!?
私は後ずさりし、ジェイドに釘付けとなった。彼は腰に剣を携えている。先ほどと違う貴族の男も一緒だ。皆して巨大で、ものすごく怖い。
冷徹な王子の視線が私を真っ直ぐ捉えている。
どうしよう!私、うさぎ鍋にされる!
逃げたいのに足が震えて動かない。貴族とジェイドが私に近寄る。後ろからも男たちが迫る。
前に居る貴族が剣を抜き、こっちへ向けて来た。もうだめだ、とうつむくとジェイドの「やめろ!」という冷涼な声が聞こえた。
次の瞬間、ふわりと身体が持ち上げられる感覚がした。顔を上げるとジェイドの整った顔がすぐ側にある。抱きかかえられていると気付くやいなや、彼に頬擦りと背中をなでなでされた。
「こんなに愛らしいのに食べるなんて、可哀想じゃないか」
うあああああ!!はぐされてるうううううううううっ!!
ジェイドの美貌を間近で拝んではいけなかった。どうも刺激が強すぎたらしい……。恋人いない歴=たぶん年齢の私は、彼の腕の中で目を回してしまったのだった。
──「綺麗だよ。まるで宝石みたいに」
どれほどの時間が経ったのか。私は夢を見ていた。
身なりの整った男の子が優しく言う。新緑の森の奥。子供姿の私は、自分より年上のその少年と、笑顔で手を繋ぐ。逆光で顔はどうしてもハッキリしない。でも私は知っていた。この子が初恋の相手だってことを。
──私はぼんやりと意識を取り戻し、むくりと身体を起こした。
時たま見る楽しい夢の余韻に、私はほうとため息をつく。顔も、名前も、どうしても思い出せない男の子。でも、あの声変わりもしていない澄んだ音色は知っている。温かな思いやりを感じさせる、あの言葉も。
「気がついたようだな」
近くからジェイドの声がして、私の意識は一気に現実へ引き戻された。
そういえば私は狩られる寸前だったはず!ここはどこなのかしら?
豪華で広々とした部屋。けれど全く見覚えのない場所である。私は動揺する気持ちを落ち着かせ、辺りの様子をじっくりと探った。
私は四角い檻に閉じ込められている。広さはうさぎ姿の私が六羽入れそうなくらいある。中には水の入った器が置かれていて、檻自体は高い場所……たぶん台の上に載せられている。
私の正面には、飴色の長机があり、その奥にジェイドが黒の安楽椅子に足を組んで座っていた。一人でくつろいでいるところを見ると、恐らく私は彼の部屋に連れて来られたようだ。
銀色の瞳が私をじっと観察している。大嫌いな奴に見つめられるとか、これ何の拷問?と思って、彼にガンを飛ばした。
「何だ、そんなに私を見て。餌でも欲しいのか?」
意外にもジェイドは穏やかな口調で尋ねてきた。優しげに下がった目尻と弧を描いた唇。色気のある低い声にドキッとしてしまう。
こ、この性悪男め!見た目には騙されないんだからね!
動揺する自分に腹が立つ。以前、カーネリアンに指摘された通り、彼の顔だけは私のタイプなのだ。
ジェイドがあの初恋の男の子みたいに優しかったら、惚れてたかもしれないけど!こいつだけは絶対ないわ!
ジェイドからプイと顔を背け、そんなことを考えていると、突然、未曾有の大ピンチが私に訪れた。