番外編 増える秘密
読者さんから嬉しいお言葉をたくさんいただき、書きたい欲がたぎったので、番外編を執筆いたしました。一話完結。次話はあるかもしれないし、ないかもしれない(←どっちだ)
楽しんでいただけたら嬉しいです!(*´∀`*)
私──ヒスイが記憶を取り戻してから二ヶ月が経った。
ある日の午後。エルージュ城の、相変わらず手入れの行き届いた庭園で、私はジェイドとお茶をしていた。毎度おなじみ薄茶色のうさぎ姿でだ。
もちろん私の意思でこの状態になっているわけじゃない。麗しのラズリ様が『王子のストレス軽減』を名目に、私を無断でうさぎに変え、城へ連れてきてしまうからだ。……悲しいかな人間の姿で会う頻度の方が少ないように思う。
まあ、うさぎ姿の方が、周りに気を遣ったり礼儀正しく振る舞ったりしなくていいし、楽ではあるんだけど。うさぎを週一で連れ歩くジェイドの評判が、少し気になるところだ。
そんなこんなで、私たちはいつものように東屋の椅子に座り、ナッツ入りのクッキーを食べている。毎回違ったお菓子が用意してあるのは、ジェイドの配慮だろう。またどれも最高に美味しいのよ!
香ばしいクッキーを堪能し、和やかに会話を楽しんでいると、老齢の従者が遠くからジェイドを呼んだ。
ジェイドはうさぎ語を話せる指輪を外し、従者から用件を聞いている。その後、彼は身をかがめて私にこっそり伝えた。
「すまない。急用らしいので、少し席を外す。ここでしばらく待っていてくれ」
「ええ。ゆっくり待ってるわ」
そう言ってうなずくとジェイドは微笑み、従者と共に足早に庭園を出た。彼のさらりとした長い髪を目で追い、黒のアイアンゲートが閉まるのを見届けてから、私はほうとため息をつく。ジェイドは走る姿もカッコいい。
それから私は誰も居なくなった庭園をぼんやり眺めた。木々の葉はつやつやしており、色鮮やかな花は綺麗で、可愛い蝶々が飛び回っている。今日はポカポカして気持ちのいい天気だ。
何だか眠くなってきたわ……。
ふぁあ、と大口を開けてあくびする。クッキーを食べて小腹が膨れた私は、次第にウトウトしてきた。
ジェイドとの何気ない会話を思い返しながら、深い眠りに落ちそうになった頃──突然、私の上に白い布が被せられた。
わっ!? ちょっと、何よこれ!?
びっくりして飛び起きたけど、布にくるまれて動けない。しかも突然、両足が椅子から離れた。誰かに持ち上げられたみたいだ。
もしかして私を誘拐するつもり!? そうはさせないわよ!
とっさにそう判断した私は、力いっぱい足をバタつかせ抵抗した。
「うわっ! ちょっと、あばれるなよ!」
誰かの焦った声が聞こえたけど、知ったことではない。私はさらに身体をグネグネして、誘拐犯の手から抜け出した。
飛び降りて、すぐさま着地。頭にあった布を首を振って払いのける。それから犯人の顔を見てやろうと、振り向いた。
「え? 子供?」
そこには整った顔をした男の子が居た。年は九歳くらいで、短くさらさらの髪は濃紺。瞳は澄んだ空色だ。上質なシャツと吊りズボンを着ている。たぶん貴族だろう。
「しまった! にげられた!」
男の子は眉根を寄せて悔しそうに言う。この子が誘拐犯で間違いなさそうだ。
でも、何でこんな子供が? 何の目的で?
「何やってるのよ、アクア! ちゃんとつかまえなきゃダメじゃない!」
今度は庭園の入口に、ピンクの髪を二つ結びにした女の子が出てきた。襟にフリルの付いた白いワンピースを着て、胸元にリボンを結んでいる。
驚くことに、彼女は男の子とほぼ同じ顔をしていた。もしかしたらこの二人は、双子なのかもしれない。
「しょうがないだろ? このうさぎ、ジタバタするんだから!」
アクアと呼ばれた男の子が口を尖らせる。
「もう! ならわたしが通せんぼしてるから、その間にうさちゃんをつかまえてよ!」
「分かった! にがすなよ、マリン!」
マリンという女の子は、アイアンゲートを閉め、両手を広げて私に少しずつ近寄ってきた。後ろにはアクアが身構えてる。これはちょっとまずい。
いきなり後ろから近づいてくる足音。私は素早く横へダッシュして男の子の手を逃れた。さらに女の子の前をすり抜け、広い庭の中を駆け回る。
「足の速さなら自信あるんだから! 捕まえられるものなら、捕まえてみなさい!」
「えっ! うそ! はや!」
「ちょ、こら! 待てこいつぅ!」
子供たちが横並びで懸命に私を追いかけてくる。あっちも足の速さはなかなかのものだ。
庭園のゲートが閉まっていたため、私は走りながら木のかげや机の後ろに隠れたりした。でもすぐに見つけられてしまって、挟みうちされそうになる。子供たちはずっと全速力で駆けてきて、休む暇がない。
なんて体力なの……!
