新しい呼び名
──昼過ぎにエルージュ王国へ帰ると、馬車が家の前で待っていて、私たちは城へ連れてこられた。ジェイドが私を心配して、手配したのだ。
彼の私室で、私と師匠はソファーに腰かけながら、プレシアでの出来事を報告した。続けて向かいに座るジェイドも、今日仕入れた情報を話してくれた。
「先ほどベラクルスから連絡があった。今朝、やっとサルファーがヌーマイトとの協力関係を認めたらしいぞ。奴はヌーマイトに依頼して、二国で窃盗や誘拐を行い、金を大量に集めていたそうだ。その金を積んで、有力な貴族たちを味方に取り込もうとしていた」
「ふーん。あの男がやりそうなことね。……ていうか、今、思い出したけど、ラズリ様ったら酷くないですか?どうして舞踏会の日、ベラクルス様に化けてるって教えてくれなかったんですか!」
「だって教えたら、ヒスイは態度に出ちゃうでしょう?一応あの場では、ベラクルスとヒスイは初対面の設定なんだから、あまり馴れ馴れしくすると、ヌーマイトに勘づかれると思ったのよ」
「ふむ。そういうことでしたか」
「まあ結局、本物は香水を付けない人だと解ったから、誰かが化けてるって気付きましたけど!」
「言われてみれば、確かに彼は何も付けないわね。理由でもあるの?」
「何でも好きな女の人に、付けない方がいいって言われたらしいですよ!」
「もう十年くらい昔の話だと聞いていますがね」
「……ふぅん。そうなの」
師匠は人差し指を唇に当て、にこりと笑って立ち上がった。
「あれ?ラズリ様、どこに行くんですか?」
「ちょっと用事が出来たから行ってくるわね。久しぶりに、殿方にキュンときちゃったから」
師匠は舞うように部屋を出ていき、私たちは二人きりになる。ふとジェイドの胸元を見ると、いつものブローチを付けていなかった。
どうしてだろう、と考えていると、ジェイドは優雅に立ち上がって、私の隣に座った。
「無事にエルージュへ帰ってこられて良かったな。ご両親とも上手く話し合いが出来たようで、安心したぞ」
「ええ。ほんとにね。プレシア城で二人を前にした時は、ドキドキしたわ。帰りたいと言っても、無理やり城に閉じ込められるんじゃないかって」
「そうなったら、私がすぐにでもお前を迎えに行こうと思っていた。誕生会のあの日にも、約束していたからな」
ふと、手の甲にキスされたのを思い出してしまい、ひそかに悶える。綺麗すぎて印象が強かったらしく、彼との思い出はどれも鮮明に覚えていた。
「ねぇ、ジェイド。そういえばたった一つだけ、思い出せないことがあるの」
「何だ?」
「ジェイドの緑のブローチ。あれ、てっきり初恋の人からもらったものだと思ってたんだけど。でも私はそんなのあげた覚えがなくて……結局あれは誰からもらったものだったの?」
「あれはもらったのではない。私から贈ろうと思っていた品だ」
「誰に?」
「……目をつぶってくれないか?」
「どうして?」
「いいから」
言われるままに、目を閉じる。すると私の首に、しゃらりと何かがかけられた。
「目を開けていいぞ」
そっとまぶたを開くと、胸元に緑の宝石が輝いている。見覚えのある形だ。
「これは」
「あのブローチを、今のお前に似合うよう、ネックレスに直させた。本当はあの誕生会の日に渡すつもりだったのだが、それは叶わなかったから」
「これをいつも身に付けていたのは、私を忘れないためだったの?」
「ああ、そうだ。この宝石の緑は、お前の綺麗な瞳に良く似ている。私はこれを眺めながら、長い間ずっと、お前に再び会える日を夢見ていた」
ジェイドはうっとりと幸せそうに微笑む。私の心は日だまりのような温かさで満たされていった。
「渡すのに八年もかかってしまったが、私からの誕生日プレゼントだ。受け取ってくれ」
「ええ!ありがとう!とっても素敵だわ!」
くしゃりと笑えば、ジェイドは私を優しく抱き締める。落ち着く匂いとジェイドの温もり。静かな息遣いを耳元に感じた。大騒ぎする心臓の音が、彼に聞こえてしまいそうで焦る。ジェイドは硬直する私の左耳に、そっとキスを落とした。
「今も昔も、お前だけを、愛している。ヒスイは私の、運命の相手だ」
「~~~~~っ!!!」
とろけるような甘い声で囁かれ、私は目を回しそうになる。
けど気絶したら大事なことが言えない。頬が燃えるように熱くなるのを感じながら、私は彼に正面から向き合い、伸びをして唇にチュッとキスをした。
「私もジェイドを愛してるわ」
はにかみながら告げると、ジェイドはめちゃくちゃ驚いた様子で固まった。頬が真っ赤に染まっている。
私たちは照れ笑いを浮かべ、肩を寄せ合い、手を繋いだ。もう二度と離れてしまわないように。お互いの愛情を、ずっと近くに感じていられるように。
──数ヶ月後。季節は秋。いつの間にか世間の噂話から『氷王子』という呼び名は消え、ジェイドは皆から親しまれるようになった。
その代わりに最近は、モフ好き『うさぎ王子』と影で呼ばれているらしい。(カーネリアン情報)
未解決の事件の真相も解り、サルファーに味方していた貴族たちが投獄されたことで、王位継承のゴタゴタは解決したけど。まだまだ、彼の悩みは尽きなさそうだ。
「お前が居るから、何を言われても平気だよ」
澄み渡る秋空が美しい、爽やかな朝。私室のソファーに座って、ジェイドが微笑む。
私は彼の膝の上で、照れながらうなずいた。それからテーブルに置かれたジェイドの右手に自分のを重ねた。
薄茶色でふわふわした手を──
「ちょっと待って!?何で私、またうさぎの姿なの!?あの人、また薬を盛ったわねーーーっっ!!!」
平和なエルージュ城全体にこだまするほど、私は叫んだ。
開いた窓から風が吹き、『モフで王子をたくさん癒してあげてね』というラズリ様の手紙が、薬ビンの入ったラタンのカゴから、ひらりと舞い落ちたのだった。
めでたし、めでたし(?)
【おしまい】