長く走りすぎて、さすがの私もだんだん疲れてきた。全身に汗をかいて、息が切れる。両足がだるくなってきて、思うように上がらなくなってきた。
二人の足音がすぐ後ろに迫る。どちらかの指が私のしっぽに触れた瞬間──
「ヒスイ!」
大きな呼び声が響いた。
「ジェイド!」
彼の姿を探そうと、思わずピタッと立ち止まる。
同時に「わぁっ!」と叫ぶ声がして、ゴンッと痛そうな音が響いた。
「ううう……えーん!」
「いたいよぉー!」
二人は顔を赤くして泣いている。勢い余って転んでしまったらしい。膝が擦りむけて、とっても痛そうだ。
そこへジェイドが走って近づいてきた。心配げに眉をひそめている。
「お前たち、大丈夫か? すぐに従者に手当てを頼むから、少し待っていろ」
ジェイドは東屋の近くにある泉の水で傷口を洗い、従者に命じて処置をさせた。
「もうすぐ血は止まるだろう。それまで、ここで大人しく座っていろ」
「はい、お兄様」
「ありがとうございます」
お、お兄様!? この子たち、ジェイドの弟妹なの!?
私はびっくりして子供たちを眺めた。言われてみれば、確かに幼い頃のジェイドにちょっと似てる。
そういえば、年の離れた弟妹がいるって、前に誰かから聞いたことがあったっけ。
私が子供たちとジェイドを代わる代わる見ていると、彼はにっこりと笑って、私を抱っこした。
それから子供たち二人を見下ろして、おもむろに口を開いた。
「アクア。マリン。お前たち、一体ここで何をしていたのだ? 何やらヒスイと走り回っていたようだが」
「あのね、わたしたち、うさちゃんと追いかけっこして遊んでたの」
マリンが、早口で答える。
「うんうん。そうなんだ。楽しかったなぁ」
アクアもすぐに同意する。まばたきが異常に速い。
ジェイドが私の目を見つめて、真偽を確認する。私は鼻先を横に振った。
「ほう、そうか……。ならば、あそこに落ちている布は何だ? 私が用意させた物ではないようだが?」
「あうっ」
「えっと……その……」
「もしやとは思うが、お前たち、ヒスイをあれで捕まえようとしたのではないか?」
アクアとマリンの顔が思い切り引きつる。どうやら予想が的中したらしい。
それを見たジェイドは私を抱く力を強めて、アクアとマリンをにらんだ。
「お前たち、私がこのヒスイをどれだけ大事にしているか、知っているだろう? なのになぜ、こんな手荒な真似をした? きちんと理由を説明しろ」
ゆっくり発せられる重々しい声。彼の怒りを強く感じる。威圧感が半端なくて、その場の空気が凍った。
身の危険を感じたのか、アクアとマリンは素早く頭を下げた。
「ごめんなさい! わたしたち、お兄様のかわいがっているうさぎが、どうしても抱っこしたかったの」
「お兄様はたのんでも、ぜったい会わせてくれないし……だからお兄様にないしょで、ぼくたちの部屋につれていこうと思ったんだ」
「いっしょに遊んだら、すぐに返すつもりだったよ」
「だからお兄様、おねがい。おこらないで……」
うるうるした瞳で、ジェイドを見上げる二人。ちょっと可哀想だ。私はジェイドの様子を恐る恐るうかがった。激しい怒りのオーラは、さっきより少し緩んでいた。
「なるほどな。お前たちの気持ちは解った」
ジェイドは難しい表情でしばらく考えてから、私の顔を見た。私は子供たちの希望を叶えてあげてと、うなずいて合図を送る。ジェイドは深くため息をついた。
「仕方ないな……。少しだけだぞ。丁重に扱え」
ジェイドは座るマリンの太ももの上に私をそっと乗せた。
「うわぁー! あったかーい!」
「すっごく、ふわふわだ! 気持ちいい~!」
目を輝かせた二人は、代わる代わる抱っこをして、私の頭や背中を撫でた。ちょっぴりくすぐったいけど、悪い気はしない。あんまりはしゃいで喜ぶから、見ていてほんわかした。
すると数分もしないうちに、ジェイドが二人を止めた。
「もうそれくらいにしておけ。あんまり触られるとヒスイが疲れる」
「えー! もう?」
「まだちょっとしかさわってないよ!」
「だめだ。もう十分抱っこしただろう。返せ」
ジェイドはアクアの腕からひょいと私を取り上げて、立て抱きした。
「ちぇーっ。何だよ。お兄様のけち!」
「かわいいうさちゃん、ひとりじめして、ズルイよねー」
二人は揃って文句を言い始める。その様子にジェイドは目を細めた。
「お前たち、もう足は痛くないだろう。さあ、そろそろ部屋に戻れ」
アクアとマリンはジェイドに冷たく追い払われる。二人は従者に連れられ、かなり不満そうに庭園から出ていった。
「やれやれ。やっと行ったな」
ジェイドはふうと大きく息を吐いて、うさぎ語の話せる指輪をはめた。
「ねぇ、ジェイド。どうしてあの子たちに私を会わせなかったの?」
「ああ。あの二人は前科があるからな」
「前科?」
「──昔、城で大型犬を飼っていてな。毛並みが素晴らしくとても立派な犬だったのだが、あの二人に大けがをさせられたのだ。上に勢いよく飛び乗られてな」
「うわぁ。そうだったの」
「元気で好奇心旺盛なのはいいが、あいつらはやんちゃが過ぎる。だからヒスイに会わせるのは危険だと判断し、願いを聞き入れなかったのだ」
「なるほどね。でもあの子たち、さっきはそんなに荒いことしなかったし、私は全然嫌じゃなかったわよ。また会わせてあげたら?」
「ううむ。正直それは気が進まないな」
「もう。ジェイドってば心配性ね」
「……そうじゃない」
「ん?」
どういうこと? と聞き返すと、ジェイドは言いにくそうに口を開いた。
「ヒスイは抱っこされて嬉しそうにしていたが、私は嫌だったのだ。誰もお前に触れて欲しくない。ヒスイを抱っこするのも、ヒスイを撫でるのも、私だけがいい」
「それってもしかして、嫉妬したってこと?」
「……悪いか?」
「ええと……悪くない……っていうか、むしろ」
「むしろ?」
「可愛いわ」
「なっ!」
あ、顔が赤い。ジェイドが照れてる! ますます可愛い!
ニヤニヤしそうになるのを頑張って耐え、私は諭すように言った。
「でも、子供相手に嫉妬するなんて大人げないわよ」
「……そうだな。確かにその通りだ。もし今度、会いたいと頼まれたら、快く許可してやろうと思う」
「うん。それがいいわね」
「しかし私の本心を知ったら、あの二人は面白がって城の者たちに言いふらすだろう。だからこのことはお前と私、二人だけの秘密にしておいてくれ」
微笑んだジェイドが右の人差し指を立てて、口元にやる。
「二人だけの、秘密ね」
甘い響きにドキドキする。私しか知らないジェイドの一面が、また一つ増えて嬉しくなった。
私は笑ってジェイドを見上げ、彼の胸にそっと顔をうずめる。
「嫉妬なんて、しなくて大丈夫よ。だって私、あなたに夢中だし。あなたとこうしてるのが、一番好きだもの」
誰よりもドキドキして、誰よりも安心できる存在。私がこんなに愛しいと思える人は、ジェイドただ一人だけなのだ。
沈黙する二人。まぶたを閉じるとジェイドのせわしい鼓動がよりはっきりと聞こえる。彼は大きな手で私の頭をゆるりと撫でてから、長い耳にキスを落とした。
「私もそうだ。いつだって私の心はお前に捕らわれている。お前と、ずっとずっと、こうしていたい」
低く優しい声で囁かれて、私はぽーっとジェイドを見つめる。彼はうっとりした顔を近づけ、今度は口に長いキスをした。胸が高鳴ってほっぺたが熱くなる。目を閉じた私は大きな幸福感に包まれ、溶けてしまいそうだった。
「……お兄様、さっきから、うさぎにめちゃくちゃ話しかけてるな」
「しかもいっぱいチューしてるし。お兄様、ちょっとやばくない?」
その時、ひそひそ話す声が耳に届いて、私は慌ててキスをやめた。ジェイドは不思議そうにこちらを見ている。
彼は全く気付いてないみたいだけど、どうやらあの二人に、仲良くしてるところを見られてしまったようだ。
──それから数日後のこと。城中に、『ジェイドの恋人はうさぎで、結婚できないのはモフモフ愛をこじらせているからだ』という噂が広まった。
その噂の出所は、たぶん私の予想通りだろうけれど。
ジェイドが知ったらあの二人がめちゃくちゃ怒られそうだから、これは私だけの秘密にしておいてあげようと、ひそかに思うのだった。




